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続・音楽歳時記「寒露」

台風が去って秋の空。
お神輿を担ぐ掛け声や太鼓の音が聞こえてくる。
節季は寒露。
朝晩には冷たい露が降り始める頃という意味で、つまりそれまでには収穫を終えなきゃね、というひとつの目安の節季でもあります。
実りの秋という言葉があるように、秋はひとつの決算期だ。
冬に蓄え春に芽吹いた何かの結果報告が求められる季節。
その結果が良かろうと悪かろうと、ひとまずはここまでの労を労い、神様に感謝しましょう、っていうことでお祭りが行われる季節。

で、お祭りといえばなんとなくこのアルバムなのです。
デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズの1982年のアルバム「Too-Rye-Ay」。
発表当初は「女の泪はワザモンだ!」という訳のわからない邦題がついていた。邦題つける時に、Too Ray Eye=光にあふれた瞳、とでも勘違いしたのだろうか(笑)。
じゃあ実際Too-Rye-Ayがどういう意味なんだ、って言うと、どうも意味はなくって、お囃子の掛け声のようですね。アーコリャコリャとか、チョイナチョイナとか、ヘイヘイホーとか、そういう類いの言葉。
やっぱりお祭りなんだな。

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Too Rye Ay / Dexys Midnight Runners

“Ladies and Gentleman,I give you the Celtic Soul Brothers...”
アルバムはそんなアナウンスで始まり、バンドのテーマ曲のような“The Celtic Soul Brothers”、そこからホーンセクションがソウルフルな“Let's Make This Precious”へと軽快に続いていくのがすごく気持ちいいのだ。
ベースのソウルフルなうねりに、チープなドラムの温かみのあるリズム。ホーンセクションが威勢よく煽る一方で、フィドルやバンジョーやマンドリンやアコーディオン。どこかとても懐かしい感じ。
ヴァン・モリソンのかっこいいカヴァー"Jackie Wilson Said”や"Plan B”でのはっちゃけぶり、"Old"や"Until I Believe in My Soul”での胸しめつけられるようなせつなさ、それらの曲たちが泣いたり笑ったり踊ったり愛しあったりを繰り返していく様子は、ひとつの物語、ひとつの舞台、ひとつの人生を垣間見ているかのようだ。
そしてラストの大ヒット曲、"Come On Eileen"。
若い男の子が女の子を口説いている。
たぶん、お祭りの夜。
軽快なフィドルとバンジョーに合わせてケヴィン・ローランドが歌い出す。

ラジオから年老いたジョニー・レイの哀しみに満ちた歌
その昔、100万もの人々の心を揺さぶった歌声
母親たちがその昔歓喜したんだろう
それは誰にも咎められはしないさ
今、きみはは充分に大人だ
だから今、はっきり言うよ
さぁ、歌おう
僕らの親父たちがそうしたように


ジョニー・レイっていうのは1930年代に活躍した歌手。僕らの親の世代に例えれば、加山雄三や橋幸夫みたいな存在だったんだろう。
ジェネレーション・ギャップを感じつつも、父親や母親たちがしてきたのと同じような世界に足を踏み入れようとしている少年少女。この年になれば、自分にもそんな時代があったっけ?と思うような感じだけど(笑)、少年時代だからこそのやんちゃで恐いもの知らず、そんな若さがあふれたこの歌の二番が好きだな。

このあたりにいる人たちはみんな
伏し目がちで疲れ切った顔をしている
生気のない顔で「運命だ」なんてあきらめている
でも、僕たちは違う、違うんだ
あきらめるには若すぎるし、あきらめるには賢すぎるのさ


「でも、僕たちは違うんだ。」っていうひとことに、元々パンク少年だったケヴィン・ローランドの意志が現れているよね。

お祭りの夜が明けると、ひとつの決算を終えて、また次の春に向けて蓄える季節が始まる。
実りの秋。
今年、僕はどんなものを実らせただろうか。
正直、今年は少し栄養不足。今までの蓄積でとりあえずはひととおりの収穫はこなせているものの、大きな成果とはほど遠いような気もする。
まぁ、過去の経験を頼りに、最小限のエネルギーで目的地に速やかに達することができるのも大きな功績なんだろうけど、もうちょっと四苦八苦して泥にまみれながら今までに見たことのないものを手にしてみたいという気持ちと、もうそんな体力残ってないしのんびりある程度でやらしてくれよ、って気分が半々くらい。
あきらめるには歳をとりすぎたし、あきらめるには愚かすぎる、ってところか。
まぁいいや。まずはしっかりエネルギーを蓄えて冬に備えるべし。
冷たい冬の風が吹き付ける前に。







兵庫県成立の謎と失なわれた丹の国

我らが阪神タイガースは、もはやCS進出の望みもなく、最下位争いドラゴンズとの直接対決にも敗れ、最下位へまっしぐらという不名誉な結果でシーズンを終えようとしている。このふがいない闘い方と今の勝率なら、最終的に5位だろうが最下位だろうがもはや大して変わらない。
なんかいろんな選手をとっかえひっかえして、一年中オープン戦を観さされていたような気分がする(笑)。それくらい本気を感じられないシーズンだった。
期待の大きかったロサリオの不発や大山の伸び悩み、藤浪の不振や秋山の失速などいろんな要因はありましたが、、、そもそも選手たちが楽しそうじゃないのが問題かなぁ。首脳陣の責任は免れないと思いますが。

それはともかく。
大阪の人はなぜ兵庫県西宮市に本拠がある他県の球団を地元のように愛するのか、という疑問が古くからあります。
この謎の答えは、実はとても簡単。
そもそも西宮市を含む阪神地域は、大阪の一部分だったからです。
「律令国」という地域を区分けする制度は、飛鳥時代の昔から明治の廃藩置県に至るまで実に1200年以上も使われてきました。律令国の制度では、今の大阪府は摂津・河内・和泉の三つの国に分かれ、摂津国は実は淀川東岸から神戸までのエリアだったのです。
だから阪神地域と大阪は文化的には元々同じというわけ。
西宮がなぜ「西」か。大阪の西にあるからです。尼崎出身のダウンタウンが大阪的な代表として自然に認知されるのも、そもそも共通の文化を持つ土地だから。
大阪が元々3つの国で、パ・リーグに関西の球団が3つあったのはわりと理にかなっていたのだな。摂津の阪急、和泉の南海、河内の近鉄。どのチームもなくなっちゃったけど。

