十七歳の地図 / 尾崎豊 尾崎豊の名前をを初めて聞いたのは高校2年生のときだった。僕よりも1学年上。音楽雑誌の広告か何かで、その同世代のロッカーがデビューすることを知った。甲斐よしひろのオールナイトニッポンかなんかで「15の夜」を聴いてアルバムを手に取った。そこに収められていたのは、スプリングスティーンやジャクソン・ブラウンばりのアレンジのロックに乗せた、大人社会への怒りや失望やいらだち、自分の存在についての問いかけと不安と決意。そんな17歳なりの意見表明。
ぱっとしない毎日の中で、将来への不安や自分の存在について思い悩んでばかりだったあの年頃、尾崎の歌う気持ちはまるで自分のための歌であるかのように共感したし、メッセージはまっすぐに突き刺さってきた。
表現も拙いし曲のアレンジだってしょぼいし。
けど、当時は「自分と同じ思いの奴がいる」ということが大きな励ましになったのだ。
ずいぶん口ずさんだのだろう、このアルバムの曲は実は全部空で歌えてしまう。
尾崎はその後、「卒業」以降あっという間にカリスマになり、僕は僕でもっと刺激的でもっと深い表現の世界を発見し、尾崎豊のことなんて忘れていた。
更に時は過ぎ、尾崎はクスリにはまって刑期を勤めた後、はい上がろうともがく途上の1992年、わずか26歳でこの世を去った。
死後も尾崎の音楽は半ば伝説化され、あの年頃の少年少女たちのバイブルに成り得ているけれど、もちろんそんなことは僕に何の興味ももたらさない。
カリスマ的な誰かに救いを求めるのはあの年頃特有のワナだ。本当は誰もが自分で自分の答えを出さなきゃいけない。誰かの出した答えにすがってはいけないんだよ。尾崎はそのことをわかっていながら、彼らの期待を背負いすぎて自分で自分を苦しめていったのだと思う。彼が死ぬことで結果的に伝説は完結してしまった。
ねぇ、あんたは生き延びなきゃいけなかったよ。絶対に、あんな死に方をするべきではなかった。あの頃のレコードに込められた気持ちを抱いたまま大人になったあんたが、どんな歌をどんなふうに歌うのかを聴かせてほしかったよ。
4/25 尾崎豊氏 命日に
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