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ロックのゆりかご Before and Around of Rock’n’Roll あとがき

ロックのゆりかご
Before and Around of Rock’n’Roll

まえがき

1 プレスリーの衝撃

第1部
2 カントリーブルース
3 ジャズのはじまり
4  デルタブルース
5 ジャグバンド
6 クラシックブルース
7 ヒルビリーミュージック
8 人間ジュークボックス
9 シティブルース
10 リズム&ブルースのはじまり
11 歌って踊れるエンターテイナー
12 100年の集大成
13 ホーボーソング
14 モダンブルース
15 ジャンプブルース
16 ビ・バップ
17 ホンカー
18 カントリー
19 ゴスペル
20 ドゥーワップ

第2部
21 エルヴィスが憧れた
22 メンフィスからシカゴへ
23 ロックバンドの原型
24 十字路にいたエルヴィス
25 最初のロックンロール
26 ブルージーなロックとロックなブルース
27 リズムの革新
28 ニューオリンズ
29 ロカビリー
30 ハードバップ
31 ソウルミュージック
32 エルヴィス以降のポップス
33 バディ・ホリーからビートルズへ

エルヴィス・プレスリーを軸に、その登場の背景を1920年代まで遡り、その後の影響も含め1960年までの約40年の流れを33の章に分けて紹介してきました。

そもそも、一般的にロックの歴史がエルヴィスもしくはチャック・ベリー以降しか語られないことに疑問があったのです。
ロックは突然湧いて出たものではなく、そこに至る歴史がある。それを知らないのはもったいない。
「ロックのゆりかご」でめざしたのは、『エルヴィス以前の音楽がロックの原型になっていったことを、社会的背景を踏まえて解きほぐすこと』、『ブルースはブルース、ジャズはジャズと縦割りにするのではなく、いろんな音楽が相互に複雑にからみあいながらロックが成立していったことをいろんな角度で拾いあげていくこと』でした。



現代のロックの形が整ったのが、僕が生まれた1960年代。
そのルーツになるジャズやブルースの最初の録音が今からほぼ100年前の1920年代。日本でいえば大正末期〜昭和初期で、僕の祖父が少年だった頃ということになる。
祖父は1911年(明治45年)の生まれで、1937年(昭和12年)に父が生まれている。
ちなみに曾祖父は1871年(明治4年)、曾々祖父にまで遡ると江戸後期嘉永年間の生まれだった。1840年代、まだ黒船が来る前のことだな。曾々祖父の名前は長太郎、妻はひさ。淡路島でそれなりの大農家だったらしい。
百数十年というのは個人史を遥かに越える長さだけれど、自分のルーツに置き換えるとたった4代程度のこと。そう考えると、百数十年という時間的隔たりはとても身近に感じることもできる。
曾々祖父・長太郎さんと曾々祖母・ひささんは幕末の混乱期に青春時代をすごし、曾祖父・栄太郎さんとその妻げんさんは文明開化と富国強兵の時代に育ち、祖父は戦争に行った。父は高度経済成長の時代を支えた。

ジャズやブルースの原型が生まれた黎明期は、ちょうど曽祖父・栄太郎さんが生まれた時代だ。
その世代が作った基本形を発展させたのが祖父の世代。祖父と同世代のミュージシャンとしてはT-Bone Walker(1910)、Django Reinhardt(1910)、Robert Johnson(1911)、Big Joe Turner (1911)、Woody Guthrie(1912)らがいる。
父の同世代はロックンロールの黎明期。Elvis Presley(1935)、Gene Vincent (1935)、Larry Williams(1935)、Buddy Holly(1936)、Roy Orbison(1936)らが実は父と同年代に当たるのだ。

ロックのルーツになる音楽の時代的距離感はそういう感じ。
そして僕が大好きなロックミュージシャンのほとんどは、父と1967年生まれ僕との間に生まれた人たちということになる。

温故知新という言葉があるけれど、時代を遡ることで改めてロックの魅力を再発見できた気がしました。
ずーっと戦前のブルースやジャンプ・ブルースを聴いたあとにエルヴィスにたどりついたらめちゃくちゃかっこよくて、当時の人たちの衝撃を追体験した気分になったり。

こういう人たちが影響を受けたり与えたりしながら音楽は進化していった。いや、進化ではないのかもしれない。時代と共に変化を繰り返していきながら多様化していった。多様化とともに世の中に深く浸透していった。
そういうことを俯瞰しながらそれぞれの時代の音楽を楽しめるということは、ほんとうに贅沢なことだと思います。



最後に、この「ロックのゆりかご」に登場したアーティストたちの生まれ年を列記しておきます。

C.W Handy 1873
Buddy Bolden 1877
Gus Cannon 1883
Kid Ory 1886
Ma Rainy 1886
Al Jolson 1886
Leadbelly 1888
Charley Patton 1891
Mamie Smith 1891
Blind Lemon Jefferson 1893
Bessie Smith 1894
Jimmie Rodgers 1897
Duke Ellington 1898
Thomas A. Dorsey 1899
Lonnie Johnson 1899

