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♪BLUE

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Blue / RCサクセション

ロックン・ロール・ショー
Johnny Blue
多摩蘭坂
ガ・ガ・ガ・ガ・ガ
まぼろし
チャンスは今夜
よそ者
あの娘のレター

蔵出しCD・初期のgoldenblue編その4。
今思えば、1981年後半~1982年前半という時期は、自分にとってはエルヴィスの1956年やドラッグでラリったヒッピーたちが革新的な音楽をガンガン演っていた1966年~67年のような、目からウロコが落ちっぱなしの革新的なレコードがばんばん発表されていた時期だったのだな。
というか、自分自身の中で幸せな子供時代から自分自身の自我を探して一歩踏み出していくための大きな変化が訪れていた時期で、そこにたまたま日本語で歌われるロックの変革の波がいよいよ大きなうねりになっていたこととぴったり一致したということなのだろうけど。
ロックバンド化した新生RCサクセションにとっての2枚目のスタジオ・アルバム、ということになるのだろうか、この『BLUE』をいつ聴いたのか、はっきりとした記憶がないのだけれど、アルバムの発売は1981年の11月。どこかでも書いた記憶があるのだけれど「夜のヒットスタジオ」に出ていたRCを見た頃にはすっかりRCの魅力にとりつかれていたから、中3の冬休みとかお正月とかそんな頃だったのか、もしくはあれを見たあとに誰かに借りたのだったか。なんにしてもちょうど高校受験前の頃だ。

受験といえばね、大人ってやだな、と思った出来事がこの頃にあった。
当時の僕の学校の成績はクラスで7、8~10番目くらい。東大や京大の合格者をバンバン出すような進学校のI高校へ行くのはクラスで1、2番くらいまでで、その次の5、6番くらいまでが当時いわゆる関関同立と言われていた有名私大への進学が確実なT高校への受験が許されて、そこから下はもう20番目くらいまでは地元の普通のN高校、20番以下は大学進学の可能性がほとんどないN北高校・・・みたいに区分けされていた。
「○○くんの成績では、まぁT高校は難しいでしょうね。N高校ならじゅうぶん確実でしょうけど。」
みたいなことを進路相談の時に言われたのだと思う。
「はぁ、別にええ大学行こうなんて目指してませんし、N高でいいっすよ。」
実際、電車乗って遠くの高校まで通おうというつもりがなかった。ちゃりんこで行けるN高でじゅうぶんだと思っていた。いい高校へ行っていい大学に行って大手企業に入って出世するんだ、なんて意欲はまるでなかった。クラスの友人たちもだいたいはN高志望だったし。
で、普通は公立高校志望者はすべりどめとして少し下のランクの私学を受けることが多いのだけれど、なんとなくお遊びで私立はT高校と同レベルくらいのS高校を受験することにした。受かるわけないって先生に言われたのがムカついたのかもしれない。出世欲はなくても負けん気だけはあったんだな(笑)。ま、腕試しくらいの気持ちだったかな。でもそこの学校は全員坊主頭強制の男子校で正直言うと仮に受かったところで行くつもりはなかった。面白くなさそうだったんだもの。
ところが何の偶然か、そのS高校に受かってしまったからびっくり。当然行くつもりはない。
ところが、途端に大人たちが手のひらをひっくり返し始めるんだ。
「せっかくS高校に受かったのに行かないなんて聞いたことがない。どうしてS高校に行かないんだ?」
「S高校に受かるくらいなら公立もN高じゃなくてT高にチャレンジしてみたら?落ちてもS高に行けるじゃないか。」
は??
あんたらさんざんT高無理ってゆーてたやん?何なん?それは誰のため?本人がN高でええってゆーてんのに、何なん?クラスから、学校から、一人でも多くいい学校へ進学させたっていう実績がほしいだけなんちゃうの?自分の進路は自分で決めるから、口だしすんな、あんたらには関係ないやろ、ほっといてくれ!
親もずいぶんどう対処していいのか迷ったみたいだったけど、すったもんだの末に僕は依怙地になってN高志望を貫き通したのだ。
もしかしてロックを聴く前だったら、そんなもんかもと思ってT高校を受験していたかもしれない。で、滑って丸坊主右派体育会系男子校のS高校へ嫌だなと思いながら通って(笑)、そーゆーことになっていたら人生まるで変わってたかもしれないね。中3の俺、偉いぜっ(笑)!