大阪から阪神地域をぶんどって成立した兵庫県というのは、実はとても不思議な成り立ちをした県です。
律令国は全国で五畿七道・68国ありました(明治になって廃藩置県までの間に出羽・陸奥の分割と、北海道の11国が加えられ五畿八道・84国になっています。)
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旧律令国の地域がそのまま今の県とほぼ同じなのが、上野=栃木県、下野=群馬県、甲斐=山梨県、信濃=長野県、越中=富山県、近江=滋賀県、大和=奈良県、讃岐・阿波・土佐・伊予の四国4県と肥後=熊本県、日向=宮崎県。
だいたいの県は、隣同士の国を合同させてひとつの県を作っています。だいたいはふたつの国の対等合併、小さな国ならみっつ。
伊豆+駿河+遠江=静岡県、三河+尾張=愛知県、飛騨+美濃=岐阜県、能登+加賀=石川県、越前+若狭=福井県、因幡+伯耆=鳥取県、出雲+石見+隠岐=島根県、備前・備中・美作が岡山県、備後・安芸で広島県、周防と長門で山口県、薩摩と大隅で鹿児島県。新潟県は越後一国のように見えますが佐渡国の合併です。
ところが、大都市近郊を中心に、単純合併ではないエリア変更が行われた場所がいくつかあって、兵庫県は播磨国+但馬国のみならず、摂津国の西部、丹波国の篠山・氷上エリア、さらに単体だった淡路国までを合併する巨大な県になっています。実際今もこの広い県の中での交通の行き来は悪く、友人の兵庫県民も「姫路ですら行くことないのに、豊岡なんて同じ県だと思ったことがない。」と言います。
そうやって阪神地域を併合して巨大な県になった兵庫県。でも、何百年も同じ地域・同じ文化圏だったつながりはそうそうすぐにはなくならない。
世界中にはこうやって恣意的に分断された国境を持つ国で民族紛争が絶えないわけで、これはただの例え話ですが、、、仮に戦後、日本がふたつの国に分割されその国境が兵庫大阪の府県境だったとする。兵庫側のウエスト国は運営が失敗して貧しくなり大阪側がイースト国が豊かだったりすると、西宮や尼崎市民がイースト国との民族統合を求める紛争を起こすことになる。世界で起きている紛争をそんなふうに例えて見るとわかりやすいのかもしれないです。民族なんていうほど大げさかと思うかもしれませんが、世界中の自称民族のほとんどは、播州人と大阪人の違い程度だったりします。関西人と関東人なんて世界標準でじゅうぶんに別民族です。双方がそう主張さえすれば。ま、これは完全に余談ですが。

では、どうして兵庫県が優遇されて巨大な県になったのか。
出身の政治家がゴリ押ししたとか、東京に対抗する勢力である大阪を分割して力を削いだとか諸説あるのですが、どうやらそれまで小さな漁村だった「神戸」を国際港として開き育成するために、兵庫県を大きくしたということなんだそう。兵庫県の税収を増やすため、農業漁業が盛んであった但馬国を文化的地理的につながりの濃い丹後や因幡ではなく、播磨へ合併させたということ。さらに、豊岡と神戸との廻廊にあたる丹波国の氷上、篠山をも吸収。
そのあおりで丹波の国は分断され、京都府に吸収されることになる。
丹波国は、元々山と川で分断され、京都寄りの亀岡、兵庫寄りの篠山、そして豊岡や舞鶴と繋がる福知山というそれぞれの地方がばらばらで発展し中心になるところがなかったらしいのですが、見事に分割されてしまったのです。
遠江の浜松、三河の豊橋、飛騨の高山、備後の福山など旧国の中心都市がそれなりに地方都市としての存在感を持っていることも多いことから比べると、丹波国はあまりにも存在感が薄く、京都・兵庫の付属地的扱いになってしまっていて旧国としてのアイデンティティが今や完全に消失してしまっている。ケンミンショーで京都市内出身の西村なんとかが大きな顔をしている一方で福知山出身の千原せいじがいつも小さくなっているのはそういうことだ。
もしもの話だけど、日本に開港を迫るのがアメリカよりもロシアのほうが早く、国際港として開港したのが神戸ではなく舞鶴だったら、ひょっとしたら但馬・丹後・若狭・丹波あたりで大きな「舞鶴県」みたいなのが出来ていて発展していたのかもしれない。京都は南部の山城国が近江・大和・伊賀あたりとくっついた県になっていたかもしれない。舞鶴県が栄えていれば、若狭に原発が集中することもなかったのかもしれない。

こういう意図的な統合・分離は神奈川県でも起きていて、今の横浜は元々武蔵国の辺縁の漁村だったそうですが、神戸と同じく国際港として育成するため、横浜を相模側に寄せて神奈川県の県庁所在地としたそうです。
肥前国でも幕府直轄地で国際港だった長崎を県庁所在地にして長崎県に仕立てたが、これに明治維新の勇藩だった佐賀が反発、肥前国は長崎県と佐賀県に割れることになったのだとか。
ちなみに元々「国」ではなかったのに分立して県になっているのは佐賀県以外には埼玉県だけ。ここにはどんな思惑があったのかも興味深いです。

兵庫、神奈川のように優遇された県とは逆に、丹波のように分割されて元の姿を留めなくなってしまった不幸な国もいくつかあります。
豊前国は、豊後国との単純合併ではなく、小倉など北側と炭田があった田川が筑前・筑後と併せて福岡県側に持っていかれ大分県が割りをくっています。日本の近代を支えた製鉄は本来大分県だったはずなのです。
下総国は一部が茨城県へ、一部が東京府へ、残りが千葉県に。両国という名前のとおり、武蔵と下総の国境は隅田川だったというわけ。
また、伊賀国は元々関西圏だったのに、伊勢国側へ統合。三重県は、伊勢・伊賀に志摩国と、元々紀伊国だった尾鷲・熊野が取り込まれるという複雑な成り立ちになりました。
1200年もの歴史に比べて廃藩置県があってからまだたったの150年。土地に根付いた文化というものはちょっとやそっとでさっと変わるわけではないようですね。



