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Silk Degrees/Boz Scaggs



ボズ・スキャッグスといえば、70年代後半に一世を風靡したA.O.Rの代表的アーティスト。
A.O.RっていうのはAdult Oriented Rock、いわゆる大人志向のロックってことなんだけど、鳴っている音はロックというよりはリズム&ブルースの進化系だと思う。
ブルー・アイド・ソウルなんていう言い方もあるけど、肌の色や目の色で区別するのではなく音で判断するなら、このレコードをソウル/R&Bの名盤と呼んでなんの差し支えもないはずだ。



かっこいいねー。この立ったリズム。
このアルバムが流行った頃は小学生だったのでリアルタイムでの記憶はないけれど、80年かな、中学2年になって深夜ラジオを聴き始めた頃でもまだボズ・スキャッグスはお洒落でイケてる音楽の代名詞的なところがあって、当時流行の最先端を追いかけているような女子大生たちがこぞって「ボズ・スキャッグス最高」なんて言ってた記憶がある。
入口がそんなだった上に僕はその後パンクに夢中になっていったから尚更、ボズ・スキャッグスなんてまったく縁遠い音楽だと思っていたのだけれど。
今聴くと、すごくかっこいいんですよね。
当時もてはやされたであろう“We're All Alone”のようなバラードではなく、ファンキーなリズムの曲がかっこいい。
アルバムまるごと、ベースとドラムだけを聴くために聴きたいくらいだ。



演奏陣は、まだ20代前半だったデヴィッド・ペイチ (key)、デヴィッド・ハンゲイト (b)、ジェフ・ポーカロ (ds)で、このアルバムでのセッションを機にTOTOが結成されたというのは有名な話ではあるけれど、ギターがスティーヴ・ルカサーではないからだろうか、TOTOの印象とはずいぶん違う。ファンキーなギターのカッテイング、ホーンセクション、女性コーラス、どれもがすごく黒い。もちろんボズのヴォーカルも。



1976年という年はちょうどアメリカ建国200年で、小学生だった僕でもわかるくらい時代の空気が一気に変わっていった頃だった。ちょっと前までの大学生はかまやつひろしの“我が良き友よ”の世界みたいなバンカラっぽいのが普通だったのに、一気にポロシャツとテニスラケットとスポーツバッグみたいなスタイルになっていったのを覚えている。
そういう時代の中でボズ・スキャッグスの音楽はお洒落なアイテムとして消費されていった。

音楽に限らないだろうけど、本人の思いとは裏腹に、時代に乗ってしまって本人の意志とはずいぶん遠くまで行ってしまう流行というものがある。
流行は時に残酷で、消費し尽くされたあとは貼られたレッテルだけが残されてしまうことがある。

ボズは80年代のほとんどを休眠期間に充てたあと、ブルースやソウルの渋いアルバムをリリースするようになるのだけど(その頃にやっと僕も聴くようになった)、演ってきたのはずっとソウル・ミュージックだった。
2018年の来日の際のインタビューではこんなことを言っていたそうだ。
「音楽を始めて半世紀以上が経つけど、やってきたことはそれほど変わらない。ずっとソウルを歌ってきたんだよ。アプローチは常に同じだった。」




18年ぶり

9月に入って負けなしの11連勝で、あれよあれよという間にマジックを減らし、ついに。



いやぁ、まさかこんなに早い時期に優勝が決まるとは思ってなかった。
心の準備ができていなかった。



江夏と田淵がいた時代の小学生の頃から普通にタイガースを応援してるけど、初めて優勝を経験したのは1985年。大学1回生のときだった。
正直、バイトばっかりしててほとんど試合は観ていなかったんだけど、バース・掛布・岡田のクリーンアップがばんばん打ってたこと、真弓や平田や佐野や木戸といった生え抜き選手や、弘田や長崎といったベテランと吉竹や北村といった若手が、脇役ながらいい活躍をしていたのが記憶に残っている。山本和行がシーズン終盤に故障して中西がめちゃくちゃフル回転したんだったっけ。あとは左のワンポイントでいつも抑えてくれた福間が渋いなぁ、って思ってた。

その次の優勝は2003年。
92年の新庄・亀山フィーバーやその後の暗黒時代を経て18年ぶりの優勝だった。
闘将星野監督の元、FAで来た金本と片岡を軸に、今岡・赤星・桧山・矢野・藤本にジョージ・アリアス。投手陣は井川・伊良部・下柳・藪に安藤・吉野・久保田・ウィリアムス。
僕は36才で、今の職場の配送現場で責任者をやっていた。O君という大の阪神ファンの職員がいて、よくタイガース談義をしたものだった。

2年後の2005年には岡田監督の元で優勝、そこから先は暗黒時代ほどではないにしろもどかしいシーズンが続いた。
最後まで三つ巴だった2010年や、盆明けまで首位にいながら失速した2015年はすごく惜しかったし、本当は一昨年もセ・リーグ5球団に勝ち越して一番勝利数も多かったんだけど優勝とはならなかったし。

そして今、56才。
18年ぶりの優勝を味わうことができた。
18年の間にはいろいろありました。
前回優勝時に3才だった娘はもう21才で、父は亡くなり母は呆けた。
職場ではいつの間にか大ベテランになってしまった。

