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パン工場(前編)

娘が生まれてから今の家に移ってきてもう15年以上経つ。おそらく今の家が一番長く住んだ場所ということになる。
18のときに実家を出てから今まで、いくつかの場所で住んできた。
その中で2年と少しの間、パン工場に住んでいたことがある。
といっても、もちろん工場の中ではない。
工場の敷地の端に併設されていた男子寮、築15年以上は経つであろうおんぼろの2階立てで、6畳2間の部屋が10ほどある建物だった。
部屋は2人用の大部屋で、昔はそこを4人で使っていたのだろう、6畳間に二段ベッドが2つ置かれていて、もうひとつの6畳間にはテレビがあるだけの簡素な部屋だった。朝からパンが焼けるいい匂いが漂う以外には何のプラス要素もない物件。部屋には電話もなく、外界との連絡手段は寮にひとつだけ置かれた公衆電話だけ。もちろんケータイもスマホもない時代だ。
同室になった男はヨースケ。
「おまえ、ARB聴くんや。」
引っ越してきた日に僕が荷物の中から引っ張り出したARBのレコードを見て驚いたように話しかけてくるヨースケ。
奴は大学のときに映画研究部にいて、松田優作の映画化「ア・ホーマンス」で石橋凌を見てファンになったらしい。
僕たちはすぐに意気投合した。
就職活動で僕はとある製パンメーカーを就職先に選んだ。大阪出身だけど京都での就職を希望し京都のメーカーを選んだのだが、同期が20人くらいいたうちの5人だけが、大阪工場での勤務を命じられることになったのだ。なぜ僕たちが選ばれたのかは誰にもわからない。
僕とヨースケの他に不本意にも大阪行きとなった3人の同期。福祉大学出身のちょっと生真面目なムライ、わたせせいぞうが好きだったおしゃれでスタイリッシュなオカノ、二浪して年は二つ上だったキモトはフットボール選手みたいにごっつい体で酒を飲んで赤くなると赤鬼みたいになった。
その3人はそれぞれ先輩と相部屋だったので、必然的に僕たちの部屋が同期メンバーの溜まり場になった。
京都が本社のこのメーカーにとって大阪工場は、植民地における現地政府みたいなものだった。地元のローカル企業から関西圏を中心とした企業へ進出する足掛かりとして15年ほど前に建てられたそうだが、実質何をやるにも本社のお伺いが必要で、大阪行きはメイン・ストリームではないことが工場の幹部たちの媚びた態度から感じられた。社員のほとんどは現地採用で、今までいろいろな職を転々としてきたであろうやさぐれ感がある労働者っぽいおっさんたちばっかりだった。新卒でそれなりの希望をもって就職したはずの僕たちにとって、大阪工場で知る現実はかなり思い描いていたイメージとは違っていてそれなりにショックだったわけで、だからこそなのだろうけど必然的に僕ら5人の結束は固くなった。
まだまだ遊びたい盛りの僕たちにとって、寮というのは思いのほかうってつけの場所だったようで、毎晩ビールを買ってきては風呂上がりに僕らの部屋に集まるのが日課になった。
連夜の宴会、ビデオ鑑賞会、人生ゲーム大会。夜中にギター弾いて騒いだり、工場の屋上で無許可で花火を打ち上げたり、返品の食パンの集積場で食パンをどれだけ遠くまで投げられるか競争をしたり。ほとんどはヨースケが思いついて僕らがそれに輪をかけた。

仕事そのものはそんなにキツかったわけではない。
基本はルート・セールス。担当になったお店に毎日パンを運び、集金をして、注文をもらい、会社に帰って発注する。翌朝には発注したパンが工場のゲートに並んでいる。それをまたトラックに乗って運ぶ。その繰り返しだ。
キツかったのは「朝配」と呼ばれる早朝シフトがあるときだった。
受け持ちのお店に朝一番用のパンを納品するのは正社員ではなくアルバイトさんの仕事だったのだけど、そのアルバイトさんがよく休む。或いはよく辞める。今思えば当然で、朝の3時や4時に出勤しなくてはいけないアルバイトがそうそう長続きするわけもない。大抵のアルバイトさんは、何かしらの理由で金に困っていて、昼の仕事を掛け持ちしていたからだ。
早朝のアルバイトさんに欠員が出ると、正社員がたたき起こされる。まるでそのために寮があるんだと言わんばかりに。
ひどいときなんて、夜中の2時くらいまで馬鹿騒ぎしたあとの4時くらいになってドアをガンガンと叩かれてお構い無しに起こされたし、大きな声では言えないし今の時代ならば絶対に許されないことだけれど、酒を飲んでいても叩き起こされて配送に行ったこともある。