Louis Armstrong 1900
Emmett Miller 1900
Jimmy Rushing 1901
Son House 1902
Bing Crosby 1903
Scrapper Blackwell 1903
Tampa Red 1903
Fats Waller 1904
Count Basie 1904
Glenn Miller 1904
Pinetop Smith 1904
Leroy Carr 1905
Big Maceo 1905
Arthur Crudup 1905
Doc Cheatham 1905
Cab Calloway 1907
Tiny Bradshaw 1907
Louis Jodan 1908
Chu Berry 1908
Lionel Hampton 1908
Lester Young 1909
Ben Webster 1909
Benny Goodman 1909

T-Bone Walker 1910
Django Reinhardt 1910
Howlin' Wolf 1910
Robert Johnson 1911
Freddie Green 1911
Joe Jones 1911
Big Joe Turner 1911
Bill Monroe 1911
Mahalia Jackson 1911
Woody Guthrie 1912
Sonny Boy Williamson Ⅱ 1912
Muddy Waters 1913
Willie Dixon 1915
Billie Holiday 1915
Frank Sinatra 1915
Wynonie Harris 1915
Sister Rosetta Tharpe 1915
Charlie Christian 1916
Bill Doggett 1916
Dizzy Gillespie 1917
Ella Fitzgerald 1917
Elmore James 1918
Wild Bill Moore 1918

Charlie Parker 1920
Illinois Jacquet 1922
Hank Williams 1923
Lee Dorsey 1924
Johnny Johnson 1924
Dinah Washington 1924
Jimmy Rogers 1924
Jimmy Ricks 1924
Jimmy Reed 1925
Roy Brown 1925
Bill Heiley 1925
B.B King 1925
Miles Davis 1926
Bill Black 1926
Big Mama Thornton 1926
Harry Belafonte 1927
Bo Diddlley 1928
Fats Domino 1928
Ruth Brown 1928
La Vern Baker 1929
Chuck Berry 1929

Clyde McPhatter 1930
Ray Charles 1930
Little Walter 1930
Otis Span 1930
Scotty Moore 1931
Sam Cooke 1931
Ike Turner 1931
Junior Walker 1931
Little Richard 1932
Carl Perkins 1932
James Brown 1933
Lloyd Price 1933
Johnney Burnet 1934
Jackie Wilson 1934
Huey "Piano" Smith 1934
King Curtis 1934
Pat Boone 1934
Elvis Presley 1935
Gene Vincent 1935
Larry Williams 1935
Buddy Holly 1936
Roy Orbison 1936
Connie Francis 1937
Don Everly 1937
平尾昌晃 1937
Phil Everly 1938
山下敬二郎 1939
Neil Sedaka 1939
Cliff Richard 1940
Paul Anka 1941

1940年にはジョン・レノンが生まれている。

John Lennon 1940
Smokey Robinson 1940
Otis Redding 1941
Bob Dylan 1941
Paul Simon 1941
Brian Wilson 1942
Paul McCartney 1942
Jimi Hendrix 1942
Mick Jagger 1943
Keith Richards 1943
Jimmy Page 1944
Jeff Beck 1944
Eric Clapton 1945
Rod Stewart 1945
Neil Young 1945
Fredie Marcury 1946
David Bowie 1947
Bruce Springsteen 1949
Stevie Wonder 1950
忌野清志郎 1951

ほら、ここまで来たら、古い歴史が自分に馴染みがある時代と結びついてきたでしょ?






Buddy Holly ロックのゆりかご(33)

1959年2月3日。
こんなニュースが報道された。

「アイオワ州クレアレイクでチャーター機の墜落事故が発生。パイロットを含む乗員4名が全員死亡。乗客は全国トップクラスのロックンロール・スター、リッチー・バレンス、J.P(ザ・ビッグ・ボッパー)リチャードソン、バディ・ホリーの3名。」

1956年にデビューしヒット曲を連発していた若き才能は、一瞬にして失われてしまった。
後にこの事件は「ロックが死んだ日」と歌われたけれど、実際のところロックは死ななかった。
バディ・ホリーの死ですらひとつの契機となって次のステージへ進んでいったのだ。





バディ・ホリーの功績はたくさんある。
ひとつは、革ジャンリーゼントではなくスーツと黒メガネというおよそロックっぽくないスタイルでプレイしたこと。
ひとつは、ロックンロールからブルース臭を抜いてよりポップにクリアーにしたこと。
いずれも、社会全体からすれば異端的アウトロー的だったロックンロールを、もっとふつうに参入できるポピュラーなものへと拡大していく上で大きな変化だった。
およそ不良っぽくないシュッとした好青年的ルックスで、間口が広く飛行距離が長い、すべて人に愛されるロックンロールをプレイした。
でもだからといってティーンポップのように毒や牙を抜かれていたわけでもない。
ちょっとしたシャウトや“アウッ”っていう掛け声や、ギターをかき鳴らす音は、ロックンロール的かっこよさが満載だ。
例えば、“Peggie Sue”の間奏のカッティングなんて最高にかっこいい。
まさに、その瞬間に高熱を発して輝きを放つような類いの感覚が息づいている。



