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音のパレット〈ピンク〉

音のパレット、今回のお題はピンク色。

昭和育ちのせいか、ピンク色は女の子の色である、という固定観念が埋め込まれてしまっていて、どうもピンク色に対する親しみ度は高くない。
優しくて品のある色だとは思うんだけど、一方で甘ん坊というか、媚びというか、見た目や損得勘定を優先して動くような取り繕ったあざとさみたいなものがピンク色の心理の中にあるような気がしてしまうのは、どこか幼少の頃にトラウマになるような経験があったのでしょうか(笑)。
自分にとっては、素直に受け入れにくいイメージの色ではある。

どこか、こういう優しくて甘い香りのする世界から一歩距離を置きたい気持ちがあるんだろうなぁ。
最初からピンク色に象徴されるような優しさや甘さで囲まれた世界に生まれ育ったのならよかったのかもしれない。
そういう甘い香りのする世界があると知りながら、実際はそうではない、もっとハードでタフな世界をくぐり抜けて自分を獲得してきたのに、今さらこういうピンクの世界なんて受け入れられないよ、という感じだろうか。
でもそれって、憧れへの裏返しなんだろう、ということにも薄々気づいてはいる。
張った意地を一枚脱ぎ捨てれば、メロメロになっちゃうのかもしれません。

ピンク色の優しく甘い香りのする音楽。
例えばこういうの。
聴くとメロメロのふにゃふにゃになります。


Once Upon a Summertime / Blossom Dearly

ブロッサム・ディアリーさん。
決して美形ではないし、美声でもない、めちゃくちゃ歌が上手いわけでもない。
でもなんだか惹かれるものがあるんですね、この人の歌には。
甘ったるくて気だるくて、でもなぜかどこか懐かしいような味わいがある。



ピリピリしたりイライラしたりしても、こういう角のないゆるさにかかれば、ピリピリやイライラがアホらしくなってしまうようなとこってあるよね。
解毒作用っていうか、悪を無力化するようなピンク色の効能。

匿名の誹謗中傷や罵詈雑言にさらされる僕たちの世界。
通りを歩いているだけで見知らぬ人からいきなり生卵を投げつけられるように角がギザギザと尖った言葉をぶつけられる。
そういう世界でうまくやっていくためには、ピースフルな溶解力を持ったピンク色が有効なのかもしれない、と思ったりもするのですよね。
世界平和とピンク。

でも、世界中がピンクだったら、やっぱりちょっとしんどいかな(笑)。








音のパレット 番外編 いろのうた12

“青い珊瑚礁”“赤いスイートピー”“白いパラソル”“ピンクのモーツァルト”、、、タイトルに色の名前がつく曲は枚挙にいとまがない。
“赤い風船”“赤いハイヒール”“黄色いさくらんぼ”“白いページの中に”“セクシャルヴァイオレットNo.1”“パープルタウン”“みずいろの雨”。
・・・パッと思い出すのは昭和の曲ばっかりですが(笑)。

「音のパレット」今回はちょっと休憩。
番外編として、色の名前のついた大好きな曲を、色鉛筆のセットっぽく12曲、集めてみました。


Silver / Echo & The Bunneymen
アルバム「OceanRain」より。
荘厳かつ華麗な弦楽楽団がキラキラと美しい。


Back in Black / AC/DC
圧倒的な存在感。破壊力抜群で、ものすごく頑丈そうな音楽だ。


Purple Haze / Jimi Hendrix
いわずもがなの名曲。爆発的なパワーと不思議な妖しさ。


Pink Cadillac / Bruce Springsteen
スプリングスティーン流のオールド・ロックンロールへのリスペクト。


Red Red Wine / UB40
赤いワインとブルーな気持ちを対比させた失恋ソングですが、歌詞とアンマッチなポップさが素敵。


Brown Eyed Girl / Van Morrison
“覚えてる?こうして一緒によく歌ったよね”。
シアワセ感いっぱいのかわいらしいラブソング。


Orange Crush / R.E.M
オレンジ・クラッシュ、っていうのは、ベトナム戦争で使われた枯れ葉剤のことらしい。


Big Yellow Taxi / Joni Mitchell
不思議な浮遊感が漂うジョニ・ミッチェルさん。アコギがかっこいい。


Greenfields / 矢野顕子
ほんわかと緑の草原の光景が浮かんでくる。


青い車 / スピッツ
青空の下で走り抜けていくような爽快感に少し混じるブルーな気分。


瑠璃色の地球 / 上白石萌音
これ、最近の超お気に入り。
原曲にあるちょっと押し付けがましいくどさがなく(笑)、素直でピュアな気持ちになれる澄んだ声。


Silver and Gold / Joe Strummer
ラストは、ジョー・ストラマーが亡くなる前にリリースしたアルバムの最終曲。
淡々と歌われる枯れた境地、渋い。



