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♪SOMEDAY

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SOMEDAY / 佐野元春

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蔵出しCD・初期のgoldenblue編その3。
佐野元春のことを初めて知ったのも受験勉強をしていた頃だった。
こたつで寝そべって受験勉強しながら聴いていたラジオから流れてきた“SOMEDAY”。
そのあと高校に入ってからナイアガラトライアングルのアルバムが出て、それからこのアルバムが出た。これは発売後すぐに自分でLPレコードを買った。切って折り曲げればブックレットになるタイプの歌詞カードがかっこよかったな。ブックレットの中のインフルエンスド・アーティストの中には、ボブ・ディランやルー・リードの名前があった。

佐野元春のどこがそんなにも気に入ったのか。
これは、今の時代に説明するのはとても難しいのだけれど、とにかく佐野元春は存在そのものが新しかったのだ。
今でこそフォロワーがいっぱい出て、Jポップのスタンダードな形式のひとつになってしまっているのでピンと来ないと思うけれど、情緒に偏らないシャープな言葉の断片を、コンパクトなビートに乗せて、ポップに、時にシニカルに歌う。そんなふうにロックンロールを歌う人は佐野元春より以前には誰ひとりいなかったはず。
その新しさの大きな特徴は「日本臭さ」がないこと、と言えるかもしれない。
ポイントは大きく3つ。
英単語を織り混ぜて、一音節に一音ではなく二音も三音も乗せてしまう独特の日本語の乗せ方や、演歌的にビブラートしないクールでスピードのある歌唱法、というのが日本臭さがない理由のひとつ。
また、従来の日本のロックはどちらかといえばブルース系/ハードロック系、もしくはロカビリー/ロックンロール系の出自を持つアーティストが多く泥臭いギターともったりしたリズムを中心にした音作りが主流だったのに比べて、バディ・ホリー~マンフレッド・マン~エルヴィス・コステロの系譜にあるような、シャープでコンパクトなブルース臭の少ないサウンドを採用していたこともひとつ。
そして、佐野元春が描いて見せた都市の少年少女の情景そのものが、情緒的なものを廃した言葉の選び方とともに今までの日本の歌では描かれなかった情景だったから 、というのがひとつ。
もちろん当時そんなことを考えて聴いていたわけではないのだけれど、当時のニューミュージックの歌い手の作る歌のほとんどは自分自身に宛てて、または自分と同世代の人たちに宛てて作らていたようなフシがある。自分に向けてではなく、ティーンエイジャーに向けた物語を佐野元春が描いて見せたのは、チャック・ベリーから連なるロックンロールのテキストへの造詣がとても深かったからではなかったか。チャック・ベリーが革命を起こしビートルズが受け継いだ、満たされない普通の子供たちへのロックンロールを80年代の日本に誕生させようとしたのではなかったか。佐野元春のスタイルはよくある自己表現欲求とは別のところで時代にコミットできる音をかなり意識してプロデューサー的に作り込まれていたはずだ。そしてその狙いはずっぱまりだった。物質的な豊かさとともにティーンエイジャーという新しい世代を創出した50年代のアメリカと同じように、物質的な豊かさを謳歌すると同時に物質ではまかなうことのできない別の豊かさを日本人が求めはじめたのが80年代だったから。高度経済成長を経て日本的なものよりもアメリカ的なもののほうが親近感を感じるように育った僕たちのような世代が思春期を迎えはじめたのが80年代だったから。それは遅かれ早かれ出現する時代の要請だったのだ。

とにもかくにも、佐野元春は新しかった。それは確かだ。
佐野元春の描き出す日本的ではない情景とビート感は、旧来の日本的で封建的なもの・・・学校、親、近所付き合い、そういったものを醒めた目で見て距離を置きたくなる年頃の少年が夢中になるにはうってつけだったのだ。
そして、もうひとつ佐野元春が新しかったのは「不良じゃなくてもロックンロールできる!」ことを示してくれたこと。
当時ロックといえば不良、ヤンキーのものだったのだ。僕は不良ではなかった。フォークっぽい人はたくさんいた。けど、あの人たちの歌うお説教のしらじらしさにはうんざりしてしまっていた。それから、いわゆるシティ・ポップっていうの?AOR崩れのやたらオシャレに決めて毒にも薬にもならないポップスを演る人たちもたくさんいた。まるでリアルじゃなかった。もっとリアルなこと、ウソくさくないものがほしかった。
不良にもなれずガリ勉にもなれず女の子にはモテっこない。学校の授業はツマラナイし、大人たちは信用できない、将来の夢もなく、今やりたいことも見つからず、自分が何者なのかさえもわからない、ただただうだうだと過ぎていく日々の中で、佐野元春の言葉は、ビートは、ひとつの光のようにそんな冴えない僕に明かりを照らしてくれたのだ。

今聴いても、胸がキュンとして切なくなるよね。
まだたどり着けはしないけれど、瓦礫の中でゴールデン・リングは今も輝きを放っている。
ただのスクラップにはなりたくないから、ソウルをスイングさせて、真心がつかめるそのときまで、たったひとつだけ残された最後のチャンスに賭けてみるんだぜ。
素敵なことは素敵だと無邪気に笑いながらね。



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コメント

[C2747]

名盤さん、こんにちは。
アルバムが出たのは高1でしたね。この人は全然他とは違う!と強く感じました。
ちょうどいい年頃に佐野元春に出会って、その軌跡をずっとリアルタイムで追っていくことができたのは、僕たちの世代にとってすごくラッキーなことだったと思います。
  • 2016-01-22 08:18
  • goldenblue
  • URL
  • 編集

[C2746]

烏丸せつこがサウンド・ストリートでかけた「ロックンロール・ナイト」を聴いて、次の日このアルバムを買いました。高1だったかな。
今思えば、最も同時代性を強く感じさせてくれた人だった。
そして今も、佐野元春の音楽は、今という時代を感じさせてくれる音楽を作り続けている。
ずっと好きです。

[C2745]

Bach Bachさん、過分なお褒めの言葉、ありがとうございます。
たくさんの方が音楽ブログを書いておられますが、やっぱり「自分はこう思う」っていう記事が読んでて楽しいですね。好みは違ってもそういう共感が楽しいです。
うんちくは評論家に、売り文句はCD屋に任せておいて、自分がどう感じたかを書かなきゃブログを書く意味はないかなー、と自分では思ってます。
BachBachさんの記事も、いつも楽しみにしていますよー。
SOMEDAYは、Hungry Heartのパクリだとかいろいろ揶揄されることも多いけど(個人的には全然似てないと思うけど)、やっぱり名曲ですよね。

  • 2016-01-21 23:40
  • goldenblue
  • URL
  • 編集

[C2744] なんか 分かります

 お書きになってる事、なんか、分かります。佐野さんの事も分かるんですが、golden blue さんがいつもお書きになっている「私はこう感じた」というのが、ウソや飾りがなくって、すごく伝わります。僕に似てるなあ…みたいに、勝手に感じちゃってます(すみません、失礼な言い方でしたら赦して下さい^^;)。
 それはそうと、"Someday" 、いいですよね。若い頃の僕も、この詞に助けられたことがありました。この曲から影響を受けて書かれたという"SOMEDAY"というコミックもあるんですが、それも学生から社会人になる瞬間の若者の葛藤を取り扱っていて、心にしみたなあ。

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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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