僕は寝坊キングで、3日に2回は遅刻した。朝の体操かなんかを事務所でやっているうちにこそっと入るのだ。上司にいくら注意されても寝坊を繰り返し、イラストが得意だったオカノが僕のベッドに「起こすなキケン」と落書きしたボードを置き、ヨースケがそこに「反省してませーん」と書き込む。そしたらひとつ上の先輩に「反省しろっ、ボケッ」とマジギレされた。
配送のトラックにはAMラジオしか付いていなかったので、荷物を積み込んだあと寮の部屋にラジカセを取りに戻って助手席に積んでいったりもした。もちろん安全上も禁止のはずで見つかったらこっぴどく怒られるのだろうけど、そんなことはお構い無しだった。
取引先のあまりにも理不尽な対応にぶちギレてケンカしたこともある。上司が呼び出され平謝りするのを僕はむくれた顔をして聞いていた。
明日の仕事のために早く寝て体力を蓄えたりしたくなかったんだ。日々の暮らしが、仕事だけで終わってしまうことがどうしても我慢できなかったんだ。
AMラジオから流れるいかにも庶民的なほっこりした空気感が苦手だったのだ。ああいうものを毎日聞いていたら、そのうち牙を抜かれてしまう、と本気で思っていた。
取引先の上から見下すような態度が我慢できなかったんだ。取引先とはいえ、フェアじゃない命令なんて突っぱねて当然だと思っていた。お客様は神様なんかじゃない。やり方は稚拙だったにせよ。
1989年だった。
ある日、取引先の待合室で見かけた新聞には、隣の国の民主化デモの様子が一面を飾っていた。
海の向こうでは同じ世代の奴らが自由を求めて命掛けて闘っている。
なのに、俺は馬鹿馬鹿しい日常に縛られて何をやっているんだろう。

「おまえさぁ、この仕事ずっとやる?」
と、ヨースケ。
「いやぁ、無理。監獄やで、ここは。」
「俺、多分前世で悪いことしたんやと思うねん。せやからこんなとこに送りこまれてまうことになったんやと思うわ。」
「ハハハ。」
「いや、そうとでも思わんとやってられんやろ、これ。」
「そら確かにそうや。」
「なんか一生遊んで暮らせるくらい儲かる仕事ないかなぁ。」
「そんなんあったらみんなやっとるって。」
「いや、まだまだいろいろあるで。そーゆーのを思いついた奴が勝ちなんやって。」
ヨースケはいつもそんな話をしていた。
「せやけどなぁ、新卒で入って半年やそこらで辞めても、次の会社の面接ですぐにケツ割ったヘタレやと思われそうやん。やっぱり最低でも1年、できれば2年は勤めとかんとなぁ。」
と現実的な返しをする僕。
「せやなぁ。。。」
酒を飲みながら悶々とした話しをしていると、同期の誰かがビールを持ってやってくる。
「シオタのおっさん、クビらしいで。」
「なんかな、集金の金ちょろまかして着服してたらしい。」
「まじで。」
「お店は払ってんのに、事務のほうで入金がまだなんですがー、とか催促の電話して発覚したらしいで。」
「あほやろ。そんなんすぐバレるに決まってるやん。」
「ほんまロクなやつおらんな。」
「吹きだまりやで。」
「なーんでこんな会社に入ってしもーたかなぁ。」
「まぁ、とりたてて一生懸命就職活動したわけでもないし、いわゆる自業自得ってことやけど。」
「ショーケン会社に入ったツレとか、ボーナス5ヶ月分あったらしいで。」
「世間はバブルで浮かれてるのになぁ、俺らにはなぁーんも関係あらへん。」
「どこをどう間違ったかなぁ。」
「もともとそうやってこきつかわれる運命やったんやって。」
「せやけど、もうちょっとおもろいことあってもええやろ。」
「そうや、あれ、弾いてみてや。映画のエンディングの曲。」
「“After'45”やな。」
「かなしーみうぉぉおーっ、ぬぐいさぁーれずにぃー、ってやつ。」
「うーん、コードわからんけどこんなんかなぁ。」
D、A、G、うーん、次はAか。
「おうおう、そんな感じや。」
悲しみを拭い去れずに
君は夜の川を渡る
忘れなよ、忘れてしまえ
悪い夢にうなされていたのさ
ヨースケが立ち上がって歌う。
石橋凌になりきって、腕を大きく振り上げて。
誰かが缶ビールをプシュッと開けると大きく泡が吹きこぼれる。
僕は一生懸命コードを押さえてギターをストロークする。
薄い木製の扉がドンドンと叩かれ、隣の部屋の先輩が「おいっ、お前ら何時やと思うてんねん。俺、明日朝配やねん。」とかなんとか叫んでいるのを無視して、僕たちは騒ぎ続けた。


“After'45”

201806012107045a1.jpg
砂丘1945年 / ARB







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[C3204]

Bach Bachさん、こんにちは。
Bach BachさんがARBとはちょっと意外でしたが、かっこいい曲がいっぱいありましたもんね。
高校時代に聴きまくり、社会人になってからは労働者の歌がしみるようになってよくトラックに持ち込んだラジカセで聴いてました。
「ア・ホーマンス」のオチ、あれはないよなぁ(^_^;)、、、
  • 2018-06-02 14:58
  • goldenblue
  • URL
  • 編集

[C3203] After '45

After '45、大好きな曲です。映画「ア・ホーマンス」も、最後の落ち以外はすごく好きで、何回も観ました。松田さんじゃなくて石橋さんにしびれました。

ARB、労働者の歌が多かったですよね。僕も苦労して貧乏しながら働いていた頃、他人事の歌とは思えなくてよく聴いてました。

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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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