ローリング・ストーンズ“Paint It Black”
レッドツェッペリン“Black Dog”
プリンス“Purple Rain”
スパンダーバレエ“Gold”
ジョン・クーガー“Pink Houses”
プロコルハルム“A Whiter Shade of Pale”
ジェファーソンエアプレイン“White Rabbit”
クリーム“White Room”
ヴェルヴェットアンダーグラウンド“Pale Blue Eyes”
モット・ザ・フープル“Golden Age Of Rock'n'Roll”
サイモン&ガーファンクル“Leaves That Are Green”
小泉今日子“真っ赤な女の子”
PANTA“R★E★D”
ARB“赤いラブレター”
爆風スランプ“まっくろけ”
泉谷しげる“黒いカバン”
ブルーハーツ“青空”

・・・などなど、他にもいろいろと候補はあったんですが。
色っていうのは、イメージを伝える上で大事な要素である、と改めて思った次第であります。




音のパレット〈ゴールド〉

ゴールド。
金色。
イメージとしてはやはり、ラグジュアリーでゴージャス、そして高貴、という印象だけど、一歩間違えれば成金趣味の陳腐なイメージにもなる。
これ見よがしにゴールドの時計を散らつかせたり、金のネックレスをチャラチャラさせたり(笑)。
僕はそういう装飾品へのこだわりがまるでないので、そういうものの価値がまるでわからない。
それが自分らしさならいいんだけど、身につけるもので自分をより上に見せようという魂胆が見えてしまうと、なんだかうんざりしてしまうのです。
偏屈ですね(笑)。

さて、そんな金色の印象の音楽は、これです。


Avalon / Roxy Music

キラキラ輝く音世界、耽美的で退廃的な世界観。
一歩間違えれば、いけすかないキザ野郎なんだけど、すんでのところでそれが下品に映らないのが、ブライアン・フェリーさんのすごいところだと思う。
というか、このキラキラに輝く音世界の中からかすかに浮かびあがってくるくる高貴な雰囲気が、曲追うごとに確信的になっていく感じ、そんなあざとい手には騙されないもんねと用心していたにも関わらず、いつの間にかブライアン・フェリーの掌の中で弄ばれているような気分になるのです。
その弄ばれているような感覚、違和感がだんだん快感になっていく感じ、あぁ負けましたって感じがなんともいい(笑)。



ベタですが、この“More Than This”の、黄金色の夜明けのような輝かしさ。
すごいね。

最初に聴いた高校生の頃はこの良さがまるでわからなくって、なんだかヌメヌメと気持ち悪い音だと思ったのだから、まったくガキだったんだな。
で、この『Avalon』の心地よさに目覚めてからロキシー他の作品を聴いてみたんだけど、それはいまいちしっくり来なくて。
なんだろう、やっぱりリズム隊の心地よさだろうか。
スムーズでありながら、ただ流れていくのではなくはっきりと意思のあるリズム。

催眠と覚醒が同時進行するような不思議な感覚。
その確かな煌めきと、心を流れるままに落ち着かせる確かな存在感。

やはりこの音楽はゴールドだ。
チープな金ぴかではなく、高貴さの漂うゴールド。

このアルバムの良さに突然目覚めたように、ある日突然、金の装飾品を身につけるようなことがあるのだろうか。
うーん、ないな(笑)。
ゴールドの煌めきや確かな存在感は、自分にはあまり似合わないもの。
これみよがしに金の時計をチャラチャラさせるより、心の見えない場所にこういう金色を少しだけ持っておくのが素敵なような気がするのです。






音のパレット〈イエロー〉

イエロー。
真っ黄色。

基本的には明るい色だ。
刺激的な色、テンションを上げる色。
ただ、オレンジや黄緑なんかと比べたときに、ちょっと押し付けがましいところがある。
安らぐ色ではない。
例えば、部屋の壁がすべて真っ黄色だったら、とても落ち着けない。
躁状態というか、どこかぶっとんでいて、何かが過剰で、うっすらと狂気を孕んでいるような感じもある。


さて、そんな黄色の音楽といえば、これだ。


Never Mind The Bollocks /Sex Pistols

ジャケットの真っ黄色に引っ張られている感もなきにしもあらずですが(笑)、このレコードにある破壊力やぶっとんだエネルギー、躁状態的明るさは、僕がイメージする真っ黄色そのものだ。

