いかにもお盆の頃のような、すっきりとした空の日が続いた。 夏休みに母親の田舎でいとこたちと泥んこまみれになりながら原っぱや河原を転がりまわっていた子供の頃の夏休みに見た空のように、すっきりと青く、澄んだ空気が流れていた。 それだけでもう、なんとなくシアワセな気分。 ソウル・フラワー・ユニオンの “そら”っていううた、「この空はあの空とつながっている」っていうフレーズをなんとなく思い出した。 シャローム・サラーム/ソウル・フラワー・ユニオン ソウル・フラワー・ユニオンは、昔から、ニューエスト・モデルだった頃から気になるバンドではあった。
中川敬が学生時代の友人の友人だった、ということもあるけれど、それ以上にクラッシュやジャムの青臭い社会正義を継承するバンドとしてそのいきりたった姿勢がかっこいいと思っていた。
ただ、少し理屈っぽくて説教くさいところが、理想も姿勢も分かるんだけれどどこか音楽としては純粋に楽しめないようなうるささがあった。
それでいつの間にか彼らの音楽から遠ざかっていたのだけれど、このアルバムでは、いきりたってがちがちになっていた肩の力がすっきり抜けて、飄々と、しかしとても存在感のある音を鳴らしている。
音楽が、うたが、自然にすっとココロに入ってきて、それがとても心地よいのだ。
それでまた一気にソウル・フラワーが大好きになった。
理屈で人をねじ伏せることなんて出来ない。
まして暴力や権力を振りかざしたところで、人は従ったふりをしても決して心から動くわけじゃない。
そんなことはよくわかっていながら、いろんなぐちゃぐちゃしたものが邪魔をして、素直に笑うことが出来ずに意固地になっていた自分がいたのだろう。
もう、意固地になって気張るのはやめておこう。
肩の力を抜いて、自分のココロのうちから素直に湧き出てくるうたを歌おう。
うたは、音楽は、誰かに届いてこそ初めてうたであり音楽なのだと思えるようになってきた。
すっきりと澄んだ青い空を見あげながら、煙草を一服。
がちがちに気張っていた、誰かれ構わず吠えてばっかりだった自分自身が、煙草の煙と一緒に青い空に吸い込まれていくような気がする。
その空は、泥んこになって原っぱや河原を走り回っていた夏休みの少年の空と、確かにつながっている。
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