いやー、今日のゲーム。
相手投手・赤星がいいピッチングで均衡が続く中、近本が出て、森下がつないで、大山のきっちりとした犠牲フライで先制。さらにその後の佐藤輝のホームランには鳥肌がたったねー。
投手陣は先発・才木が踏ん張って試合を作り、まぁ岩貞はアレだったけどもそのあと石井、島本が抑えきった。丸を三振に切ってとった島本はかっこよかったよなぁー。
さすがの岩崎も今日はヒヤッとさせたけど、中野の好守が救った。
それぞれがそれぞれの役割を理解して全うする。
優勝を決める大一番の試合でもいつもどおりにいつもの働き方ができるというのはやはり普段からの積み重ねによるものだろう。
練習と、日々の試合での経験の積み重ね。監督のチーム方針を理解して地道に実践しながら、一喜一憂せずに長いシーズンを見据えた戦い方。

正直、スワローズが勝手にコケてくれたし、ドラゴンズとカープは過渡期、ジャイアンツとベイスターズは行き当たりばったりで他球団がしょぼすぎるという気もしないではないけど、王道の守り勝つ野球を貫いたタイガースが相手に本来の能力を出させなかったということなんだろう。
こういう野球をたった1年でチームに浸透させた岡田監督の手腕はすごいよね。
もちろん岡田さん自身、ネット裏から見ていて、これだけの戦力ならちゃんとやれば勝てるはずという裏付けがあって監督を引き受けたのだろうけど、それにしてもすごい。
矢野監督が“楽しく積極的に”を推し進めて勝てなかったからこそ選手も“これじゃダメだ”と感じていたはずで、そういうタイミングだったからこそ、岡田監督の考え方がすんなり選手に落ちたのだろうという気もするけれど。



いやいや、それにしても。
ほんまによかったよ。
それぞれの役割を明確にし、それぞれがそれぞれの“らしさ”を発揮し、当たり前のことを当たり前にやることこそが一番なんだということを証明してくれた今年のタイガース。
強い組織はどうやって生まれるのか、という点でも多くのサジェスチョンをもらえた気がします。

まだまだ若い選手も多いし、ひょっとしたら黄金時代が来るんじゃないのかとさえ思えるけど、岡田監督もいいお年だからそう長くは続けないだろうし、他球団も戦略を練り直して鍛えあげてくるだろうから、易易と連覇ができるほど甘くはないだろう。
っていうか、贔屓の球団が一方的に勝つよりも、各チームが切磋琢磨してスリリングなゲームを観せてくれてこそのプロ野球だと思うし、そうなっていくのが理想だろうと思います。

次の優勝までまた18年とすれば、僕はそのとき74才。
まだなんとか生きてるかな。
まぁ、もう一回くらい、こういう歓喜を味わいたいね。




Songs In The Key Of Life/Stevie Wonder



70年代、天才的な発想力と表現力で革新的な仕事をすすめたスティーヴィー・ワンダー。
『Talking Book』『Innervisions』『Fullfillingness' First Finale』の3部作はいずれも革新的で見事な完成度のアルバムなんだけど、さらにそれらの世界観を押し広げた黄金期の集大成的なこのアルバムが1976年の『Songs In The Key Of Life』だ。
2枚組LP+EP1枚に21曲が収められた大作で、ファンクとR&Bを中心にしつつも、ジャズ・フュージョン、ラテン、アフロ、ブルース、ロック・・・20世紀に世界中を席巻した黒人音楽の多彩なスタイルに彩られたこのアルバムには、音楽スタイルのみならず、後にスティーヴィー自身は「人生をすべて表現しようと思った」と語っていたように、世界中のありとあらゆるものを表現しようという試みがなされている。



アルバムは、庶民の味方のアナウンサーを名乗る男が、「今こそ愛が愛を必要としています。憎しみが蔓延し手遅れにならないうちに」と呼びかける“Love's In Need Of Love Today” で始まる。穏やかで誠実な演奏の愛のメッセージだけど、そのきっかけには何かとても痛ましい事件や辛い喪失があったことを想起させるようなニュアンスだ。
2曲目は重いベースのフレーズが深刻さを映し出す“Have A Talk With God”は、 「人生が辛すぎると感じたときには神の元へ話に行くといい。」 と歌う信仰の歌。ここにも精神的に追い込まれている人間の姿が描かれている。

この時代、アメリカは建国200年の享楽的な繁栄とは裏腹に、ベトナム戦争の後遺症に蝕まれていた。ヒッピーたちの歌った愛や自由は幻想に終わり、人々は物質的な豊かさだけを追い求め、一方で人々の心は加速度を増して孤立していた。黒人への差別は表向きは解決されたものの貧富の差はより深まるばかりだった。

弦楽四重奏が奏でる“Village Ghetto Land”はそんなゲットーの現実を描いた歌。






“Saturn”はSF的な物語の歌で、歌われているのは土星人から見た地球の姿だ。
「銃と聖書を手に身構えるあなた方のことが私には信じられない。俺たちの望むものを渡さなければお前を殺す、というあなた方が。」と土星人たちが地球人に呼びかける。
どうやらこの土星人たちは、地球に嫌気が指して新天地を目指した人々のようで、侵略され「新世界」と一方的に名付けられた側のアメリカ原住民のメタファーのようでもある。



