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◇茨木のり子 “自分の感受性くらい”

“自分の感受性くらい”

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもがひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


「誰かを殺してみたかった」だけが動機の自我の暴発のような殺人事件のたびに犯人の人となりがいろいろと調べ上げられては報道ベースで紹介される。
なるほど、彼等はそのようにして歪んでいったのか、ということは理解はできる。
けれど、歪んでしまったのを時代や環境のせいにして卑屈になるのは、結局のところ甘えであり、生き物としてのひ弱さなのだ。

茨木のり子さん、という詩人がどんな人かはよく知らない。
大正15年生まれで、終戦後に結婚してから、詩作や童話に携わり、2年前に79歳で死去している。
この“自分の感受性くらい”は、昭和52年の作品。
戦中・戦後を生き抜いてきた世代からの、あの頃の若者たち-物質的に恵まれていろんなものを与えられて育ったのにシラケ世代を呼ばれた彼等-に対する叱咤激励なのか。或いは、自らの半生を振り返っての自戒なのか。
「ばかものよ」と一喝するその言葉には、きりっと一本筋が通っている。
今や、誰も、こんなにしゃんと背筋を伸ばした姿勢で生きることを語らなくなったけれど、こんなにもハードな時代だからこそ、こんな言葉が必要なのだと思う。


自分の感受性くらい
自分の感受性くらい/茨木 のり子



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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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