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音楽歳時記「秋分」

9月23日は秋分の日。
この日を境に昼の長さと夜の長さが逆転する。
昼間でも暑いと感じる日は減り、朝晩には肌寒さを感じる日が増えてくる。

今年は涼しくなるのが早かったおかげで、秋が長くていいな。
これくらいが過ごしやすくて。
もう灼熱の夏なんてまっぴらだもの(笑)。
清々しい空気に、見上げれば青い空、うろこ雲がさざ波のように空の高いところにある。
秋の空の色って、どうして淡くなるんだったっけ。

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Brothers In Arms / Dire Straits

なんとなくジャケットの空の色が秋っぽい。「秋分」の一枚は、ダイアーストレイツの大ヒットアルバムで。
このほっこりした抜け加減がなんともいいんだよね。
力まず、飄々と。
でもゆるゆるでもなくって、そこには音楽を通じて語りかけてくるどこか芯のある思いというか、経験を重ねたからこその説得力というか、そういうものを感じるのです。
漂う哀愁感も秋っぽいのだけれど、それは単なる悲しみや絶望のトーンではなくって、一歩ひいて穏やかに周りを見渡した上で、大切なことを訥々と語りかけてくる感じかな。
癒されるというか、聴き終わるととても静かで落ち着いた気持ちになって、元気が回復したような気分になれるのですよね。

人生は、夏の盛りを過ぎてからが長い。
力まず飄々と、穏やかに、小さなしあわせ大切にして、短い秋ややがてくる冬を過ごしたいものだと思います。


♪コンディションを整える

おぉっ!しまったっ!寝過ごしたっ!
時計は7時45分。とりあえず大急ぎで歯を磨いて髭を剃って、ミネラルウォーターを一杯。
ちょっと走ればなんとか駅まで間に合う。
9月は毎年のことなんだけど、めちゃくちゃ忙しい。仕事の量が一気に倍になる。その上今年は、産休に入る子の仕事のサポートや、次年度に向けた改革課題の準備云々がそれに輪をかけて、実際かなりへヴィー。立場上そうそう手も抜けないし。
そんなこんなで終電帰りが三日続いたあとの木曜日なんて、寝坊しても当然っていやぁ当然だ。
とりあえず駅まで走って電車には間に合ったものの、超低血圧のハイパー・ロウ状態からいきなり走ったものだから、息が上がる。体に良いわきゃない。

めちゃくちゃ忙しいときにはやっぱり無理するからね。
心や体の声をとりあえずねじ伏せて自分の体を無理矢理動かしてしまわないとミッションをクリアできない。
それはやっぱり疲れることなので、だんだんと無理が溜まる。
心や体が軋みはじめる。
だんだんと物事を感じる力が薄れていって、目の前にある微妙な変化や些細な機微に気づけなくなる。
いつの間にか、とても大変なことを見失ってしまったり壊してしまったりする。
自分の心や体の声を聞くことって、本当に大事なことなんだろうな。
この歳になってくると、能力を高めることへの努力よりも、コンディションを整えることへの努力の方が大切なような気がする。


ここしばらくの癒しのお供、アン・サリーさん。
ちょっと吉田日出子さんみたいな鼻にかかったスモーキーな歌い方が、ぼぉーっとしたい頭に心地よいのです。
朝の電車は、こーゆーレイジーかつビューティフルな音で頭をからっぽにするのがいい。

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Moon Damce / アン・サリー
Peaceful

逆に、帰りの電車は、ちょっとビートのあるものを。
明日のためのちょっとした整理体操みたいなもんかな。
ビート感があって、タフな奴。

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Snap! / The Jam
Going Underground


コンディションを整えて。
自分の心と体を上手にコントロールさえできればね、いろいろあってもきっとだいじょうぶだ。



♪宇宙飛行士

宇宙飛行士になりたいと君は言う。
青い地球を宇宙から眺めてみたいと。
でも、固い宇宙服を着たままで、
どうやって愛し合うの?

肌を重ねて、僕らは離陸する。
無重力になって浮かびあがって、
遠い宇宙の岸辺に打ち上げられる。
ロケットになんて乗らなくても、
宇宙の果てまで行けるのに。





9月12日は「宇宙の日」なんだそうで。

ビートルズの“Across The Universe”。

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Let it Be / The Beatles

◇不思議な羅針盤

うちの職場には喫煙室的なものはなくて、喫煙者は非常階段に置かれた喫煙コーナーで煙草を吸う。
雨の日には雨が降りかかるけど、喫煙コーナーが外にあるおかげで、一日に数回、空を見上げたりその日の気温を体感したりする機会があるのは、秘かにありがたいと思っている。
その非常階段に、蝉の死骸が転がっている。
もうかれこれ3週間以上だろうか。
短い命を生きて、夏の終わりにここで力尽きた蝉。
都会の真ん中の4階なので、アリは登ってこない。コンクリートなので土に帰ることもない。吹き溜まり的な場所にあたるのか風で飛ばされることもなく、ずっとそこにある。
その姿を見ていると、なんだかとても哀れな気がしてきてしまった。
生き物として生きている時期を全うした後は、自然に帰っていくのが本来の姿。
燃やされて水や空気になるか、埋められて土に帰るか、そうやって分解されて自然の一部に戻って初めて、命は循環するのだと思う。

そんなことを思いながら手に取っていたこの本。

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不思議な羅針盤 / 梨木香歩

梨木香歩さんのことを知ったのは、映画にもなった『西の魔女が死んだ』だったのだけど、そのときはちょっと子供向けっぽいかな、って思ったんだ。ただ、押しつけがましくない語り口で、命と自然の関わりについて語ろうとする感じには好感を持った。
この本は、素朴ですっきりした言葉で日々の気持ちが綴られているエッセイ集。
まずは、とても日本語が美しいのです。まるで美しいメロディーを聴くように読んでいて心地がよい。
花や草木に造詣が深く、庭仕事でのエピソードやそこで出会った生き物や自然から感じたことなどの話から、この方がとても自然を軸にした世界観を持っていることが伝わってくる。
自然と対峙するのではなく、自然のうちに自らの心と体を置いて感じたことを、大げさにではなくさらりと、訥々と言葉を紡いでいく。
ある出来事やある発見から、時には深い考察にはまりこんだり、改めてここまでの来し方を振り返って過去の出来事に込められた意味を見つけたり、明日への展望を見つけたり、そんな心の動きが手に取るようにわかる。
そして読後には、何か大切なものをきちんと心に届けてくれる。余韻が心地よいので、一気に読むのではなく、ひとつひとつのお話をゆっくりと味わいながら読んだ。

なんていうのかな、この方の文章は、頭でっかちじゃないんだよね。
文章の向こうに暮らしが見える感じ。
心のアンテナをピンと張って、自分の手や足を使っての丁寧な暮らし。でも自然体で無理することなく、今の自分の状態にいつも気を配って、心や体の声を聞きながら暮らしているような感じがね、とてもいい。

「堅実で、美しい」
「たおやかで、へこたれない」
「近づきすぎず、取り込まれない」
「足元で味わう」
「ゆるやかにつながる」
「世界は生きている」
「スケールを小さくする」
「五感の閉じ方・開き方」
それぞれの章のタイトルだけでも、なんとなく梨木さんの志向するものが伝わってくる。


9月10月は毎年のことではあるのだけれど、めちゃくちゃ忙しくてね。
知らず知らずのうちに心が荒む。日々の過ごし方が雑になる。気分にムラができて、言葉が荒れる。思考が短絡になる。
そんな気分のままじゃいられないときに、梨木さんの言葉はよく効いた。
丁寧に暮らしたいなぁ。
カップラーメンができるのさえ待ちきれなくて、固いまんまとりあえず口に放り込むような生活じゃなくって。
厳選した茶葉をぬるめの温度でじっくりと蒸らしながら香りを楽しんだり、朝から昆布でだしをとって味噌汁を作ったり、小さな畑の一角の雑草をとりながら、毎日少しずつ大きくなっていく実を観察したり、風呂桶に水垢がこびりつく前にゴシゴシこすったり。
そんなことの積み重ねの中から、自分も自分を取り巻く自然も同じ物質でできていて、いつかそういうものに帰っていくんだという安らかな気持ちが生まれてくるのじゃないかしら。
忙しく慌ただしい日々の繰り返しじゃ、自分の中にある茶葉の香りや昆布のだしや小さな果実を見過ごしてしまう。心の内の水垢に気づかないでこびりつかせてしまう。そして、自分以外の人のことにも。

ま、そうはいっても今はしのぐしかないのだけれど。
せめてもの抵抗を、とその時思ったんだな。
夜の11時、誰もいなくなったオフィスで。
非常階段の吹き溜まりに転がったままの蝉の死骸を、ティッシュペーパーにくるんで僕は外に出た。
そして、桜の木の植え込みの下にそっと放してやった。
いつの日か、この蝉も僕も同じになる、そのときのことを思いながら。


音楽歳時記 「白露」

母親が太腿の骨を折って人口の股関節で接合する手術したあと、術後の状況のレントゲンを見せてもらった。
腰から太腿までのアップで、うっすらとボディーラインが写っている。
「やぁねぇ、こんなにお尻がたれて。」
と母。
入院の荷造りを頼まれたときも、まだ立ち歩きもできないのに、外出用のワンピースを頼まれたり、化粧品周りは事細かに指示されたり。炊事や掃除のことはわかるけど、さすがに化粧品には疎いのでなかなか困ったよね。
この歳になってもそういう部分が気になるものなんだな、っていうのは男の子側から見た正直な気持ち。
でもまぁ、この歳っていってもまだ76。兄を産んだときはまだ24、僕を産んだときはまだ26だったんだな。26なんて、まったくの小娘じゃん。母に女を感じたことはないけれど、そんな若い頃に、一生懸命子育てをしていた母を、今は素直に素敵だと思う。
僕は母を、母としての顔しかしらないけれど、女性はいくつになっても女なんですね。
そして、母の目に映る僕たち兄弟は、きっとどこかで若い頃の父と重なりあってきているのだと、そんなことを思う。

さて、節季は「白露」。
白露という節季はあまり耳に馴染まないですが、「陰気ようやく重なり、露凝って白し」という意味だそうで、要は、秋がいよいよ本格的となっていく時期、ということ。
もし季節に性別があるとすれば、9月にはなんとなく女性的な印象があるのです。
気まぐれに日によってころころと佇まいを変えていくのだけど、どこか大らかで、すべてを包み込むようなやわらかさ、そんなイメージっていうか。
いや、正確には逆かな。
大人の女性から漂ってくる匂いが9月のイメージがするから、9月のイメージが女性的なのだ。
言い方を間違えると世間の女性に怒られそうだけれど、つまり、男から見て、大人の女性はみんな、あらゆる努力をして9月に留まろうとしているように見えるのだ。決して嫌味ではなくね。

夏の余韻をほんの少し残しつつ、ギンギラの真夏なんかよりずっと優雅で過ごしやすい秋。
そして艶やかで実り多い秋。
鮮やかにきらめいている生命のほとばしりとしての秋。
自分なりの美しさをちゃんとイメージして心も体も整えようとする女性たちの意思の強さに、男はいつも負けっぱなし、っていう気がする。

優雅で実り多い秋の女性のイメージの音楽といえば、例えば矢野顕子さん。

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峠のわが家 / 矢野顕子

「夏の終わり」とか「海と少年」とか「ちいさい秋見つけた」とか、ちょうどこの季節っぽい曲もたくさん入っているこのアルバム。「David」や「Home Sweet Home」のようなやわらかい曲の一方で「そこのアイロンに告ぐ」とか「おてちょ。」みたいなアバンギャルドなジャズ寄りの曲が違和感なく並んでいたり、自身のアイデンティティーの宣言のような「The Girl Of Integrity」みたいな曲もあったり。
ほんわりと包み込んでしまうような母のような音のやわらかさ温かさと、思い立ったらやれるだけやっちゃうわ的な自由さ、奔放さ、それを支える芯の部分での自分への確信の強さ。
決してグラビア的な意味では美人ではないけれど、この方の美しさは年を重ねてもまるでかわらない。そもそもが誰かに媚を売ったセクシーさじゃなく、人としての魅力からにじみでる女らしさが素敵な人だからかな。
そして、ある程度の年齢を重ねた女の人から感じる美しさも、そういう類の美しさなのかな。
優雅、うん、日本語で言うとちょっとニュアンスが違うかな、いわゆる英語で言うところの“グレイス”。そういう美しさ。
そういう美しさはきっと年齢とは関係なく、衰えないんじゃないか、と。