えーっと、どうでもいいことを長々と書いたなぁ(笑)。
元々何の話だったっけ?
阪神タイガースか。
ウーン、、、この調子では来年もあんまり期待できそうにないなぁ。。。
別に毎年優勝してほしいとかそんな贅沢は望みはしないのです。
ただ、もうちょっとスリリングでエキサイティングな野球で楽しませてほしい。さすがプロ!というプレーでワクワクさせてほしい。
景気づけに半ばやけで(笑)、六甲おろしでも歌っとくかー。

六甲おろし / 山本彩




♪ガボン

世界地図を見るのが好きだ。
暇なときに眺めていると、何時間でも見ていられる気がする。見るたびに何か発見がある。知らないことっていっぱいあるよなぁ、って思う。
で、ふと湧いた疑問。
「世界で一番知られていない国」はどこだろう。

ナウル、キリバス、ツバル、、、南太平洋の島々の国々はあんまり知られていないかも。
島国なら、カリブ海あたりの国々も未だに位置関係がうまく把握できない。えーっと、プエルトリコの南にセントクリストファー・ネイヴィスがあって、アンティグア・バブーダがあって、ドミニカ、セントルシア、セントヴィンセント・グレナディーンだったっけか。その隣がバルバドス、南西にグレナダ、一番南米に近いのがトリニダード・トバゴだ。
まぁでも、島嶼国がわかりにくいのは仕方がない。大陸にある国でいうとどこだ?アゼルバイジャンやアルメニア、或いはエストニア、ラトビア、リトアニアといった旧ソ連の国々は学生だった頃にはなかったからなじみはうすいけれど、けっこう新聞やニュースには出てくる。
やっぱりアフリカだな。ブルキナファソ、トーゴ、ベナン、赤道アフリカ、ガボン。
おぉ、ガボン。

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この国の名前を報道なんかで見聞きした記憶がない。
無名度最強かもしれない。ガボン。
めっちゃ独断と偏見だけど。
どんな人が住んでいるんだろう、ガボン。
どんな音楽が鳴っているんだろう、ガボン。
なんか名前の響きがいいよな、ガボン。
赤道直下だから、かなり暑いんだろうな、ガボン。
そうやって想像の翼を広げている時間は、とても幸せだ。
ガボン、ガボン、ガボン。

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調べずに想いだけ馳せてりゃいいものを、わからないことはつい調べたくなる性分。
Wikipediaによると、ガボン共和国は、共和制・大統領制を持つ立憲国家で人口は163万人。国土の80%は森林のため人口は海岸部に集中し、首都リーヴルヴィルに73万人が住んでいる。コートジボワールやナイジェリアなど17ヵ国が独立し「アフリカの年」と後に呼ばれる1960年にフランスから独立。通貨はCFAフランで公用語もフランス語。
気候は熱帯モンスーンで、一年間の平均気温は29~30℃、9月から5月までの長い雨季には毎月300mmの雨が降るが、乾季には35mmと極端に乾燥する。
主な民族は南部アフリカに多いバントゥー系で、宗教はキリスト教徒が73%。産油国であるほか、ウラン、マンガン、鉄などの鉱物資源も豊富で、一人当たりのGDPは7,736ドルと世界水準と比較しておよそ75%あり、住民の暮らしはアフリカの中では比較的豊か。そのためか、都市部では近隣フランス語圏諸国からの出稼ぎ労働者も数多く、近年は中国企業の進出が著しいらしい。

・・・思っていた以上に裕福な国らしいね。
アフリカだから未開だなんてことは今やありえない。そんなのは日本人はサムライ、ゲイシャだと同じような知らないが故の思い込みに過ぎないわけで。
音楽は、近隣の音楽大国コンゴのポリリズムを使った音楽や同じフランス語圏の西アフリカの影響のほか、アメリカの音楽もかなり入ってきているようで、ヒップホップが盛んらしい。
Youtubeではこんな動画も見つかった。

Abiba et Sidiki Diabate “Gabon 2017”

これはどうやら、2017年に開催された、サッカーのアフリカネイションズカップのテーマ曲のようだ。

ストリートでは、ヒップホップや弾き語り。
当たり前のことなんだろうだけど、すごく今のアメリカン・ミュージックとコミットしていてかっこいい。

Kero Skar “Babe on Rente”

Jarvi K “Comme Une Ombre”

ちょっと行ってみたくなってきたよ、ガボン。





204X年

時は204X年。
秋の臨時国会で「禁煙法」が可決された。
ついにタバコは非合法になったのだ。
国会前では愛煙家たちが「タバコを吸う権利を!」とデモを行って訴えたが、世論は冷淡だった。
今や日本の喫煙人口はわずかに2.6%、しかもそのほとんどは納税していない70代以上だったのだからやむを得ない。
喫煙者が減るにつれて国内のタバコ農家も収入減から次々と廃業し、JTも5年前からは高齢者用の医薬品や子供のいる家庭への非課税法制導入後に急遽増えはじめた乳幼児用食品を事業の中心に据えるようになったのだから、愛煙家にとってはもはや梯子をはずされたのも同然だった上に、デモのあとの公園の芝生で大量の吸殻が発見されたことが週刊文秋で大々的に報道されたことが致命傷になった。
かくして、1920年代アメリカの禁酒法よろしく、喫煙者のためのブローカーが暗躍することとなった。

「兄さん、いいものあるよ。一本2200円でどうだい?」
「お、おう、これは、、、」
差し出されたのはメビウスone。私が人生の多くの時間を共にしてきたかけがえのない相棒だ。
「こんなのもありますがね、ちょっと値は張りますが。」
そういってブローカーが開いたアタッシュ・ケースには、今や見かけることなどなくなった幻のタバコがずらり。
マイルドセブンやセブンスター、なんともいえない香りが魅力的だったピース・ライト、ラッキーストライクにキャメルといった洋モクから、ハイライト、しんせい、わかばまで。
「これなんかどうですか。メビウス改名直前のマイルドセブン、2013年1月製造のレアものですぜ。1本5000円くらいにお安くしておきますが。」
とりあえずは我が人生の相棒、メビウスoneをいただくことにする。
1本2200円。初めてタバコを吸った頃は一箱220円だったのだから、実に200倍だ。
思えばたくさんの稼ぎを煙にしてきたものだ。

