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音の食卓〈豚汁〉


That's How Strong My Love Is / O.V Wright



はあぁぁぁ、なんともほっこりしてあったまるなぁ。
聴くたびにほっこりと落ちついた気分になってホカホカと温たまる気分になれるのは、サザンソウルの巨人、O.V・ライトさん。
サザンソウルというと暑苦しさと胃もたれするくらいのくどさが味わい的なところがあるけれど、O.V・ライトさんは、熱い心から溢れるような叫びや嘆きのこぶしはところどころに入りつつも、それが暑苦しさやくどさにつながらない程度にきっちりと抑制がきいていて、そのバランス感覚がいいよなぁ、と思うのです。
あおったり泣かせようとしたりしない分、まったり聴ける。

このあったまる感と、くどくならない一歩手前の脂身感は、例えるならば豚汁かなぁ、なんて思います。

一般的に豚汁に使うのは豚のバラ肉。
安い豚だと脂身のアクや臭みや出すぎてくどくなりすぎるんだけど、O.V・ライトさんの脂身にはそういうくどさや脂っこさが少ないんですよね。口に含むととろけるような、そういう脂身だと思う。
加えて、豚汁の脂っこさを抑えてくれるのは、濃厚な味噌とたっぷりの野菜だ。特に、ごぼうから染みでる旨みや、さつまいもから出る甘みは豚汁そのものをまろやかにしてくれるし、そのおいしさをしっかりと染み込ませてくれる里芋やこんにゃくなんかも実に素敵な存在感だと思うのです。


これは、ハイ・スタジオのバンドの魅力とかぶるところがある。
とてもいい頃合いでリズムを支えるティニー・ホッジスのギターとリロイ・ホッジスのベース。ちょっとモタり気味の味わいがあるハワード・グライムスのドラム。このタイム感は人力のリズムセクションならではだ。
このちょっと引き気味で包みこむようなバンドサウンドと、脂多めのO.V・ライトさんの歌声がほんといい感じでブレンドされて心地よいのです。
そこへ、おいしいところでぐいぐいと盛りあげていくメンフィス・ホーンズとウィリー・ミッチェル編曲のストリングスが入ってくると、もうたまらない味わいになるわけですね。
メンフィス・ホーンズのシャキシャキ感はレンコン、ストリングスの甘みはさつまいも、あぁ、完璧だ。



季節は初冬。
日に日に冷え込んできました。
豚汁&O.V・ライトで、まったりほっこりあったまりましょ。




音の食卓〈茶碗蒸し〉

具だくさんの茶碗蒸し。
お出しが効いたつるっとなめらかなあん。
中には、色とりどりの具材。
メインの食材にはならないけれど、副菜と軽視するにはあまりにも完成度高い、ある意味芸術的なメニューだと思う。

海老のプリッと感、筍のシャキシャキ感、百合根のホクホク感、しっかりおだしを吸った椎茸の旨み。
それからなんといっても茶碗蒸しに欠かせないのは銀杏だ。
最近は銀杏ではなく枝豆が入っているのも多いけど、あの独特の苦味とだし感のミックス感は茶碗蒸しでなきゃ味わえない。

昔は母親が蒸し器を持ち出して、茶碗蒸し専用の蓋の着いた陶器で蒸したりしてたけど、たまごにスが入っていたりして、、、正直、市販のカップ入りの方がおいしかった。
シンプルだからこそ奥が深く、微妙な分量やちょっとした温度調整が大切なこういうメニューは、やはりプロの技が勝るものなのだろうな。
娘は茶碗蒸しが大好きなんだけど、母親の話をしたら「茶碗蒸しなんか家で作れるんや!」との衝撃発言。
妻は「手間かかるわりには上手いことでけへん。あんなもんは買うに限る。」と開きなおっていましたが。

まぁ、それはともかく。
音楽で、プロとアマチュアで決定的に違うよなー、といつも思うのは、コーラスやハーモニーだ。
「声」というものは誰もが使えるだけに、ハーモニーやコーラスの美しさというのは差が歴然としてしまう。
例えばゴスペル・コーラス・グループのTake6。