えげつないほどぶっとんでいて、どこかが過剰。
ガハガハと高笑いをしながらマシンガンを連射するような狂気を孕み、毒っ気たっぷりに悪態をつきまくるジョニー・ロットン。
自らをデフォルメしてキャラクター化させて、それを嘲笑うようなユーモアも含め、その圧倒的な存在感が気持ちいい。

彼らのユーモアは、世界があまりにもアホ臭いから笑い飛ばしてやるというメッセージであり、そのことで教条主義的世界観から開放されて自由になることを志向している。
その表現スタンスっていうのは、世界中を真っ黄色に塗りつぶしてしまうような感じではないかと思うのだ。



このツバを吐きまくってわめきちらすヴォーカル・スタイルは、今の情勢では完全にアウトだな(笑)。

コロナ後の世界は、より衛生的に過敏で潔癖になっていくとすれば、こういう毒っ気のあるものはより排除される方向へ向かうのだろうな。
でも、毒や狂気というものは、本来的に排除すべきものではないはずだ。
ウイルスはなくならない。
共存していくしかないのだ。
自粛警察なんていう過剰反応が話題になったけど、生き物は本能的に外敵をシャットアウトし攻撃しようとするものだから、その恐怖はわからないではない。
でも、そんなのは正義でもなんでもなく、恐怖心垂れ流しなんだ、ということを自覚すべきなのだと思う。
どこからどう見ても非のうちどころがない完璧な人格者なんていないように、人は誰もどこかが欠落していて何かが過剰だ。その過剰と欠落を自覚しない人たちは、他人へも潔癖を求めようとしてしまうのだろう。
だから、まずは自分の中の毒や狂気を、ちゃんと見つめて受け入れた方がいい。
ウイルスはなくならない。
毒や狂気をあるものとして受け入れた方が、生きることはかなり楽になるのだけれど。

ピストルズの音楽は、毒や狂気をわかりやすくデフォルメして可視化してくれている。
こういうえげつなさや汚さや破壊への欲求は自分の心の中にもある。
そのことを知ることではじめてそれを制御することができるのだと思う。

「黄色」のテーマからずいぶん話がずれてしまったけれど、黄色が持つ刺激やテンションの高さやユーモア、エネルギーの大きさや過剰さは、時には大きな推進力になる。
重たい気分がなかなか拭えないこのご時世だからこそ、たまには真っ黄っ黄でぶっとばすのもありだ、と思ったのです。




“大好きなヴォーカリスト4人あげてください”

回ってきたバトンはつい拾ってしまう。
大阪弁でいう「いっちょかみ」。
お題があれば乗ってしまうのは、大喜利的宿命なのだ。

古くからのブロ友meguさんからの「大好きなヴォーカリスト4人あげてください」というバトン。
好きな歌い手はたくさんいる、楽勝だー、と思って選びはじめて、案の定困ってしまった。

そもそも「ヴォーカリスト」とは?

例えばジョン・レノンは大好きだけど、「ヴォーカリスト」かというと違う気がする。
ジョンの魅力は、歌い手として以上に、作り手、表現者、アーティストトータルとしての魅力の方が強いと思ったのだ。
デヴィッド・ボウイやボブ・ディラン、ニール・ヤングや忌野清志郎もそうだろう。

ライ・クーダーやザ・バンドのリチャード・マニュエルやリック・ダンコ、リトルフィートのロウエル・ジョージなんかも歌に味わいがあって大好きだけど、彼らの歌は「ヴォーカリスト」というよりも、楽器演奏者としての魅力と地続きだ。

では、自分のイメージする「ヴォーカリスト」とはどんな感じかというと・・・

1・基本、楽器を演奏しながら歌わない

2・圧倒的な歌唱力

3・どんな歌も歌いこなし、その人なりの歌にしてしまう強い個性


・・・と、こんな感じでしょうか。
つまりは、自分の体を楽器として鳴らせる人、というのが、僕が思う「ザ・ヴォーカリスト」像。

この定義で絞って選んでみた結果、こうなりました。

●チャカ・カーン
アメリカ代表、アフリカ系代表、女性代表。
あの大きな口から溢れる迫力ヴォイス。
どこまでも伸びていく声量。
ソウルやファンクはもちろん、バラードもジャズも歌いこなす幅の広さ。
たぶんハード・ロックとか歌っても様になるんじゃないかと。
さらに、例えばニーナ・シモンみたいな意識高い系のハードル高さやジャニスみたいな近寄りがたさもなく、セクシーかつチャーミングな存在感。
すべてが圧倒的。

曲は、重心が低く匂いたつようなファンクなやつを。




●ロッド・スチュワート
イギリス代表、アングロサクソン代表、男性代表。
チャカと同じく、ロックもソウルもスタンダードも歌いこなす幅の広さ。
若い頃のやんちゃさも、歳食ってからの枯れ方も、ジェフ・ベック・グループ~フェイセズ時代も、ちゃらいディスコのノリも、あざといくらいの「アメリカン・ソングブック」も全部かっこいい。