先鋭化する民族運動は“Black Man”で歌われている。強烈なファンク・ビートに乗せて、アメリカ史上に功績を果たした有色人種の名前を列挙し、「正義は万人の味方とはいえず歴史は繰り返されるけど、この世界は万人のために作られた。もう学んでもいい時期だ。」とストレートなメッセージを高らかに掲げ、“Ngiculela - Es Una Historia/I Am Singing”では、途中、スペイン語やズールー語で歌われるフレーズを挟みながら、「僕は愛を歌う。いつの日か愛が僕らの世界中に行き渡ることを歌う。」と宣言する。

この曲の裏打ちのリズムはカリブ系のグルーヴだし、“Another Star”は南米っぽいサンバのリズムで、アフリカ発祥のリズムを持つ民族の連帯や統合を呼びかけるようにも聞こえるし、これらのチャレンジは90年代の、いわゆるワールドミュージックの隆盛に繋がったはずだ。

都市の暮らしの中で孤立した人々の心を歌ったのは、“Pastime Paradise”。
1枚目の最終曲に当たる“Ordinary Pain”や、少年時代の回想を歌った“I Wish”にも満たされない現状と傷心の悲しみが感じられるし、“All Day Sucker”にも愛を得られずに苦しむ男の姿が描かれている。
一方で“Knocks Me Off My Feet”、 “Summer Soft”、“Joy Inside My Tears”など穏やかなラブ・ソングが、そんな悲しみを癒やすように歌われる。

命の誕生を祝福する“Isn't She Lovely ”、ハービー・ハンコック参加の“As”や、ボビー・ハンフリーやジョージ・ベンソンが参加している“Another Star”といった長尺の大作がアルバムの骨格を作り、一方でドロシー・アシュビーのハープをフューチャーした“If It's Magic”、夕暮れの情景のように懐かしい感じのスティーヴィーのハーモニカが優しく響く“Easy Goin' Evening (My Mama's Call)”、ジム・ホーンがキュートなサックスを吹くオーソドックスなR&Bナンバーの“Ebony Eyes”といった小曲が良いアクセントで配置されている。



個人的にはこの“Ebony Eyes”のかわいらしくも生命力の張りを感じられる感じが一番好き。
ゲットーのハードな暮らしを“Village Ghetto Land”で描きつつ、否定的な側面だけでなくそこに生きている人々の魅力を黒い瞳の少女を通じて描くバランスに、この作品でスティーヴィーが表現したかった世界が垣間見える。



そしてデューク・エリントンやグレン・ミラー、カウント・ベイシーやルイ・アームストロングの名前を羅列しながら、音楽の素晴らしさを表現する“Sir Duke”。
ハッピー&ピースフルでぐいぐい盛り上がる名曲で、ホーンセクションのリフとユニゾンで動くベースなんてたまらなくかっこいい。
「 音楽はそれ自体がひとつの世界で、そこには誰でも理解できる言葉があり、誰もに歌い、踊り、手拍子をとる平等の権利があるんだ。」という言葉の中に、スティーヴィーのメッセージのすべてが集約されているような気がする。

いつ聴いても、ブラック・ミュージックのみならず20世紀を代表する素晴らしい作品だと思う。
時代を切り取ったシリアスなメッセージ、けれどただ嘆くだけではなく愛と音楽の力を信じてポジティヴにいこうとする姿勢、そのことがリズムとメロディーで体と心に直接伝わってくる。





Family Reunion/O'jays



O'Jaysの“Unity”。
いい曲だなぁ。
ノリノリのディスコ・ビート。
入れ替わるリード・ヴォーカルと、そのすき間を埋めるコーラス。
合いの手のようにあおるホーンセクションとストリングス。
後半、転調しての盛り上がり。
あんまりよくは知らないけど、モーニング娘。やAKB48の曲でまんまこんな感じのがあったような。いや、パクってるとか揶揄したいのではなく、こんなふうにハッピーにファンキーに盛り上がっていくキラーチューンって演りたくなって当然だよな、って思って。

この曲が入っているのは、O'Jaysの1975年のアルバム『Family Reunion』。
4枚めだか5枚めだかの、まぁ円熟というか脂が乗りきった時期の作品だ。



O'Jaysの結成は古く、1958年だったらしい。なかなか売れない時期が長く続いたあと70年代にいわゆるフィリー・ソウルのフィラデルフィア・インターナショナルに移籍してからヒットを連発した。
プロデューサーのギャンブル&ハフの、くどいくらいのストリングスの盛り上げ方と分厚いコーラスがとても相性が良かったのだろう。
野太いヴォーカルはエディ・リヴァート、少し甲高いヴォーカルはウォルター・ウィリアムス。バックはフィラデルフィア・インターナショナルのハコバンMFSB。
収録曲はファンキーなアップナンバーとメロウなちょっとくどいくらいのバラードが半々くらい。
スロウナンバーで特にいいのが“Stairway To Heaven”だな。



ちょっと性的なニュアンスも含んだ“天国への階段を昇っていこう”というメッセージだけど、こういう感じで誠心誠意歌われるとうっかり口説かれてしまいそうな説得力がある。
他にもちょっとくどさやダサさとギリギリのメロウ・ナンバーがいくつかあるけれど、どれもシルキーで脂っこさを感じさせない。

アップナンバーではやっぱり“I Love Music”がトドメを刺すだろう。



のっけからのりのいいパーカッションとディスコ・ビート、きらびやかなストリングス、ベタベタに煽るホーンセクション、合間の官能的なギターソロ、完璧なハーモニーの分厚いコーラス。
天国ではこんな宴が毎日繰り広げられているのかしらと想うようなノリノリのグルーヴがこれでもかと言わんばかりに繰り広げられる。