連れていかれたブローカーのアジトには様々なシチュエーションのセットが用意されていた。学校のトイレ、体育館の裏といった定番ものから、居酒屋風、カラオケボックス風、オフィス風、警察の取り調べ室風、締め切り間近の漫画家風、ディレクター・チェア付きの映画監督風、今や懐かしい路上の喫煙コーナー風のものから、高級ホテルの一室で一夜を共にした女性といっしょにベッドで一服という悪趣味なものまで。
違法行為なだけに少しスリル感を味わいたくて、体育館の裏セットにすることにした。気の弱いいじめられっこの見張りオプションもサービスで付いているという。学生服のオプションもすすめられたがこれはお断りした。我が校はブレザーだったからだ。
せまい体育館の裏へ忍び込むように入って、見張り役に「先生がきたらうまいことごまかせよ!」と声をかけて、これもいまや入手困難なTOKAIの100円ライターでおずおずと火を付けて、ゆっくりと大きく吸い込む。
ライターで火を点ける瞬間。これがたまらない。電子タバコなんてのもあったけど、あれは邪道だ。タバコは炎を灯してこそだ。
大きく息を吸って、煙を吐き出すとくらくらする。
あぁ至福。
タバコってこんなにおいしかったんだよな。
はじめて吸ったときの、なんか大人になったような気持ちを思い出す。
思えば、タバコにはほんとうにお世話になった。
仕事で煮詰まったとき、上司に説教くらったとき、部下からわけのわからない苦情を申し立てられたとき。にっちもさっちもいかない判断を迫られたとき。
あの一服が僕を救ってくれた、ということがいくつもあった。
それから、集中して一仕事を終えたときのなんともいえない充実感とともに味わうタバコ。
休みの日になぁーんにもすることがなくてぼけーっとしているときに吸うタバコの開放感。
せわしなく流れる時間の中で追い立てられているとき、タバコを吸っているほんの数分間だけは、時の流れをこちら側に引き寄せているような気がしたものだった。頭をからっぽにしてゆっくりと吐き出す煙の中に、吐き出せない思いを全部込めていたんだ。

ゆっくりと時間をかけて一本のタバコを吸い終わろうとするときだった。
「おいっ!」と声がした。
「ん?教師に見つかるオプションなんて付けてないよ?」と思うや否や、うぉんうぉんと吠える声が聞こえてロボット警察犬が飛びかかってきた。続いて制服の警察官。
警察官は、警察手帳を見せびらかすように僕に見せ、
「ニコチン摂取及び煙草等吸引に関する法律第1条違反の現行犯により逮捕する。署まで同行願おう。」

・・・あぁ、ついに前科者だ。
拘束されてニコチンパッチを貼られてしまう。
それでも、それでもだ。
最後にゆっくりと一本のタバコを吸えてよかったよ。
観念して僕は腕を差し出す。
ありがとう、メビウスone、ありがとう。。。


拘置所で聞いた話では、このブローカー自体が、政府が仕込んだ罠だったのだそうだ。
タバコを吸いたい気持ちを逆手にとった摘発手法。まるでゴキブリホイホイみたいに愛煙家がぞろぞろと検挙される。しかもそれらの資金は、僕たちが長年政府に払い続けたタバコからの税金が使われているのだという。
自分で自分の墓の穴を掘っていたなんて、なんて間が抜けた話なんだろう。なんて愚かなんだろう。
まぁ、仕方がない。タバコを吸うという行為自体が、客観的にみて愚かな行為であることに違いないからだ。
でも、そういう愚かさこそが人生なんじゃないのか。愚かさをなくした人間なんておもしろくもなんともないんじゃないのか。なぁ、そうは思わないか、取り調べ官さん。
「2755008号、つべこべいわずに腕を出せ。ニコチンパッチを貼り替える時間だ。」


・・・時は204X年。







10月1日から、タバコ値上げ。
もし遠い将来にタバコが違法になっちゃうと、こんな素敵なアルバム・ジャケットも差し替えられたりしてしまうのかなぁ。。。

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台風を待ちながらの秋の夜に、リッキー・リー嬢を。
風を感じながら、ゆっくりと一本のタバコを吸おう。


Danny's All Star Joint / Rickie Lee Jones











♪跳び箱、或いは、努力は必ず報われるか

4月にうちの部署に来て、もうすぐ半年になる新人さんがいるんだけど。
彼がなかなか仕事の習得が遅くて、ちょっとみんなの悩みと心配の種になりはじめていて。
不真面目な人ではないので、教えたことはとりあえず「はい。」って返事してやろうとするのですよね。「できた?」って聞くと「できました。」、でも中身を点検してみると結構めちゃくちゃで。
そりゃ、わからないなりにやるんだから仕方がない。間違えて覚えればいい。で、間違えていた箇所を指摘して、正しい考え方を教える。すると「わかりました。」と。
ところが、次やってもらうと、またとんちんかんで、前回の指摘がまるで活かされていない。「えっ、ここ、前にもゆーたやん。」
「あ、そうでしたっけ。」
「これは、何でこうしようと思ったん?」
「え、それは、うーん、なんででしょう。」
そういうことがやたらと繰り返される。
コーチしている同僚もだんだんとイライラしてきてるのがわかる。
そうこうしているうちに時間だけがどんどん過ぎて、上司から「あいつ、こんなこともまだ理解しとぉれへんぞ。もう何ヵ月や。どんな教え方しとんねん。」などと言われはじる始末。

彼が努力していないとは思わないんだよね。
ただ、たぶん努力の方法がずれている。
そういうことってあるよなぁ、と子供の頃のことを思い出した。
小さな頃、僕は運動が苦手だった。
例えば跳び箱。
小学校も三年生くらいになると、みんな5段や6段くらいは平気で跳べるのだけど、僕は跳べなかった。
高いのじゃ無理なのか、と3段や2段に下げてもらっても跳べない。
みんなができていることができないということを、女子も含めてクラスメイトみんなが見ている前で曝されるというのは本当に耐えられないほど辛いもので。僕が跳べないと笑いが起きる。授業が終わってもからかわれる。小学校三年生あたりとういのはほんとうに残酷で容赦がない。(こういう状況でいじめられっこ的に転落しなかったのは、僕がお絵描きや漫画がとても上手かったからなのだが、その話はまた別の機会に。)
子供心にはものすごく落ち込んだよね。体育の時間が嫌で嫌で堪らなかった。
自分なりには一生懸命やろうとしてるんだよ。
でも、できないものはできないんだ。
ボクハキットヒトヨリモオトッテイルンダ、、、キットダメナヤツナンダ、、、コレカラモズットコウヤッテワラワレルンダ、、、
自己否定。できないことを延々とやらされることは、ほかのいろんなことまで自信ややる気を失わせていく。