まぁ、とにもかくにも「白露」。
まだまだ暑い日もありながら、日ごとに和らいでゆく日差し、日ごとに高くなってゆく空。
夜にもなれば涼しい風、虫の声。
優雅な秋を楽しみたいね。


♪ミサイルよりも恐いもの

熊が、夜な夜な畑を荒らしに山から降りてくる。
畑だけじゃなく、鶏が襲われたりする。
村人たちは、罠を仕掛け、猟銃を手にして、狂暴な熊を殺す算段をする。
だって、相手は話が通じる相手じゃない。
黙って襲われるわけにはいかないだろ。
だけど、そもそも熊が山を降りてくるのは、人間たちが山を荒らしたから。
食べるのに困った生き物は、餌を得るために、狂暴化する。生き残るために狂暴化する。

あんな危険な隣人は放置しておけない。
そもそもあいつらは頭がおかしい。
ほっといたら殺られてしまうかもしれない。
殺られる前に殺ってしまえ。
あいつらを叩き潰せ。

ミサイルも恐いけれど、そういう考え方がどんどん当たり前になっていくのはもっと怖い。

狂暴化した熊を一頭殺ったところで、山そのものが豊かにならなければ、きっとまた次の暴れ熊が現れる。
それとも、山の熊を根絶やしにすることこそが正義なのか?
歴史は勝者の側から書かれる。
反逆者にされた側の論理には誰も耳を貸さない。
そういう論理で根絶やしにされかけた経験から、山を豊かにしようと誓った先人たちの反省は、もはや年寄りの戯言と葬り去られてしまうのか。

武器を持って戦うことがどうしても避けられないことはあるのだと思う。
けど、それは本当にやむをえないどうしようもない場合にのみとらざるを得ない非常手段であって、武器を持つものはそのことをよく理解していかなければならない。
力の誇示のために武器を使うものは、その力に復讐される。まして隣人を力でねじ伏せようとするものこそ、やがてその力故に滅びるものだ。
なんていうネイティブ・アメリカンの格言があったかどうかは知らないけれど。

あんな危険な隣人は放置しておけない。
そもそもあいつらは頭がおかしい。
ほっといたら殺られてしまうかもしれない。
殺られる前に殺ってしまえ。
あいつらを叩き潰せ。

ミサイルも恐いけれど、そういう考え方がどんどん当たり前になっていくのはもっと恐い。

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Voice Of America / Little Steven

I am a Patriot

ブルース・スプリングスティーンの右腕、リトル・スティーヴンが歌っているこの歌。
パトリオットというと追跡型ミサイルを連想してしまうけど、愛国者という意味。
ただ、この愛国者という言葉も誤解を招きやすい。誰も否定しにくい考え方であるだけに政治的な言葉として利用されやすい。
党派やイデオロギーではなく自分の生まれた国を愛する気持ちを、スティーヴンははっきりとこう歌っている。

俺は共産主義者じゃない
俺は資本主義者じゃない
俺は社会主義者じゃない
俺は帝国主義者じゃない
俺は民主党員じゃない
俺は共和党員じゃない
俺が知っている党はただひとつ
それは自由

世の中がキナ臭くなると、誰も反対できない正しさにかこつけた論理の飛躍で、それを自分たちの党派の主張に取り込もうとする人たちが出てくるのには注意しておきたい。



音楽歳時記「処暑」

処暑とは、つまりは暑さの止まる処。昼間はまだ暑い日が続くけれど、朝晩には涼しい風も吹きはじめる時期なのだそうだ。
現実は、まだまだこれからが残暑、という感じではあるけれど、ピークは越してるという実感もあり。

過ぎていく夏を思えば、少しだけ感傷的な気分になる。
とはいっても、夏らしいことなんて何にもしなかったけれど(笑)。
秋は深まるけど、夏は過ぎていくものなんだね。
なんとなく感傷的な気分によく似合うのは、ロイ・オービソンの甘い声だ。

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Mystery Girl / Roy Orbison

この甘い声がたまらないんだな。
過ぎ去っていった思い出を拾い集めては慈しむような。
そんなことを思いながら、夏の思い出を思い返してみる。
子供会の野球の練習や盆踊りが嫌いで泣いて嫌がった小学生の頃。嫌々行った盆踊りでもらう子供じみた駄菓子のセットが大嫌いだった。
塾をサボって好きな女の子の住むマンションの部屋を坂の上からただぼぉっと眺めていた中学生の頃。もやもやとした思いをどうすることもできなかった。
毎日がアルバイトに追われてクーラーのない部屋で流れ出る汗をタオルで吹きながら缶ビールを飲んでいた大学生の夏や、2tトラックにどっかり積んだパンを、汗まみれになりながらスーパーへ納品しては、八百屋あがりの息の臭いスーパーの店長に説教を食らっていた夏、汗だくになって工事現場で天井用の石膏ボードを何百も何千も運び続けていた日雇い労働の夏。
あら、ろくな思い出がないじゃないか(笑)。
いや、そんなことばっかりでもなかったはずだ。
小学校の裏の田んぼで友達といっしょに夢中になってザリガニ釣りしたり食用ガエル捕まえたり、田舎の親戚の家で花火大会したりお墓で肝だめししたり、部活の合宿なんてのも夏だった。部活も練習も少しも楽しくはなかったけど、家を離れて夜更かしするのは楽しかったよな。船で丸二日かけて行った沖縄の海とか、バイト明けに仲間たちと一晩中車を飛ばして行った鳥取砂丘で見た夜明けとか、つきあっていた彼女と訪れた夏の終わりの海辺とか。それから、別れ際にドキドキする思いを抑えながらなんとか引き留めた彼女と交わしたキスのときめきとか。
いずれにしても夏の思い出は、どこかせつない。ほとんど苦くてときどき甘い。
まぁ夏に限らず思い出というものはそういうものなのかも知れないけれど。

少しだけ涼しくなりはじめた夏の夜風と、甘くせつない思い出とロイ・オービソンはとても相性がいい。
苦い思い出だって、いつか透き通っていって、ソーダ水みたいに甘くなっていくものさ、とロイ・オービソンがせつない声で歌う。
まだまだ暑いじゃん、なんてボヤいてはみても、遅かれ早かれ夏は過ぎていくのだ。
そういうものだよね、と一人頷きながら、僕は缶ビールを開けてタバコをふかす。

California Blue / Roy Orbison




♪天架ける橋

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天架ける橋 / 古謝美佐子

「橋」というイメージで思い出していたのがこのレコード、初代ネーネーズだった古謝美佐子さんの初めてソロ・アルバム「天架ける橋」でした。
CDのブックレットの扉には
“天の川 橋渡らせば その上へ
ゆもい渡らさむを 秋にあらずとも”
という万葉集の大伴家持の歌が書かれている。

タイトルの「天架ける橋」だけではなく、橋をテーマにした歌がいくつか収められていて。
「橋ナークニー」は、思い人に会うために橋を架けて渡りたい、という恋の唄。
「夢かいされ」は、夢の中ならば一足で橋を渡っていけるのに、とか、思い出の橋を渡って結ばれたい、といった歌詞が並ぶ。
少女の頃に遊郭に売られた経験を持つ詩人、吉屋チルーさんの詩にメロディーをつけた「恨む比謝橋」という唄もある。嘉手納町にある比謝橋にはチルーさんの歌碑があるのだそうだ。
そして「天架ける橋」は、亡くなった母親に捧げられた歌だ。
先立った夫が天に舞い戻る母親に手を差し出しともに橋を渡る。残された子供たちの上に光が降り注ぐ、そんなイメージの歌だ。

隔てられた二つの世界に、互いを必要とするにも関わらず距離的に、時間的に、或いは精神的に引き裂かれてしまう人たち。
その世界に、ある限られた時間だけ橋がかかる。
そういう物語の構造というのは、古今東西誰もが考える普遍的な発想なのだろうな。
それは、それくらい、会いたいと願っているのに離れて暮らしている人々がいつの時代にもどこの国にもたくさんいた、ということでもあるのだと思う。

ある程度の複雑な生き物はみな、個別の個体という枠で自分自身である領域をはっきりと持っているにも関わらず、性は二つに分かれ、異性の存在がないと子孫を残すことができない仕組みになっている。
そのことが、独立した個体であるのに別の個体の存在を必要とする性質を作りあげてきた。その二つの個体を出会わせるイメージとして「橋」というものがとてもイメージしやすいのだろうか。
「橋」というのは、離れた二つの場所を繋ぐもの。でも、二つを統合したり混ぜ合わせたりはしない。行き来を可能にするだけだ。
って、何が言いたいんだか(笑)。

古謝美佐子さんの声には、そういうある意味哲学的っぽいようなことを考えさせ思い起こさせるような普遍的ななにかがあるような気がするんですよね。
この人の声、この人の歌は、遠い土地に住む違う文化を持つ人たちにもじゅうぶん届くのではないか、と。
例えばRCサクセションの音楽は、もちろん大好きなんだけど、ある時代のある世代の日本人にしか響かないんじゃないかと思う。或いはストーンズにしろビートルズにしろ、今生きているすべての地球人に響いたとしても、300年前、500年前の人に響くとは思えない。
でも、古謝さんの歌ならば、アフリカでもインドネシアでもアイルランドでも、そして例えば鎌倉時代や平安時代の人たちにも響くんじゃないか、場合によっては、鯨や牛や犬や猫にも何かを感じさせるんじゃないか、と。つまりは、惹かれあうもうひとつの個体を求めあう生き物になら、誰にでも。
その源はなんだろう。
愛?愛の源にある、誰かを求めたくなる気持ち、その奥にある、ひとつの個体として生きて死んでいくことの孤独。だからこその限定的な生命を慈しむ心。

思春期の頃、よくそういうことを考えたけれど、その頃とはまた違う次元で、そういうものに今改めて少し興味がある感じ。


♪子どもの頃に遊んだ川に架かる橋

「橋」というものの記憶の最初は、この出来事だったと思う。
今も実家がある小さな町のはずれに架かっていた橋、まだ舗装されていなくって土だったんだよね。きっと木造だったんだろうな、車が通るたびに土煙りがあがって、橋がどすんどすんと揺れるんだ。
3才くらいだったのか、5才くらいになっていたのか、僕は母が運転する自転車の後ろにまたがっていた。足を車輪に巻き込まれないように大きく足を広げていなさい、って言われたにもかかわらず、何があったのかな。何かに気をとられてよそ見をしていたんだろう、突然ぎゅぎゅぎゅって音がして、体が熱くなって、見ると僕の足首が車輪に飲み込まれて、母が慌てて引っ張り出すとくるぶしのあたりが傷だらけで血がじわじわっとにじみ出てきていて。
痛くはなかったな、何が起きたのかよくわからなかった。
すぐ診療所へ連れていかれて、ピリピリ染みる黄色い液体で消毒されて。
母がそのとき何を言っていたのかとか、全然覚えていない。
ただ、どすんどすんと土煙りを上げて揺れる橋の景色だけをやたらと覚えている。

橋の下に流れている川は小さな川で、子供の頃よくその川で遊んだ。
魚をとったり、潜ったり、空き缶を流してレースをしたり、発泡スチロールの船を浮かべてそれにめがけて石を投げたり。
川原にはいちじくの木があったり、すいか畑があったりして、その実を勝手にいただいたこともある。
向かいの川岸には、火事で焼けたホテルの跡地が取り壊されずにあって、小学生にとってはかっこうの冒険の場所だった。

子供の頃はわりと本を読んだり絵を描いたりばっかりしていたと思っていたのだけれど、わりとやんちゃな子供だったんだね、今思えば。3つ上の兄にくっついて、兄の友達にそういうところへよく連れていってもらったんだったのかもしれない。