「私はバディの歌い方、そして歌詞が好きです。彼はそれまでのミュージシャンと全く違っていました。今では当たり前のように思うかもしれませんが当時シンガーソングライターなどと言うものは一人もいませんでした。私とジョンは彼に触発されオリジナル曲を書き始めました。バディ・ホリーは素晴らしいミュージシャンです。」

wikipediaにも掲載されているポール・マッカートニーの発言が誤解され、バディ・ホリーのことを世界最初のシンガーソングライターと呼ぶ人がいるようだけど、これは明らかな間違い。
エルヴィスは自作しなかったけれど、チャック・ベリーは曲を自分で書いていたし、ブルースマンたちもフォークシンガーたちもみんな自作自演だったし、ポール・アンカですら自作自演だったのだから、ポールの発言のポイントは「ポールが初めて衝撃を受けた自作自演歌手」と理解するべきだ。
ただ大事なことは、バディ・ホリーのやり方に触発されてジョンとポールが曲を書き始めたということだろう。
また、クリケッツのギター✕2、ベース、ドラムという少人数のバンド編成もビートルズに大きな影響を与え、後のロック・バンドの基本形となったとされる。



1957年7月。
イギリスのスキッフル・バンド、クオリーメンはなけなしのカネをはたいて1枚の78回転SP盤を制作する。
バンドのメンバーたちは記念すべき最初の録音にバディ・ホリーの”That'll Be The Day”を選んだ。
彼らはその後、ザ・クリケッツ(=こおろぎ)にあやかって、バンド名をザ・ビートルズに変更する。
Beetle(=かぶとむし)は綴りをいじってBeatlesとした。
「BEAT」を自分たちの名前に刻み込んだのだ。













The Everly BrothersとCliff Richard ロックのゆりかご(32)

ロックの歴史をひもといた本やブログ記事を読んで、あるいは数多あるジャズ本でもブルース本でも同じなんだけど、いつも残念だなぁ、と思うのは、どこかカテゴリー縦割り感があってカテゴリー外のものをことごとく無視してしまう傾向があることだ。
特にロック史で大抵なかったことにされてしまうのは、エルヴィス徴兵/リトル・リチャード引退/バディ・ホリー死亡などでロックンロールの初期ブームが一度過ぎたあとの時期。
ビートルズの登場まではことごとく無視されてしまうのだ。

黒人たちが発明したロックンロールは、ブレイクの直後から白人たちによって掠めとられ薄められていった。
売り物にならないクズだと思われていたものが実は金になると商売人たちが発見したからだ。
これは否定的な意味ではなく、資本主義の大原則として当然のこと。
要はエルヴィスをきっかけに、価値観のパラダイムシフトが起こったのだ。
独特の臭みがある黒人たちのロックンロールは、白人たちが自分たち流に受け入れられるように薄めて流布され、いつの間にかアイドルポップスのようなものへすり替えられてしまった。
50年代後半〜60年代初頭はそういう時期でもあった。
黒人の歌う原曲よりも白人の歌うカバー曲が何倍も売れる。曲の権利は最初に安く買い上げられているので白人のカバー曲がいくらヒットしても作曲者には一銭も入らない。
ほぼパクリといえる曲に白人歌手やプロデューサーの名前が堂々とクレジットされるということもあった。
黒人たちはここでも搾取され続けたのだ。

けれど、そういう動きがロックンロールが広く深く浸透する入口になったことも確かで、薄まったとはいえそれなりの衝撃力を持ってかつての甘いだけのポップスを駆逐していったという側面がある。
ポール・アンカやニール・セダカやパット・ブーンらがロックンロールをティーンポップ化させたカバー曲をヒットさせたり、日本でも58年には山下敬二郎や平尾昌晃がデビューしてロカビリーを歌謡曲に取り込んでいく動きが起きていた。
ほとんどは旧来のポップスに少しロックの要素を加えた取るに足らないものだったけれど、そういう音楽の中からも、ロックンロールから影響を受けブルースのルーツを感じることができるものもたくさん生まれてきたのだ。

例えばエヴァリー・ブラザーズ。
例えばイギリスのクリフ・リチャード&ザ・シャドウズ。

エヴァリー・ブラザーズ





クリフ・リチャード&ザ・シャドウズ





彼らの演奏や歌は、紛れもなく「エルヴィス後」のビート感が息づいている。
同世代でもビング・クロスビーやフランク・シナトラらゴージャスなエンターテイナーの流れが感じられるパット・ブーンやポール・アンカとは明らかに出自が違う、ロックっぽい尖り方をしている。臭みを残している。
そりゃあ、例えばリトル・リチャードやジェイムズ・ブラウンと比べたら明らかにコクも旨みも脂っこさも足りない。
けど、エヴァリー・ブラザーズやクリフ・リチャードらの音楽には、ロックンロールへの敬意が感じられる。新しい流行として黒人芸能をパクッただけのものではないと感じられる。