I love music
Sweet, sweet music
As long as it's swinging
All the joy that it's bringing

音楽が好き
甘い、甘い音楽
スイングしていれば
すべての喜びを運んでくれる

僕はダンスも踊らないし、享楽的というよりはシニカルなタイプの人間だけど、そんな僕でさえ有無を言わせずゴキゲンにさせてしまうのだ。
つい調子にのって、アフロヘアーのかつらかぶったりヨレヨレのネクタイを頭に巻き付けてヘロヘロのダンスを踊ってしまいそうだ。
音楽の力、おそるべしだと思う。
四の五の言わせぬ力技という点では、ピストルズにも匹敵する破壊力だと思う。
不謹慎かもしれないけど、いっそこういう音楽を戦場なんかで流したらどうだろうかと思う。あるいはプチーンやシーチンピンや岸田なんとかの執務室かなんかで大音量で。
戦争なんか辞めて能天気でハッピーな政策でも提案したくなるんじゃないだろうか。






Man-Child/Harbie Hancock

ハービー・ハンコックには“Cameleon”という代表曲があるけれど、実際カメレオンのようにいろんな色に七変化するのがこの人の魅力。
初めてハービー・ハンコックの名を知ったのはビル・ラズウェルと組んだ83年の“Rock It”で、その時はジャズの大家であることなどまったく知らなかったのだけど。
マイルス・デイヴィス・クインテットに在籍しクールなピアノを弾いていた60年代、ホーンセクションを加えたセクステットでクラシカルで気品のある演奏をしていた時代、マイルスの電化やスティーヴィー・ワンダーに触発されたようなファンク時代から、フュージョンやディスコを取り入れヒップホップを取り入れ、かと思えばとてもスタンダードなアコースティック・カルテットに回帰したり、同時代のロックの名曲をジャズ化してみたり、とその時どきで時代の潮流を取り込みスタイルを変化させていく。
コンセプトを定めて作り込んでいく感じはエルヴィス・コステロっぽさ、同時代の新しいリズムを取り込んでいくスタンスにはローリングストーンズっぽさなんかをロック好きの自分としては感じてしまうのだけど、ジャズを伝統芸能に貶めず生きている現代の音楽として捉え続けているスタンスがかっこいいと思う。



ハンコックのファンク時代といえば一番に挙がるのは“Cameleon”を含む『Headhunters』なんだろうけど、ファンク3部作と呼ばれる『Thrust』『Man-Child』と聴いていくと、このアルバムが一番完成度が高いんじゃないかと思う。



なんといってもオープニングの“Hang Up Your Hang Ups”だ。

最初に聴いたのは『V.S.O.P Live』のほうだったかな。
キレのいいギターのカッテングからぶりぶりとベースがうねっていく超弩級のファンク・ナンバー。
このシャープにリズム刻むをギターはワー・ワー・ワトソン。ベースはポール・ジャクソン、ドラムスはハーヴィー・メイソンというメンツ。
ちなみにHang Upsとは厄介事というような意味らしいので、“Hang Up Your Hang Ups”は“厄介事なんてそのへんにぶらさげとけ”みたいなニュアンスなのかな。



延々とファンキーにグルーヴしていく、例えばパーラメントのファンクみたいなのもかっこいいんだけど、根っからファンクが染み付いていない典型的日本人は正直途中でバテる。この曲は7分もあるファンクなんだけど、それぞれのソロ回しがあったりホーンセクションがジャズ的にからんだりと展開が楽しくてバテないし、後半アコースティックピアノが入ってくるところなんて、ガスが充満した部屋にさっと新しい空気が入ってくるみたいに心地よいのですよ。

他にもヘヴィーなファンクからちょっとフュージョン寄りの爽やかなのまで盛りだくさん。
スティーヴィー・ワンダーがハーモニカを吹くこの曲もかっこいい。



ちょっと同時代のスティーヴィー・ワンダーのテイストが入ってるよね。

ハービー・ハンコックは、バラエティ豊かに、ある意味無節操なくらいいろんなスタイルの録音を残しているけれど、決して節操がないわけではなく、全体像を俯瞰して見れば、全体を貫く一本の芯があるような気がする。
スタイルから入って頭でっかちなコンセプトを重視しているようで、実は逆に、スタイルを踏襲するのではなくスピリットを踏襲しているのだと思う。貪欲に新しいリズムや新しい表現を取り込んで、絶えずチャレンジしていく一方で、ジャズの根幹のスピリットは忘れない。
カウンターとして登場した表現形式が、ブームになってフォロワーを多く生み出した結果エスタブリッシュメントになって硬直化し衰退してしまうというのはありがちなこと。
スタイルではなくスピリットを継承することこそが生きた表現にとっては大切なはずなのだ。
ハンコックもスティーヴィーもマイルスもプリンスも、そのように伝統を受け継ぎ、次の世代へ受け渡していった。






Cut The Cake/Average White Band

60年代〜90年代のソウル/R&Bをピックアップして時代を追ってその変遷をフォローしているこのシリーズ、いわゆる広義のブラック・ミュージックと範囲を広げて、ジャズやブルースからもR&B的と思うものも取り上げていますが、基本は皆、黒人アーティストだ。
ローリング・ストーンズの例を挙げるまでもなく、ブルースやR&Bは白人たちの間でも深く浸透し、白人によるソウルな作品もたくさん生まれている中で黒人アーティストだけを取り上げるのもいかがなものかとも思ったりするけれど、やっぱりストーンズにしろラスカルズにしろ、或いはエリック・クラプトンにしろジョニー・ウィンターにしろ、どっぷりブラック・ミュージックというよりは、白人側からのアプローチであり、R&Bに強い影響を受けたロックと言ったほうがしっくりくる。