先日実家へ行ったときに、その橋と川へ行ってみた。橋はもちろん鉄骨のものに架けかえられている。それでも車が2台ぎりぎりですれ違えるくらいの小さな橋だった。
自分で思っていた以上に小さな川だった。
夏草がぼうぼうに繁っていて、子供なんて誰も遊んでいなかった。

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子供の頃のぼんやりとした記憶を歌った歌。
ザ・ブームの「釣りに行こう」。

大人になってもう一度あの川へ戻れば、まだたぶん君は昼寝の途中。
自転車の後ろで泣いていた少年も、きっと今もどこかにいる。

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◇橋をめぐる物語

川が流れる風景を見ているとなぜか落ち着くのは、うお座生まれのせいか、それとも誰でもみんなそうなのか。
普段の暮らしでも、どこかへ旅行へ行ったときでも、なんとなく川のある風景を眺めたくなります。
そしてそこに橋があると、景色がより立体的になっていい。
というわけで、橋の話。

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橋をめぐる物語 / 中野京子

中野京子さんのこの本は、古今東西のいろいろな橋にまつわるエピソードが、短いながらも端正な文章で綴られたもの。西洋文化史に造詣が深い中野さんならではの中世ヨーロッパの橋はもちろん、日本やアメリカの橋、大きさも形も時代も様々で、歴史的に大きな意味をもった橋、絵画や小説に書かれた橋、恐ろしい言い伝えのある橋・・・などなど、テーマごとに奇・驚・史・怖と章が分かれている。

橋とは、ふたつのものを「つなぐ」場所であり、「渡る」という行為が人生の転機を象徴するものなんですね。
また、人生が交差する場所であり、此岸と彼岸と繋ぐ所。
あちらに渡れるなら、あちらからもこちらに異界のものが渡ってくるという意味でも怪しく危うい場所でもある、と。
深いなぁ。
橋は比喩でもいろいろ使われます。
「危ない橋を渡る」とか「後戻りできない橋を渡った」とか「人と人との橋渡しをする」とか。
実際50年の中ではいくつか危ない橋や後戻りできない橋を渡ってもきたし、きっとまだこれからもいくつかの橋を渡っていくことになるんだろう。
英語には“Don’t cross the bridge until you come to it.”、橋に来るまでは橋を渡るな、ということわざがあって、要は先のことを取り越し苦労するな、ということ。橋に来たときに決断すればいいのだ。
「石橋を叩いて渡る」という言葉もあるけど、橋を渡るたびに叩いてたんじゃきりがない。渡ると決めたらエイヤァーって渡っちゃいたいですね。


音楽歳時記 「立秋」

朝からとても蒸し暑いのは台風の影響だろうか。
青い夏空と入道雲。
朝のうちから父のお墓へ行ってきた。
しばらくほったらかしにしていたせいで、夏草が生い茂っている。
幸い夕べ降った雨のお陰で土はやわらかく、草は抜きやすい。
この世への道を照らすというほおずきの入った仏花を供えて、お線香をあげて、蝋燭を灯して。

お墓は実家から車で30分もかかる山の中。
正直めんどくさい。自分がこの墓に入ることはイメージできないし、娘がここへ墓参りに来ることも想像できない。罰当たりを覚悟で言うと、そもそもあの世だこの世だということすら信じてはいない。
それでもお墓参りへ行くのは、まぁ故人への礼儀ということ、それから、母の思いの代行。
先月に脛椎の手術で退院したばかりの母から明け方に電話があったのは先週のこと。ベッドから起き上がるときに転んで動けない、と。救急車を呼んで緊急病院へ搬送、症状は右大腿骨脛部骨折。先週木曜日に手術を終えた。
「動かれへんなんて、年取るとこんなことになるんやなぁ。いっそ転んだまま電話せんかったらあっさり向こうへ行けてたかもしれん。」
「そんな、骨折くらいで死ぬかいな。」

そんな冗談を言っていたことすら、いつか思い出になって、そんなことを思い出しながらお墓に手を合わせる日が来るのだろう。
お墓参りというのは、結局のところ、その一連の儀式的なプロセスを経ることで故人を思い起こすためにあるのだろうな。
と、そんなことを思う程度には僕も大人になったようだ。

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Indigo Munch / 山弦

“夏の思い出”や、はっぴいえんどの“夏なんです”、サイモン&ガーファンクルの“アメリカ”など、繊細なギターの音色に、穏やかな気持ちになる。

暑いけど、静かな夏。
少しずつ盛りを越していく。
明日は立秋。




♪夏の朝にキャッチボールを

今年の夏はわりと雲空続き。
暑いのはしんどいけど、どーせ暑いならスコーンと晴れた青空が見たいですね。

夏のよく晴れた朝に聴きたくなる一曲。
ハイロウズの「夏の朝にキャッチボールを」。

元々はマーシーが、川村カオリさんに提供した曲だったんですよね。

夏の朝にキャッチボールを / 川村カオリ

いいよなー。
シアワセになるのには別に、誰の許可もいらない。

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Banbita / 川村カオリ

このアルバム、かっこいいよ。
I Love R&R BandとかSuper Special Monkey Magicとか、サイコーに楽しくてかっこいい。

こんなに元気な歌を歌っていた人が今はもうこの世にいないって、なんだかせつないね。

♪ぼうずあたま

毎日暑いっすね。

お会いしたことのある方はご存知ですが、僕のヘアースタイルは「ぼうずあたま」です。
ぼうずにしたのはかれこれ5年前の夏の日。
あまりにも暑くて、髪の毛がうっとおしくって。
いいよー、ぼうずあたま。
直射日光があたると暑いんじゃないと言われるけど、意外とそうでもない。
むしろ涼しい。
顔を洗うみたいに冷たいタオルで頭皮ごと拭き拭きしたり、あたまから水ぶっかけて冷やしたりできます。すぐ乾くしね。
あまりにも便利なのでそれ以来はまってしまって、今はバリカン買って自分で剃ってます。

暑さ以外のもうひとつの理由は、、、要は毛髪量の減少という現象が発生してきたため。
中央のてっぺんがね、伸びないんだ。父親は額から禿げ上がっていくタイプだったので安心してたんだけど、てっぺんがどんどん減っていく。伸ばしても両サイドばっかりが伸びて、むしろてっぺんの薄さが目立つんだよね(笑)。いわゆるカッパ的な。誰に似たんだと思ったら、母方のじいちゃんがつるっぱげだった(笑)。

毛髪というのはやはり気になるものでね。
だからって、いわゆるアー◯ネイチャーやら◯デランス、或いはなんとか増毛なんていうのをやろうとは思わない。人それぞれなんでそういう人を否定はしないけど、個人的にはなんか、カッコ悪いんじゃね、と思うんですよね。人工的に隠すっていうのがね。
ありのままで何が悪いよ、と。
で、思いきって剃ったらすっきりして気持ちよかったんだ。高校の頃はぼうずを強制されるのが嫌でスポーツ系の部活には入らなかったくらい嫌だったのに、剃ってみるとちょっと中学生の頃の自分に再会できてなかなかかわいいやん、と思ったり。

元々「頭を剃る」という行為には、社会から離脱するような意味があるようで、なるほどそれで坊主や囚人は頭を剃るわけだな。だったら尚更パンクでブルースっぽくてええやんか、なんて思いつつ今に至るわけです。


さて、日本で一番かっこいいぼうずあたまといえば、ヒロトさん。

「人にやさしく」を初めて聴いたときは、ゾクゾクするくらい衝撃的だった。
で、アルバムもすぐに買って、当時バイトしていたレンタル・レコード屋で大音量でガンガンにかけまくってた。
1987年、もうハタチも過ぎていたから人生変わるほどのめり込むところまではいかなかったけど、中学生高校生の頃だったら神様級にめちゃくちゃはまってただろうと思う。

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The Blue Hearts / The Blue Hearts

これは、ぼうずあたまとは関係のない、単なる仕事上のぼやきなんだけど、昨日ある商品トラブルがあって、夕方遅くに発覚したんだけど、その日いた10数名で残業して利用者に電話を掛けたんだ。
いわゆる部署のトップの偉いさんたちは、電話掛けないんですよね。腕組んで見てるだけ、まぁ先に帰らなかっただけましなんだろうけど(笑)。
僕が偉くなることはないんだけど、もし偉くなるようなことがあっても、「俺も掛けるわ。」って言えるようでありたいな、って思ったな。
ブルーハーツの音楽は、そういう気持ち、一番厳しい場所にいる思いを思い起こさせてくれる。悔しくて泣きそうな気持ち、こういうことされたら自分だったら悲しいよね、という気持ち。
人として大切にしたいこと、底辺からの景色、そういうことを忘れない大人になりたいよね。
そういう意味でも、ブルーハーツがいつまでも心に響くようでありたいよね。


♪白桃

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母親は岡山県の小さな村の出身で、僕も小さいときには田舎には何度も連れていってもらいました。
おばあちゃんが母親を「カズちゃん」と娘扱いするのがなんとも不思議な感じがしたのをよく覚えています。
母は小さい頃からおいしい桃を頂いていたようで、今も桃が大好き。でも缶詰めの桃は絶対に食べないのです。つまり「あんなのは桃じゃない。」ということらしい。

職場で休憩時間に母親の入院退院の話をしていたときに、岡山県出身の同僚に話していたら、先日その同僚から桃をいただきました。
「どかっと送ってもらったから、お母さんに。」
そういう心づかいって、ほんと嬉しいよね。

昨日、実家に帰って、掃除やら洗濯やら風呂洗いやらを手伝って、それからその桃をいただきました。
手間隙かけて子供を育てるように大切に育てられたんだろうな。傷がつかないように優しくくるまれて岡山から運ばれたんだろうな。
香りよく、たっぷりとみずみずしく、しっかり甘くて、でもしつこくないさわやかさ。
たくさんある農作物の中でも一番愛情がこめられた果物かもしれないね、桃。


桃にまつわる歌で気分にあうのがなかったので、なんとなく感傷的な夏の歌を。

「花のように」 松たか子

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Five Years Singles / 松たか子


♪きゅうり

この季節にうまいもの。
きゅうり。
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妻も娘もあんまりきゅうりは好きではないみたいで、あまり我が家の食卓に登ることはない。「あんなもん、水ばっかりで栄養ないし。」なんて言われている始末で。
でも、好きなんで、たまに自分で買って帰ったりする。
おっさんが一人できゅうり二本だけ持ってレジに並ぶ。ちょっと奇妙な光景(笑)。

老後に家庭菜園をやりたい、なんて夢はないのだけれど、きゅうりだけは作ってみたいな。
毎朝もぎたてのとげとげのきゅうりを収穫しては、ポリポリかじるのだ。
今日はマヨネーズ、明日はもろきゅう、或いは塩昆布ともんで簡単浅漬け。
あー、きゅうり。


きゅうりにちなんだ歌なんてあったっけ、と思ったら、あった。
エコー&ザ・バニーメンのアルバム「Ocean Rain」の中の一曲、“Thorn Of Crowns”。

幻想的な雰囲気の中で、イアン・マッカロクが
C-c-c-cucumber
C-c-c-cabbage
C-c-c-cauliflower
なんてまるで魔法の言葉みたいに吠えるんだ。

ジャケットもクリスタル・ブルーがなんとも幻想的。
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Ocean Rain / Echo & The Bunneymen

氷のようなひんやりと冷たい雰囲気は、この季節のクール・ダウンにちょうどいい。
しっかし、蒸し暑いね。バテる。。。
もろきゅうでビールだぁ。

音楽歳時記「大暑」

7月23日が大暑。
文字通り、暑さ最大限。一年で一番暑い時期ということだ。
この時期は、単に気温が高いというだけではなく、湿気がめちゃくちゃ高いから、不快指数はまさにMAX。うだるような暑さ。息するだけで疲れる(笑)。
特に三方を山に囲まれた盆地である京都や、街中に極端に緑が少ない大阪の暑さといったら。たぶん東京と体感温度で3℃くらいは違うんじゃないかと。

と、そんなクソ暑い真夏のド真夏、せめてリラックスしてご機嫌にいきたいね、って感じでの大暑のチョイスはデヴィッド・リンドレーさん、1981年のファースト・アルバムです。

