「わきまえる」という言葉が話題になっている。 事の発端となった、オリンピック組織委員会会長の発言の是非については、僕は古い世代のオッサンの古い価値観による戯言だと思うので、「それ、あかんやろ」という指摘さえすれば、大騒ぎするものではないだろうと思っている。 発言の内容はもちろんアウトだ。 会議が長くなることに性別による差はない。あるとすればそれは性別ではなく、論理的な考え方の構築力であったり、会議そのものへのスタンスの差でしかない。 撤回すればいいというものでもない。 でも、そこまで鬼の首をとるようにするべきことなのか?という違和感は少しあった。 会長の首を取ったところで考え方の本質が変わるわけでもない。むしろそれで済ませて一件落着となれば本質の解決からは遠ざかってしまうのでは、と思うのだ。 Harder they come,Harder they fall. どっちにしたって、失言を繰り返すような輩は、いつかそのせいで大きなしっぺ返しを食らうものだ。 ああいう価値観の違いは、世代による差がとても大きい。恐るべきジェネレーションの違い、なのだ。 女性を下に見ることが当たり前の社会でずっと育ってきた人にとって、価値観を変えるというのは、なかなかそう簡単には修正がきかないものなのだろう。 ああいうジジイがあんな発言をしたところで、今の若い人たちの価値観が揺らぐわけもなし、どうせそう遠くないうちにああいう世代はこの世から引退するんだし。 大事なのは「それはダメでしょ」とちゃんと声をあげることだと思う。 よほどの馬鹿じゃない限り、これはダメなんだと学習する。 その積み重ねで時代の価値観は変わっていく。 そう考えると「多くの人はわきまえている」という発言の方が、問題の根が深いのではないか。 権力を持つ人がこういう物言いをすることは、暗に「わきまえろ」「こちらの価値観を理解してソンタクせよ」というメッセージになってしまうからだ。 そこには、聞く耳を持たない、反論は受け付けないという強制力が含まれてしまう。 「わきまえる」というのは実際どういう意味なんだ?と思って辞書をひいてみると、次のような意味があることがわかりました。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 1・物事の違いを見分ける。弁別する。区別する。 「事の善悪を―・える」「公私の別を―・えない」 2・物事の道理をよく知っている。心得ている。 「礼儀を―・える」「場所柄を―・えない振る舞い」 3・つぐなう。弁償する。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 物の違いを見分けるためのモノサシになる価値観は、個人によっても、地域や時代によっても異なって当然だから、この「わきまえる」という言葉の実態は実にあいまいだ。 別の価値観を持つ者からすれば、「わきまえてないのはあんたや!」ということになる。 これだけ世代による経験やそこから生まれる価値観が多様化してしまっている世の中では「わきまえる」ことは、なかなか一筋縄ではいかない。 だから、無理にわきまえる必要はないんだろうね。 ものわかりのいい馬鹿にはなりたくない。 だからといって、なんでもかんでも噛みつく馬鹿にもなりたくない。 自分のモノサシと社会のモノサシを上手に使いながら、ときどき間違えたり謝ったりしながら、自分自身が居心地の悪くない方向でスイングできること、大事なのはそっちだ。VIDEO * ちなみに。 「わきまえる」は漢字では「弁える」と書くのだけれど、この「弁」という字にはいろんな意味がある。 【A】 わきまえる。わける。処理する 【B】はなびら。また、液体や気体の出入りを調節するもの。 【C】 かたる。話す。述べる。説きあかす。また、言葉づかい。 【D】 かんむり。 これは、本来別の意味の四つの字を「弁」にまとめたことから来るそうで、本来Aは[辨]、Bは[瓣]、Cは[辯]、Dが[弁]の字を充てるそうだ。 またひとつ、使えない余分な知識を仕入れてしまいました。