そんなとき、担任以外の別の先生がアドバイスをしてくれたんだった。
「君は、踏み台を蹴ったあと、上に上に跳ぼうとしていて手が前に出ていない。跳ぼうと思わずに、体を前に出して、跳び箱の一番向こうの端っこをつかむようにしてごらん。」
半信半疑で言われたようにやってみると、今までは跳び箱の真ん中でどすんと尻餅を着くような感じだったのが、おしりをかすめるくらいまで跳べた。あ、できるかも。そう思って幾度かトライすると、すとんと跳べた。
なんだ、跳べたやん。できるやん。できないわけじゃなかったんだ。やり方が悪かったんだ。そういうふうにやれば跳べるなんて、誰も教えてくれなかったじゃないか。

どんなことでも新しいことをするときは、まず観察から入るようになったのはそれからだ。何をどういうふうにやったらどうなるのか。まずはじっくり観る。構造を把握する。間違ったやり方で馬鹿みたいに努力したって上達するはずはない。どうやって「コツ」をつかむかだ。
そういうことがわかりはじめると、馬鹿みたいに根性根性でまずはやってみろとかいう教え方をする教師や、理論や理屈で教えることができない大人を軽蔑するようになった。(そういう経験は、やがて学校や親に対して反抗的になって、ロック大好きになっていくことにつながるのだけど、そういう話もまた別の機会で。)

「努力は必ず報われるか」というよくある問いかけがある。
僕なりの結論としては、「無駄な努力ならやらないほうがまし」ということになる。
努力をすれば必ず報われるわけではない。
無駄な努力は逆に自信を失わせ、やる気を後退させる。どーせ何やってもダメだしどーせ怒られるし、って。できなかった悔しさをバネにがんばれる人も中にはいるんだろうけど、そういう人ばかりじゃない。
必要なのは、努力の量ではなくて努力の質。
努力の質を上げるために必要なものは、観察力と分析力。
できている人はどうやっているのか。自分はそのときどんなふうにやっているのか。それを客観的に見つけることができれば、自ずと問題は解決に向かう。
質のいい努力は、たとえ結果がついてこなくても何か残って、それは別の機会のときにすごく有効だったりするのですよね。そういう意味では「(質のいい努力なら)努力は必ず(何らかの形で)報われる」と言えるけど。

この跳び箱の話を先日彼にしてみたんだけど、うーん、リアクションは薄かった。。。
うまくコツを見つけてくれるといいんだけど。うまくコツを伝えられるといいんだけど。




Jump / Aztec Camera

跳び箱、ジャンプつながりで、アズテック・カメラの“Jump”を。
仕事帰り、雨が降っていたのでジャンプ傘を持って帰ったら、前の台風で壊れてた。

続・音楽歳時記 「秋分」

秋分。
あの酷暑がウソみたいに、すっかりと秋の佇まい。
誰だよ、今年は残暑が厳しいって言ってたのは。
たったひと月で15℃近くも気温が変わるとなかなか体がついてこない。ただでさえ疲れが溜まってなかなかベストの体調とは言い難い中で、ちょっとすっきりしないなんだかなぁ感を引きづりながらぼやぼやしている今日この頃であります。
こういう季節のこういう体調、スコーンとストレートなものよりもちょっとネジくったもののほうが心地よかったりするのです。でも、へヴィーなのはダメだ。余計に疲れてしまう。
ということで、秋分のチョイスはスティーリー・ダンなんかはいかがかと。

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Aja / Steely Dan

元々、パンクでブルースな音が好物な僕としては、若い頃はそんなに好きなほうではなかったのですよね、スティーリー・ダン。マニアックな人たちがああだこうだと蘊蓄を語るのもあまり好感度が高くない理由のひとつ。音楽は理屈じゃないだろっ、って思ってしまう。
でも、その「音楽は理屈じゃない」という観点でいくと、やっぱり理屈じゃなくかっこよくって気持ちいいのですよ、この音は。
精密で複合的で繊細な作りであるにもかかわらず、とても強度が高い。さらっと聴いてもいいし、じっくり聴いてもいい。シルキーなのに骨太。楽しいときにはポップな音に聴こえるし、辛いときにはへヴィーな音にも聴こえる。聴くたびに「いいなぁ」と思える場所が違っていて、どこにでも宝島へのルートが仕込んである。そんな、一筋縄ではいかない音楽。そういうところ、ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの二人の仕掛けた罠どおりに、罠だとわかりながらはまってしまうのですよね。
この二人が望んでいるのは、ただただ「いい音楽のためにすべてを機能させる」こと。そのために細部まで徹底的にこだわる。練りに練った上で、基準以下のものは惜しげもなく捨てる。自らがプレイヤーでありながら、自身は弾かずにもっと巧い人に任せることも当たり前。
そういう意味で、この二人の「仕事人」としての凄みにはただただ感服するばかりです。
「仕事とは、文字通り事に仕えること」
って、誰かが言ってたけど、事を成就させるためには、結局は、諸々の感情もしがらみも一旦横へやって、求められる結果に対して最善の方法を選択し続けることしかないんだよな。
この二人のやり方は、そういう意思に貫かれている気がする。
ありとあらゆる可能性を考えた上で、ねじくりまわしこねくり回した上で、最後は自分の中で響いているグルーヴを信じる。具体的で現実的な行動の積み重ねの上にだけ時折天から降りてくるマジック。
いい仕事っていうのは、結局はそういうもんだろうな。

なぁんてことを思いながらも、今はこの心地よさに身を委ねて頭をからっぽにしておきたい気分。
暑さ寒さも彼岸まで。
蒸し暑かったり肌寒かったり、雨が降ったり爽やかないいお天気だったりを繰り返しながら、季節は少しずつ冬に向かっていく。
結局のところ、どこかでマジックがスパークすることを、過度に期待せずにそれでもあきらめずに待ちながら、目の前の日々やるべきことに気持ちを込めて積み重ねていくしかないのですよね。
暑さ寒さも彼岸まで。