エヴァリー・ブラザーズを観て少年の頃のポール・サイモンとアート・ガーファンクルが、クリフ・リチャードを観て少年の頃のミック・ジャガーが、ワクワクしなかったはずがない。

もちろん、ルーツやスピリットなんて理解せずにただパクッただけということもたくさんあっただろうけど、それは決して悪いことばかりではなかったはずだ。
いつの時代でも新しい文化は模倣や取り込みから始まるもの。
例えば「オールディーズ」とまとめられてしまうこういう曲だって、ロックンロールからの影響がプンプンしますよね。

コニー・フランシス







“Lipstick On Your Colour”のギターソロや“Vacation”の泥臭いサックスなんて、すごくロックンロールっぽいですね。
こういう白人アーティストやアイドルたちのロックンロールを取り入れた音楽は、広く多くの人たちへエイトビートの心地よさを浸透させたのだ。
僕にしたところで、最初にこういう音楽になんとなく興味を抱けた入口は「アメリカン・グラフィティ」のサントラだったりするわけだし。

ロックンロールの要素を取り込んだこういう音楽がロックンロールの種子を広く拡散させたことが、次の世代がロックンロールを広く受け入れていく土壌を作っていったのは間違いない。

















Summer's Gone



Summer 's Gone / The Beach Boys

夏といえばビーチボーイズ、という世代ではないけれど、ビーチボーイズはやはり夏に聴くのがふさわしい気がする。
特に、いくつかのハーモニーが絶妙に美しい曲は、夏の終わりによく似合う。
爽やかで涼しげなコーラスににじむ哀愁と一抹の寂寥感がいい。

僕がビーチボーイズを初めて聴いたのは多分1985年。何年ぶりかの復活作品としてシングル“Getcha Back”とアルバム“THE BEACH BOYS”が出たのを、僕はバイト先のレンタルレコード屋で知った。
当時の僕はパンクやニューウェイヴの刺戟的な音にいかれていたから、そのときの印象は「こんなジジイの懐メロバンド、まだ性懲りもなくやってんだ。。。」っていう感じで、ほぼスルーしてしまったはず。
そのあと“Kokomo”がヒットしたり、ブライアン・ウィルソンがソロアルバムを出したりしてようやく「どうやらわりと良さげだ」と思い始めて、そのあと“Pet Sounds”聴いて、それからだんだん初期のヒットシングルのかっこよさや美しさがわかってきて、っていう、まぁ僕の世代ではありがちなパターンなんだろうと思う。

さて、この“Summer 's Gone”という曲は、2012年に「ビーチボーイズ音楽活動50周年」を記念してリリースされたオリジナルアルバムの最終曲で、現時点でのビーチボーイズの一番新しい曲。
というか、おそらくはビーチボーイズとしての最後のオリジナル曲だろう。
明らかにそういう意図を込めて制作され、このアルバムの最後の場所に置かれたはずだ。

夏は逝く
夏は逝ってしまった
逝ってしまった
昨日とともに

古いともだちが去った
彼らはみなそれぞれ別の道を
僕らの夢はまだ持ち続けている
まだもう少し言いたいことがあるからね

夜は涼しくなった
時が過ぎたんだ
僕はまだもう少し
ここに留まるべきだろうと
思っている

夏は逝く
夏は逝ってしまった
逝ってしまった
昨日とともに

ついに陽は沈みはじめた
ある一日の始まりは
もうひとつの終わり
僕はそれらのすべてを生きて
そしてもう一度戻ってくる

夏は逝く
夏は逝ってしまった
逝ってしまった
昨日とともに

僕は座ってただ波を見ている
僕らは笑い、泣き、
生きて、死ぬ
僕らの昨日の夢を見る

(Summer 's Gone)

50年のバンド活動をこういう、せつなくほろ苦く美しい歌で締めくくること、それは、誰にでも許される芸当ではないような気がする。
オールドリスナーも、比較的若いリスナーからも、「ビーチボーイズのエンディングはこうであってほしい」と望まれるような、儚くも美しい幕の降ろし方。

ビーチボーイズがすごいと思うのは、ともすればあざとすぎるようなこういう演出をサラッとやってしまえるところだと思う。
自分たちの思いは個々それぞれいろいろあるにせよ、最終的には作品としてエンドユーザーが望むものを、望みどおりに形にする。
それがあざとかろうと、過去の自分たちの縮小再生産的コピーだろうと、リスナーが求めるものを形にする。
そこにあるのはおそらく、ビーチボーイズというバンドはリスナーが満足して初めて成り立っているという思いなんだろう。

