ご心配をお掛け致しております。 お蔭様で、まだ腰の筋肉に少し張りはあるけれど、ようやく普通に歩けるくらいまで回復しました。 思うように動けない間、いつもと同じ通勤の道で見える景色は少し変わりました。 何より、バリア・フリーの対応のあることのありがたさを思い知りました。 エスカレーターやエレベーターのありがたさは言うに及ばず、階段に少し手すりがあるだけでもまるで違う。 節電が騒がれた折には、大体世の中便利になり過ぎてみんな横着しすぎなんだ、エスカレーターやエレベーターなんて止めてしまえばいいのに、とかね、正直思っていました。 でもそうじゃないな。 今までまるで気にしたことなどなかったけれど、このような施設や器具がなければ生活の範囲がぐんと狭まってしまう人たちが確かにおられるのだということ。 弱者、という言い方は決して好きではないけれど、普通の人が思う普通の生活ができない人の立場になって初めて、その大変さが少し見えてくる。自分がその立場になった時に困るであろう問題を、少しの配慮と手助けで解決していける、そういう世の中であってほしいし、そうであるために自分ができることっていうのは意外とたくさんあるのだろうな。 そして、そのようなことに気がつけたということは、体が不自由になることも悪いことではないな。 …などと思って、あぁ、それはそれでなんと傲慢な考え方か、とまた反省。 震災の時の停電の経験を「このようなことも、災害の怖さを知る上でたまには経験しておくべきでしょう。」みたいなことを言っていたキャスターがいて、思わず「それはお前が今もう安全だからだろうがっ!!」とつっこんでしまった事があったのだけど、それと同じような物言いだ。例えばこのギックリ腰で自由に動けない辛さが一生続くのだとしたら、とても「不自由になるのも悪いことではない」なんて言っておられるはずがないもの。 でも、そんなことを実感を持って考えることができるのは、やはり震災以降の経験があってこそなのかも、という気がしたりしています。 All-Time Greatest Hits of Roy Orbison / Roy Orbison 腰痛をこらえながら、できるだけおとなしめのものを(笑)、とよく聴いていたのがロイ・オービソン。
この一週間の間にずいぶん気候も春めいて、穏やかな春らしさにもぴったり。
ロイ・オービソン、好きなんですよ。
50年代後半から60年代初めの初期のロックンロールやR&Bはかなり好きなほうだけど、その中でもバディ・ホリーよりも、ジーン・ヴィンセントよりも、プレスリーよりも好き。いや、チャック・ベリーやリトル・リチャードを含めても、ひょっとしたらレイ・チャールズよりも、サム・クックよりも、ボ・ディドリーよりも、ジミー・リードよりも好きかもしれない、っていうとかなり好きだね。
ロイ・オービソンの声は甘い。
その上、ストリングスが大袈裟に盛り上げる曲もたくさんあって、これもかなり甘い。
ビートも強烈ではないし、ギターもうならない。
でも、その甘さは、よくあるナツカシのオールディーズのような甘さ一辺倒の甘さとはどこか違うのです。
そしてその大袈裟さも、ハリウッドのスターのトゥー・マッチさとは少し違う気がするのです。
ムネヤケしない、というか。
甘さの中に、哀しみがあるというか。
とても癒されないような深い哀しみ。
幸せであればあるほど、一点の染みのようにどうしても拭うことができない哀しみ。
その哀しみは、例えば南部で黒人たちが虐げられてきた苦しみや呻きからすれば、甘っちょろいものなのかもしれないのだけれど、確かにブルースと呼ばれるべき感情がにじんでいるように思うのです。
Roy Orbison - Love Hurts Roy Orbison - It's Over Roy Orbison - Running Scared
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ようやく大阪でも桜が咲きはじめましたね。
腰の方はおかげさまでずいぶんとよくなりました。
ロイ・オービソン、春ののどかな感じにはピッタリです。
“プリティ・ウーマン”と“オンリー・ザ・ロンリー”しか知らずにこのベスト盤を初めて聴いたときは「甘すぎ!騙された!全然ロックちゃうやん!」と思ったものですが(笑)、“リア”“イン・ドリームス”“フォーリン”などなど、今では全曲お気に入りです。