あの頃、あーゆう大人たちへの、特に学校の先生へのムカつくことが毎日のようにあった。決して見た目不良ではなかった僕のような普通の生徒にさえ、あいつらは最初から疑ってかかる。そして決めつける。そして大人がどんどん大っ嫌いになっていった。
そんな気分に、RCサクセションのロックンロールは、とても気持ちよかった。
最初は決して好きではなかったんだ。けったいな格好をした気持ち悪い人たちだと思っていたんだ(笑)。
でも、RCを聴くと、心のささくれだった部分がすっとした。
こいつらはわかってる。大人たちに邪魔されたくない自分の気持ちをこいつらはわかってる。
RCは、今まで聴いていた音楽とはまったく違っていたのだ。
甘ったるいラブソングや優しいふりした口説き文句も歌わない、ヤンキーみたいに徒党を組まない、人生の応援歌みたいなしらじらしいお説教もしない。ふてぶてしく「俺はこう思うんだぜ」ってことだけを歌っていた。誰に何を言われたって、やりたいようにやらせてもらうぜ、ってことを。
それは、僕にとってのロックンロールのスピリットやアティテュードの発見だった。
それはつまり、自分のやりたいようにやる、ということ。自分のことは自分で決めて、自分で責任をとる、ということ。

♪ノイズだらけの ラジオが鳴ってら
 ごきげんな リズム&ブルース
 サイコー
 ガ・ガ・ガ・ガ・ガ・ガ

今聴いてもゾクゾクするな。14才15才に一瞬で戻れる。
ああいう時期があって今の自分があるのだから、ある意味当時のせこい大人たちに感謝、なのかもしれないけど、あの頃はまさに『BLUE』な時期だったね。




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コメント

[C2756]

LA MOSCAさん、ほんまそうですよね。
実はすごくいい時代を同時代で体験していたんだな、と、思います。
〉ビートルズにもドアーズにもT‐レックスにも間に合わなかったけど俺にはRCサクセションがあった。
ってのはまさに。
このアルバムのカッコよさを一番ピュアな時期に体験できて、そのあとKing of RockになっていくRCをリアルタイムで追いかけてこれたのはほんとラッキーだな、と。
  • 2016-01-27 23:41
  • goldenblue
  • URL
  • 編集

[C2754] ご無沙汰してます

とてもいい記事で何度も読み返しました。

最近よく思う。
当時、普通に、普通にったって興奮して聴いてたはいたけども、
当たり前に聴いてたモノって、なんて凄いモノだったんだろうなぁって。

コレ、もう35年前でしょ?
未だに有効だもん。世間的にじゃなく俺に。

ビートルズにもドアーズにもT‐レックスにも間に合わなかったけど
俺にはRCサクセションがあった。

そう思わない?

[C2749]

Okadaさん、毎度です。
いろいろ聴きなおしていくとやっぱりRCはかっこいいです。ガツーンときます。
さっきyoutube見てたら、清志郎とチャボが66年のビートルズの来日のことを語ってる映像があって。チャボが高1で、清志郎が中3で。次の日学校でめちゃくちゃ話題になって、みたいな話でした。
1981~82年、僕らの世代にとっては、RCがビートルズだったな、と。

[C2748]

最近、ずっとRCやら清志郎のアルバムを聴いていたところでした。
思えば、「い・け・な・い ルージュマジック」を初めて聴いた子供の頃から、心のどこかしらの場所で清志郎の歌が鳴っていたような気もするなぁ。
ずっと聴き続けてきたわけじゃなく、聴かなかった時期も結構あるんですけどね。
ぼくが初めて聴いたRCは、姉貴の部屋から流れてくる『RHAPSODY』でした。姉貴は当時RCのライブに行ったらしく、その後、しばらくRCをよく聴いていた時期があったんですよね。
でも、すぐに聴かなくなりましたけどね(笑)。
姉貴の後を引き継いで、ぼくが代わりに聴き続けています。

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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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