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El Rayo X / David Lindley

なんともご機嫌で能天気なヌケた音。
見た目のイカつさとは真逆の妙にかわいらしい歌。
なんとなーく、なんでもいいや、って気分になれる。
うー、とりあえずビール(笑)。

収録された曲のうち、半分はカバーなんだけど、これが実にいい味わい。エヴァリー・ブラザーズの“Bye Bye Love”やアイズレー・ブラザースの“Twist And Shout”、テンプテーションズの“Don't Look Back”などなど、レゲエのリズムで仕上げられたR&Bの名曲たちのなんともかわいらしい感じ。かと思えば、バリバリのハード・ロック風に駆け抜ける“Mercury Blues”あり、スペイン語で歌われる“El Rayo X”やフランス語の“Petit Fleur”でのテックスメックスやケイジャンあり、泥臭さ満点なのに妙にキュートで、能天気でありつつもそこはかとなく哀愁が漂って。
リンドレーの弾くスライド・ギターやフィドルの響きも実にマッチしているんですよね。青い空へ吸い込まれていくみたいにユラユラと立ち昇っていく。
見上げれば真夏の抜けた青空、灼熱の太陽、陽炎が揺らいでいる。

こんな季節はそもそもがんばっちゃいけない。
めんどくさいことはいろいろあるけど、リンドレーみたいなゆるーいリズムでテキトーにやりすごしたいもんですがね。。。


♪母親の退院

脛椎の手術でひと月半ほど入院していた母親が先週退院しました。
退院したのはめでたいことなんだけど、一人暮らしなのでこれからがまたたいへんっぽい。
歩けるのは歩けるんだけど、首にまだ固定具をつけているから足元がおぼつかない。実家の階段は狭くて暗くて急だからできるだけ昇り降りはほしくないのだけれど、洗濯物はやっぱり二階のベランダの物干しで干したいらしい。
弟は「転んで怪我したらあかんから。」ってやめさせようとするんだけど、まぁかれこれ50年以上もやっていることだからね、そうそう簡単に習慣を変えたくないんだろう、って気持ちもわからないではない。やめろって言うのは簡単だけどだからって毎日世話できるわけでもないし、たいへんでも自分でやりたいと思う気持ちがあるならきっとその方がいいはず。

日曜日も実家へ行って、あれをどこへ動かしてくれとかこれはいらないから屋根裏へ上げてくれとか母親の要望にひととおり応えて、買い物に連れていって、掃除機かけて、風呂掃除して。これからしばらく、少なくとも首の固定具がとれるまでは頻繁に実家へ行くことになりそうだ。
家にいることがどうも居心地が悪くて、高校を出てから一年せっせとバイトして金を貯めて家を出た、あれからもう30年以上だ。こんなふうに実家を行き来することになるとは当然想像すらしなかったな。

ちなみに手術そのものは、脛椎の軟骨がへたって神経を圧迫していたことによる痛みを、脛椎のうしろに器具を入れて固定させるというもの。
レントゲン画像を見せながら、
「ここに固定具を3つくらい取り付けたということなんやて。」と母。
「サイボーグ手術やな。」と茶化す兄。
「割れたり錆びたりせーへんのやろうな。」と弟。
「セラミックやから強いみたいやで。」と答える母に、
「最後に焼いたあと、骨といっしょにそれが出てくるんやな。」とシュールな冗談をいう自分の口調が、とても死んだ父親にそっくりだな、って思った。



一応音楽ブログなので何か母親に関する歌を、と思ったのですが、どうも「家族」を歌った歌は苦手でね、なんとなく。
昭和の頃はやたらと、苦労をした、あるいは苦労をかけた母の歌が、平成のいつ頃からかは、産んでくれてありがとう、とか、いつか母さんみたいに、とか、やたら感謝っぽい歌が多いような気がするんだけど、そーゆー歌を聴くと、なんとなくどこかむずがゆいような感じがしてしまうんですよね。
あるべき正しい価値観を押しつけられてるみたいな、なんとなーく痒いような居心地の悪い感じがしてきてしまうのです。僕の感じ方のほうがひねくれているのは間違いないんだろうけど。
別に家族が苦手だっていいじゃん。家族が揃って愛に満ちていて、支えあって生きていく、みたいなのが幸せの理想像じゃなくってもいいじゃん。逆にそういう価値観を目指した結果、思うようにいかなくて崩壊寸前の家族がたくさんあるんじゃない?だいたい、そんな価値観を押しつけられなくったって切りようのない縁なんだからさ。

母親が出てくる歌で好きなのは、シオンのこの歌かな。

街は今日も雨さ / SION

都会へ出てギリギリの生活をしている男が、公衆電話から実家に久しぶりに電話する。
母親は静かな声でたった一言、「生きてなさい。」って言うんだ。
その言葉にあるどうしようもなく複雑な感情こそがね、薄っぺらな言葉じゃとても言い表せない深い愛情なんじゃないかって。





◇夏服を着た女たち

アーウィン・ショーの名作短編に「夏服を着た女たち」という作品がある。
舞台はニューヨーク。夫が妻といっしょに出掛けたときに、「夏服を着た女性たちを見るのが好きだ。」なんて言って、妻がすねる。夫はそんな彼女の心象にまるで気づかないまま、夏服を着た妻のことを「きれいな女だな。」と思う、みたいなお話だった。

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夏服を着た女たち / アーウィン・ショー

僕なら奥さんの前で、他の女のひとをきれいだと思う、みたいな話は絶対しないけど(笑)、いや、奥さん以外のどんな女のひとの前でもだ。仕事柄、女のひとと接する機会やご意見をお聞かせいただく機会はとても多いし、上司も同僚も女性比率がとても高いので、そーゆーことがいつの間にか身につきました。家庭内でも女2対男1だし。
そもそも女のひとは、誰だってそのひとなりにとても美しいというのは、ある意味当たり前のことだもの。なんていうとかっこつけすぎか(笑)。でも、ほんとうにそう思うんですよ。美しい美しくないには客観的評価が入るのでおいておくとしても、女のひとの考えること感じることには、正しい正しくないではなく一理ある、といつも思っています。

まぁ、そういうことはともかくとして。
夏服を着た女たち。なんていうかね、夏服っていう響きがなんかいいよね、って思うんですよね。
涼しげな生地のワンピースやノースリーブのチュニック、健康的なタンクトップに薄いショールとか、素足のサンダルとか、いいなって思う。いや、スケベな意味ではなく、涼しそうでさわやかで。
男なんて年中ワイシャツとスーツだからね、、、暑いんだ、これが。
ようやくネクタイなんていうわけのわからないものはしていなくても失礼じゃないという認識は当たり前になってきたけど(パン屋で配達の仕事をしてたときなんて、何度ネクタイとっちゃおうかと思ったこととか・・・)、まぁ相変わらずワイシャツ&スーツなんですよね。着る服考えなくていいから楽ではあるんだけど、なんでTシャツじゃだめなのさ。ほんとはランニングシャツに短パンとビーチサンダル&ねじりハチマキで行きたいくらいだけど(笑)、襟がないと、っていうんならポロシャツでもアロハでもええやんかいさ、と。
だいたいワイシャツ&スーツなんて、寒いヨーロッパの国のもの。日本の都会は亜熱帯だぜ?
昔、エジプトで着せてもらったガラベーヤという民族衣装はとても涼しかった。最初は下から風が入ってスカートはいているような気分がしたけど(笑)、風が通って、でも直射日光は防げて、とても理に適っていた。和服だってそうですよね。明治維新以降、西欧の文化を旺盛に取り入れていったことはよかったんだろうけど、和服が廃れてしまったのだけは残念だな。
最近はすっかり誰も言わなくなったけど、スーパークールビズのキャンペーンをまたどこかの政治家さんがやってくれないもんかな。
男連中が暑苦しい格好しているせいで室内温度は24℃、女性たちは寒くてカーディガン羽織ったり膝掛けしたり、、、なんてアホ臭い。そんなことで原子力で作った電気を消費すべきじゃないだろー、って、まぁほんとは自分が暑い嫌でクーラーも苦手だからなんだけど。



音楽歳時記「小暑」

7月7日、今夜はは七夕なんだけど、二十四節気では小暑。
梅雨明けがまだのこの時期、なかなか牽牛と織姫は会えないんですよね。本来の七夕は旧暦の7月7日なので今の暦なら8月半ば。その時期なら雨もあんまり降らなくて、宵の口には白鳥座が天の川にかかって、牽牛と織姫は年に一度の逢瀬をたっぷりと楽しめるのにね。
「小暑」というのは文字通り、「大暑」と比較してのこと。小さいというよりはLess Thanという意味合いでの「小」。いよいよこれからどんどん暑くなってきますよ、って時期だ。

今から30年も40年も前のことだから・・・今じゃ考えられないことだけど、実家にはクーラーという文明の利器が存在しなかった。真夏といえばシャツ一枚で汗だくで首にタオル巻いて過ごすのが慣れっこで、それでもやたら暑くてたまらないから、真夏の夜といえばいつも外で過ごしていたような気がする。
昼間の熱を帯びたアスファルトは夜とともに冷え始め、田舎だったせいもあるんだろうけど山から涼しい風が吹いてきてそれなりに涼しかったような気がする。
蚊に食われたり蛾を追い払ったりしながら、だらだらと何時間もツレと話こんだり、とても暑くてたまらないときは自転車でおもいっきり下り坂を飛ばして風を浴びたり。
田舎なりに遠くでチカチカ光る団地の灯りや、田んぼの中を貫ぬく幹線道路の街灯がきれいだったり。
牽牛や織姫みたいなロマンチックなことなんてなーんにもなかったけどね。

さて、そんな暑い夏の夜に似合う一枚ということで、これを。

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Volume One / The Honey Drippers

収録されている曲はすべて50年代後半~60年代前半のいわゆるオールドスタイルのロックンロールとリズム&ブルース。
ツェッペリンを解散して隠居同然だったロバート・プラントが、ジミー・ペイジやジェフ・ベックを呼んで、、、なんてことはこの際どうでもいい。このレコードにパッケージされているのは、そういうロック伝説みたいなものとは遠いところにある、青春の熱気みたいなものだと思うから。
ノリノリのレイ・チャールズの“I Got A Woman”やロイ・ブラウンの“Rockin' At Midnight”のゾクゾクするようなセクシーさ。甘ぁーくロマンチックな“Sea Of Love”。そしてベン・E・キングの“Young Boy Blues”のキュンとするようなせつなさ、たった5曲の収録曲をがぜーんぶかっこいい。
青春っぽいっていうか、とろけるような甘さも、胸締め付けられるようばせつなさも、熱く迸るようなドキドキも、ぜーんぶ制御できないような心の底から迸りだったり疼きだったりするようなね、そんな感じ。

いよいよクソ暑いド真夏へと向かう小暑の夜。
疼くような熱気をたまには思い出しながら、ロッキン・アット・ミッドナイト。



♪Sittin' On The Fence

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先週の六本木。
ライヴ前、ガードレールに座って缶ビール。
夏の夕暮れの風が気持ちよかった。
基本出不精なんで、明るい空や外の空気を感じるのはなんだかずいぶん久しぶりのような気がした。
いいもんだよね、夏の夕暮れ時。

♪ドアの前に突っ立って、通りすぎる女の子たちを眺めていた
なんて歌があったけど、ちょっとそんな気分だったかも。

Waiting On A Friend / The Rolling Stones

子供の頃は、けっこう外で遊ぶのも好きだった。学校帰りは毎日寄り道ばっかりしてた。
中学生や高校生の頃は、家にいると兄貴や父親や母親がうっとおしくって、やっぱりよく外でぶらぶらしてたな。

ストリートの上、といえば、思い出すのはこれだ。

Standing On The Street / ARB

それから、これ。

Sittin' On The Fence / The Roosters

フェンスに腰掛け、明るい空の下、
考えているところ
これから何をやろうかな。

こう蒸し暑いと、ビール飲むしかないな。
表へ出てもむんとした熱気。
もう7月だぁー。


♪東京散歩

東京へ行くときはできるだけ誰か東京在住の友人に会うようにしているのだけど、今回はバタバタしているうちに誰ともアポをとっている暇がなくって。
あー、そういや俺しょっちゅう東京行ってるけど、新宿近辺と上野近辺くらいしかうろうろしたことないなー、と思って、今回はいろいろ歩いてみた。