こちらはチャカとのデュエット・ナンバーを。




●夏川りみ
日本代表は、少し趣を変えて。
この方も、何を歌っても自分の歌にしてしまうのですよね。
歌謡曲、演歌、民謡、フォークから童謡、唱歌まで。
透き通った伸びのある声、シャウトや裏声ではなく地声でどこまでも伸びていく感じがすごいのです。

曲は、敢えてこれを選んでみた。
はっきりとした日本語の発声がとても心地よいです。



さて、4人め、誰にしようかといろいろ考えたんですが、、、

やっぱりこの方だな。


●ミック・ジャガー
ミック・ジャガーのヴォーカリストとしての凄さは、ストーンズやソロよりも、客演での存在感の凄さにはっきりと現れます。
古くはカーリー・サイモンとの“You’re so vain”、ピーター・トッシュとの“Don't look back”。ボウイとの“Dancing in the street”にピーター・ウルフの“Pretty Lady”。
なんせバック・ヴォーカルなのに主役を食いまくっちゃう。
一聴してミックとわかる声質、その声のアクの強さ、存在感、僕が今さら言うまでもないことですが、すごい人です。

ピーター・ウルフとのこれをぜひ聴いてみてください。
後半の熱さがたまらんです。




という訳でどうにか4人選んでみたものの、「大好きな」ではとても選べなかったので、ある基準をひいて引っ張り出した感じですね。



ブックカバーチャレンジ

FBで「ブックカバーチャレンジ」なるものが回ってきた。
要は7日間続けて本の画像をアップせよ、とのこと。
本についてのコメントは不要なのですが、がっつり書いたのでこちらにも転載しておこうかと。
7日分まとめてなので長いよ(笑)。


ブックカバーチャレンジ1日め。



本を読むのは大好きというか、日常の一部です。
どれくらいかというと、年に100冊は読んでいる。
二週間に一回は図書館で10冊くらい借りてきては毎晩かわりばんこにパラパラ読んで。
ただし、内容はまるで覚えていない。あ、それって、読書家というよりはただの活字中毒やん(笑)。

ブックカバーチャレンジは、読書文化の普及が趣旨ということなので、一冊めはこの本にしよう。

池澤夏樹
『海図と航海日誌』


優れた書評家でもある池澤さんが、読んできた本を通じて文学を語る中で、自らの半生をうっすらと描き出した作品。
池澤さん自身の言葉を借りれば「その航海が運んだ貨物を無視して海図と航海日誌の側面だけを振り返ってみた」もの。とはいっても、単なる読書感想文ではなく、独特の分析的かつ冷静な切り口で、言葉や文学の持つ意味が語られている。

この本の序章で池澤さんは本を読む意義について「日々の糧と回心の契機」であると述べている。
ある本と出会うことで時には人生の方向が変わることもある。
そういうきっかけとしての本。 これが「回心の契機」。
しかしだからといって、人は人生を変えるために本を読むわけではない。
肉体が空気や食物といった外部のものを取り入れて吸収して自身を維持しているように、精神も同様の代謝を必要としていて、人は外界からの情報を得ることで自身を維持している。
そういう意味で読書は「日々の糧」なのだ、と。



ブックカバーチャレンジ、2日め。



趣味は読書と音楽鑑賞です。
そう書くといかにもありきたりですが、実際そうなんだから仕方がない。
本も音楽もいわゆる「日々の糧」。
ステイホームな毎日が続いたとしても、本と音楽があればだいじょうぶだ。

音楽は当然聴くものですが、音楽について語られたものも大好物です。
アーティストの自伝や人物評、レコードガイドと音楽関係の本もいろいろありますが、データがずらずらと並んだバイオグラフ的なものよりも、その人と音楽との関わり、人生と音楽との関わりが垣間見えるものが読んでいて楽しい。

ということで、2冊め。

山川健一
『ハミングバードの頃』


『ブルースマンの恋』『彼が愛したテレキャスター』と並んで東京書籍から出ていたCD付きのシリーズ。
山川健一さんは、高校生~大学生にかけて一番よく読んでいた作家で、山川さんの世界観やロック観には当時けっこう影響を受けたと思う。
文章力は今のブロガーとそう変わらないんだけど、そこが逆によかった。

高いところから世間を見下したり斜めに見たり、穴蔵のような場所から妄想を書くのではなく、同じような場所で、同じような目線で、走りながら書いている感じ。
同じようにロックが大好きな、テキトーでいいかげんでやんちゃな兄貴分。
そういうところに共感したのだと思う。



