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◇ことばの食卓

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ことばの食卓 / 武田百合子

本を選ぶ、音楽を選ぶという行為は、そのときの自分の気持ちを探り当てる行為だと思う。
早めに仕事が終わった夜、職場の近くの書店に寄っていろいろ立ち読みしたりしながらぶらぶらする。気分が良いときは、おぉっ、あれも読んでみたい、これもおもしろそうっ、ってなるのだけれど、そうでもないときはまるで読みたい本が見つからない。
平台で目に留まるのは山積みの池井戸潤、伊坂幸太郎、有川浩、石田衣良、特設コーナーには東野圭吾や 新刊本のコーナーには村上春樹。
うーん、なんか違う、今読みたいのはそーゆー感じじゃないんだよなー。
十数冊もの本を取ってはパラパラして棚に戻し、また手にとっては戻し。
そんなときにふと目に留まったのがこの本だった。
武田百合子さん。
あ、なんかこのカラッとさっぱりした感じ、いいな、と。

作家・武田泰淳の妻、といわれてもあんまりピンと来ない。
1925年に生まれ、戦中戦後の厳しい時代に青春時代を過ごし、泰淳の死後に「富士日記」でエッセイストとしてデビューされ、67才で亡くなるまでに幾つかの優れた随筆を残された方。
この「ことばの食卓」は84年の発表なので59才の頃の文章なのだけれど、その文章は実にみずみずしくて奔放で繊細かつあっけらかんとした不思議な感じがする。
子供みたいに繊細な感覚を持ったまま、たおやかにしなやかに激しい人生を渡ってきた人ならではの言葉。そして、つらつらと描かれたエピソードの結末がいつも、説教くさくまとまらずにふわぁっと宙に投げられたまま締めくくらずに終わるのがなんとも不思議に心地よい。

読書というのは基本的なパターンとして幾つかに分類することができる。
ひとつは知識を得るための読書。HOW TO本や新書なんかが主にそういう役割。
もうひとつは単純にエンターテイメントとしての読書。ミステリーや推理小説、時代小説やいわゆるハーレクインロマンスみたいな類いのものを中心に、まぁプロットとストーリーを楽しむものとでもいうか。
そしてもうひとつは、感情をなぞって共感を得る行為としての読書。小説や随筆のほとんどはここにあたるのだろう。
若い頃は感情を込めれ登場人物と同化できる本がいくつもあった。幾つくらいからだろうか、そういうものがめっきり減ってしまったと感じるようになったのは。いや、もちろんそういう本がなくなってしまったわけではなく、今もきっとたくさんある。ただ、それに自分が共感できなくなってしまったのだと思う。っていうか、そういうものを求める層はやはり若い世代が中心になるのであって必然そういう種類の本はそういう世代に向けて出版される。50前にもなるおっさんにもなれば一般的には共感よりも知識を得る読書やエンターテイメント読書のウェイトが高くなるのだろうな、たぶん。何しろこれくらいの歳のおっさんが共感できる本というものがめっきり少ないのだ。
イキオイ僕の共感は、なぜか大人の女のヒト方面へ向かっている(笑)。
日々の些細な出来事の中のなんらかの心の動きを書き連ねた中に、ほわっと人生の機微が垣間見える。理屈じゃなくそういうものをふわっとゆるーく感覚的に受けとる。そういうものが今はとても心地よく感じる。
ついこの本を手にとって、とてもいい気持ちになれたということは、そういうことなのだろう。



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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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