先週に続き、今週も終電乗り遅れてしまった。 とても楽しく飲んでいたから、「あっ」とは思ったけれどその場を立てなかったのだ。 で、先週と同じように、ひとつ手前の駅までたどりついたあと、1時間歩いた。 先週とは違って、わりと心地よい感じの風が吹いていた。 夕方に降った雨のおかげかな。 歩きながら聴いていたのは、ブルース・スプリングスティーンのライブアルバム。 1975年、まだスプリングスティーンが名もなく貧しいチンピラだった頃の、ほとばしるような熱情と、どこまでも走っていけそうなエネルギーに満ちたレコードだ。 軋むテレキャスター、咆哮するサックス、疾走感あふれるピアノと、それとせめぎあうオルガンに紛れて、アスファルトの川を渡る大きな大きな貨物船みたいなトラックがゴーォォォォォっと通り過ぎる音がシンクロしていく。川の上を吹く風みたいに、車が時折通り過ぎてゆく。 Hammersmith Odeon Live 75 / Bruce Springsteen & The E Street Band 深夜2時のアスファルト・リバー。
こうして夜中に大通りを歩いていると、若い頃のことを思い出す。お金はまるでなくて時間はたっぷりあり余っていたから、ちょっとした距離ならば電車やバスに乗らず、よく歩いたものだった。まさかタクシーなんて考えたこともなかった。4kmや5km、1時間や2時間くらいは歩きとおしでも全然平気だった。
今、タクシーに乗る金がないわけじゃない。
でも、歩くべきなのだ、と思う。
日々の暮らしのベクトルは、安寧にできるだけ平穏無事に暮らせることを目指す方向を向いている。この上なく幸せだったとしても、うんざりするくらいストレスだらけだったしてもだ。仮にスリリングでドラマチックな人生に憧れていたとしても、毎日毎日が生きるか死ぬかのスリリングだとしたらやはりたまったもんじゃなくて、そんな生き方は必ず破綻するに違いない。
まずは日々餌にありつけて安心して眠れること、ずっと昔から人類はそうやって日々暮らしてきたのだからそれは当然なのだ。けれど、それらが当然のように満たされる現代社会では、日々の安寧な暮らしは僕らに贅肉を運んでくる。少しづつ、しかし確実に。しかも、体だけじゃなく心にも。
そんな知らず知らずのうちについた贅肉は、たまには削ぎ落とさなくちゃいけない。
スポーツクラブとかジムも悪くはないけれど、鍛えたり強くなったりすることが目的でないのならば、できるだけ自然な形で削ぎ落とすのが望ましい。
歩くことは、生きていく中でもかなり基本的な能力のひとつ。
現場ズレしたとんちんかんな指示命令を出したり、思いつきで無責任な横やりを入れきたり、「なんとかしなくてはいかん、危機感を持て」などといいながら会社の金で飲んだりする人は、みんな自分の足で歩かなくなってしまったからなんじゃないのかなぁ。自分の足で歩かないと、いつの間にか贅肉おばけになってしまうんだ。そして、ああはなりたくないから、自分の足で歩くことだけは尚更大切にしたいと思うのだ。
それにしても、この頃のスプリングスティーンは本当にかっこいいなぁ!
アスファルトの上を縦横無尽に走り回り、吠え、笑い、泣き、愛し、嘆き、憂い、叫び、心の底からあふれだしてくる何かをなんとか音楽に乗せて形にしようとするスプリングスティーンたちの熱い演奏。
初めて"Thunderroad"や"Born to Run"を聴いたときの、背中がゾクゾクするような感じを思い出す。ノスタルジーとしてではなく、あのゾクゾクした感じが今もリアルに甦ってくるのだ。
そして、そんな自分を少し嬉しいと思う。まだまだ自分の足で歩くことができるはずだ、と思えるから。
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若き日のスプリングスティーンはいろんな気持ちをかきたててくれますよね。まぁ実際は酔ったついでに一時間程度歩いたくらいたいして効果があるわけでもないでしょうが(笑)贅肉はつけない意志の象徴みたいなものでしょう。
日々精進、ですね。