ところが、白人プレイヤーでありながら、ソウル/R&Bとしか括れないバンドがこの時代に出現した。
スコットランド出身のアヴェレージ・ホワイト・バンドだ。



メンバーは、ヴォーカル・ベースのアラン・ゴリー、ヴォーカル・ギターのヘイミッシュ・スチュアート、ギターのオニー・マッキンタイア、ホーンセクションとキーボード、そして初代ドラマーロビー・マッキントッシュの後任として加入したスティーヴ・フェローン。今もセッション・ドラマーとして活躍するフェローンは黒人ではあるけれどイングランドの出身なんだそうだ。
1971年にスコットランドで結成され、74年にニューヨークへ渡り、アリフ・マーディンがプロデュースしたセカンドアルバムから“Pick Up The Pieces”が全米1位の大ヒットになった。
そして続くサード・アルバムからのヒットがこの“Cut The Cake”だ。



細かくリズムを刻むJBっぽいド・ファンク。

Cut the cake
Give me a little piece
Let me lick up the cream
Cut the cake
Well, just a little piece
Baby you know what I mean

ケーキを食わせろ、ひと欠片よこせ、と連呼するケーキとは、当然単なる菓子ではなく、豊かな実りの比喩だろう。
エロい比喩とも受け取れるけれど、「実りを独占するな」という訴えは、貧困層からの強いメッセージとも受け取ることができる。

どっしりしたファンクの“School Boy Crush”や、疾走感のある“Groovin' The Night Away”などなどファンキーな演奏が盛りだくさんだけど、ファンク・ナンバーだけではなく、メロウでソウルフルなスロウ・ナンバーもかっこいい。リオン・ウェアの“If I Ever Lose This Heaven”なんて同時期のフィラデルフィア系のソウルやハイ・サウンドにも勝るとも劣らないほどのセクシーさだ。



この数年後にリリースされるストーンズの『Tatoo You』のB面のソウルフルさなんかは、こういうものが念頭にあったのだろうと思わされる。

ソウルフルな白人バンドと言えば、ホール&オーツもこの時代にデビューしているし、“Play That Funky Music”のワイルドチェリーや、しばらく後にディスコ・ブームで大ブレイクするKC&ザ・サンシャイン・バンドなんかもかなり黒い。
こういうのを聴いていると、肌の色だけで音楽を分けるべきではないと思う。そもそもR&Bからソウル・ミュージックが生まれる過程ではメンフィスのスティーヴ・クロッパーやダック・ダン、マッスルショールズのダン・ペンやスプーナー・オールダムのように大きな功績を残した白人プレイヤーもたくさんいたのだし。
便宜上は分けることはあるにせよ、その情報に囲い込まれるのではなく、ちゃんと音を聴いて受け止めたいと思ったりするわけです。




正念場の9月

阪神タイガース。
今日の試合を終えて118試合を消化、70勝44敗4分、勝率.614。
2位カープが負けたので、ゲーム差は6.5、再びマジック18が点灯した。



いやぁー、今日はヒヤヒヤしたねぇ。
前半から効率よく加点して3回までに3-0、先発村上頌樹が7回を92球3安打で抑えて、さらに8回表には森下の今日2本目のホームランで4-0と完全な勝ち試合の8回裏。リリーフで出た岩貞が7番長岡の出塁を許し、次打者代打青木がエラーでチャンスが広がる。一死満塁から不運なポテンヒットで1点、さらに代わった桐敷が押し出し四球で4-2となって尚も一死満塁で4番村上宗隆を迎えた場面。

いやーな予感しかしなかった。

というのも、この3連敗は全部、敵チーム強打者のホームランでひっくり返されて負けているからだ。

日曜日のジャイアンツ戦、2-0の展開で大城・坂本に被弾。火曜日のベイスターズ戦はなんとか今永を下ろして8回裏に2-0としたあと、守護神岩崎が佐野・牧に連続被弾でひっくり返され、翌水曜日も6回に牧に3ランを打たれて突き放されて、いずれも試合の主導権を握っていたにも関わらずの3連敗となっていた。

もしここで村上宗隆に満塁ホームランでも打たれようものなら。

ちょっと立ち直れないまま連敗街道まっしぐらになりかねないところだった。

いやぁー、よく切り抜けた。

桐敷、石井、グッジョブでした。

もちろんじゅうぶんにゲーム差はあって、4連敗くらいはどうってことない。
しかし。
2008年や2021年に前半首位独走しながら終盤にひっくり返された経験があるだけに、まずマスコミがおもしろおかしく騒ぎ出す。ファンもヤキモキし始める。
そうするとやはり選手も知らず知らずのうちに力んでしまうものだ。
勝たなくてはの力みが悪循環を呼ぶ。そうやって6つ7つと大型連敗をしてしまえばさすがにお尻に火がつく。その力みが9連敗10連敗へとつながりかねない。
今日の勝利は、そういう悪循環の根を断ち切ったという意味でとてつもなく価値のあるものだったと思います。