初日は山手線を新橋で降りて、汐留→築地→勝鬨橋で折り返して銀座→日比谷。日比谷公園ではアフリカ・フェスティバルっていうお祭りをやっていて、ゴスペルっぽいバンドが演っていた。そこでビール飲んですっかりいい気分になって、それから国会議事堂を横目に虎ノ門→東京タワーの見えるとこまで歩いてから六本木へ。
翌日は、地下鉄を半蔵門で降りて、千鳥ヶ淵→皇居の北の丸で日本武道館を見て靖国神社。カラスがいっぱいいて、しばらく観察してた。靖国神社のカラスって人に慣れてるのかな、全然逃げないんですね。
それから坂道を下って西神田→水道橋→お茶の水→秋葉原。ここまで来たんならってスカイツリーも見ておきたくなって、最後は隅田川を渡って両国まで。
いずれもニュースやなんかでしょっちゅう見聞きする地名ばっかりだけど、実際歩くと位置関係がよくわかる。これは、若い頃海外をうろうろしていたときによくやったんだよな。街に着いたらまず地図を手に入れてとにかく歩く。ブロックを越えるごとに街の表情が変わっていくのが楽しいのです。

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写真は、お茶の水の聖橋から秋葉原方面の風景。
この景色はいつか見てみたいと思っていたんだよね。
さだまさしの“檸檬”っていう歌に出てくるんだ。

食べかけの檸檬/聖橋から放る/快速電車の赤い色がそれとすれ違う

投げられたレモンは川面に落ちて波紋を広げ、主人公の恋人はその波紋の広がりを数えたあと、ため息混じりにこう呟く。
「捨て去るときにはこうしてできるだけ遠くへ投げあげるものよ。」
橋の上から高く投げ上げられたイエローの固まりが回転しながら落ちていくところへ赤い快速電車が通りかかる。ゴゥゴゥと音を立てて。そんなビジュアルが鮮やかに浮かんでくるこの歌の景色。「檸檬」っていうのは、もちろん梶井基次郎が一枚かんでいる。青春のもやもやを時限爆弾に見立てて丸善に置かれた、あのレモンだ。
お茶の水近辺っていうのは文京区っていうだけあって学生街なんですね。
「まるでこの街は青春たちの乳母捨て山みたい。」「ほら、そこにもここにも、かつて使い捨てられた愛が落ちている。」という主人公の恋人もしくは元恋人の言葉が、街を歩いてみるととってもしっくり来る。

食べかけの夢を/聖橋から放る/各駅停車のレモン色がそれを嚙み砕く

夢の行き止まり。青春の、なんともへヴィーな局面。
放物線を描いて川面に落下してゆくレモンに込められた、ひとつの終わり。
なんてブンガク的なんだ。
さだまさしの原曲はさすがにもっちゃりしていて70年代フォーク感が古くさくも感じてしまうけれど、例えばシオンあたりがブルージーに演ったりするとすげえかっこいいだろうな。
なんてことを思いながら、聖橋の上で、行き交う電車をしばらくずっと眺めていた。
電車についてはまるで詳しくないしまぁ詳しくなろうとも思わないんだけど、電車が行き交う風景っていうのはいつまでも飽きずに見ていられるものですね。
みんなそれぞれに行き先があって、ほんの少し交差して、それぞれの場所へまた去っていく。
そのちょっとせつない感じ。
人の流れにも似て。

と、ここまで書いて、「流れていくもの」への憧れが自分にはあるのかも知れないと思った。
今回の散歩のコースはなんとなく東京らしいところ、って考えただけだったんだけど、隅田川の河口から始まって、江戸城のお堀周りから神田川を下るコースは全部水辺なんですね。川の流れ。
それから音楽も流れていくものだ。
やってきて、ひとしきりなにがしかの感情を残して、去っていく。
流れそのものになるよりも、流れを眺めているのが好き。
そう思って後ろを振り返ると、自分もやっぱり流れてた。


♪6月24日六本木

さて、楽しかった週末の出来事をどこから話そうか。
あまりに楽しすぎて、言葉が見つからない。あるいは、どんなに言葉を尽くしてもきっと伝えられそうにない、というのが正直なところ。

きっかけは六本木のバー“Deuce”のマスター・サトシさんからkonomiさんへの一本の連絡だったそうだ。
「うち、またライヴやるんで、よかったらまずはやってくれないか、」って。
六本木一丁目にあるバー“Deuce”は、それこそ20人も入れば満杯の小さなハコ。建物も実際ボロボロで、オーナーが建て替えを考えて立ち退きが決まったそうで、ここでライヴをすることができなくなった、それが4年前。
ところが、オーナーが代わったとかで立ち退きの話は立ち消えになったんだそうだ。

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夕方5時ごろ。新幹線で東京に着いた僕は、“Deuce”の前で今夜の主役「めれんげ」のVo、Gでソングライターのkonomi氏とスタッフの花マロリンさんと11月以来の再開。まだ夏至を少し過ぎたばかりの明るい空。いつもは11月なんでこの時間はもう薄暗いんだよね。
そして、続々と集まってくる美しくもどこか個性漂うお姉さま方と一部お兄さん。みんなkonomiさんのブログでつながった仲間たちだ。なぜか女子率高く。
「野郎どもにもっと来てほしいんだけど。」と言いつつ、まんざらでもなさげなkonomiさん。
再開を喜びあうみなさん、それからはじめましてのご挨拶の方々。
konomiさんや花マロさんがハグして喜びあう姿を見ながら、僕は2011年の秋のことを思い出していた。
みんな、ここで出会ったんだ。
konomiさんや花マロさんはもちろん、今回は来れなかった波野井さんやezeeさんやmegumick、Miyaちゃんヒデソン氏、deguちゃんやシゲさん。今はどうしているやらのリュウくん。再開できたsaltちゃん、そしてバンドのメンバーのみなさん。それより前にお会いしていたのはOkadaさんくらいだもんね。
もう7年も経つんだ。konomiさんが最初にブログにコメントくれてからもう10年くらい経つんだ。いつの間にか「そういえば、いっつもいますよね。伊勢の方?」とか言われちゃうくらい、めれんげの東京ライヴはすっかりなくてはならない行事になっておりますが(笑)。

ライヴの第一部は、konomiさんとG.下村さんの二人での弾き語り。
いきなりの“東京ブギウギ”で始まって、ビートルズの“A Hard Day's Night”、RCの“あの娘のレター”、「ソウルバラードを演りまーす。」というMCで“My Girl”のイントロのあとに始まったのは“はじめてのチュウ”。下村さんの麗しいギターの見せ場“Till There Was You”のあとはルースターズを二連発。スライダースが来て、下村さんが歌うコーナーはまさかの永六輔中村八大“黄昏のビギン”に、続いてkonomiさんがまさかまさかの“ハッとしてGood”、ドラムの藤倉さんが歌ったのはサウスの有山節、あとなんだっけ、konomiさんのルーツであろうキャロルとクールスか。インプレッションズの“It's Alright”もあったっけ。
全部書いてたらキリないんではしょるけど(笑)、二部は基本めれんげのオリジナル名曲集。途中Alley NutsのKazさんとLillyさんをフューチャーしたブルース・コーナーがあって(ピアノの馬橋さんのヴォーカルもいい味!)、アンコールはチャック・ベリーに捧ぐ“Jonney.B.Goode~Bye Bye Johnney”。
たっぷり楽しみました。

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「やっぱりお客さんに楽しんでほしいからね。」って、ライヴがはねたあと酔っぱらったkonomiさんは言うんだ。
「こんな伊勢の田舎のバンドのために、みんな集まってくれる。俺たちが楽しいから演ってることなのに、チャージ払ってね。ありがたいよ。楽しんでもらいたいよね。」
「いつか、書いてくれてたやん、“めれんげの音楽は、お客さんが楽しんでくれて完結する音楽だ”って。ほんとそうなんだよ。」

土曜日演奏された曲は全部、カバーもオリジナルも全部、きっと具体的に「この人にこの曲を聴いてほしい」という意図があって選ばれたんだと思う。
天国のOnnzyさんへのスライダース、東京ライヴのきっかけになった清志郎へのリスペクト、バンドのメンバーのため、お母さんやお姉さんのため。若くして亡くなられた恋人のための“夏の朝5:20”は、亡くなられた小林麻央さんとダブって余計に泣きそうになったけど。
この曲を聴いて足を運んでくれたというジャズ・ヴォーカルのかずさんのための“星の隠れ家の前で”。めれんげファンのためにもはや欠かせない“ブルースは聴かせないで”と“シャララ”。それから若かりし自分自身へのためのキャロルやルースターズ。この日お誕生日を迎えられた初参加ちびさんのための“Happy Birthday”。
そういうところがね、konomiさんの一番の魅力なんですよね。
そして、そんな人柄が演奏にあふれている。
僕たちは、音楽だけじゃなく、音楽の形をした心を聴いている、受け取っている。
もちろん本人のために弁護しておくと、ただの優しい男ではない。
「ステージでイェーィ、ロックだぜー、なんて言っているけど、ほんとは暗いやつなんです、そこんとこわかってくれる方だけおつきあいよろしくー。」なんてMCをしゃあしゃあとのたまう人で、だからこそみんな頷けるし、一人一人「俺も」「わたしも」って思っちゃうっんだろうな、なんて。

とりとめもなく長文になりすぎました。
それからちょいと誉めすぎた(笑)。
たぶんだけど、土曜日の演奏は、本来のめれんげからすると70%くらいの出来だったんじゃないかと思う。
でもね、それくらいゆるいくらいが僕はけっこう好きだな。
ゆるくっていいから愉快に、でもだらだらではなく譲れないセンはちゃんとキープして、50過ぎるとだんだんそうやって、自分自身が楽しめることと目の前のあなたが楽しんでくれることの真ん中くらいで生きていけるのがきっと一番素敵なことなんじゃないかって思うんですよね。
っていうか、konomiさんたちとのおつきあいやみなさんとの出会いを通じてそう思うようになってきたって感じかな。

まだまだ先はもうちょっとある。
また笑顔でお会いしましょうね。



音楽歳時記「夏至」

6月21日、夏至。
太陽が最も北に寄り、北回帰線の真上までくる。すなわち、一年のうちで一番昼間が長い日。
北欧など緯度の高い国では夏至の日にはお祭りが行われる。日照時間が貴重なため、太陽は信仰の対象になるのだろう。古代からの太陽信仰と、キリストの聖人の祝日が重ねられる。イエス・キリストよりも半年早く生まれたと言い伝えられる聖ヨハネの日なのだそうだ。

そんなお祭りみたいにハッピーで踊り出したくなるような1曲目、“Jackie Wilson Said”から始まるこのアルバムが、夏至の日の一枚。

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St.Dominic's Preview / Van Morrison

ヴァン・モリソンの「セント・ドミニクの予言」。
聖ドミニクは、1170年にスペインで生まれたカトリックの修道士なんだそうだけど、その方がどういう方でヴァン・モリソンさんがどういうことを歌っているのかは、不勉強でよくわかりません、ってか、キリスト教の基礎知識がないので、訳していてもちんぷんかんぷん(笑)。
ただ、全体として聖なるものへの敬虔な思いや祈りや願いといったものが歌全体を通して歌われている感じはひしひしと伝わってくる。
中でも圧巻なのは11分にも及ぶ“Listen to The Lion”。
懐の深いゆったりとしたアコースティック・ギターで始まり、清らかにピアノが響く中で、天に響かせるように歌うモリソンの声は、やがてリズムのうねりとともに咆哮へと変わっていく。聴き終えた後には、魂をゴシゴシと洗われたみたいな、心地のよい虚脱感が残る。
続く“St.Dominic's Preview”にしても、軽快でフォーキーな“Redwood Tree”にしても、なんていうんだろうか、ナチュラルなグルーヴがすごく気持ちいいんですよね。安心できるというか、懐が深いというか、リズムのうねりとヴァン・モリソンの歌の滋味がなんとも味わい深い。この深みはやはり信仰の深さから来るものなのだろう。
そして、夏の夜風のような“Almost Independence Day”。