年を重ねていくほどになんとなくそういう境地がわかるような気がしてきた。
若い頃はもっと「誰がなんといおうと自分のやりたいことだけをやるんだ」なんて息巻いていたような気がするけど、やっぱり人間生きていて一番うれしいことは、自分の行いで相対する誰かが喜んでくれることなんですよね。
若い頃にウケを狙うのとは似て非なる感じで、普通の感覚として誰かが喜んでくれることが一番うれしい。
そのときには、ちっぽけな自分の欲求なんていうのはどうでもよくなるし。
なんていうのかな、本当の自分自身というものは自分が自分で理解している自分よりもずっと自分を離れて、自分と相手の真ん中らへんにあるんだな、っていう気がしてしまうのだ。

夏への思いが深いからこそ、その夏を自らの手で葬り去ることを丁寧に行うことができる。
ビーチボーイズがこの曲でやろうとしたことの潔さは、だからこそ美しいのだろう。



昼間はまだまだ暑いけれど、朝晩はずいぶんと過ごしやすくなってきた。
夕べは窓を開けてクーラーも扇風機も切って寝た。
あんなにバテバテな真夏の猛暑なのに、そうなると現金なもんで夏が去ってしまうことがほんの少し淋しく感じてしまう。
だからといって、ここからまた残暑が厳しくなるのは勘弁してほしいのだけど。
過ぎた青春時代も同じで、去ってしまえば懐かしくは思うけど、もう一回やり直すのは無理。
過ぎてしまうからこそ美しい、そういうものってあるね。




The Boys Of Summer



誰もいない道
誰もいない浜辺
肌に触れる風に感じる
夏は過ぎ去ってしまったと
空っぽの湖
空っぽの街路
太陽が孤独に沈んでいく
あなたの家まで車を走らせる
あなたはいないと知っているのに

僕には見える
太陽に照らされた褐色の肌
髪をとく姿
サングラス
あなたを愛する気持ちは
まだまだもっと強くなっていく
夏の少年たちが去ってしまったあとも

(The Boys Of Summer)

ドン・ヘンリーの1984年のヒットシングル“The Boys Of Summer”。
夏の終わりの定番曲ですね。

「夏の少年たちが去ってしまったあとも」が意味するもの、それは、熱く情熱的な時期が過ぎ去ってしまったあとも人生は続いていく、ということなんだろうか。

僕がアメリカやイギリスの音楽に興味を持った頃にはイーグルスはすでに解散していたので、ドン・ヘンリーやグレン・フライが成し遂げた仕事がどれだけ大きなものだったのかは、頭ではわかるとはいえ実感はない。
グレン・フライのソロ活動はどっちかっていうとイーグルスのくびきから解き放たれて身軽にのびのびと活動していた印象があるの対し、ドン・ヘンリーはイーグルスを引きずっていた印象があるのは、単にグレンのクールな声質に対してドンの声が渋く苦みばしっているせいかもしれないけど、この曲にはイーグルスへの決別宣言のようなニュアンスが一枚塗り込まれているような気がしてしまう。
夏のような情熱的な時期は終わった。背負い込んでしまった夏の輝きの呪縛から解放されたい、過ぎた夏への郷愁に埋もれて生きていくのではなく、新しい季節を生きていくための心の拠り所を探したい、そんなメッセージを感じてしまうのだ。
シンプルなビートと、マイク・キャンベルの弾くクールなギターの不調和な調和がよりそのアンビバレンスを浮き上がらせる。



今年の夏もなんとなくスッキリしない夏だった。
じっとりと蒸し暑く、曇天続きで不快指数の高い夏。加えてコロナ感染拡大やら、首相暗殺から宗教法人がらみの癒着に至るごたごた、半年経っても終わらない戦争。
晴れ渡ってどこまでも続いていくような青空や、爽やかで快活な夏らしさなどひとつもなかった。
でもそういう夏らしさへの憧れのほうが幻想なんだろうね。
現実的には夏は耐え凌ぐ季節なのだ。
夏への憧憬よりも、心穏やかに秋を迎えたい。
まだまだ残暑は厳しいにせよ。



That Summer Feeling



特にやるべきことがあるわけでもないとき
よくわからないまま恋に逃げ込むとき
理由もなくともだちを信用できるとき
この感じ、どう言ったらいいのかわかんないんだけど
あの夏の感じみたいに
ある日とつぜんやってきたりするあの感じ

池に落ちたときのあの冷たさ
ばったり倒れ込んだときの芝生のにおい
警官に尋問されたときのあの嫌な感じ
あの夏の感じみたいに
ある日とつぜんやってきたりするあの感じ

もし、ぼくが例えているようなことをさ、
今は忘れてしまっていたとしても
そのうち伏線回収するときがくるよ
なぜって、あの夏の感じは
あるときとつぜんやってくるから

でも、もしきみがすごく年を重ねるまで待っていたとしたら
すごく悲しい思いになるかもしれないから
恨みみたいなね
あの夏の感じに囚われ
あの夏の感じに嗤われ
あの夏の感じに傷つけられるかも知れない
あるときとつぜんにね