ブックカバーチャレンジ3日め。



藤原新也
『印度放浪』


すっかり角が丸くなってはげかかったこの本。
高校生の頃、初めて読んで、もの凄く衝撃を受けた。
その写真の一葉一葉、文章の一行一行が突き刺さるように飛び込んできて、ある種の思考を強要してくる。
俺は自分を捨ててインドへ行ってこんなことを体験してきてこんなことを感じてきた、さぁ、オマエはどうなんだ、オマエは何者で、何をするんだ、と、若き日の藤原新也が喉元にナイフを突きつけるように迫ってくる。
その感覚を今もよく覚えている。

「一年浪人して勉強したら関関同立くらいは狙えるんじゃないか」という担任の言葉を振り切って京都の小さな大学を選んだのも、大学を出てとりあえずパンメーカーに潜りこんだものの、とっとと辞めてバックパックで海外をうろついた挙げ句に三年も無職生活をすることになったのも、そういう選択をした背景には間違いなくこの本の存在があった。

そういう意味でこの本は「回心の契機」だったわけだ。




ブックカバーチャレンジ4日め。



このバトンを回してきたKくんは、大学の落語研究会の部長でした。
僕も落研にいたわけですが、そのことはあんまり社会に出てから公表していないのです。
落研というと必ず「小咄やってくれ」と求められるから(笑)。
で、そういうのがウケたためしはない。
なにしろ在籍4年間でせいぜい3つくらいしかネタを覚えなかった怠け者。
落語についても、まったく詳しくないのです。

でも、落語は大好きなのですよ。
ひとりで複数のキャラを演じ分け、言葉と仕草と表情を緩急自在に操って聞き手を別世界へ運んでいく芸。
演者によってテイストがまるで変わるし、ガチガチの古典踏襲でもなく時代に合わせて新しさも取り入れられるし、実に奥が深い。
おもしろいという言葉にはただ楽しいということ以外に興味深いという意味が含まれるけど、まさにそれだ。
英語で言うfunやamusingではなく、interest。
いや、funもamusingもinterestも全部あると言うべきか。

さて、本の紹介。

中島らも
『らも咄』


中島らもさんによる創作落語集。
ベタベタな笑いに潜む、らもさんらしい毒やブラックユーモアがいい。
何よりそのフェイク感が中島らも。
ほんとは『米朝上方落語全集』や『らくごDE枝雀』といきたいところですが、4年間で3つしかネタを覚えなかった自分にとっては、このフェイク感がちょうどいい。



ブックカバーチャレンジ5日め。



interestといえばこの方。

佐藤雅彦
『毎月新聞』


日常どこにでもある、気がつかなければそのまま普通にやりすごしてしまうことの中に潜んだ、なんともいえないおかしさやおもしろさ。
全然違う角度からそんなものを見つけてきては「これってなんだかおもしろい!」と思えるセンス。
佐藤雅彦さんの、世の中のちょっとヘンなことを見つけだすセンスはピカイチだ。

世の中には、「なんだそりゃ?」「なんでそんなことになってんの??」みたいなことはたくさんある。
いちいち怒っていたらキリがないし、だからといって見て見ぬふりをして「世の中こんなもんだからさ。」なんて斜に構えてしまうのもつまらない。
そんなときは、そのおかしな光景を笑ってやるに限る。



ブックカバーチャレンジ6日め。



読書の目的は幾つかに分類することができる。

まずは知識を得るための読書。
ハウツー本や新書なんかはそういう役割。
そして単純にエンターテイメントとしての読書。
ミステリーや推理小説、時代小説など、プロットとストーリーを楽しむもの。
それから、感情をなぞって共感を得る行為としての読書。
小説や随筆のほとんどはここにあたるのだろう。

若い頃は、共感できる小説や随筆を読むのが好きだったけど、この歳になって改めて知識欲が湧いてきたというか、歴史や科学などを解りやすく教えてくれる本を選ぶことが多くなってきた。
知らなかったことを知っていくということが単純に楽しい。

しかし、ただ聞きかじりたいだけの所詮は素人。
専門書的なものになると当然重くて消化できないわけで、専門的な研究で得た知見を素人向きにおもしろおかしくかみくだいてくれる本がありがたい。

例えばこういう本。

松原始
『カラスの教科書』


著者は大学の助教授で、博物館での研究員の傍らでずっとカラスの研究をしているらしい。
とにかく随所に現れるカラス愛が素敵。
だからといってべったり持ち上げじゃなくって、時には学術的な視点でクールに、時にはあほくさいくらいのカラス愛まるだしで、そのバランス感覚がとても好感が持てるのです。



