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♪「びじゅチューン」と世界平和

久し振りに京都駅の伊勢丹に行く機会があって。
ここにはNHK Eテレのグッズショップがある。
実は昔からEテレ(っていうか、教育テレビ、ね)の子供番組は大好きで。「0655」「2355」はもちろん、「ピタゴラスイッチ」「日本語であそぼ」「コレナンデ商会」「ごちそんぐDJ」などなど、実に奥が深くておもしろい番組が目白押しなのだけど、娘ともども一番はまっているのが、日曜日夕方5時55分からの「びじゅチューン」という番組だ。

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以前にこの枠でやっていた「むしまるQ」と同じく、歌で知識を学習するコンセプトのこの番組。古今東西の美術作品を独特の歌とアニメで紹介するのだけど、この歌とアニメがなんとも不思議な魅力があるのです。
歌と作画をともに手掛けるのは井上涼さんという人。
どう不思議かというとなんとも説明が難しいのがけれど、例えば狩野永徳の「唐獅子屏風図」の唐獅子の巻き髪がバッハに似ているという理由だけで唐獅子たちが音楽家であるという設定にしちゃったり、「ムンクの叫び」の登場人物をめちゃくちゃ旨いラーメンを食べたときの言葉にならない叫びを発していると見立ててラーメン屋の店主にしちゃったり、「モナリザ」は会社のお局様だったり、「五弦琵琶」が転校生だったり、インドの「タージ・マハル」が色白でぽっちゃりしている憧れの先輩女子だったり、「太陽の塔」が保健室のカウンセラーだったり、「最後の晩餐」でサンバを踊ったり。まぁよくぞそーゆー大胆な発想ができるもんだと思うようなものばっかりで。
時にシュール、時にほっこりしつつ、人生のある一瞬の機微を見事に切り取ってくる感じは実に奥が深いです。このぶっとびかた、歴史ある美術作品の権威などものともしない自由さはある意味パンク的だし、先人の遺産をどう解釈して再構築するのか、という点ではヒップホップ的でもあるとも思う。楽曲的にはリズムは打ち込みだけどベースなどかなりファンキーで、メロディーは複雑かつ独特。ジョリー・ラジャースというコーラス・グループ入のバージョンもいい味出している。
すごくおもしろい作品が山ほどある中で一番好きなのは、「貴婦人と一角獸」を題材にした“貴婦人でごめユニコーン”かなー。
貴婦人の、貴婦人であるが故の至らぬ点を執事的な役割のユニコーンがひたすら謝りまくるだけの歌なんだけど(笑)、このユニコーンがめちゃくちゃかわいい。そもそも“ごめユニコーン”などという無理のある造語を構わず使っちゃうというだけでも、恐るべしセンスだと思いません?

ところで、京都駅といえば、原子爆弾の最初の投下予定都市の第一候補は実は京都市だった、ということをご存知でしょうか。
今日も世界中からの観光客で賑わう金閣寺も清水寺も、ひょっとしたら原爆で影も形もなくなっていたかもしれないのです。
投下目標は京都駅近辺。
今いる場所が爆心地だった可能性を考えるだけで背筋が寒くなりました。
アメリカ軍が京都を第一候補に提案した理由は、原子爆弾の効果がどの程度なのかを科学的に測定するためで、そのために地政学的な見地から導かれたもの。つまり「3マイル四方の平地かつ奥に山があり、爆風の影響が最大限得られること。」、加えて「まだ空襲の影響を受けず都市が保全されていること」「人口が100万人以上」ということが効果測定という点で重視されたそうだ。
しかし当時の陸軍長官スチムソンはフィリピン提督時代に京都を訪れたことがあり、「京都はダメだ」と却下。一度は京都は投下目標から外される。戦後に、「京都に空襲がなかったのは京都に無数にある文化財をアメリカは保護したかったからだ、さすが西洋人は美術の価値を大切にする」というアメリカ賛美の言説が定説になったけれど、実態はそうではなく、スチムソンが京都への原爆投下を認めなかったのは「京都は天皇が住んでいた古い都で、そこを原爆で跡形もなく破壊してしまうと、さすがに日本人の反米感情が高まりすぎるリスクがある。戦後に日本が反米国家化してソ連側につかれるのは困る」というものだったそうだ。文化財を保護した、というのは後付けの理屈だったようで、軍は一度は京都案を引っ込めはしたものの、広島市、小倉市、新潟市とともにずっと候補地には残っていて、日本がそのまま降伏しなければいずれ、という準備がなされていたそうです。
・・・ため息が出るような話ですよね。
爆弾が投下された、その下で暮らす人間一人一人のことなど一切考慮されない、政治的な思惑とさじ加減だけで何十万もの命の行方が左右される。非常に利己的な判断で運命が変わってしまう。
爆弾を落とす側にそんなふうに人の命の行方を決める権利なんて絶対にないはずなのに。

ちなみに“貴婦人でごめユニコーン”の歌詞には、「我が唯一の望みはみんなで静かに暮らすこと」というフレーズが出てきます。それは誰もの望みであり、爆弾はそんな望みを一瞬で、或いはじわじわと、破壊するものである。
びじゅチューンは、古今東西の美術作品のことを扱う番組だけど、その奥底に「人間の暮らしへの慈しみが美術作品には込められている」というメッセージがある気がするのです。ひいては人間の暮らしへのリスペクトがある、と。
爆弾とは対局の論理としての美術作品。
美術にはそういったメッセージがあることを、へっぴり腰でへなへなの超脱力系の井上涼くんが教えてくれる。
爆弾よりも美術作品を。武器よりも楽器や絵筆を。

そんなことを考えた、夏の終わりの京都駅だったのでした。


※「びじゅチューン」、井上涼さんの作品は、NHKのこちらのサイトでご覧いただけます。
CDとDVDも出てますよー。

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びじゅチューンCD EAST / 井上涼
びじゅチューンCD WEST / 井上涼


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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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