コートをつかんで 帽子をとって 悩みは玄関先に置いて行こう 人生はとても素敵になる 日の当たる表通りでなら パタパタと音が聞こえるでしょ 君のステップの幸せな音 人生は完璧になり得る 日の当たる表通りでなら 僕はいつも日陰を歩いてきた ブルースといっしょに もう怖じけづいたりしない さまよい歩くのはもうおしまい 1セントも持ってなくても ロックフェラーみたいにお金持ち 金色に輝く砂埃が足元に 日の当たる表通りでなら “On the Sunny Side of the Street”は、ブロードウェイ・ミュージカルで1930年に発表された楽曲で後にジャズのスタンダードになった。 日本語タイトルは“明るい表通りで”。朝ドラの「カムカムエヴリバディ」で重要なテーマとして物語を演出していた曲としてもわりと日本中で知られた曲ではないだろうか。 コートをつかんで、という表現があることから、初夏や夏の明るい陽射しではなく、まだ寒い時期だけど日向はとっても暖かい、そういう季節の歌なんだろうと思う。 この曲はとてもたくさんのアーティストが演奏していてどのヴァージョンもとても素敵なんだけど、この季節のやわらかな感じによく合うのは、レスター・ヤングがオスカー・ピーターソン・トリオと録音したヴァージョンだな。VIDEO このレコードが録音されたのは1952年。すでにジャズ界ではビ・バップ〜ハード・バップが主流の時代で、この当時ですらずいぶん古めかしいオールド・スタイルに聴こえただろうけど、そんなことなどお構いなしに、朗々と美しいメロディーを吹き上げるレスター・ヤングがチャーミングで素敵なのだ。 やわらかなトーンで淡々とプレイしつつ、時折哀愁を滲ませたブルース感のあるフレーズがのぞく。 ピーターソンらリズム隊は出しゃばらず寄り添うように淡々とバッキングに徹する。 アルバムでは、オスカー・ピーターソン・トリオの共演といいつつ、ギターでバーニー・ケッセルも参加してブルージーなフレーズを聴かせてくれる。 なんか全体として和気あいあいとした和やかなムードで、春っぽい艶やかさがあるんだよね。 一日一日と春らしさが増していく。 コートが少し暑苦しくて、出かける前に少し悩ましくなるのも、春の訪れならではのこと。 明日の朝あたりは近所の桜も花を開かせるだろうか。
「東風」とは「冬の季節風が止み、早春に吹く風」を意味する言葉。立春の七十二候の初候が「東風解凍(はるかぜこおりをとく)」であり、俳句では春の季語だそうだ。 東風吹かば/匂ひおこせよ/梅の花/ あるじなしとて/春を忘るな というのは、菅原道真が詠んだ和歌で、大宰府へと左遷されることになった道真が、庭の梅に心情を託した歌。 ここでは“ひがしかぜ”ではなく“こち”と読まれます。 この句が教科書で出てきた中学生くらいのこと、この“東風”を“トンプウ”と読んでいちびっている奴がいました。 もちろんYellow Magic Ohchestraのこの曲のこと。VIDEO Y.M.Oは思いっきり「世代」なんですが、実は中学生の頃これが流行ったときはチンプンカンプンで、全然聴かなかったのです。 っていうか、中学生の頃に苦手だったヤツがY.M.O好きだったんで敬遠した、っていうのもあるんだけど。若い時って、そういうことあるでしょ。ま、今でもあるけど。 もちろん、細野晴臣・坂本龍一・高橋ユキヒロというメンツの物凄さや、ワールドワイドに革命を起こした日本発の音楽という価値は今ならじゅうぶんわかるけど、それでもやっぱり、なんでこれが当時の中学生に流行ったのか、今聴いてもさっぱりわからない。VIDEO VIDEO 坂本龍一バージョンは春を待つ冬の終わり感があるし、矢野顕子のバージョンは春めいた気分があがる。 東洋的なメロディーは不思議な浮遊感があって、わらべ歌のような奇妙な親しみやすさは一度耳につくと離れない独特さがある。 