ブックカバーチャレンジ7日め。



いろいろな本をたくさん読むけど、寝る前なんかに何も考えずに落ち着いて読めるのはやはり随筆だ。
日々の些細な出来事の中のなんらかの心の動きを書き連ねた中に、ほわっと人生の機微が垣間見える。
理屈じゃなくそういうものをふわっとゆるーく感覚的に受けとる。

随筆は女性の書くもののほうがやわらかくて馴染みやすく深みがある。
須賀敦子さんの美しい文章や、江國香織さんのちいさくきらっと光る感じ、ちょっと不思議な感覚の小川洋子さん、バイタリティーあふれる平松洋子さん、好きな作家はたくさんいるけど、一番印象が強いのはこの方。

武田百合子
『ことばの食卓』


戦前の子供時代の思い出すら、その情景が目に浮かぶほど子細に描かれ、微妙な心の動きまで手に取るように伝わってくる。
描かれたエピソードはどこか少し不穏で、しかし結末はいつも説教くさくまとまらず、ふわぁっと宙に投げられたまま締めくくらずに終わる。
そのなんとも奇妙な感覚が不思議に心地よい。

僕は理屈っぽいけど、やっぱり理屈よりも感覚が大事、なぜなら・・・と理屈っぽく考えています。




音のパレット〈深緑〉

5月、初夏。
さわやかな季節。
この時期のイメージはやはり緑だ。
青々と映える新緑。
たおやかに繁らせた枝と葉を、太陽の光のあたる場所へ伸ばしていく。
あの深い緑の中にみなぎる生命力。
人間の世の中ではいろいろあるけれど、植物たちはそこにある環境の中でいかに生きていくかということだけに一所懸命で、そのシンプルさや潔さはほんの少しの安堵と勇気を与えてくれる。

植物は脳や神経、筋肉、呼吸器や消化器という私たちが備えているシステムを持たない代わりに、もっとダイレクトに、それぞれの部分が受け取った感覚がそのまま即反応して生命を維持する構造を持っている。
葉緑素は太陽の光が当たれば光合成を行う。根っこは水を探し当てては吸い上げる。そういう各部分のシンプルな反応によって構成されるひとつのシステム。
そうやって生きている生き物とそうでない生き物に優劣の差はない。
だから、生命の反応によってただ生きているということだけで、じゅうぶん肯定されていいと思うのだ。
何かを生み出さなくても、誰の役にも立っていないように見えても。

さて、深緑の音楽。
ジャズです。
アート・ペッパーの“Meets The RhythmSection”。
部分が受け取った感覚をダイレクトに反応する構造を持っている点で、ジャズは一番生命の生々しさを持っている音楽だと思うのです。


Art Pepper “Meets the rhythm section”

このアルバムに遺された音には、地下室のじめじめした陰鬱なジャズとは違う、独特の明るさ、力強さがある。
明るいといってもパーリーピーポーのバカ騒ぎな明るさではない。力強いといってもボディービルダーのようにただ馬力があるパワフルさではない。
明るいお日様の光を浴びて新緑を湛えた木々の、そんなきりっとした明るさと力強さ。
このアルバムのそういう感じの音が好きだ。
善とか悪とかポジティブとかネガティブといった人間が拵えた価値観とはまるっきり無関係な、ただそこに鳴っている音がとても心地よい。
大きな木の影に寄り添っているような、安らぎや生命力のエネルギーをもらえるような。



深い緑色は生命力の色。
ただ生きているというだけで、それはじゅうぶんに祝福されるべき奇跡だ。






新しい日常

見えないものに怯えて
不安になっても仕方がない

見えないものと闘っても
疲弊してしまうだけ

これが新しい日常
ほんとうは最初から
世界はこんなだった
そう思えばなんてことはない

ほんとうは最初から
世界はこうだった



日々忙しくしています。
ゴールデンウィークもまったく普段通りの通常運行。
暮らしに必要な物資を調達してお届けする、いわゆるライフラインなお仕事です。
こんなとき改めて、たくさんの人たちからの期待と信頼をひしひしと感じます。
そういう使命感をモチベーションにして日々のエネルギーを捻出する毎日ではあるんだけど、さすがに先の見えなさがキツくはあります。

ネットを開くと、誰かへの批判、非難、誹謗中傷がうじゃうじゃ。
傷ついた心を、他の誰かを傷つけることで癒す。
あんまりお行儀がいいとは言えない。
そうやって発散したところで、いつか誰かから同じ目に会わされるって、知ってるはずだけど。

