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♪イースター

イースターは、毎年日付が変わる移動祝祭日で、春分明けの最初の満月のあとの日曜日。
今年は4月21日。次の日曜日だ。

子供の頃、つまり昭和の後半の頃、イースターを祝うという風習は存在しなかった。
ハロウィーンもそうだけど、教会へ通っていたとか、ミッション系の学校へ通っていたとかいう方以外は一般的なものではなかった。
思えば、昭和の頃になかったものが平成の時代を通じて一般的になったものって、いっぱいある。
スマホやDSはもちろん、パソコンだって普及していなかった。就職した頃に会社にあったのは、緑色でカーソルがピコピコ点滅するようなのが一台あったっきり。ようやくワープロが普及し始めた頃。
そもそも大型の家電量販店がなかった。
ユニクロもなかったし、第一、コンビニが今ほどたくさんはなかった。従って、おにぎりやコンビニ弁当もコンビニ・スイーツも日常食ではなかった。
食卓に関していえば、例えばスモークサーモンやローストビーフは子供の頃に食卓に登った記憶がない。存在すら知らなかったかもしれない。
チーズといえばブロック状のプロセスチーズかスライスチーズか6Pチーズで、カマンベールだのマスカルポーネだのモッツァレラだのといった種類のものは少なくとも庶民の食卓にはなかった。アボカドはもちろんのこと、キウイフルーツもなかった。ブロッコリーやミニトマトですら、子供の頃にはなかった。
パスタという食事はなく、スパゲッティは付け合わせ扱いだった。ハンバーグの横に山ほど赤いスパゲッティが盛られていた。
餃子も唐揚げもハンバーグも家で手作りするのが当たり前。
茶碗蒸しも手作りで、スが入ってなめらかではなかった。
食パンは店頭でスライスしてもらうものだった。あれ、店頭スライスだと、カビが生えるのが早いんだ。
豚まんは蒸し器でなきゃ作れなかった。そもそも電子レンジがなかったんだし。
生クリームを使ったおいしいケーキなんて食べたことがなくってバタークリームを使った油っぽいものだった。生のフルーツの代わりに着色料だらけのゼリーが乗っていた。

・・・なんて昔話ばっかりするようになったらもうジジイだよね(笑)。

さて、イースターといえば、卵。
卵は生命のはじまりの象徴であり、殻のなかにいる時間を経て、殻を割って生まれてくる様子が、キリストの復活を表していることからシンボルとなっているそうだ。
そんな感じでふんわりと明るいイメージがあるイースターだけど、僕のイメージはちょっと重い。
それは、イースターという言葉を初めて知ったのが、このアルバムだったからだと思う。
パティ・スミス、1978年のサード・アルバム。

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Easter / Patti Smith

このアルバムのエンディングに配されているのが、表題曲“Easter”。
とてもへヴィーで荘厳で、抉られるように生々しいサウンド。
だけど、どこか天から光が降り注ぐような神々しさすら感じられる。
特に後半のポエトリー・リーディングのあたりは、なぜか涙がこぼれてくるほど美しい。

I am the spring, the holy ground,
The endless seed of mystery,
The thorn, the veil, the face of grace,
The brazen image, the thief of sleep,
The ambassador of dreams, the prince of peace.
I am the sword, the wound, the stain.
Scorned transfigured child of cain.
I rend, I end, I return.
Again I am the salt, the bitter laugh.
I am the gas in a womb of light, the evening star,
The ball of sight that leads that sheds the tears of christ
Dying and drying as I rise tonight.
(Easter)

意味はよくわからない。
訳すとニュアンスが変わっちゃうような気がする。
なぜだかわからないけどこの曲を聴いて、「世界は春に終わるんだなぁ。」と思ったんだ。
よく晴れた青い空と降り注ぐ光の中で静かに朽ち果てるように終わっていく世界。
それはそれで美しいのかもしれない。

イースターはキリストの復活を祝うお祭り。

キリスト教では、世界の終わりにイエス・キリストが再臨し、あらゆる死者をよみがえらせて裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄に墜ちる者とに分けるといわれている。
どうして毎回裁かずに、世界の終わりまでストックしておくんだろうね。かなり効率悪いよね。ずいぶん順番待ちさせられそうだ。
裁きはキリストさんが一人でやるのかな。複数だとしたら、人による不公平はあってほしくないな。
そのとき裁きを行うための物差しは、いつの時代のものが使われるんだろう。紀元前と現代じゃ、いろんな価値観はかなり違うんじゃない?
そんなこんなのところがよくわからない。
そんなことを思う僕は、きっとかなりの罰当たりだから、おそらく地獄へ落とされるんだろう。
僕はどっちでもいいよ。
それよりも、現世でおいしいスモークサーモンやローストビーフやモッツァレラチーズやなんかを食べて、安穏と幸せに暮らしたい。
あぁ、もうこの世が終わっちゃうんだなぁ、ちょっとざんねーん、とかぼやきながら、裁きを受けてやるのだ。





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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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