Join The Band / Take6

この人たちのハーモニーの美しさっていうのは、本当になめらかで、茶碗蒸しのようにつるっとした口当たりと旨みがある。
このなめらかさ、まさに茶碗蒸しだねぇ。



このアルバムには、レイ・チャールズやスティーヴィー・ワンダーとの競演も収録されているけれど、メインをしっかりと立てながらも、メインディッシュにひけをとらない存在感を放っていて、その存在感も茶碗蒸しっぽい。
そして、具材。
ところどころでいろんな具材が個性を主張しながらも、最後までじんわりと残るのはたまごのなめらかさと出し感だ。
Take6の場合、その出し感のルーツはゴスペル。
黒人音楽のルーツに根差しているからこそ、しっかりと旨みがある。
具材のすべてがそのトータルの味わいを味わうために存在しているようなところも茶碗蒸しっぽいのだ。








音の食卓〈ビスケット〉

シュークリームのざっくりふわとろと対極にあるもの。
サックリと軽い歯ごたえのビスケット。

砂糖の甘みではなく穀物の持つ、噛むほどに湧きあがるような甘み。
子供の頃、今ほどおいしいスナック菓子がたくさんなかった中で、ビスケットは高級菓子だと思っていた。
森永のマリーとかチョイスとかムーンライトとか、ああいうの。
今食べてもやっぱりおいしいんですよね。
長く愛されてきた基本型だからこその深い味わいというか、シンプルだからこその無駄のなさというか。
あのマリーっていうネーミングはやっぱりマリー・アントワネットの「パンがないならビスケットを食べればいいじゃない」発言に由来するものなんだろうか。

ま、それはともかく。

なんとなくビスケットの雰囲気があるのがプリテンダーズのクリッシー・ハインドさんだ。

基本は質実剛健、シンプル&ハード。
「余計なモンなんていらないのよ。」と、小麦粉とバターと砂糖、牛乳、そういうシンプルな材料だけで焼き上げたビスケット。
硬派で庶民的、でもどことなく気品があるのですよね。
パンキッシュなシャウトをしてみても、どこかに英国由来のトラディションが感じられる。


The Pretenders Ⅰ / The Pretenders

プリテンダーズに関してはけっこう思い入れがあります。
82年~83年、高校1年~2年にかけての頃だったかな。
ベストヒットUSAとかFMラジオとかそういうものを手掛かりにいわゆる洋楽を聴きはじめた頃。
その頃って、どっちかっていうと長髪兄ちゃんたちの大袈裟なくらいのポップなロックが主流で、ジャーニー、フォリナー、エイジア、そういう奴ね。
或いはもうちょっとチャラチャラしたアイドルっぽいのか、お洒落っぽいのか。
もうちょっとハードにストレイキャッツやクラッシュになると、かっこいいとは思ったけどちょっとツッパリ臭がして、100%しっくり来たわけではなかった。
うーん、洋楽ってこんな感じなのかー、と思っていたところへ流れてきたプリテンダーズにビビッと来たのです。
「俺の聴きたいロックはこれだっ!」って。
友人たちもプリテンダーズについてはまるで知らず、「俺が自分で発見した」という優越感をなんとなく感じたのです。
誰かに教えてもらったのではなく自分で発見したお気に入りのロックバンド第1号。
ま、それだけのことだけど、高校生にとっては、そういうしょーもないことが大事だったのです。

最初に聴いたのはサードアルバムの「Learning to Crawl」だったけど、レンタルしてこりゃかっこいいぜーってなって、勢いでファーストとセカンドもレンタルして聴きまくった。
キャリアの全アルバムを揃えたのも多分プリテンダーズが最初だ。



今聴いてかっこいいよね。
シャープでハードで、粗っぽくて。
サックリした歯触りと、噛むほどに出る穀物の甘み。
当時は気づかなかったけど、ほんの少しミルクっぽい柔らかさがある。





音の食卓〈シュークリーム&紅茶〉

ほっこりしたいときは紅茶に限る。
普段よく飲むのは圧倒的にコーヒーなんだけど、コーヒーは毎朝一番の飲んで仕事へ出かけるせいか、どちらかというと覚醒用。
コーヒー飲むとタバコも欲しくなるし、どこか頭が冴えちゃうところがある。
なので、ほんとうにゆっくり寛ぎたいときには紅茶なのだ。
ただただ弛緩して、何にも考えない。
ぼぉーっとして、頭からっぽにして。

非常に個人的な意見なんだろうけど、そうやってほっこり飲む紅茶によく合うのは断然シュークリームだ。
なぜか紅茶を飲むとシュークリームが食べたくなるのだ。
高級なのでなくていい。
昭和っぽい黄色いカスタードクリームと、固いくらいのごわごわのシュー生地のやつ。
甘ったるいくらいのクリームが厚い生地とよく合って、その甘みの余韻を感じながら飲む紅茶がとてもおいしいのですよ。
こんなので至福を味わえるのだから、我ながらエコノミーだと思う。