明日からは少しずつ日が短くなる。少しずつ短くなって冬至を迎えた先に再生が待っている。そんな一年のサイクルを人の一生と重ねながら、昔の人は人生の再生=生まれ変わり、転生を願ったのだろうか。


♪Search and Destroy

「大城直俊さんですね。署まで任意同行願えますか。」
ギターを抱えてスタジオへ行こうと扉を開けた途端、角から制服の男二人組が現れ、手帳をかざしてそう言った。
「え?何のことかよくわからないのですが?今から約束がありまして。」
「楽器演奏の合同練習ですね。その事でしたら問題はありません。」
「は?」
「駒田太郎さん、原達也さん、梨野亜里沙さん、みなさん署に同行いただいておりますから。」
「どういうことだ?」
「詳しくは署でご説明致します。ご同行をお願い致します。」
制服の男の口調は、丁寧だが有無を言わせない高圧的なところがあった。こういうのを慇懃無礼というのだろうか。この手合いは昔から苦手だ。
逃げるか?という考えが一瞬頭をよぎったが、やましいことなど何もない。同行する以外に選択肢はなかった。

思い起こせば、あの事件がきっかけだったのだろう。
2020年8月15日、東京駅、新宿駅、東京スカイツリーで同時に起きたテロ事件。合わせて2000人以上が死亡した大事件は、無事成功裏に終わった東京オリンピックでの覚めやらぬ興奮を嘲笑うかのように起こされた。オリンピック後に警備が手薄になることを待ち構えていたのだろう。インドネシア人を中心とするイスラム過激派の仕業とされたが、結局犯人は捕まらないままだった。
あれから一気に、一般市民への監視が厳しくなった。あらゆる主要駅の改札に検問所が置かれ、電車に乗るためには行列に並ばなくてはならないことなった。終戦記念日という日本人にとってとても大切な日に首都が狙われたということもあってか、そのことを多くの国民が支持をした。
やがて政府に批判的なコメントを書いたSNSのアカウントが次々と削除されはじめ、翌年の夏にはそのことに対して反対の声をあげた国会前でのデモの参加者たちが、テロ等準備罪で現行犯逮捕される事件が起きた。
そして、今のような密告社会が始まったのだ。

取り調べを経て、僕たちは書類送検されることになった。
罪状は、テロ等準備罪違反。
直接的な証拠として、先月のライヴで演奏したある曲のビデオが提出されていた。
イギー・ポップ&ストゥージースの“Search and Destroy”。この曲を一部日本語にして歌ったのが、テロ等を思想的に支援している、扇動的だとされたというわけだ。善意の人からの告発があったと警察は言っていた。
そんな意図などまるでない、僕たちはただ好きなロックを演奏しただけだ、という主張は受け入れられなかった。
取り調べの中では、僕が匿名で書いているブログの記事での、アナーキーやARB、セックス・ピストルズやクラッシュの記事までもが、反社会的であり暴動を扇動している思想の根拠とされたのだ。

結果的には不起訴処分となったものの、僕たちのバンドは解散せざるをえなくなった。
ドラムの達也は「ひどいめにあったぜ。だからパンクなんて今時流行らないって言ったんだよ。」とバンドを去っていった。ベースの亜里沙も「もう無理っぽいよね。」って。ギターの太郎だけは「あいつら、俺たちの演奏がかっこよすぎてムカついたんじゃね。」って強気なままだったのだけど、じゃあとりあえず二人で演ってみるか、ってライヴ・ハウスのマスターのところへ相談に言ったら、「警察から通達があってな、すまん、俺もこの店で生活していかなきゃいけないから、、、。」って。
そうか、あいつらそうやって人の心の弱さにつけこんで、人々を分断していくんだな。たかが若造のやることにもこうやって牽制球を投げ込んでくるのはそういうことなのか。
従うしかない一般市民は、お上のすることにモノが言えなくなっていく。
Search and Destroyと叫んでいた僕たちのほうが、探しだされ、ブッつぶされたなんて、くだらないジョークみたいだ。

マスターは「やっぱりあのときに、もっと反対しておかなくっちゃいけなかったんだ。」と悔いていた。
オリンピックが始まる3年前の2017年6月だったそうだ。当時の政権与党が、数の力に任せて強硬採決を行ったのだ。首相は「オリンピックを成功させるためには不可欠な法律だ」と主張し、「一般人が捜査の対象になることはほとんどゼロに近い」と発言していたのだそうだ。一部のマスメディアや野党は「戦前の治安維持法のように、政府が恣意的に運用できる」「言論の自由が侵害される」と主張してはいたものの、当時の国民はほとんど無関心だったそうだ。海外でも大きなテロ等が続発していたし、中国や当時の北朝鮮や韓国といった国々との関係も悪化していたためか、キレイゴトじゃやっていけない、反対する人たちはあまりにおめでたすぎるという風潮も強かったのだそうだ。その頃はまだ、国防軍はなく自衛隊と呼ばれていて、憲法には非戦を謳った9条というものがあったのだそうだ。
テレビからは、「この国を守りたいのなら、ともに戦おう」と勇ましい言葉で、国防軍の採用募集のコマーシャルが流されていた。

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“Search and Destroy” Iggy Pop & The Stooges


♪Life Goes On

「こないだ朝礼のあとで部長にこっぴどく怒られてさ、俺の朝礼の態度が悪いっていうんだよ。ふらふらしたり、壁にもたれたりとか、人の話を聴く姿勢じゃない、ってさ。いやー、そんな態度してたつもりないんだけど。」
メシ食いながら、おもむろにTがそう話しはじめた。
「うーん、そうかなー。そんな気になるようなことはなかったけど。」
「ま、確かに専務の話が長すぎて。出た、いつもの具体性ゼロのスローガンだけのハッパかけ!とか思ったのは確かなんだけど、だからってそんなの態度に出して反発するようなトシでもないしさ。でさ、ふと思い当たったの、俺、病気かもしれない。」
「は?」
「ちょっと前からなんとなく腰や背中が痛くってさ。どよーんと重い感じっていうの?そんなに筋肉痛になるようなこともしてないし、あ、これ運動不足でギックリ腰になる手前かな、なんて思ってたのよ。」
「前にギックリ腰やってたことあったわな。」
「でも、そのときの感じともちょっと違うんだよ。もっと重いっていうか。」
「ふむ。」
「2年くらい前にさ、亡くなったFさんって覚えてる?」
「あぁ、癌だったっけ。膵臓?」
「膵臓。」
「わかったときにはレベル4で、もう手のほどこしようがなかったって。」
「Fさんさ、倒れる前に、腰や背中が痛い、って言ってたんだって。」
「・・・」
「ひょっとして、俺もそれじゃないかって。」
「まさか。」
「な、お前、余命があと数ヶ月だって言われたら何したい?」
「えー、考えたことないな。旅行とか?」
「旅行ね。ま、ありがちだね。」
「ハイハイ、どーせありがちっすよ。」
「旅行なんて行ったところでさ、体調悪いのにそうそう海外なんて行けないし、日本中ならどこ行ってもおんなじじゃん。海があるか山があるかくらいの違いでさ、どこにだって国道沿いにチェーン店のファーストフードがあって、コンビニがあって。」
「そんなとこばっかりでもないだろうよ。」
「いやー、そんなもんよ。地元の名物です、なんて出された料理も原料はぜんぶ海外産だったりさ。」
「じゃ、お前は何がしたいんだよ。」
「俺ね、手紙を書きたいんだ。」
「手紙?」
「お世話になった人ひとりひとりに手紙を書くの。それを、死んでから投函してもらうんだよ。」
「それ、重くね?」
「いや、もっと軽いやつ。暑中見舞いみたいな。ハロー、その節はお世話になりました、そちらはいかがですか、こっちは天国で元気にやってます、また会いたいですねー、みたいな。」
「いや、重いでしょ、じゅうぶん。」
「そうかなー(笑)。」
「ま、とにかく医者へ行ってこいよ。」
「即入院とか言われたらどうしようか。」
「そのときはそのときで、しっかり養生するしかないしさ。」

ひとしきりTとの会話を終えたあと、僕はふとこんな歌を思い出していた。

逃げることもない、恐怖に向き合わなくてもいい。
君が無防備だって、人生はそこにある。
ある日そいつはやってきて、君はただ受け取ればいい。
君が予想もしないうちに、そいつは突然やってくるんだ。
そして、君もいつか逝く。
そのときになってわかるんだ。
人生は続いていくんだって。
君がいい奴だったか、それとも嫌な奴だったか、
正しかったか、間違っていたか、
そんなことは誰も気に止めやしない。
だって、それぞれの人生は続いていくんだから。
(Life Goes On :The Kinks)


レイ・デイヴィスらしいシニカルな歌。
77年の『Sleepwalker』だったっけ。結構好きなレコードだった。アコースティック・ギターのストロークのジャキジャキした音色がキンクスらしくって。
誰もがいつか逝く。僕だって。予想もしないうちに突然なのか、余命を宣告されてじわじわか、それとももうすっかり人生に飽きてしまって今か今かと待ちわびてか、或いはそういうことすら自分ではわからないくらいボケてからなのか。
どっちにしたってどうすることもできない。僕らはただその結末を受け入れることしかできない。
重いよ、ってやんわりと断ったけど、亡くなってから届くTからの手紙は、ちょっと読んでみたい気も少しするけどね。
でも、たぶんすぐに忘れてしまうのかもしれない。僕は僕の人生を、僕らは僕らの人生を生きるのにきっと忙しすぎる。
今までも何億何十億という命がこの世に生まれては消えていった。幾人かの近親者がその失われた命を惜しみ、でもやがて誰もがいつか逝ってしまって、誰の記憶にも残らない。そういうものだと思っておけば、それはそんなに辛いことでもない。そういうものだと思っておけば。

ちなみにTは、その週明け、検査を終えて普通に出社してきた。少し浮かない顔をしながら。
「軽い胃炎だってさ。薬出してもらったよ、きっちり2週間分。」

Life Goes On.
人生は続いていく。
Life Goes On.

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“Life Goes On” The Kinks

音楽歳時記「芒種」

芒種 (ぼうしゅ)は、「麦を納め稲を植う。芒ある穀類、稼種する時也」という言葉からの節季。
要は、種蒔きをする時節、ということですね。いわゆる田植えの季節。
田んぼには水が張られ、鏡のようにキラキラ光る。
その水鏡がずっとずっと広がっている。
はるか2000年3000年の昔から続く日本の初夏の風景。
米を主食とする民族にとって田植えというのはとても大事な行事で、失敗するとその一年、一族もろとも村もろとも食いっぱぐれてしまうことになるわけだから、成功のためには集団の構成員は好き勝手な行動は制限され組織されることになる。ルールが作られ、それを遵守することが尊ばれる。異端は排除される。日本的な生真面目さや集団のヒエラルキーは、そういった米作りにおける集団作業から発生しているのでしょうね。

まぁそういうことはともかく、田植え的生真面目さでなんとなく思い出したのがヒューイ・ルイス&ザ・ニュース。
きっちりと鍛練されたジャストでタイトなリズム、完璧なハーモニーのコーラス・ワーク。
そんなふうにプロフェッショナルな技術に裏打ちされているにも関わらず、どこかピュアな素朴なところが農耕民っぽい。
みんなで力をあわせてコツコツと努力を積み重ねた上で、最後はお天道様におまかせするようなフィーリング、っていうか。
メガ・ヒットになった『Sports』もポップでさわやかな『Picture This』も大好きなんだけど、それらに負けず劣らず大好きなのが、この『Four Chords & Several Years Ago』です。

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Four Chords & Saveral Years Ago / Huey Lewis & The News