Black Cow / Steely Dan


♪It's Alright

疲労困憊。フラフラだ。
先週の木曜日くらいかな、外出先から帰りの電車に乗って座ったとき、一瞬、脳味噌がフリーズしてなんにも言葉が出てこないような感じになった。あ、なんかヤバいぞ。
とりあえずその日はさっさと眠って回復したものの、土曜日、月曜日と立て続けで大きなイベントもあって、ユンケル飲んでしのいだ。週はじめからもうフラフラだ。
元々お盆明けから秋口にかけては大きなミッションがあって非常に忙しいのだけれど、今年は特にちょっと背負わないといけない状況があって、お盆休み返上で働いたのだ。
そのミッションの一番の剣ヶ峯は越えて、ほっとすると同時にちょっと疲れが出てきた、という感じ。ほんとはさっさと山を降りたいのだけど、このあとはだらだらと下り坂が続いてなかなか下りきれない。
加えて今年の夏の酷暑。けっこう堪えたよね。地震、豪雨、台風、その都度緊張もしたし、事後処理も諸々あった。
ここへ来て急に涼しくなってきて、体のほうが「そろそろ休ませろよ。」とストライキを起こしはじめているのかもしれない。
そもそもの原因は肩凝り、もしくは運動不足からくる全身の凝り、血行不良。
仕事柄、運動はしない上に、パソコンで細かい文字を読んだり書いたりチェックしたりするから、そもそも肩凝りは慢性的。その上リフレッシュでもモノを書いたり本を読んだりするから、なかなか脳や眼は休まらないよね。
僕くらいの肩凝りのプロになると、普通の肩凝りくらいではもはやなんともない。背中がバキバキになってきて背を反らすのも痛いくらいになってきたり、足首やふくらはぎが痺れてきてようやく「これはかなりヤバい状態になってるな」と気づくのだ。
こんなとき、一番の治療法は大好きな人の胸で眠ること(笑)。いや、それは冗談だけど、それが叶わないときの治療法といえば銭湯だ。
ちょん切って財布にしまいこんである、新聞の折り込みについている割引券の有効期限を確認してからカウンターへ行き、タオルを借りる。コインロッカーに服をしまう。
軽く湯船に浸かってから、サウナへ。ぼとぼとを汗が滴り落ちる。それから露天風呂で放心状態に。これを3回繰り返して、きっちり一時間。仕上げはジェット・バス。
あぁ、生き返る。
溜まった老廃物が流れ落ちて、血が隅々まで堰を切って流れていく。背中のバキバキや足首のゴリゴリが溶けていく。
リハビリテーション。
心も体も知らないうちにいつの間にか凝り固まるからね。
ほぐさなきゃ。
銭湯を出ると秋の夜風が心地いい。
銭湯から帰るカー・ステレオで聴いていたのは、斎藤誠さん。ギターとオルガンがとても気持ち良く鳴っていて、そこに哀愁漂う秋の風のように穏やかで深みのある声。インプレッションズへのオマージュのようなソウル・サウンド。

“It's Alright ” 斎藤誠

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Number9 / 斎藤誠


夏のはじめに西城秀樹さんが逝って、秋になってさくらももこが亡くなって、安室さんが引退し、樹木希林さんが逝った平成最後の夏から秋。
時代も季節も移ろっていく。
いつの間にか歳月が重なっていく。
そりゃ、だんだん無理がきかなくなってくるのも当然なのかも、と衰えと停滞を受け入れつつ、うーん、まだもうひとふんばりしないとなぁ。。。






「かたい」おせんべい

仕事柄、校正や校閲に関わりがあって、ちょいちょい「日本語って難しすぎっ!」と思うことがあります。
敬語なんかも難しいけど、やらかしがちなのは同じ意味の言葉でどの漢字を充てるのが正しいのか、ってやつ。
例えば「かたい」という言葉には「硬い」「堅い」「固い」がありますが、これらはどう使いわけるのか。
さて、問題です。
「かたい」おせんべいは、「硬い」?「堅い」?「固い」?
解りました?解けるかな?当たるかな?

ほとんどニュアンスの世界ではあるのですが、これは反対語を考えると判りやすいのだそうです。
「かたい」の反対語って「やわらかい」に決まってる?それが、そうでもないらしい。
まず、「硬い」の反対語は「柔らかい・軟らかい」です。一番よく使うのはこれ。物質としての硬度が高いもの。元々硬いものもあれば、硬くなるというような使い方もされます。
「堅い」の反対語は「脆い」なんですね。
堅い意思とはいうけど、軟らかい意思とは言わないでしょ。「硬い」がひとつのモノであるのに対して、もともとは硬くないものが集まって硬度が高くなったニュアンスがあります。鉄は硬いけど木は堅いのです。堅牢な建物は、ひとつひとつは堅くなくても頑丈な作りなのです。
で、「固い」はどうだっていうと、これの反対語は「ゆるい」なんですって。固まるの反対語は、緩む・弛むとか溶ける・融ける・熔けるとかですよね。だから、氷は固いし、角砂糖も固い。豆乳を固めてつくるのだから豆腐も固いのです。豆腐のようなやわらかいものにも使えるということは、「硬い」が絶対的な硬度の表現であるのに対して「固い」は相対的な表現であると言えます。
なんとなくお分かりでしょうか。

で、「かたい」おせんべいの問題の解答は・・・
元々堅焼きにしてあるおせんべいだったとしたら「堅い」おせんべいが正解です。
ただし、元々堅くないおせんべいが、封を開けて置きっぱなしにして乾いてカチカチになってしまったとしたら、これは「硬いおせんべい」といってもいいのかもしれません(笑)。
英語だとぜんぶ「ハード」で済むんだから、ややこしいったらありゃしない(笑)。
英語だと、実現への難易度を表す「難い」まで「ハード」ですからね。ちなみにこの「難い」の反対語はもちろん「易い」です。
日本語、奥が深い。。。
もちろんこれは日本人が繊細で機微が豊かでアメリカ人ががさつ、ということではありません。例えば日本語だと「高い、安い」で表現される言葉が、英語では「ハイ、ロー」の他に「エクスペンシヴ、チープ」があったりします。
要はどこに注目するかの民族性の違い。