この何とも言えないチープな至福に近い音楽は、といえば、リッキー・リー・ジョーンズさんかな。


Rickie Lee Jones / Rickie Lee Jones

どこか脆くて儚げなリッキーさんの声。
でもそれは、不安や心細さの感じとは違って、明るさや茶目っ気や無邪気さがある。気品や芳しさが漂う。

シュークリームの生地みたいにざっくりしながらもふわふわで、クリームみたいにとろっとして甘く、紅茶のように芳しくて、あとにはほっとした気分が残る。











音の食卓〈豚まん〉

腰痛回復後も、日々忙しくしています。
なので、昼メシはほぼコンビニ。
空いた時間にちょこっと買いに行って、ぱぱっと済ませる。
ただし、飽きる。
「うーん、唐揚げ弁当かー。昨日も食ったし。カップラーメンの気分じゃないし。おにぎり?サンドイッチ?うーん、いまいち決まらんな。。。」
そういうときは結局、豚まんになる。

ふっかふかの生地とジューシーな具材、それなりに腹持ちもいいし、惣菜パンやサンドイッチに比べるとコストパフォーマンスもいい。



ふっかふかでまぁるい豚まんを頬張りながら、「豚まんは何だろう?」と考えていると、なんとなくジョン・ベルーシの顔が浮かんできたのでした。
どことなく人懐っこくてチャーミングなフォルム、コンパクトでコンビニエンスだけど高いパフォーマンス。


Briefcase Full of Blues / The Blues Brothers

豚まんもブルース・ブラザースも、コンビネーションの絶妙さが魅力だ。
ふかふかの生地とジューシーな豚肉がジョン・ベルーシ。
圧倒的に主役級で豚まんが豚まんであるアイデンティティの部分なんだけど、生地と豚肉だけなら惣菜パンでもそこそこ旨いものがないではない。
そこをぎゅっと引き締めているのが、甘い玉ねぎやシャキシャキのタケノコで、そういう役割を果たしているのがダン・エイクロイド。
あの独特の低音ヴォイスやキレのあるハープ、これこそがブルース・ブラザースの魅力だ。



今日は何を聴きたい気分なんだろう?
どうにも気分がつかめないとき、なんとなく聴きたくなるのもブルース・ブラザーズなのだ。
重すぎず軽すぎず、適度な腹持ち感があって、聴き終わったときにはなんとなく気分があがってる。
そーゆーところも僕にとっては豚まんっぽい。



腰痛雑感

●優先座席あるある●

腰痛がましになってからしばらくの間、杖をつきながら出勤した。
杖をついてほぼ満員の電車で座席の前に立つと、ほぼ100%の確率で席を譲ってくれる。
なんだかんだ言っても日本人のモラルは高いよねぇ、と思うと同時に、こりゃ申し訳ないなぁ、と思った。
長い通勤時間でやっと座れたのに目の間に杖ついたジジイが来りゃ、そりゃ譲らざるを得ないよなぁ、本意であれ不本意であれ。僕だったら内心「優先座席行けや、ジジイッ!」とか思うんじゃないか、と反省して、そのあとは優先座席のあるほうへ行くことにした。

ところが、優先座席前で席を譲ってもらえる確率は0%だったのだ。

ハテ?
こりゃどういうことだ?

いろいろ観察した結果の自分なりの 仮説はこうだ。

最初から優先座席に座っているひとは

「なんらかの理由があって、とても座りたい人」
か、
「そこが優先座席となっていることすら気づかないほど周囲に配慮がない人」
のどちらか。

こういう分断というのは、あらゆる局面でありそうです。

自分さえよければに固執する人、情勢にまったく無頓着な人。

例えば今回の総選挙の結果にも、こういう分断が反映されているんだろうという気がする。


●体調を崩したときあるある●

体調が悪いとなるとすぐに、「薬飲め」「医者へ行け」という人たちがいる。
でも、医者へ行けばすべてがたちまち解決するわけではない。
医者というのはそもそも病を治す人ではない。
医者ができることは、病の状態を診断することでしかないのだ。