ヒット曲を連発したクリサリスを離れてエレクトラからの94年のこのアルバムは、オールド・スタイルのロックンロールやR&Bの地味渋カヴァー集。
1曲めからジョー・ターナーの“Shake, Rattle And Roll”でご機嫌に始まって、サニー・ボーイ・ウィリアムソンの“Good Morning Little School Girl”やアラン・トゥーサンの“Mother In Low”、ファッツ・ドミノの“Blue Monday ”、ロイド・プライスの“Stagger Lee”といったブルースやニューオリンズR&Bの名作から、“Searching For My Love”や“Some Kind Of Wonderful”、“If You Gotta Make a Fool of Somebody”、“She Shot a Hole in My Soul”といった知る人ぞ知る名曲まで、泥臭くもポップでヒューイたちらしい陽気でのびのびとしたプレイが楽しい。
ポップ・ヒットを連発するよりもこうして好きな音楽をただ演りたいだけ、とでも主張するかのような、かつてのメガ・ヒット路線を拒否するかのような姿勢というか、このアルバムの演奏からは、オールド・スタイルのロックンロールやR&Bへのリスペクトと、自分たちの役割は大いなるルーツの継承だというような意志が感じられるのですよね。

ルーツへのリスペクト。ルーツの継承。
人々はそうやって、先人から受け継いだ文化を黙々と継承してきた。
その積み上げの先に今の僕たちの便利で快適な暮らしがある。
この歳になってようやく、そういうものの大切さがわかりかけてきた感じ、てっとこだろうか。



♪See The Sky About The Rain

電車を降りて駅を出た瞬間、空がピカッと光った気がした。
え、カミナリ?
まだ六月になったばかりだというのに。
それとも錯覚?と思う間もなく、また、まるで切れかけた蛍光灯みたいに青白くほんの瞬間光る。西の空の雲が反射する。どどどどどど、と地鳴りのような低い響き。そう思ってすぐに、実は地鳴りなんて聞いたことはないけれど、と思う。
あなたの心ない言葉で私は傷ついた、とLineのメッセージ。
そんなつもりなんてなかったんだ。いつまでたっても理解しようとしないあなたに少し苛立っていたのは確かだけれど。
そして、砂漠に水を撒くように不毛だと感じているのも確かだった。と思って、やはり、砂漠で水なんて撒いたことはないけれど、と思う。
再びの稲光と雷鳴、そして巻き上げるような突風。まるで竜巻のようだ、と思う。
竜巻ならば見たことはある。以前住んでいたマンションは向かいに線路があって、その向こうには川、そしてその向こうにずーっと田んぼが広がっていたのだ、たぶん甲子園球場数個分。四階のベランダから、田んぼの上で渦を巻きながら移動していく竜巻を見たことがある。甲子園球場にも行ったことがある。タイガースがスワローズに破れた試合だった。逆転打を打たれた投手へ、スタンドから容赦のないヤジが浴びせられていた。

雨が降るのだろうか。
そう思って空を見上げる。
そういえばそんな歌があった。
ニール・ヤングだ。“See The Sky About The Rain”、ビーチにキャデラックだかビュイックだかが突き刺さったジャケットのアルバムのニ曲目。

雨が降るのだろうか。
そう思って空を見上げる。
破れた雲、雨。
機関車が列車を牽引している。
僕の頭の中で汽笛が鳴り響く。
だだっ広い平原につっ立っているいくつもの信号機。
線路を転がっていく。
雨の降る空を見てごらん。
幸せ行きの人もいれば、栄光行きの人もいる。
失うばかりの暮らしに行き着く人もいる。
おまえの物語を、一体誰が語れるというのだろう。

そんな歌だ。
どうしてニールは、雨空を見上げて、平原をひた走る機関車を思ったのかいまひとつよくわからないのだけど、僕にはこの歌の機関車とあの田んぼを横切る竜巻がなぜかダブってしまうのだ。

やがてボトボトと音を立てて雨粒が落ちてきだした。
まるで彼女の涙のようにボトボトと。
彼女の涙は見たことがある。泣かせたのは僕だ。
肩に、服に、カバンに、雨粒がボトボトと落ちてくる。痛いくらいに大粒の。
もっと降ればいい。いっそ、もっと激しく、もっと激しく。
その雨を浴びながら、僕はまるであの日の打ちのめされた敗戦投手のようにダッグアウトへ帰るのだ。


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“SeeThe Sky About The Rain” Neil Young



音楽歳時記「小満」

5月21日は小満。
二十四節気の中ではかなりマイナーな存在ですが、「陽気盛万物稍満足す。万物盈満すれば草木枝葉繁る」、気候がよくなると、あらゆるものが生気に満ち、草木も生い茂る、というようなことがその意味するところ。ヴァーサイタルでポジティヴ、かつささやかな充実感に満ちているような言葉です。

昨日も今日も、雲ひとつないいいお天気。
さわやかで心地よい。
こんな抜けた青空といえばこのアルバムだ。

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Little Feat / Little Feat

スカッと抜けたさわやかなカリフォルニアの青い空。
そんなジャケットのイメージとは裏腹に、ドロッとくたくたなブルースがいっぱいつまっているこのアルバム。
よく見ればジャケットの青空の下には浮浪者がうろついている。
リトルフィートの音楽って、どこか抜けてるっていうか、ピュアっていうか、どろどろのブルースなのにどこか清々しさがあるのですよね。理詰めじゃない。ガツガツしてない。スキマの美学というか、いろいろがら空きなのになんとなく満たされた感じというか。
あるがままという感じ、或いは、足るを知るという感じ。
求めれば求めるほど、手に入らないことが苦しくなる。今あるものを見渡してみれば、実はじゅうぶんに足りている。
ましてこんないいお天気だもの。
ついつい飲みたくなって、昼間っからビールの缶をプシュッと。
あー、気持ちいい。

昔の人たちにとってもこの時期は、衣食ともに不自由しない、ある意味ささやかながらも満たされた、いい季節だったのだろうな。
小さく満たされる。
この歳になってくるとそんなに大きなことは望まない。
若い頃なら、こんないいお天気の日に出掛けもせずに家で飲んでるなんて、なんてシケてるんだと思っただろうけど、今はそうは思わない、というか、そういうのがむしろ楽しい。
いいお天気の過ごしやすい穏やかな日に、昼間っから酔っぱらう、そんな穏やかな幸せ。
小さく満たされる。
なにしろこんないいお天気なんだから。


◇唄めぐり

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音楽好きの人と話をしていると、意外と皆さん「新しい音楽」をちゃんとチェックされているんだなぁ、と感心することがある。
こちとら、すっかり時代から取り残されている。
90年代にヒップホップとグランジが主流になったころからすっかりついていけなくなってしまったからなぁ。
いや、ついていけなくなったというよりは、ついていく必要がないと思った、すなわち、自分が求める音ではないと思ったっていうのが正しい言い方ですが。
そういう自分が「新しい音」としてワクワクするのは、「古い音楽」なのです。
50年代、40年代のリズム&ブルースやドゥー・ワップ、モダンジャズになる前のジャンプ・ブルース的なジャズ、あるいはモダンブルースになる前の古いブルース、30年代や20年代のジャズ。なんていうのかな、人が歌を歌う、音楽を演奏する息吹というか、生の感情というか、そういうものがダイレクトに伝わってくるのが心地よい、という感じ。
そういう感じで古い音楽ばっかり聴いていると、古い日本の民謡なんかも実はとてもリアルに生々しさを感じる音楽であることに気づいたりする。若い頃は、日曜日のお昼にテレビでのど自慢大会なんかが始まったりすると吐きそうなくらい気分が悪くなったくらい、退屈な音楽だと思っていたけれど。

石田千さんの「唄めぐり」は、日本全国各地で歌い継がれている民謡を訪ねて現地を訪れた紀行エッセイ集。
3年以上にわたって訪れた土地は、北海道から沖縄まで25か所もあって、その土地土地で出会った人々とのさりげないふれあいや、土地のお酒や食べ物、風土や気候、歴史なんかが、淡々と綴られている。
ちょっとほわっとして、散文的な石田千さんの独特の文体から、いにしえの人たちが唄に込めた感情が、ふわりふわりと浮かび上がってくる。なんとなく自分もその土地にお邪魔したことがあるような気分になってくる。
取り上げられた唄は、佐渡おけさ、木曽節、こきりこ節、安来節、黒田節、会津磐梯山、こんぴら舟々、安里屋ユンタ・・・といった聞き馴染みのある唄から、宮崎県の刈干切り唄、熊本の牛深ハイヤ節、酒田甚句に秋田米とぎ唄なんていう耳にしたこともないものまで様々で。
現在残されているほとんどの民謡は、明治中期~昭和初期にかけて編集されたもののようだけど、そのルーツは実は様々。“こんぴら舟々”なんかは元々芸者さんが演っていたお座敷唄だったり、“刈干切り唄”は神様に捧げる唄だったり、広島の“壬生花田植唄”は一大イベントである田植えを祝うお祭りの唄だったり、“牛深ハイヤ節“はシケの時に風待ちの港で漁師たちが酒盛りをした騒ぎ唄だったり。“秋田米とぎ唄”なんかは、日本酒を仕込むときの米とぎの作業の時に歌われた労働歌だったのだそうで、歌うことがそのまま作業工程の時間を図るタイマーのような役割も果たしていたということだ。或いは歴史の伝承として歌われたアイヌの歌や、浪曲の要素を盛り込んで町のゴシップを歌いワイドショー的に発展していった河内音頭、重税に苦しめられた庶民の嘆きを歌ったものが多い八重山民謡など、読み進めていると民謡とひとくちにいってもその出自はずいぶんと多様であることを知る。
元々音楽や歌っていうのはそういうものなんでしょうね。ブルースのルーツが、プランテーションに縛り付けられた奴隷たちのフィールド・ハラーであったり、囚人農場で集団作業をするための労働歌であったり、酒場で憂さを晴らすための政治的な歌や、猥雑な歌であったみたいに。日本にもかつてそういう歌があり、そういう歌を必要とする暮らしがあった。そんなに昔のことじゃなく、少し手繰り寄せれば捕まる範囲の歴史の中に、そういう暮らしがあった。たくさんの人たちが、そんな暮らしの中で連綿とつないできた先に僕たちの今の暮らしがある。
石田さんは、そういうことを、現地の人たちとの交流や土地や風土のことを語りながらほんわりと伝えてくれるのです。

「安里さんの三線は音の粒がそろい、ひとつぶずつのあいだにこころのひだの濃淡がある。弦をたどる指は、さっき会った子どもたちのようにのびやかだった。声は空にのびて、たくさん語りあうよりも、手をつないで伝える情けのほうが、はるかに多かったころの時間と景色を見せる。」

「民謡のなにが好きときかれたら、一番は正直。うれしい、かなしい、たのしい、しんどい。嘘をつかなくてもいいし、恥ずかしがらない。広い景色を浮かべ、ほんとうのことばにさわる。からだぜんぶを使って歌うすがたに、気づかずおさえつけていた日々のふたがゆるむ。ほんとうだなあと素直になれる。」

石田さんの言葉のなかに感じたことは、本来音楽がもっていた機能のことだ。
つまり、こころを伝え、こころを共有するという、音楽の役割。
最近の音楽にこころがない、とジジイの戯言みたいなことを言いたいわけではない。商売を前提とした音楽の中にも素晴らしいものはたくさんあるし、僕は今の年ではまるでピンと来ない歌にもこころを震わせることができる世代がいることも承知しているけれど、まぁだいたいは既成のものをとっかえひっかえしただけの「ごっこ」なんだよな。結局のところ、つまらないなと思ってしまうのはそういう部分。もちろん古い音楽や、民謡を含むワールドミュージック的な辺境の音楽がすべて素晴らしいわけではなく、いつの間にかありがたがられて○○流、なんて型にはめられてしまったお師匠さんが伝承していくような類の民謡のほとんどはつまらない。僕が昔吐きそうになったのど自慢大会なんかもほとんどはそうだったんだろうと思う。
結局のところ、聴きたいのは、古い新しいに関わらず、魂を揺さぶられるようななにか、こころの底から歌い演奏されるなにかなんですよね。
そういうものと自分自身の気持ちがスコンとシンクロしたときのなんともいえない心地の良さこそが音楽の一番の素晴らしさなのだと思うのです。



音楽歳時記「立夏」

5月5日は立夏。
夏の気始めて立つ。
暦の上では今日から立秋までが夏。野山に新緑が目立ちはじめ、風も爽やかになって、いよいよ夏の気配が感じられるようになる時期です。