4年生の頃が素敵に思える
あんなに嫌だったのに
1年の時もだね
過大評価しすぎかな
あの娘とデートしたいって思ってた小さなきみ
あの娘を恋しく思うだろうか
それとも恋しいのはその頃の自分?あの夏の感じがついてまわるんだ
ずっとその後の人生に


(That Summer Feeling / Jonathan Richman)

ヘロヘロでヘナヘナのジョナサン・リッチマンの脱力した声で淡々と歌われるのは、少年時代や思春期の思い。
あー、わかるなぁ。。。
ある日突然に、昔の自分の振る舞いだとか、すっごく嫌な気持ちになったこととかをを思い出して「わぁぁぁぁーっ」て叫びたくなるようなこと。
ありません?
僕はあるあるです。
誰にも言えない、後悔とも言えない自覚していないような懺悔感に突然襲われる。
その時にちゃんと吐き出せなかったことや言語化できなかったことっていうのは、心や身体のどこかに貼り付いているんだろうね。
成仏できなかった亡霊みたいに。

幼なじみの女の子が通学中に転んで怪我をしたとき、それもどうやらけっこうな怪我だったみたいなんだけど、助けを差し伸べることができなかったことがあるんです。小学校3年か4年くらいのとき。
その子とは家が近所でずーっと仲良しで一緒に学校から帰ったり家に遊びにいったりしてたんだけど、3年とかになるとクラスのイチビリ達が「おまえ、あいつのこと好きなんやろー」とか冷やかすようになるんだよね。
そうやってからかわれるのが嫌で、無視したんだ。
これ、未だに夢に出てくるんだ。

それから、これは5年か6年くらいのこと。
3つ上の兄の担任だった男の教師が僕のクラスの担任になって。
いきさつは忘れたけどなにかのときにその教師が直ぐ側に来て顔を近づけて「お兄さんはもっとちゃんとしてた。」みたいなことを言ったんだよ。
そのときの教師のタバコ臭さと青い髭剃りあとがすごく気持ち悪くて。
これも未だに夢に見る。

小学校2年の頃、親に少し手伝ってもらった夏休みの課題の絵がコンクールかなんかで入選して、親に手伝ってもらったって言えなかったこと。
6才くらいだったか、初めて一人で電車に乗って医者かどこかへ行くことになって、もらった500円札をしっかり財布に入れていたのに、切符を買うときかどこかで落としてしまったこと。
高校1年のとき、中学時代からの親友が、僕が好きだった女の子を好きになって「告白しようと思う。」って聞いたときのこと。夕方の公園だった。その女の子のことは忘れているのに、こっちは風景や気温までよく覚えてる。
夏の思い出は、甘さよりも酸っぱさや苦味のほうが多い。

あとは、仕事場で配送センターの責任者をやってたときに、思うようにならないトラブルやなんかのときに、本来なら上司として労う言葉をかけてあげないといけないときに「しょーもないことで俺の仕事増やさんといてくれやっ」とか怒鳴ったこととかかな。
そういう後悔は山程ある。
誰も自分の味方がいないように感じていたんだろうな。
まぁ、誰しもそんな痛い経験をして、少しずつやり方を覚えていくんだろうけど、そういう成仏しなかった気分っていうのは残ってしまうんですよね。

夏休み、ひとときのブレイク、なぜか思い出すのはそういうことばかり。

そんな気分に、ジョナサン・リッチマンは優しい。
ありきたりな優しさじゃなくて、みんな多かれ少なかれそんな感じだよね、って隣で嗤ってる感じ。
慰められるより、励まされるより、嘲笑われたほうがスッキリすることってあるよね。
そういうことをわかってる、ジョナサン・リッチマンは信用できる。
ヘロヘロでヘナヘナなジョナサン・リッチマンの歌に、ゆるーく満たされる夏休みのある日。




ソウル・ミュージック ロックのゆりかご(31)

1956年〜1957年にかけては、黒人プレイヤー側でもエルヴィスからの刺激を反映した音楽的変化が起こっていた。
それが、リズム&ブルース〜ソウル・ミュージックへの発展だ。

この時期、後のブラック・ミュージック史でレジェンドとされるアーティストたちが続々とデビューしたり革新的な楽曲をリリースしている。





ゴスペル界のスターだったサム・クックは、ポップ・ミュージックの世界に転身し、“You send me”を始めとする、美しいメロディーやわかりやすいアレンジと黒人らしい歌を融合させた。





レイ・チャールズは売れないジャズっぽいブルースシンガーだったけど、ゴスペル的コール&レスポンスや高揚感を導入して真っ黒いポップスを作りあげた。





ジェームズ・ブラウンは、自らの信念の元に楽団を指揮し、ポップスとは正反対のブラック・エンターテイメントを生み出した。





ジャッキー・ウィルソンも高揚感のあるポップスを、ロックンロールを下敷きとしたフォーマットで作りあげた。
これは後にモータウンのソウルの基礎になっていく。


彼らが果たした役割も、ロカビリーと同じく既成概念の打破だった。
黒人はこのように振る舞わなければいけないという社会のしばりを抜け出して、自由にやりたいように行動できる時代の変化の象徴としてソウルミュージックは生まれたのだ。