今回の腰痛であれば、医師はまずレントゲンを撮る。
腰椎に異常がないか調べるためだ。

椎間板ヘルニアでなければ、急性腰痛、簡単にいえば腰の筋肉の炎症で、これは施術や投薬では治らない。
治すのはあくまで時間の経過と自分自身。薬はそれを補助する役割でしかない。
いくら痛み止めを打ったところで、それは痛みを感じさせないようにしているだけで、それで体力の消耗を防いで自己治癒力を高めているだけのこと。

「特に骨の異常はありませんねー。」
「じゃ、何が原因なんですか?」
「正直言いますと、腰痛のメカニズムは、医学でもはっきりはわかっていてないんですよ。」
「?」
「まぁ、安静にしておくのが一番の治療法です。」

薬を飲んだり医者へ行ったりすればすべて解決するわけじゃない。

そう考えると、コロナ禍での病床不足というのも、じゃあ病院を増やせ、医師を増やせということよりも、ホテルや自宅で療養することを前提に、重篤化した場合にいかに迅速に対応できるかという体制作りをするというのはある意味理に適った方法なのだろうと思う。

そのアイデアがすんなり理解されないのは、庶民が「医者は病気を治す」と思っていること、また「薬を売りたくて」医療業界全体がそう思わせてきたことのしわ寄せなんじゃないだろうか。



とりあえず元気になったので、再結成ドゥービーズのご機嫌な曲でも貼っておこう。
音楽こそが俺の医者だ、っていう能天気な今日(笑)。



体調が悪いときというのは、動きも思考もスローペース。
普段は気づかないちょっとしたことに関心が寄ったり、そういう意味では体調を悪くするのも悪いことばっかりでもない。

なんて呟けるのも、ちゃんと治ったからこそ。
改めて健康に感謝して、またこんなことにならないよう注意しよう。

たぶんしないんだろうけど(笑)。











音の食卓〈焼きそばパン〉

通っていた高校は、高い丘の上にあった。
校門をくぐってから、200mくらいある登り坂を登らなくっちゃいけない。
毎日遅刻寸前で息を切らせて走り込む僕にとってこの校門の向こうの坂は、遅刻でいいやと諦めさせるには十分な存在だった。

坂の入り口、校門のすぐ手前には小さなパン屋さんがあって、学校の帰りにここで買い食いをするのは楽しみのひとつだった。

中でも記憶に残っているのは焼きそばパンだ。
ホットドッグ型のロールパンにスリットを入れてこんもり盛られたちょっとスパイシーな焼きそば。青のりと紅しょうがも乗っている。
80円のクリームパンやジャムパンを買うくらいなら、断然120円の焼きそばパンだった。

友人たちとしょーもないことを駄弁りながら焼きそばパンをかじる帰り道。
目の前のことで手一杯であくせくして、どーせつまんない大人になるんだと思っていた。

また○○先輩にしょーもないことで説教食らったわ。
ほっとけって、アイツ他に相手されてへんから俺らに偉そうにしよんねんって。
しょーもなー。
どーせ生きてても、そーゆーしょーもないことばっかあんねやろな。
ほんま、そやな。
もうちょいましな高校行けてたらな。
ショーライゼツボーテキかもな。
どーでもええわ。
あ、でも死ぬまでにセックスくらいはしときたいよな。
アホか、お前。
いや、でもそう思わへんか、まじで、女とやったら人生変わるらしいぞ。
そんなんないって。
だいたいお前と誰がしてくれんねん。
いや、この際誰でも。
じゃあ○子は?
いや、それは無理。

・・・そんな会話と焼きそばパン。

小遣いケチってジュースは買わずに水筒のお茶をグイッと飲み干す。



丘の上の校舎からは、町が一望できた。
屋上は立ち入り禁止だったけど、廊下の壊れた窓から出入りすることができた。
ちっぽけな町、どうでもいい日常。
さっさとそこから出て行きたかったけれど、その方法はわからなかった、というか、出て行く勇気がなかった。

そんな高校生活の一番の心の拠り所が、RCサクセションだった。


Please / RCサクセション

授業をサボって屋上でタバコをふかしたことはないけれど。
清志郎とチャボは、いつも心の支えだった。



この平凡で退屈な日々を良しとするには、僕は何もかも未経験過ぎた。

まだスタート地点にすら立っていないのに、こんなところで埋もれてしまうわけにはいかない。
だからこそここを出ていかなけりゃ。

そんなことばっかり思っていた日々が、焼きそばパンと重なる。




Long way home 〜YO2 その2〜

イタタタタタタッ!