一年を一生と考えると、5月頃っていうのは思春期の入り口にあたるイメージがある。
すべてが初々しく、活気にあふれ。やんちゃでむこうみずで、その分、痛くてせつなくて。
あたたかい気候に誘われて表でやんちゃに遊ぶのもいいし、逆に明るい陽射しから逃げるように部屋に閉じこもっているのもそれはそれでよし。
そんな思春期のイメージと重なるのがRCサクセションのこのアルバム。
1980年、僕も思春期の入り口にいた。

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Please / RCサクセション

“モーニングコールをよろしく”とか“体操しようよ”みたいな、ちょっとかわいらしい、無邪気な歌がたくさん入っているんだよね。“ミスターTVプロデューサー”もどこか引きこもりの少年の呟きっぽくてなんとなく共感しちゃうし、“僕はタオル”みたいなぶっ飛んだ異色作も入っている。
それから、キョーレツなインパクトを持った“ダーリン・ミシン”、“DDはCCライダー”。その後ライヴの定番になった“Sweet Soul Music”や“いいことばかりはありゃしない”の影で、定番にはならなかったしベスト盤にも収録はされないけれど、いかにも清志郎らしいチャーミングな曲がたくさんあって。
どの曲にも、あの時期の清志郎にしか書けなかったような無邪気さがあります。無邪気であるが故の自信と、それを認めない世の中への不審と、それらがないまぜになってごちゃごちゃになって溢れだしてくるような。光と影、すなわち思春期。
それから、なんといっても“トランジスタ・ラジオ”だ。
5月の青く晴れ渡った空を見上げながら、タバコを一服。
そのとき、僕はいつでも屋上にいる。
内ポケットにはいつも、トランジスタ・ラジオだ。
君の知らないメロディー、聴いたことのないヒット曲、なのだ。
彼女が教科書を広げているときに、ホットなナンバーが空へ溶けていく。
夏が始まる。


Appendix

プロフィール

golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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51NacLGHbDL.jpg Musical Romance 81Jiymj05iL__SL1417_.jpg Ramblin Bob Amazing Bud Powell 1 I'm Jimmy Reed 91nimun-gdL__SX425_.jpg The West Coast Sessions 51N428T8D2L.jpg 71Y7cZxniBL__SL1098_.jpg Ella & Louis Chicago Bound アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション+1 51RNkrRkrKL.jpg ベスト・オブ・バディ・ホリー 51Y1W0GNK4L.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 51r1Jn3KysL.jpg 418FMPHEH8L.jpg 41BMZZ4644L.jpg 91gRh3dMZCL__SL1500_.jpg 41D5N5A2NPL.jpg 71rf2SLpdpL__SL1000_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 41D7S4CZWBL.jpg 41+QbmWm7aL.jpg presandteddycover.jpg clyde mcphater VERY BEST OF Man & His Music A1DhxQZCjXL_SL1500_.jpg marvin-fellow.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg The_Rolling_Stones-1964-The_Rolling_Stones.jpg Beatles for Sale My Generation: Deluxe Edition 51AcnSJcHyL.jpg 51bNj+ULpSL.jpg 51DHQC61ZWL_SX425_.jpg 41o9XeUuZjL.jpg 20 G.H. Live in Europe tomt 51cKCqaKQxL__SY355_.jpg 81DCRuSH25L__SL1500_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg MI0002782768.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg soulman_original_alb.jpg 51FGtOkImKL_SX300_.jpg west_side_soul1.jpg Beggars Banquet エヴリ・ワン・オブ・アス+1 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 71otoVzhCuL__SL1105_.jpg 413AMGT7SFL.jpg 51ds00OKe-L.jpg 616osu5m8iL_SX425_.jpg 305a1614.jpg 81pMwMtFveL__SL1345_.jpg 81f2DLVCzJL__SL1300_.jpg 51uOzyp+Z6L.jpg 71eG2rIxazL__SL1046_.jpg 51ZJJGM2ZZL.jpg Fire and Water 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg Fragile 715IJ+j9EuL__SL1131_.jpg Music Muswell Hillbillies 71ctdmsHsJL__SL1084_.jpg 71PD4tBKioL__SL1116_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 61XXWX6tmCL.jpg 61NAZCOWDDL__SL1100_.jpg セイリン・シューズ(紙ジャケットCD) 71eNbpCI6UL__SL1077_.jpg 511-tyxVUpL.jpg 91gT9fqhZ3L_SX425_.jpg I'm Still in Love With You 414HP65MBKL.jpg 51X8dY66CsL.jpg 愛と自由を求めて 51RXYQ9OO3L.jpg Takin My Time Closing Time There Goes Rhymin Simon 明日に架ける橋(紙ジャケット仕様) ひこうき雲 GP Moondog Matinee 716rGZASCKL__SL1425_.jpg 41SSP93BHWL.jpg 51zJyUc+r6L.jpg 51jCzIh4qRL__SS280.jpg 61-8DQVxWjL__SL1050_.jpg 61dZdC6t62L__SY355_.jpg 71aWAFuF6BL__SL1050_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 51JbSP69QaL.jpg 渚にて 5197RcTXXnL.jpg 81A5c2hHeyL__SL1425_.jpg 81qgW6uhF1L__SL1500_.jpg Born to Run Nils Lofgren 61BdFFiXniL__SX425_.jpg スネイクス&ラダーズ(ベスト)(紙ジャケットCD) ROCK 'N' ROLL 61ijQ7n04TL__SL1065_.jpg 31vqqUxOjnL.jpg 612tlGtI4sL_SX425_.jpg Malpractice c674c8d38b834d1a46f26cee2f0381b7.jpg 71f0CPCXaJL__SL1050_.jpg 71s7uOgUVBL__SL1092_.jpg 81-hcf-9GdL__SL1228_.jpg In Concert: Best of Pretender 3112T4QJV9L.jpg Equal Rights Songs in the Key of Life “1976” 6184mADL6LL.jpg Ronnie_Lane_-_One_For_The_Road_-_LP_RECORD-57899.jpg Brinsley_Schwarz_Surrender.jpg 51sDSqlWYbL.jpg マーキー・ムーン Ramones L.A.M.F. - The Lost Mixes Never Mind the Bollocks Here's the Sex Pistols マイ・エイム・イズ・トゥルー+1 New Boots & Panties 7139dYLoG8L__SL1050_.jpg 21EXZVPG4AL.jpg 51fnZ7zzuUL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 4129-Q6sVHL.jpg 61NLoHBAYAL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg Black Woman Chaka Briefcase Full of Blues 616WAJF3SGL.jpg 91U+8UJ1+vL__SL1500_.jpg 80 51Cm3YGmDQL.jpg 51JKKZA9W4L_SX425_.jpg 518Vq58mgUL.jpg 41VQXG3BFML.jpg 31V0AVW674L.jpg Long Run 71Y9bXH9D+L__SL1412_.jpg labour_of_lust_nick_lowe.jpg Into the Music London Calling マラッカ(紙ジャケット仕様) Rickie Lee Jones 81zR19Ga9VL__SL1079_.jpg 41cLeG0ZrFL.jpg The River Emotional Rescue THE ROOSTERS Woman and I...OLD FASHIONED LOVE SONGS(紙ジャケット仕様) RHAPSODY 41Tcvs70ZPL.jpg 51tRgx3mLgL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg Poet david lindley 91nimun-gdL__SX425_.jpg A00003808.jpg 800.jpg 51au3oRpDSL__SS280.jpg Heart Beat 61rH90dDhtL__SL1050_.jpg 71gHPyBVGqL__SL1050_.jpg lookout.jpg milk_hi.jpg 女の泪はワザモンだ!!<デラックス・エディション>(紙ジャケット仕様) Pipes of Peace 51QeHiRUz8L.jpg JOAN20JETT202620THE20BLACKHEARTS20I20LOVE20ROCKN20ROLL.jpg 62805277.jpg 71WCRrbfr5L__SL1500_.jpg 51YJOxD55iL.jpg 51SSVnYVsJL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 812JxniX3jL__SL1500_.jpg 41o+TOhThhL__SL500_.jpg 嘉門雄三 51wXhNgjs4L__SS280.jpg 510RsGZt0KL.jpg 71fefvSZXFL__SL1076_.jpg 71sCe7ReLUL__SL1273_.jpg Innocent Man 91nimun-gdL__SX425_.jpg 51ipQpNEBPL.jpg 51b+kbtwmZL__SX355_.jpg Uh-Huh (Rpkg) Learning to Crawl North of a Miracle 510NH8D9RTL.jpg 61gyVhU1QCL.jpg Ocean Rain インナ・ビッグ・カントリー<30周年記念デラックス・エディション>(紙ジャケット仕様) LIGHTS OUT 41uaexamSNL.jpg 819qdTNLMxL__SL1500_.jpg 616vZDe-wFL_SX425_.jpg 51Nh3RjwObL.jpg 31219QDNA0L.jpg Live in Italy YELLOW BLOOD(紙ジャケット仕様) 0831oyamatakuji.jpg 51xUBB5IDXL.jpg 51W5vbzNSoL_SX425_.jpg This is the sea Southern Accents Centerfield Rose Of England Poor Boy Boogie 51KQnRGfZkL.jpg 61P1R84YZTL.jpg THE仲井戸麗市BOOK 81xvZZeDEqL__SL500_.jpg 71uNe1yRlOL_SX425_.jpg 41BiuimcyaL__SL500_.jpg 71mWhnbZlBL__SL1045_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 51Uv2AegNJL.jpg Lone Justice Shake You Down 71qx7rhRauL_SL1247_.jpg Talking With The Taxman About Poetry 71PrfBnIAlL__SL1417_.jpg 51JC0ZVZ2JL.jpg 41FRDVE5HHL.jpg 51MCNZnwnYL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 41kyWjIskxL.jpg 61pfESgIsfL.jpg 51161GGhY3L.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 81341iLwJBL__SL1500_.jpg 41G391YlKQL.jpg 41H2ZNKB5BL.jpg RogerTroutmanUnlimited517753.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 71+LokGlumL_SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 51vj8mxfgpL_SX425_.jpg 61r6gn5Zw7L__SL1050_.jpg 81KoDrysvWL__SL1402_.jpg 81CONxXc05L__SL1425_.jpg MARVY Dream of Life 41P61852YRL.jpg First of a Million Kisses covers.jpg 51WXla6D4UL.jpg 51iMxsNHHpL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg MONKEY PATROL If I Should Fall From Grace With God Lou Reed NY アメリカ roy orbison mystery girl NZO.jpg tbirds.jpg ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 浮世の夢 51lOB6A0QuL.jpg 31TRAKHBS3L.jpg 41HETTEDKEL.jpg 61WRTiXKDxL__SX425_.jpg 71XidOygo4L__SL500_.jpg 71VhTv2GwpL__SL1079_.jpg 61GF12GYFTL.jpg 41CX6E9PEDL.jpg 29b546020ea0dffa61f19110_L.jpg thEJUVZLEV.jpg 71sLT+3QzeL__SL1000_.jpg 51EXCEcq9XL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 51Cu2Y3de7L__SS280.jpg album-worldwide.jpg 416RTFVCTCL.jpg 愛があるから大丈夫 71-OO+VcMTL__SL1400_.jpg STICK OUT 91nimun-gdL__SX425_.jpg Through the Fire 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg album-four-chords-several-years-ago.jpg Mitakuye Oyasin Oyasin/All My Relations king-cake-front.jpg 81nBa9cn4ML__SX425_.jpg 71mdoTOXk2L__SL1084_.jpg 51zRUTKe5SL__SX425_.jpg 51AeVTRTGL.jpg 51uHHCgmeUL.jpg New World Order Sound of the Summer Running 41PFEPPAEHL.jpg 615 61umgDYJ83L_SS500_SS280.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg Home Girl Journey All That You Can't Leave Behind 91nimun-gdL__SX425_.jpg 31ARJGY84EL.jpg 31BGVPYMTKL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 日々のあわ Soulbook 廻る命(DM008) 41mNSDBqy6L__SX355_.jpg Dance-With-My-Father-by-Luther-Vandross-J-Rrecords.jpg 81XonM-Wu4L__SX355_.jpg Okinawauta.jpg 41JYS3WjE6L.jpg 81DSuwZXaxL__SL1400_.jpg cover32.jpg 61gyVhU1QCL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg yjimage.jpg

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