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音楽歳時記シーズン3「寒露」

10月8日、節季は寒露。
そろそろ露が降りて、朝晩なんかはひんやりするような季節の始まり、という意味。
実際、今週になってやっと暑さが落ち着いてきた。
秋は実りの季節。
今年の収穫を祝い、神様に感謝を捧げる季節。

家族親族単位で狩猟と採集を行って暮らしてきた私たちの祖先が、稲作を暮らしの中心に据えるようになったことからムラが生まれ社会が生まれたわけで、私たちの社会の慣習はすべて稲作と大きな関わりを持っている。
収穫を祝う秋のお祭りは年中行事の中でも一大イベント。
まずは食物が確保できたことへの感謝。自然の力への感謝とその表裏である畏れの表明。
一年の苦労を労い、人々が力を合わせて働くことの尊さを再確認する意味あいもあっただろう。
祭りの日には晴れ着を着てハレの食べ物を食べてお祝いをする。
ハレとケ、日常と非日常。
お祭りは非日常に属するもので、日常にはない賑やかさや開放感が必要とされる。
それが、躍りと音楽のそもそもの役割。
で、日本のお祭りミュージックといえば、やっぱり上々颱風だな。

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上々颱風3 /上々颱風

上々のリズムは縦横無尽だ。
慣れ親しんだロックのビートやファンクのうねりとも違う、けれど体の中に埋め込まれたアジア人のDNAがうずきだすようなはねるリズム。
もぞもぞとせりあがってくるような興奮と抗えない気持ちよさ。

1960年代も後半に生まれ80年代に育った僕たちの世代は、もはや子供の頃からロックのビートが当たり前に体に入っていて、民謡風の純和風のリズムや演歌チックなメロディーなんかには古くさくてかっこわるいものだと無意識に拒否してしまうような感じが身に付いてしまっているところがあって。
だからこそ、なんだろうけど、ひととおりロックやソウルを履修し終わったあとにわっと湧いてきた90年代のワールドミュージック的なブームはものすごく新鮮だった。
アフリカやインドやアラビアのリズムに身を浸したあとにふと振り返ると、あらら、なんだ、日本にもめちゃくちゃかっこいい音楽があったんだって再発見、上々の音楽との出会いはそんな感じだっただろうか。

僕はその頃ちょうど、最初に入った会社を辞めて無職になり、なけなしの貯金で一人旅に出たんだった。今で言ういわゆるバックパッカー。
アメリカ縦断、メキシコ、タイ、エジプト、イスラエル、トルコ、、、旅をすればするほど、どこへ行ったって人間のやることなんて対して変わらないもんなんだな、って思った。
どこの土地にも、こすっからい商売人や、でたらめ案内人や、朝から晩まで路地の同じ場所に座っている爺さんや、おせっかいおばちゃんや親切な好青年がいて、恋人たちや、いらずらっこや、勤勉にあるいはテキトーに働く人々がいた。
結局、庶民なんだよな。
日々普通に暮らしている庶民が世界なんだ。
働いて、買い物して、笑って、怒って、愚痴って、噂話して、文句言って、食べて、寝る、そんな一人一人が世界なんだ、と。
そして、それの何が悪い?と。
働いて、買い物して、笑って、怒って、愚痴って、噂話して、文句言って、食べて、寝て、歌って、恋して、やがて死んでいく。何十万年も前から人間はそうやって生まれて死んでいった、それでいいんだ、と。

上々颱風の音楽から感じるのも、そういう肯定感なのかな。
紅龍さんの雄叫びや、映美さんのハッという掛け声や郷子さんのホイッっていう合いの手や、ピアノのささやきやパーカッションのうねりやらに息づいている生命への肯定感。
うれしいこともかなしいこともぜーんぶひっくるめて、生きてりゃいいんだ、って。
結局のところ、ライフ・イズ・ア・カーニヴァル、人生はお祭り。
何十万年も前から、人間はそうやって暮らしてきたのだもの。

上々の音楽は、つまらない日常をもあっという間にお祭りに変えてくれる。
上々ミュージックがあれば、いつでもどこでもお祭り騒ぎ。
めんどくさいこと四の五の悩むのもそれはそれであり。
人間だもの、苦しみも悩みもあって当たり前。
で、それを突き抜けてとりあえず楽しむ、それがきっと大人の流儀。



いろいろあるけど、それはそれでとりあえず置いといて、楽しめるときにはとことん楽しみましょう。






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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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