タイガースファンだからという以上に、今年はタイガースに優勝してほしいのですよね。
というのは、今、タイガースが一番、野球というチームスポーツの醍醐味を体現した野球をしているから。
選手一人ひとりが、自分の役割を理解してチームプレイに徹している。
ちょっと前のダメ虎とは明らかに違う。

野球というスポーツは、個人競技ではなくチームスポーツ。
個の能力では劣っていても、戦略や連携で勝つことができるし、そこを楽しむのが野球のおもしろさだと思うのです。
例えばV9時代のジャイアンツには王・長嶋という強打者がいたけれど、王・長嶋の長打力だけで勝っていたわけじゃないはずだ。扇の要に森が座り、土井・黒江という二遊間コンビに中堅柴田のセンターラインの守備をしっかり固めていた。攻撃では柴田や土井・高田といった1-2番コンビが粘りや足で相手を揺さぶっていたはず。
まぁ、V9ジャイアンツはさすがに子供だったのでちゃんと知っているわけではないけど、中畑・原の時代のジャイアンツにも松本や篠塚といった選手がそういう役割を果たしていたし、森時代のライオンズ黄金期の石毛・辻、落合ドラゴンズの荒木・井端やカープ3連覇時代の田中・菊池など、強いチームには必ず鉄壁の二遊間コンビや1-2番コンビがいた。これがまたソツのない見事な連携プレイや足を使って相手をかき乱す攻撃をするわけで、正直負けても「さすが、強いチームは違う」と思わせられるようなものだったのだ。
岡田監督はそういう王道の野球を熟知しているからこそ、1-2番の近本中野を固定し、中野をコンバートして木浪を抜擢したわけで。

選手一人ひとりが、自分の役割を理解してチームプレイに徹するからこそ、個人の力では劣るチームが勝つことができる。
それがチームスポーツである野球の醍醐味。
全員剛速球投手やホームラン打者である必要はないのだ。
粘り強く四球を選ぶ。盗塁を仕掛けて相手投手を揺さぶる。ちょっとした相手の守備の乱れを逃さず次の塁を狙う。そういうことの積み重ねで好投手から点をもぎとっていく。
ホームランは確かに野球の華ではあるけれど、小兵選手までもがブンブン振り回してホームランを狙うベイスターズやジャイアンツのようなチームの野球よりは絶対に、タイガースのような野球の方がスピードがあってスリリングだと思うのです。

もうひとつタイガースに勝ってほしい理由は、今のチームが数年をかけて自前の生え抜き選手を育成してきて作りあげたチームだということ。
ジャイアンツやホークスのように実績のある選手をFAでかき集めたチームじゃないこと。
生え抜きの若い選手が少しずる育ってチームの主力になっていく。
これは応援のしがいがある。

だからこそ、ホームラン野球チームやFAかき集めチームには負けてほしくないのですよね。
勝負の世界、勝てば正義なのだから、ホームラン野球チームやFAかき集めチームの方が強いのであればそれが正義になってしまう。チームプレイより個人の能力の強さが正義になってしまう。
そういう野球よりも、粘りやスピードやチームプレイのスリリングな野球が観たいから、なんとしても今年優勝して「タイガースのやり方が正しい」と証明して、他のチームも「タイガースのようにやろう」ってなってほしいんですよね。
そうすることが、全体として結果的に、より魅力的なプロ野球になっていくはずだと思いがあります。



ま、何はともあれ。
あと残り、25試合、惑わされず一喜一憂せずに、今までの積み重ねを信じて、眼の前の一戦一戦を今までのように着実にこなしていってほしい。

次に野球記事を書くときは、タイガース優勝の感慨を書きたいと願っております。



Teasin'/Cornel Dupree

ニューソウルのムーヴメントを後ろから支えたギタリスト、そしてフュージョン/クロスオーヴァーのブームを牽引したStuffのギタリスト、コーネル・デュプリー。
60年代前半にのキング・カーティスのバンド、キングピンズに加入し、アトランティック・レコードのセッションギタリストとしてアトランティックの全盛期を支え、アレサ・フランクリンの『Live At Fillmore West』やバンドにもダニー・ハサウェイの『Live』のグルーヴを紡いでいる重要人物だ。



1974年リリースの『Teasin’』は、なんとなくのんびりしたいときや雑多な諸々から解放されたい気分のときに割りとよく聴く愛聴盤なのです。
渋いというか、かっこいいというか、正直ギタープレイの技術的なことはよくわからないけど、クールでリラックスした演奏でありながら、どこかに熱い想いを秘めて心の深くまで迫ってくるような演奏が素敵だと思う。

代表曲を一曲選ぶとすれば、やっぱり後にスタッフでもレコーディングしていた“How Long Will It Last”だろうか。



よく歌うコーネルさんのギターのフレーズも伸び伸び活き活きしてるんだけど、肝はファンキーでスティディな16ビート。なにしろリズム隊はチャック・レイニー(b)とバーナード・パーディー(ds)だ。キーボードは後にスタッフでコンビを組むリチャード・ティー、そしてパーカッションにラルフ・マクドナルドというオールスターなメンツの音が心地よくないはずはないのだけれど、とにかくグルーヴ感から、ちょっとしたオブリガードなフレーズの間の隅々までかっこいい。