1950年代初頭までの黒人アーティストたちは、白人社会におもねって「芸人」や「エンターテイナー」的な道を選ぶか、黒人社会のディープな部分に深くコミットしていくかのどちらかを選ぶしか、アーティストとして生き抜いていく術がなかった。
カウント・ベイシーやルイ・アームストロングやルイ・ジョーダンは前者で、チャック・ベリーですらここを踏み外してはいない。白人たちから目の敵のされないようエンターテイナーに徹して無毒であることをアピールしている。
後者の代表はロバート・ジョンソンやマディ・ウォーターズやハウリンウルフ、そしてマイルス・デイヴィスだろう。白人たちには一聴しただけでは理解できない価値観を持って黒人社会に深く潜り込んでいた。

新しい世代のソウルミュージシャンたちは、そのことを自覚しながら、黒人としてのアイデンティティを守りつつも白人社会に受け入れられる手法を取っていった。
例えばサム・クックの楽曲の、ストリングスをたっぷり仕込んだアレンジは明らかに白人社会で広く受け入れられることを目的としている。
そういう曲に乗せて、サム・クックは“Chain Gang”で奴隷労働の苦しみを歌ったり“Wonderful World”で人種を超えた融和を歌ったりした。
ジェームズ・ブラウンとレイ・チャールズは自分の文化に忠実に、おもねらずに白人社会に受け入れられる音楽を創造したし、ジャッキー・ウィルソンはウキウキ弾むようなビートとキッレキレのダンスとシャウトで白人の若者たちをも魅了した。



ソウルの文脈からは少し外れるけれど、もう一人、ハリー・ベラフォンテもワンアンドオンリーなスタイルと社会変革的な視座を持った新しいミュージシャンだった。



フランス領マルティニーク諸島出身の父親とジャマイカ出身の母親の元に育ったベラフォンテは、カリブ海ルーツのフォークソングのカリプソをアメリカ社会に受け入れられるように加工して歌ったのだ。



カリプソはリズムこそ能天気だけれど、歌われているのはブルースと同じ労働の苦しみだったり権力者をからかうような皮肉だったりで、ポップなヒット曲に乗せてこういう立ち位置からの音楽を拡散させた。



そもそも社会にガスは充満していたにだろう。
エルヴィスのロックンロールが導火線の役割を果たした結果として、黒人社会にも大きな変革が連鎖していった。

ソウルミュージックの創造者たちの音楽は、世の中の変化の動きに加速度をつけていった。












ハードバップ ロックのゆりかご(30)

この「ロックのゆりかご」シリーズを聴いている間、古い音楽の古い音源をspotifyでプレイリストを作ったり、それをシャッフルモードにしたりして聴いている。
ランダムに流れてくる音楽に「あら、これ誰だっけ?」ってなったり「おーっ、これかっこいいーっ!」ってなったり。

昨日ハタと手が止まって「めっちゃかっこええやんっ!」って唸ってしまったのはこの曲でした。



曲名は“Asiatic Raes”。
ソニー・ロリンズの演奏だった。

モダン・ジャズやフュージョン、ハードロック/ヘヴィメタル、それからモダン・ブルースの一部にはいわゆる「演奏技術披露のための演奏」があって、もちろん技術の快感という種類の音楽の楽しみ方があるのは否定しないのだけど、感情表現そっちのけでそういうのだけを有難がる人たちはどうも苦手ではあります。
だけど、だからといって良い音楽にまで耳を塞ぐほど偏屈ではない。
「良い音楽」をどう定義するかといえばこれはこれで難しいテーマなのでここでは敢えて踏み込まないけど。

まぁそれはともかく。
ソニー・ロリンズだ。



“Asiatic Raes”という曲は1957年の録音で「Newks Time」というBluenoteのアルバムに収められているらしい。

演奏陣は、
ソニー・ロリンズ(tenor saxophone)
ウィントン・ケリー(piano)
ダグ・ワトキンス(bass)
フィリー・ジョー・ジョーンズ (drums)
というカルテット。

現代的なカテゴライズで言えば、この時期のモダンジャズはハードバップと呼ばれるらしいのだけど、それはこの際どうでもいい。
とにかく、かっこいいーと思って手を止めた、その事実が大事。
で、どこがかっこいいーと感じたのかと考えながらリピートしてみるが、何度リピートしてもやっぱりかっこいいーと途中で思考停止になってしまう。
その言葉にできない感が、ジャズの快感だと思う。

この曲のサキソフォンの、少し孤高な感じがする音色。
その太いけれど繊細なニュアンスを残したままのサキソフォンが疾走する。ブレスの長い、咆哮のようなフレーズ。
それをリズム隊があおる。
ベースが細かい裏のリズムを刻んだかと思えば曲の半ばからはランニングベース的なスタイルでグルーヴを作る。
ピアノがそのバトンを受け取るように疾走感をあおりグルーヴをつなぐ。
ぴしっとしまったタイトな音で鳴るドラムが緩急をつけながらリズム隊をリードしていく。
全員で突撃!かと思えばひとりずつじっくり。場を上手に回しながら少しずつ盛り上げて、怒涛の大団円へ流れこんでいく頃には、すっかり巻き込まれてしまっているのだ。