実は、この文章に他にも漢字を使い分ける言葉を他にもいくつかちりばめておきました。

・解る ・判る ・分かる
「解る」は、正解がある問題の答えを導きだすようなニュアンス、「判る」はAorBを判断するニュアンス、「分かる」は物事を理解すること。

・柔らかい ・軟らかい
「柔らかい」は、ふかふかとかぷよぷよ、「軟らかい」はぐにゃぐにゃ。軟体動物とか軟式ボールみたいに芯がないものには「軟らかい」、それ以外は「柔らかい」、でしょうか。

・当てる ・充てる
「当てる」は、元々の的があってそれにぶつける、命中させるというニュアンス。「充てる」は容れものがあってそれをいっぱいにするというニュアンス。充たすともいいますね。

・緩む ・弛む
「ゆるむ」は、傾斜や締まり具合など、きつくなっていたものがそうでなくなった状態のこと。概ね「緩む」でカバーできるようですが、弦とか弓とかピンと張っていたものがそうでなくなったときだけは「弛む」が使われるみたい。ギターのペグが緩んで弦が弛むのかな?

・溶ける ・融ける ・熔ける ・解ける
「溶ける」は液状のもの、もしくは固まっていたものが液状に戻る感じ、ただ金属など本来個体のものが高い温度で液状になる場合に限っては「熔ける」。「融ける」は液体に限らず、結んでいたものがほどけるような場合も指す。「解ける」は単に、解くという動詞の可能形だから、正解に導かれる、あるべき状態に戻るような感じ?魔法が解けるとか。

・安い ・易い
「安い」は、価格などがある規準より低い状態。「易い」は、ある規準を越えることに対しての可能性が高い状態、、、という感じ?価格が安いと買い易いのですね。

こういうこと考えていくのはとてもおもしろい。
モノ以外の「心の状態」に対してもこういう表現は使われますが、固い意思、頑固、決意を固めるなどというところからすると、日本人は「心」というものは液状もしくは小さな粒状のものであると捉えているのでしょうね。
一方、手堅いとか堅実とかいう言葉からは、人間の行動は、こよりのように寄せ集めたり束ねたり積み重ねたりして強度を増していくものだと捉えている感じが窺えます。
絆とか友情は「堅い」かなぁ。友情はほどけるイメージだけど団結はゆるむから「固い」か。いや、絆は深いがなぜか使われるね。愛情も深い、だ。これはまた別の問題。
充実するということは、心の中には本来充たされるべき空洞があるのだなぁ、とか、生活態度が緩んでいる、ということは、生活というのは張っているのが普通の状態と捉えられているのだなぁ、とか。

ブルーハーツのファースト・アルバムに『パンク・ロック』という名曲があって、♪あぁ、やさしいから好きなんだ~僕 、パンク・ロックが好きだぁー、ってヒロトさんが歌うのだけど、あれ「優しい」からなのか「易しい」からなのか、ほんとはどっちなんだろう?

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The Blue Hearts / The Blue Hearts




続・音楽歳時記 「白露」

とんでもなく強烈な台風が去ったかと思えば北海道の大きな地震。
被災された方の無事と安寧な暮らしが少しでも早く戻ることをお祈り申し上げます。
でも、どうしようもないよね。
災害に抗う手立てはないんだと思う。
いつだって自然は、人間の想定なんて、軽々と越えてくる。人間の想定を嘲笑うかのように、なんて比喩すら通用しない。自然は嘲笑ったりはしない。ただ、現象としてそこにあるだけだ。人間たちだけが勝手に、経験上からこの程度だろうと勝手に想定して、勝手に想定外だと騒いでいるだけなのだ。

・・・なんていうものの見方は、ニヒルに過ぎるだろうか。
だけど心配したってしかたがない、不安になったってどうしようもない。今は状況を受け入れて、耐えるしかない。
お天気は巡るし、季節も巡る。月は満ちては欠ける。
台風だって地震だって、来るときは来る。
人間の暮らしとは関係のないところで古代から未来までずっと繰り返すサイクル。
そういうのが来たら、できるだけ安全な場所を見つけて、辛い時期が過ぎていくのを待つしかないんだ。

節季は白露。
狂ったような酷暑が過ぎて(これもただの比喩で、自然は狂いはしないのだが)、幾ばくか過ごしやすくなったのに、なんだか大きな穴がぼこっと開いた、いや、えぐりとられたような気分が拭えない。
こないだ大阪で起きたことは、これからも起き得ることだ。今、北海道で起きていることは、いつかそのうち、僕らの街でも起こり得ることだ。
でも、びびったってしかたがない。
そういう世界で、生きていく、生き延びていかなくっちゃいけない。
悲壮になってもしかたがない。
どこ吹く風でやり過ごすんだ。なんてことはない。どうせ、生きてるだけで儲けもん。

秋の入り口にふさわしい音楽をと思ったんだけど、今はもうちょっとニヒルでクールな気分。でもどこかぶっ飛ばしたい気分。
そういうとき好んで聴くのは、例えばこんなレコード。

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Eventually / Paul Westerberg

ポール・ウェスターバーグさんは、元々リプレイスメンツというカレッジ・バンドにいた人。
アルバム・タイトルのEventuallyっていうのは、“結局”とか“やがて”とかいう意味。論理的な結論というよりは、“とどのつまりは”みたいなニュアンスだろうか。
ちょっとアコースティックでフォーキーな味わいがありつつ、どこかクールでニヒルでパンキッシュ。
決して情熱的でもポジティブでもない。だけど、やけっぱちでもない。そこはかとないアキラメ感はあるけれど、絶望的なテイストは希薄で、ざらざらとした気持ちを歌いつつもどこか淡々としてこざっぱりした感じもある。
いろいろあるけど受け止めてさ、なるようにしかならん世の中だけど、ぶれずにまっとうするしかないんちゃうの、あんたに強要はしないけど、俺はそんな感じやってくから・・・みたいなね。

大好きな一曲に、“Good Day”という歌がある。

Good day doesn`t have to be a Friday
Doesn`t need to be your birthday
The next one then you won`t survive
Sing along hold my life
A good day is any day that you`re alive
Yes a good day is any day that you`re alive