“How Long Will It Last”はスタッフにも通じるフュージョンっぽい感じだけど、このアルバムの真骨頂は泥臭いR&Bのテイスト。フュージョンというよりはインストのR&Bだ。それこそキング・カーティス&キングピンズを継承したようなファンキーさの“Feel All Right”や、アーシーでブルージーな“Ookie Dookie Stomp”なんてもう最高にゴキゲンだ。





いいねぇ、このいなたい感じ。
泥臭さと洗練の絶妙なバランス。
ファンキーなリズムとブルージーに歌うギター。
ツボを心得た演奏とはまさにこういうことだろう。









Afrodisiac/Fela Kuti & Africa70

ナイジェリアの音楽についてはあまり詳しくはないけれど、古来から音楽が盛んな土地で、ヨーロッパ人が渡来してくる前からそれぞれの民族がいろいろなスタイルの音楽を演奏していたそうだ。
黒人音楽の最大の特徴であるコール・アンド・レスポンスや強いビートはいずれもナイジェリアを含む西アフリカの民族音楽がルーツであり、すべてのブラック・ミュージックの源流であると言っても過言ではないだろう。



そんなナイジェリアのカリスマ・アーティスト、フェラ・クティ。
裕福な一族で育ったフェラは幼い頃から教養として音楽を身につけ、50年代にロンドンに音楽留学。ここで初めて黒人差別を受けた事が彼の生涯に渡り大きな影響を及ぼすことになるそうだ。60年代にナイジェリアに帰国、ハイライフと言われるジャズ系の音楽を演っていたが、69年にアメリカをツアーした際にジェームス・ブラウンに会って衝撃を受けファンクを取り入れ、アフロビートと称するスタイルを作りあげていった。
またマルコムXのブラック・パンサー党など当時の黒人開放運動に刺激を受け、腐敗したナイジェリアの軍事政権を批判するメッセージを打ち出すようになっていった。



延々と反復されるリフと強烈なファンク・ビート。幾重にも重なった分厚いリズムによるグルーヴ。
その上で縦横無尽に咆哮するヴォーカルとサックス。
マイルス・デイヴィスとジェームス・ブラウンを高いレヴェルで融合させた上にジミ・ヘンドリックスを招いたようなエネルギーに溢れた音楽。
一糸乱れぬ統率力でグルーヴしていくリズムセッションとホーンセクションに、女性コーラス隊がからむ様は、1曲1曲は長尺だけどひとつのドラマでも観るように完成度が高い。
アフリカというとなんとなく野性的であったりジャングルっぽかったりという連想をしがちだけどそれはまったくの偏見で、アフリカ的な大らかなノリや野性味や泥臭さはありつつも、それらを粗雑なままではなく有機的に統合させた音楽はむしろとても洗練されている。
それは同時代に活躍したカメルーンのマヌ・ディバンゴや、少し後のジンバブウェのトーマス・マプフーモ、セネガルのユッスー・ンドゥールやマリのサリフ・ケイタらについても同じだ。



フェラ・クティの熱い音楽を聴くと、音楽はメッセージになり得ることを実感する。
何を歌っているのかはよくわからない。
けれど、音そのものに怒りやアジテーションが充満しているのがグイグイと伝わってくる。

フェラ・クティは、このアルバムの頃から政治的メッセージを強め、ナイジェリアで大きな支持を集めていった。
政府はクティの行動を反政府的として、大麻所持などいろいろな容疑をでっちあげては、逮捕、拘置、釈放が幾度も繰り返されることになる。
集団になって威嚇するということはそもそもサルの時代からホモ・サピエンスに組み込まれている仕組みなんだそうで、外敵に対して若い猿が集まって威嚇したりすることがあるそうだけど、為政者からすれば、こういう音楽に合わせて集団で熱狂するということは、恐怖を感じる光景だったのだろう。

音楽を武器に国家に立ち向かい「黒い大統領」と呼ばれたフェラ・クティ。
同じように大統領と呼ばれたジェームス・ブラウンの影響を受けた彼らの音楽的姿勢は、後に黒人国家創設を主張するほどアフロ・アメリカン文化を追求したジョージ・クリントンらのファンクや、パブリック・エナミーらのヒップホップにも強い影響を与えたはずだ。





Unlimited/Jimmy Cliff

60年代後半から70年代前半に登場したレゲエ第一世代は、ソウルからの影響をそのまま直訳したアーティストが多い。
ウェイラーズの三声コーラスはもろにインプレッションズだし、トゥーツ&ザ・メイタルズのトゥーツ・ヒバートは後年にオーティス・レディングやメンフィス・ソウルのカヴァーアルバムをリリースしているくらいメンフィス・ソウルの信奉者だ。

ケン・ブースのジェントルさはサム・クックだし、メロディアンズやヘプトーンズはドリフターズやテンプテーションズのスタイルのジャマイカ版だろう。

そんなレゲエ第一世代の中で一番大好きなのは、ジミー・クリフなのだ。
ハリのある歌声の艶やかさ、伸びやかなリズム、クリアーなトーン、包み込むような大らかさ。
テイストやスタンスが一番近いのはスティーヴィー・ワンダーだろうか。

ジミー・クリフに関してはどの時期のどのアルバムも大好きなのだけれど、一番好きなアルバムといえば、1974年の『In Concert』というライヴ盤だ。
ボブ・マーリーに衝撃を受けてすぐ、京都木屋町のジャムハウスというロック喫茶で上映していた映画『Harder They Come』を観てさらに衝撃を受けてその足で五条にあったタワーレコードでLPを買ったのだけど、このシリーズでは敢えてライヴ盤は除外しているので、その時期に近いスタジオ盤ってことで73年の『Unlimited』をピックアップしてみよう。