腰に衝撃的な痛みが走ったのが先週の水曜日。

その前の週の木曜日くらいから、腰が張る感じがあってやばいなという兆候は薄々感じていた。
この予兆はたまにあるのだ。
そういうときは早めにコルセットしたり銭湯へ行ったりして回避するのだが、今回は超多忙の真っ只中で余裕がなかった。
それでもなんとかしのげたかなぁと思った水曜日に腰崩壊。

この前に重い腰痛をやらかしたのは三年半前の春だった。このときは一週間入院した。
オリンピックやワールドカップ並の腰痛周期というのはちょっと早すぎるんだけど。

そもそも普段の姿勢が良くないのだろう。
プレートの歪みが周期的に大きな地震を起こすように、姿勢の歪みが少しずつ蓄積して、疲れが溜まったころに爆発する。
ありがちなパターンでありながら、わかっていて無理をしてしまった。
無理をせざるを得ない状況だったからだ。

*

今回の腰痛は、痛みの範囲は狭いのだけど、局所的にめちゃくちゃ痛みがひどくて。
「く」の字に曲げた状態を「I」状にまっすぐにするときが特に痛い。
「I」状態をできるだけ維持するイメージは、水をなみなみと張ったコップをお盆に乗せてこぼさずに移動する感じで、少しでも揺れて水が波打つとイタタタタタタッってなってしまう。
このイタタタタタタッが来ると、エネルギーゲージがぎゅーんと減ってしまうことになる。
回復するまでしばらく動けなくなってしまうのだ。

木曜日は片付けるべき仕事があったのでとりあえず杖をついて出勤。金曜日以降テレワークできるよう持ち出し用の小型パソコンを持ち帰ることにしたのだけど。

この帰り道は地獄のようでした。
なにしろ小型といってもそれなりの重さはある。
普段の3分の1くらいの歩幅で一歩一歩ゆっくりゆっくりと足を出すのだが、パソコンの重みでバランスが狂う。落としちゃいけないのでパソコンを咄嗟に庇う。すると重心が崩れてイタタタタタタッ。。。
駅の階段でイタタタタタタッ。
電車が揺れてもイタタタタタタッ。
エネルギーゲージ空っぽ寸前で、最後の駅から家までの7〜8分の道のりをなんとか30分くらいかけて帰り着きました。

金曜日は寝たきりのままZOOMで3つの会議に参加、土日はひたすら寝て、ようやくだいぶ痛みがひいてきたところ。

*

こういう激しい腰痛になるたびに、あー、根本的に身体のケアをやらなくっちゃなぁ、って思うんだけど、痛みが退けば結局やらない。
そういう意味では自業自得だと思うんだけど。
そもそも持久力耐久力はあって些細な痛みに無頓着。無理がきく体質なんですよね。
無理がきくから自分で無理していることに気がつかない。
やがて体のほうは限界まで頑張ったあと、崩壊、というわけ。

でも、さすがにそろそろ方向転換すべきタイミングだろうな。
春になればアラフィフじゃなく還暦カウントダウンになる。
この十年くらいで心のケアはずいぶん上手になった。
次は身体のケア。
ちゃんと無理すべきときに無理できるためにも、身体も大切にしないとね。

って、今は思うんだけど。

やらなさそうだな(笑)。




(こぼれ話1)
エスカレーターはバリアフリーではないことを実感。

乗るときはまだましなんだけど、降りるときにドンッって体が前に放り出される感じになってバランスを崩すのですね。
そうすると立っていられないくらいの激痛が走る。
何度か痛い目を見て学習しエレベーターに変更したのですが、残念ながらエレベーターって遠い場所に多いんですよね。そこまで行くのが大変。

会社のエレベーターでは「開」になっているうちに出るのがかなり怖かった。体ねじったりできないからボタン押しながら移動なんてできないし、途中で扉閉まって挟まれたらと考えるとすごく怖かった。


(こぼれ話2)
立ち上がるときも杖をついて腰を垂直に持ち上げればなんとかなるんだけど、バランスを少しでも崩すと激痛が走る。
そうなってしまったらとにかくどこかに手をついて体重を支えるしかないのだけど、そこから先、どう動いても痛みが激しい場所を通過しないと立ち上がれない事態に陥ってしまう。