シンプルでありながら複雑さをもったリズムもまた同じように不思議な中毒感がある。 wikipediaによると、曲のタイトルはジャン=リュック・ゴダール監督の映画「東風」から取られている。とのこと。また、当時メンバーの行き着けの中華料理店の店名でもあったらしいが、たぶんこれは後付のボケだと思われる。 いずれにしても、七十二候とも菅原道真とは関係ないようだけど、それでも春の始まりらしい息吹を感じたりもする。 今聴くと、Y.M.Oのバージョンがすごくいいな。 能天気でありながら裏側にひっそりシリアスさがあって、ユウウツを抱えたまま踊りまくるみたいな感じ。 西洋人が見た東洋人観的なの中華風的演出にはあざとさやこれみよがしさを感じていたのだけど、これってリップサービスっていうか、もっと突っ込んでいえば一流のジョークだったんだな、と今更ながらに思ったりする。
冬っ間って、なぜかなんにもしなくても疲れてしまう気がしてしまうのは気のせいではないはず。 生命を維持するための体温を維持するためのエネルギーは、きっと春や秋よりもたくさん消費しているのだろう。 ようやく訪れた3月、ふんわりと緩んだ空気。 コートとセーターを脱いで、毛糸の帽子と手袋も脱いで、できればマスクもとって。肌に直に触れる空気のやわらかさを感じたい。VIDEO 窓の外何かが起きている 覗いてみよう 僕のプリズムを通して キスを交して友達になろう 僕らしいユーモアさ 窓の外で何かが起きている 僕の時間を何処かへやって 僕が大事に過ごしてきた時間 十字架にキスして投げ捨てて ろうそくを吹き消して ドアを蹴り破って ハロー、ハロー 君が素敵な気分だといいね ハロー、ハロー 君が僕のこと感じてくれるといいな ハロー、ハロー 君が素敵な気分だといいね ハロー、ハロー あの時のことを思い出して 風に乗ってゆく口笛 風に乗っていく口笛 ニック・ヘイワード。 ヘアーカット100というバンドのリード・シンガーだった人だ。 彼の音楽は、春の始まりの風のように、まだひんやりとした肌触りだけどどこか温もりを含んでいて、優しげでちょっとセンチメンタルだ。 ゆるやかに穏やかにサラサラと、懐かしい思い出の香りを運んでくるような、なんとなく感じる懐かしさがなんとなく心地よい気分がする。 冬の間に凝り固まってしまったココロとカラダをほぐさなくっちゃ。
目が覚めたら雪がうっすら積もっていた。 2月も半ばを過ぎて、昼間は少し暖かい日もちらほらしだしたのに。 昨夜はかなり空気が冷たいな、とは思ったけれど。 今年はよく降る。VIDEO Snow Blues/Snowy White スノウィー・ホワイトという、名前に雪を冠したギタリストがいた。 Snowy Whiteというのは白雪姫の原題で、まぁ本名がホワイトさんなんでそこからニックネームになったんだろうけど。 ブリティッシュ・ブルース・ロック界隈のギタリストで、ピンクフロイドやシン・リジィにサポート・ギタリストとして参加していたらしい。 ジェフ・ベックのようにテクニカルで幾何学的なフレーズを弾くわけでもなく、クリアーな音色が特徴で、ウェットで情緒的なフレーズを得意とする人。どちらかというとミック・テイラーに近い雰囲気。 なぜかこの人のことは気に入ってよく聴いていたのを思い出した。 少し暖かくなりそうだと思ったらまたギュッと冷え込んで、寒いんだろうと覚悟していたらお日様の日差しはとても強くて日向では春めいていたり。 三寒四温ならぬ、三寒ニ温くらいの感じの今の季節。 木々は太陽の熱を感じては少しずつ蕾を膨らませる。 まだ、もう少し。まだ、もう少し。 こういう、冬を耐え忍びながら春を待つ感じは、楽しい気分とは言えないけれど、そう嫌いでもない。 電車に乗って街中に着いたら、雪はすっかり溶けていた。