親愛なる者へ / 中島みゆき 未だNETウォークマンは壊れたまんま。それで、古いカセットテープを整理していたら、ダンボールの中から中島みゆきのテープが出てきた。『臨月』と『寒水魚』と、その当時自分で作った自己編集テープ。1982、3年か。
あの頃の中学生にとってレコードは高かった。レコード(LPレコードだ)を買いたいと思ったら、まず友人に持っていないかを聞いてみる。友人が持っているものは借りて済まして、誰も持っていないものを買う。もちろんレンタルレコード店すらない時代だ。アリスも松山千春もオフコースも甲斐バンドもそうやって入手した。中島みゆきはOという奴が大好きで、彼から全部借りた(奴は今どうしているのか?高校卒業以来音信不通だ、もっとも音信不通なのは僕の方なのかもしれないが)。
傷をつけないように大事に大事に袋から出して、慎重に針を落とす。カセットテープも高価だったからそうそう全部を録音することができなくて、詞をノートに書き写して記憶し(写経か!)、いつでも頭の中で再生できるように聴きこんだ。それでもどうしてもこれは好き、というものだけをテープに一曲づつ録音した。頭出しの機能なんてないから、前の曲の最後を残さず次の曲の頭を切らさずに録音するのは至難の業だった。それでも自己編集テープを作ったりしたのだから、ヒマだけはめちゃくちゃあったのだろう。
ちなみに自己編集テープの曲目はこうだった。
A 1 時代 (『私の声が聞こえますか』より)
2 ホームにて (『ありがとう』より)
3 泣きたい夜に (『生きていてもいいですか』より)
4 世情 (『愛していると云ってくれ』より)
B 1 タクシードライバー (『親愛なる者へ』より)
2 根雪 (『親愛なる者へ』より)
3 小石のように (『親愛なる者へ』より)
4 夜曲 (『臨月』より)
中学生の割には我ながら渋い選曲してるじゃないか…と思ってしまった。
その頃、時代は大きく変わろうとしていた。中島みゆきは「ネクラ」と呼ばれ、「暗い」「重い」と時代から敬遠されつつあった。メッセージ性のある歌は過去の遺物とされて、軽薄な時代の扉が開いていた。けれど、今聴いてみてどうだろう?その頃もてはやされたシュガー・コーティングされた薄っぺらいポップ・ソングは結局時代の波の中に姿を消し、或いは懐メロとしてただ過去を懐かしむ以外の機能を果たさないけれど、中島みゆきの歌は時代を超えて今も心の奥底まで響いてしまう。人の営みの愚かさやそれゆえの愛おしさはどんな時代にもいつもある、ということなのだろう。
『親愛なるものへ』に入っていた「小石のように」は、カントリーみたいに軽快で、ささやかながらも前向きな希望(もちろんそこへ至るまでの深く暗い絶望もさりげなく触れられているけれど)が歌われていて、失恋やそのことへの恨みや嘆きを取り扱った重く暗い曲の多かった中島みゆきにとっては異色な一曲。この曲は大好きだった。
夢を見て希望を抱いて、街に出て、しかしそうそう夢など簡単に実現するわけもなく、身を削られてだんだんと小さくなって、自分自身の存在価値すらいつか見失ってしまう…そんな人たちを暖かく見守り励ますメッセージを小石の旅に例えた物語。
久しぶりに聴いて、不覚にも泣けてしまった。
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