いかに体重の負荷を腰にかけずに体重移動するか、これはほぼ「地上ボルダリング」状態だ。

おかげでずいぶんと上手になったのだけど、こんなこと上手になってもなんの特もない。


(おまけの愚痴)
土日寝たきりで過ごした間のささやかな楽しみ、クライマックスシリーズ。

クライマックスシリーズなんておまけだからどーでもいいんだけど、あまりのしょぼさに余計に腰が痛くなった(笑)。

ああいう正念場では、本当の地力が試されるよね。

監督の言う「みんなで楽しく」はわからないではないが、結果的にこの一年、勝ったときになぜ勝てたか、負けたときになぜ負けたかを正しく理論化、教訓化できていないことがよくわかった。

残念だけどあの監督では来年も優勝できないどころか多分最下位だ。



なんてぼやきながら、

なぜ?を正しく理論化、教訓化できてりゃ、おんなじような腰痛を繰り返したりせんわな、と自分を嘲る。


*



ひと雨ごとに深まっていく秋。

四日ぶりにちゃんと湯船に浸かってお風呂に入って温まった。

トム・ウェイツがしみる。

明日くらいは一週間ぶりに酒を飲んでもいいくらいに回復してるかな。






音の食卓〈ロールキャベツ〉

スープに浸かってすっかりやわらかくなったキャベツに箸を入れると、中からは肉汁あふれるジューシーな挽き肉。
キャベツはお肉の旨みが外へ流れ出るのをしっかりと受け止めていて、外からのスープの旨みも中からのお肉の旨みの両方をいい具合に染み込ませている。

挽き肉をキャベツで巻いて煮る、なんて料理方法を誰が考えたのかは知らないけれど、お肉の旨みも野菜の旨みも両方バランスよくいただけるってのがいいよね。
アグレッシブなお肉とピースフルな野菜の絶妙のバランス。


Backstabbers / O'Jays

分厚くて脂多めでファットなリズムのソウルを、美しいストリングスやコーラスで包み込んだフィリー・ソウル。
その代表格のバンドがオージェイズだ。

渋い声で唸るエディー・リヴァートと、甘くて伸びのあるウォルター・ウィリアムスの歌のからみ、そこにケニー・ギャンブルとレオン・ハフによるストリングスやホーンによるアレンジが重なる。
リズムの太さやファンキーさはかなり脂っこくてパワフルで肉感的でありながら、美しいコーラスやアレンジがそういうただの肉っぽさを流麗華美なものへと引き上げている。

一見相反するような双方のベクトルが、双方の良さを共に引き立てているのが素晴らしいのですよね。
アグレッシブなお肉とピースフルな野菜の絶妙のバランスは、まさにロールキャベツ。





音の食卓〈クリームシチュー〉

子供の頃、母親の作るコーンたっぷりのクリームシチューが大好きだった。
ミルクたっぷり、ベーコンととうもろこしもたっぷり入っていて、じゃがいもがゴロゴロしてて、おかずになるくらいの満腹感があって。
兄弟たちがご機嫌でおかわりをねだるのは、母親にとってもすごく嬉しいことだっただろう。



肌寒い季節になってくると、あったかいスープやシチューが恋しくなります。
コーンたっぷりのスープや、じゃがいもや玉ねぎがゴロゴロ入ったクリームシチュー。

スープやシチューっていうのも、料理としてはかなり原始時代からあるメニューなんだろうな。
火を焚いて、お鍋でいろんな具材をグツグツ煮る。
いろんな具材からいろんなダシが染み出しておいしくなる。
家族や仲間たちと取り分けて食べるスープやシチューには、きっと食べ物から出る以外の旨みもプラスされていたはずだ。

じゃがいもの皮をむいて。
玉ねぎをザクザク切って。
ごろっとした鶏肉やベーコンをぶつ切りのままお鍋に放り込んで。

そんなお料理のBGMにぴったりの印象があるのが、ブッカー T & MG'ズのサウンドだ。


The Very Best of / Booker T & The MG's



てきぱきとスティディに事を運んでいくようなダック・ダンとアル・ジャクソンのリズム隊の上で、スティーヴ・クロッパーがトントンと包丁を捌く。ブッカー・T・ジョーンズのオルガンがこれをコトコト煮込む。

とりあえずの素材が旨みを出しあって、どんどんおいしくなっていくサウンド。
誰もが声高に主張せず、メンバーがそれぞれの音を聴きあう中から生まれてくるグルーヴとダシ感。
なんとなく、原始時代に焚き火を囲んで鍋を似たような感覚の音楽だと思う。
音を通じて交わされる気持ち。
食べることを通じて交わされる気持ち。



思えば、母の老化が急速にすすんだのは、誰かのための食事を作らなくなってからのような気がする。







Appendix

Profile

golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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