我慢しよう、頑張ろうなんてこともあっちこっちで飛び交っていて。
そういうポジティブな気持ちに水をさすつもりはないけれど、我慢も頑張りも、いつかくたびれてしまうんじゃないのかな。
思うようにならない現実にイライラしても仕方がない。
我慢だ、忍耐だと歯を食いしばったりするよりも、これが新しい日常なんだと思ったほうがいい。
ほんとうは最初から、世界はこんなだったんだ、って。

それは、悲観論や諦念とも少し違って。
もっとさっぱりと清々しい感じで。
そのイメージ、伝わるだろうか。



土曜日、流行りに乗っかって、学生時代の気の合う仲間たちとオンライン飲み会をやった。
楽しかった。
久しぶりの奴も、いつもの奴も、みんなそれぞれの場所でそれぞれの役割を担いながら、フツーに生きている。
それだけで十分だと思った。



この春大学生になる娘の日常は、コロナ前とまるで変わらない。
中学生の頃からろくに学校に行ってないからだ。
気が向いたときに起きて好きなもの食べてご機嫌で暮らしてる。
リアルな友人は少ないけれど、ネット上の友人はたくさんいるようだ。
何にも困ったことなんかない。
っていうか、彼女を見ていると、これからはこういう子達がフツーになるんじゃないかって思うんだな。

自分が自分自身や自分の周りを嫌ったり憎んだりするようなことさえなければ、それでオッケーなんじゃないのかな。
彼女を見ているといつもそう思う。

世界の形は人間が思うほど理想的ではない。
世界は実は最初からこんなだったんだ。
ウイルスという脅威が、そのことを暴いてしまっただけ。
こういう世界で生きていくんだ。
そういうふうに腹をくくったほうが、聞き苦しいボヤキを呟いたりしなくて済む。見苦しい無様さをさらけださなくて済む。



時代は変わっていく。
明治維新や文明開化で、それまでの常識がガラガラと崩れたとき、当時の人たちも違和感がありつつ新しい生活様式を取り込んでいったんじゃないだろうか。
最初は「息苦しいなぁ」とか「耳が痛いなぁ」とか思っていたマスクをずっとしているのにもずいぶん慣れてきた。
靴下が蒸れたりパンツのゴムがきつかったみたいに、きっと慣れていくのだろう。
ひょっとしたら5年後、マスクをしないまま外出するのはものすごく恥ずかしい気分になるのかもしれない。
今、靴下やパンツを身に付けないことがあり得ないように。
30年後、「令和になるまでは誰もマスクなんてしてなかった」と昔話をして若者から笑われたりするのかもしれない。
この10年のうちだって、スマホをはじめ暮らしはずいぶんと変わって、人々はもはやそれ以前のことを思い出せないくらいに変化を受け入れてきたのだ。

新しい日常。
そう思えばなんてことはない。



どんな風に人生を過ごそうと
いいんだ、オーライだ
正しくても間違えてても
いいんだ、オーライだ
心をブッ飛ばすのに銃はいらない
いらないんだよ


(Whatever gets you thuru the night
/ John Lennon)




音のパレット〈ライムグリーン〉



テレビのCMで流れていたきれいなメロディーに耳を奪われたのは、中学生になったばかりの頃だった。
モンキーズの“Daydream Believer”。
まだ初恋すらしていない頃。
歌謡曲とは違う、もっと豊かな音楽が世界中にあるんだとうっすらと気づきはじめた頃。
あぁ、こういう青春っぽいドキドキとときめくような世界があるんだなぁ、って。
当時の歌謡曲って、もっと演歌に近いドロドロした情念っぽいものが底の方に流れていたからね、そういうのとは違う爽やかな感じにときめいた。
だからといってレコードを買うほどでもなく、ただなんとなくいいなって思っていただけで、やがて流行りの洋楽も少し聴くようになり、音楽雑誌なんかも読むようになると、「モンキーズは、ビートルズに対抗するためにアメリカの音楽業界がメンバーをかき集めたただのアイドルグループだ」なんてそういう雑誌で書かれていた情報を鵜呑みにして、なーんだ、そうだったんだ、って思ってそのままモンキーズの存在そのものを忘れてしまったのだ。
甘っちょろい懐メロポップスよりも、もっと刺激的でかっこいい最新型のヒット曲が山ほど溢れていた、ということもある。

再びモンキーズを「いいな」と思ったのは、ひととおりいろんな音楽を聴いて頭でっかちになりかけていた30代半ば以降のことだった。
いろんな音楽、、、当時最新型だったグランジやオルタナっぽいのやヒップホップ、フリージャズやらいわゆるワールドミュージックみたいなものもひととおり聴いていたものの、「で、結局、自分はこういう音楽が好きなの???」みたいな感覚になり始めたことがあって。
そんなときにふと流れてきた“Daydream Believer”がものすごく心地よくって。
あ、なんか、頭でっかちで音楽聴こうとしてたのかも、ってそのとき思ったんですよね。
もう、道を究めるみたいな感覚で、好きかどうかもわからない音楽を聴こうとしていた。
いや、そんなことよりも、この心地よさが大事なんじゃないの?って。
楽しいはずのものを苦しみに変えてどうする。もっと素直に心が喜ぶものを聴けばいいんじゃないの?って。