『In Concert』でも“Many Rivers To Cross”という素晴らしいバラードを演っていたけど、このアルバムの“I See The Light”も、自分のお葬式で流してほしいくらいの名曲だ。



若い頃からずっと
真実を探していた
生きることは本当に謎だらけで
途方に暮れそうだった
暗闇から振り向いたそのとき
そこに光があった
すべてがリアルになった
灯りを見つけたんだ
灯りを、明るく輝く
もうだいじょうぶ

(I See The Light)

そのハリのある歌声や、後半に向けぐいぐいと盛り上げていく高揚感からは、レゲエがソウル・ミュージック直系の音楽であることがよくわかるし、歌詞からはゴスペルの影響も感じられる。



何を歌うか、歌を通じて何を伝えるかということはレゲエにとっては大きなテーマで、レゲエの歌詞は、もちろんごく普通のラブソングもあるけれど、政治的な事柄も含めて社会的なテーマを持った歌や人生を考察した思索的哲学的なテーマの歌が多くを占めている。
日本でもかつては、河内音頭のように音楽に乗せてニュースを歌ったりそこに時の権力者への批判を紛れこませるような文化があったし、ブルースやフォークも元々はそういうところから始まった音楽だけど、ジャマイカや近隣のカリブ諸国にもカリプソやメントと呼ばれた音楽が同じように民衆の間で歌われていたそうで、そのカリプソやメントにアメリカからのリズム&ブルースやソウル・ミュージックが混ざってできたのがレゲエだから、レゲエにもそういうかわら版的な役割が受継がれているということなのだろう。
植民地として支配され続け、今も資源に恵まれない小国として帝国主義的資本主義の力に左右され続けるジャマイカ。その暮らしの辛さは60年代公民権運動を盛り上げたアメリカの黒人たちに強く共鳴する地盤となっただろうし、70年代ニューソウルの内省的なスタンスやファンクの攻撃的なスタンスからも大きな影響を受けただろう。
表向きは能天気なリズムでハッピーでダンサブルでも、植民地主義への抵抗や怒りや辛辣な皮肉が盛り込まれている。
もちろんジミー・クリフの音楽もそうで、ソフトだけれど強い意思が歌い込まれている。



おまえは歴史を盗み
文化を破壊し
俺の舌を切り取って
コミュニケーションできなくさせ
仲介すると見せかけて分断し
俺の人生のすべてを隠した
なぁ、兄弟たちよ
俺たちは何を支払ったのだろう

(Price of Peace)

ジミー・クリフが歌うと、どこか牧歌的に響くけれど、歌われている内容は辛辣だ。
戦闘的で直接的なピーター・トッシュや、哲学的で啓蒙的なボブ・マーリーに比べると、ジミー・クリフの印象はとてもゆるくて締まらない感じがするけれど、柔よく剛を制すという諺があるように、このゆるさこそがジミー・クリフの真骨頂なのだと思う。
ピーター・トッシュが原理主義的武闘派、ボブ・マーリーが理想主義的思想家だとすれば、ジミー・クリフは中道的で現実的なジャーナリストみたいな感じだろうか。
強い力で全体をリードしていくのではなく、市井の声に寄り添いながら小さな事例をひとつひとつ積み重ねていけばいいという草の根運動的な。

ただ、怒りや主張を直情的にではなくゆるやかに伝えることはとても難しい。
どうしてもそこには「俺はこんなに苦しいんだ」とか「わかってないお前らはアホや」という風になりやすい中で、ジミー・クリフはそれをとてもマイルドに主張する。
それってすごく難しいけど、ちゃんと主張を伝えるためには大事なことだと思うのだ。

感情の吐き出しでは自己満足に終わりがち。本当に変革したいなら、どう伝えるかということが大切なのだとジミー・クリフを聴くとそう思う。



失くしたり見つけたり
アップしたりダウンしたり
脇役にされたり軽蔑されたり
そんな風に過ごしてきたけど
檻の中のライオンと闘うダニエルのように
鯨の胃の中のジョナサンのように
絶対にしくじれないときも
僕は孤独じゃない
勝ちぬくしかないときには絶対勝つ
I am born to win

(born to win)

普段はゆるゆるでもやるときはやる。
この“Born To Win”なんかでも、そういうジミー・クリフのポジティブさがいいよね。
軽やかなレゲエのリズムに乗せて、青筋立てて気張ってばっかりじゃなくて、飄々と仕事をやりあげる。
そういうのってかっこいいよな。

ラスタではなくブラック・モスレムだということもあってか、ハードレゲエ好きからは、日和っている、ソフィスティケートされすぎている、資本主義に魂を売っていると蔑まれがちなジミー・クリフ。だからといって一般的なポップからすればやっぱり独特のバタ臭さ辺境っぽさがあって、結局どっちつかず的でもあり、でもその絶妙なバランス感覚が好きなんですよね。

原理主義にも商業主義にも染まらないバランス感覚。ひとつの価値を絶対視せずにバランスよく取り込んでいく感覚。中和と中庸。根っこのところでは自身のルーツに忠実でありつつ、ソウルにしろアフリカ音楽にしろサンバにしろ、他の文化のエッセンスを上手に取り込んでいくある意味でのいい加減さ。
そういう中庸の美学がジミー・クリフにはある。




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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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