モダンジャズやハードバップがロックンロールに与えた影響は、表面的には多くはないのだろうけど、まるでないわけでもない。
腕に覚えのある奴らが集まって一触即発のピリピリした現場で音楽を紡いでいく姿は、指揮者主導のビッグバンドやプロデューサー主導のポップスより遥かに生生しさがあり血が通っている。それはある時期までのロックンロールが持っていたものと同じ匂いがするものだ。
また、こういう丁々発止のインプロヴィゼーションのバトルや瞬間でスパークするアドリブの数々は、クリームやジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリンやフリートウッド・マックらのブルースバンドや数多のプログレ・バンド、或いはパーラメント/ファンカデリックのようなファンクバンドへも影響を与えたはずだ。

それに何より、このスリリングでディープな音楽には、ロックンロールと同じように、ブルースのフィーリングが詰まっている。







ロカビリー ロックのゆりかご(29)

ロカビリーと呼ばれる音楽と、一般にロックンロールと呼ぶ音楽の区别がどこにあるのか、正直なところ僕にはよくわからない。
音楽的にはほとんど変わらない。
敢えて条件を挙げるとすれば、
・少人数編成のバンドでリズムはシンプル。
・ジャンプ・ブルースからの影響が濃いスイング感。
・プレイヤーは白人。
というところだろうか。

最初のロカビリー・バンドとされるのは、バーネット兄弟が率いたジョニー・バーネット・トリオ。





そして1956〜57年にはロカビリーと呼ばれるアーティストがたくさん出現した。

カール・パーキンス





ジーン・ヴィンセント





ジェリー・リー・ルイス





エディ・コクランやロイ・オービソンは、ロカビリーとはちょっと違うとは思うけど。









みなさん、ツッパッて精一杯カッコつけて見せる感じがもはや微笑ましいと思えるくらいいいね。
青臭くてみずみずしい。
音楽的には、T-ボーン・ウォーカーが発展させたシングルトーンのフレーズをさらに発展させたギターと、スラッピングなどで疾走感のあるグルーヴを作るベース、シンプルでリズムキープを第一としたドラム、連打の応酬でリズム楽器に徹するピアノ、ヒルビリー・ミュージックからの継承である少ししゃくりあげるようなヒーカップ唱法。
社会的には、とにかく何もかもに反抗しそうな、今までの価値観をぜんぶひっくり返してしまうような態度。



ロックンロールの誕生は、このようなフォロワーをたくさん生んだ。
エルヴィスの登場によって、今までの既成概念が打ち崩されたのだ。
親の世代のお説教やら学校で教わることと自分が感じる真実は別であっていい。新しい世代の価値観を発見した若者たちの前では、古い世代が押し付けてくる価値観などまるで意味のないものでしかなかった。
エルヴィス自身は軍隊徴兵以降はすっかり牙を抜かれてしまったけれど、エルヴィスの登場に狂喜し憧れた若者たちの間にその初期衝動的エネルギーやスピリットは受け継がれ、それは誰にも止めることができない大きなうねりになっていったのだろうと思う。

この後、60年代に巻き起こる反戦運動やウーマンリブや黒人解放運動といった社会的な動きはすべて若者たちが既成概念に「No」の声を上げたことから始まっていったもの。
その「No」の声は、実はロックンロールの誕生によって社会のモードが変わったということが影響としてあったのではないだろうか。
新しい時代が来る、古い価値観や既成概念はひっくり返していいんだという空気。
自由を求める抗議行動が動き出す社会的ムードの醸成という点では、ロックンロールの登場は間接的に関わりがあったはずだ。

極端な例えではあるけれど、ロシアにも中国にもエルヴィス的なものは登場しなかった。イランにもサウジアラビアにも。
もしロシアや中国にエルヴィスがいたら、イランやサウジアラビアでロックンロールが流行したら。
音楽で世界が変えられると無邪気には信じないけれど、ああいう国でロックンロールが流行したら、それは社会体制をも変えうるほどの大きなエネルギーを持って転がっていくような気がする。
かの国の支配層たちは、実はそのことを一番良く知っていて、ロックンロール的な娯楽をとても恐れていているのかも知れない。







以下の設問に答えなさい

核兵器について、
以下の設問に答えなさい



【1】
核兵器は非人道的な兵器であるとされています。
では、人道的な兵器にはどのようなものがあるか、具体的に答えなさい。

【2】
核兵器不使用についての主張と、核兵器廃絶についての主張の違いについて100文字以内で述べなさい。

【3】
日本は唯一の戦争被爆国でした。
次に戦争被爆国となった国はどこか答えなさい。








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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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