そのときの感覚は、例えるならば柑橘系の爽やかな風のような感じ。
色にするならばライムグリーン。
だから、僕にとってモンキーズの色はライムグリーン、ライムグリーンといえばモンキーズなのだ。

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Greatest Hits / The Monkees

ちなみにこの“Daydream Believer”、ZERRY氏による日本語詞では♪もう今は彼女はどこにもいない~、っていう悲しい歌になっていますが、原曲は悲しい歌ではありません。

彼女が歌う歌みたいにさえずる青い鳥の羽根に包まれていたいなぁ。
目覚まし時計なんて鳴ってほしくない。
でも現実、目覚まし、鳴っちゃう。
眠い目こすって起きなきゃ、、、
髭剃りの刃がヒリヒリするなぁ。

しっかりしろよ、ねぼすけジーン
それがどうしたっていうんだい。
夢見心地の僕と学園祭の女王にとって。


つきあいはじめた彼女と迎える朝。
幸せなシチュエーションにありながら、100%満足ではなく、幸せなのにどこか不安、という感覚。
剃刀がヒリヒリするんだ、とか、二番ではお金ってほんとはどれくらい必要なんだろ、とか、現実的な感覚と夢の中の感覚がいったりきたりするような微妙さが表現された歌です。
なんとなく、イメージは初夏の朝。
爽やかさ、心地よさと、少しの憂い。
その感じもライムグリーンかな。





音のパレット〈オレンジ〉

音のパレット、今回はオレンジ色。
赤や白とは違って、その名前は果物からの借用だ。
橙色、柿色と言い換えても同じこと。
熟した実の色であるという共通点が示すように生き物が本来好む色でありながら、物の色に例えた名前しかつかなかったのはなぜなんだろう。
ひょっとしたら原始人たちはこの色に別の固有の名前をつけていたけど忘れ去られてしまったのか、それとも果物の実の色であることの存在感以外あまり用を為さなかったのか。

オレンジ色が一番好きな色、という人がたくさんいる気はしないけど、オレンジ色が大嫌いという人もあまりいないかもしれない。
基本的には明るく暖かく、オープンでポジティブな色。
悪く言えばどっちつかずで主張が薄い色。
どこか副次的、サブ的な役割が強く、一方で汎用性は広い。

さて、そういうオレンジ色の印象から思い出したアルバムがこれ。
エルヴィス・コステロの“Get Happy”。



コステロ自身は、どんな色にでも姿を変えるカメレオン的なところがあるけれど、原色の人ではなく中間色の人である印象が強い。どんな色をどういう配分で混ぜ合わせるかがこの人の持ち味。
このアルバムはそんなコステロが、60年代モータウンやソウルを借りてきてオレンジ色一色に染め上げたようなアルバムだ。
今度は誰もが大好きそうなフルーツを集めてみたんだが、って感じ。
一曲めの“Love for Tender”からラストの“Riot Act”まで、ポップでソウルフルな楽曲をこれでもかと20曲、どの曲も2~3分、曲によっては1分台すらあって、練り込んで作ったというよりはできたて・もぎたてのフレッシュ感。

フルーツっていうのは甘いことが良しとされて、スーパーなんかでも「糖度○度」なんて表示を見かけたりもするけれど、本当においしいと感じるのは、糖度だけじゃなく酸度とのバランスなんだそうですね。
いくら糖度が高くても酸度が低ければただただ甘ったるいだけ。適度な酸度があるほうがより甘みを感じる。
そういう点でも、このアルバムはおいしさ満点だ。



糖度も酸度もしっかりあって、ところどころに苦味や毒を忍ばせつつも、見かけは甘ぁいフルーツ盛り。
20曲ぎっしり詰まって、全部食べるとお腹いっぱいになるわりにちょっと食い足らなさを感じるところもフルーツっぽい?

オレンジ色がテーマだったのに、フルーツの話になってしまった(笑)。
やはりオレンジは、フルーツっぽさを象徴する色なんだろうか。
甘さと酸っぱさを象徴する色。
実りの色。

明るいオレンジにある、ある種の充実感や達成感は人生に必要なもののひとつ。
あるとないでは大違いだという気がします。
ほんの少し、人生にオレンジ色の彩りを添えて。






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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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