良い日は金曜日でなくったって構わない
誕生日でなくったって構わない
次の瞬間、きみは生き延びてはいないのかもしれない
暮らしにしがみつて、歌うんだ
きみが生きている日はいつだって良い日
きみが生きている日はいつだって良い日



そういうことだよね。
生き延びたいね。
必死にならずに、飄々と、笑みを浮かべてね。
季節は秋だ。
穏やかにいこう。楽しんでいこう。




◇固有名詞統一戦線、もしくは役に立たない雑学

何気に気になりませんか?
なぜ、金正日はキム・ジョンイルなのに、周近平はシュウ・キンペイなのか。
金正日は日本語読みでキン・ショウニチと呼ばず現地語読みでキム・ジョンイル、でも周近平は現地語読みでシー・ジンピンとは呼ばない。
これは1984年に韓国の要人に関しては現地語で表記せよ、と韓国からの申し入れがあったことを受けてのもの。日本の植民地支配時代に創氏改名を押し付けられたことへの反感と自立心が背景にあったと思われます。それで、当時の全斗奐=ゼン・トカンと呼ばれていた大統領はチョン・ドファンと呼ばれるようになり、それ以降韓国人・北朝鮮人は現地語読みで報道されるようになりました。新聞にもよく見るとルビがふってあることが多いです。この協定がなければ、ぺ・ヨンジュンは裵勇浚=ハイ・ユウシュン、チャン・ドンゴンは張東健=チョウ・トウケンとでも呼ばれていたのかもしれません。なんだかピンときませんね。
一方中国とはそういう協定がないので、それぞれが漢字を自分とこの読み方をしている。安倍晋三は中国ではアーペイ・チンサンと呼ばれているそうだ。それもなんか違うよなー。

人名以上に地名はめちゃくちゃです。
中国は基本漢字を日本語読みですが、なぜか北京、上海、香港、青島あたりは中国語読み優先。誰もホッキョウとかジョウカイとは呼ばない。でもウーハン(武漢)はブカン、ハンチョウ(杭州)はコウシュウなのですね。クワンチョウ(広州)もコウシュウだからややこしくてたまらない。日本語読みか中国語読みかの線引きの基準はかなりグレーなようです。判断基準はどっちがメジャーかっていうレベルみたい。

そもそも中華人民共和国、中国語ではジョンファ、チャイナというのは日本語でいう支那と同じ秦の始皇帝の「秦」からきた言葉。英語でチャイナはOKで支那は差別語扱いというのはちょっと腑に落ちない。
韓国のコリアも「高麗」から来てるからずいぶん古い。ハン流という言葉も定着したんだからテーハミングク、ハングクでいいと思うけど、まぁあちらさんもニッポンとは呼ばずイルボンだからおあいこか。
実際のところ、自称と他称が違う国というのは思いの外多いのです。
オランダはネーデルラント、スペインはエスパーニャ、くらいはわりと知られていますが、インドはバーラト、ギリシャはエラス、エジプトはミスル、アイルランドはエール 、フィンランドはスオミ、ハンガリーはマジャール、クロアチアはフルバッカ、ポーランドはポレスカ、オーストリアはエスターライヒ・・・などなど。
古くから知られている国ほど違う呼び方がまかり通っているようで、ドイツやウクライナなんかは日本語と現地語が一致していて英語が違う珍しい例。Uklaine、そりゃそのまま読めばユークレインでしょうけど、ウクライナとはだいぶ語感が違うよね。
日本でだけしか通じない誤用の代表格がイギリス。イングランドのポルトガル語読みが語源だそうだけど、イングランドをイギリスと呼ぶならまだしもウェールズやスコットランド、北部アイルランドとの連合国をイギリスと呼ぶのは明らかな誤用。グレートブリテンかUKでいいんじゃないかと。
誤用といえばアメリカ合衆国の訳もですね。United Statesは直訳すれば諸国連合。合衆国ではまるで民衆が団結している国みたいだけど、実際のところそうではない州の集まりなんだから、せめて合州国とすべきです。
メキシコはメヒコ、アルゼンチンはアルヘンティナ、ホンジュラスはオンデュラス、これはまぁ、スペイン語読みと英語読みの違いだけど。ニッポンのジャパンもまぁここに当たるのかな。「日」という字はジツとも読むように、中国語ではジー。これがジーベンになってローマ字でJになり、ジャパン、スペイン語圏ではJをハ行で読むのでハポン、というわけ。
読み方といえばコスタリカはひと続きではなくコスタ・リカだし、プエルトリコはプエルト・リコと区切るのが正しい。Costa Rica、英語で言えばRich Coastだし、Purto RicoはRich Portなのだから当然だ。

現地語読み以外では読んでくれるなと通達を出したのがコート・ジボワール。昔はアイボリー・コーストとか象牙海岸とか呼ばれていた。
エベレストがチョモランマに、エアーズロックがウルルに、エスミモーがイヌイットに、能年玲奈がのんに(←これは違う)なったみたいに、自称を主張すればそのうち定着するはずだ。最近ではボンベイがムンバイに、カルカッタがコルカタになった例もあったし、グルジアがジョージアと呼んでくれと宣言してようやく定着してきたわけで、どこの国もそういう宣言すればいいのにね。ミャンマーみたいに、そう呼んでくれと戦争をしても、軍事政権を認めないと拒否されてビルマもしくはバーマと呼ばれ続けている国もあるけれど。
まぁ、そんなふうに世界は実はみんな自分とこ都合で自分とこの事情にあわせて相手を呼んでいる。昔訪れたギリシャでは、イスタンブールのことをコンスタンチノポリスと表記していて、「イスタンブールへ行きたいのです」が通じなくて困ったことがあった。ギリシャ人にとってはあの街は未だに東ローマ帝国の首都でトルコ人の支配を認めたくないということなんだろう。
そんなふうに、固有名詞が呼ばれ方が違うのはややこしいよね。通じないなら意味ないんじゃね、って思ってしまいます。

などなど、かなり長文で蘊蓄語ってますが、元ネタとしてはこういう本。

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世界の国名地名うんちく大全 / 八幡和郎

まぁ、自分のブログで蘊蓄語るのは良しとしていただければ。
こういうことを知って、なんかためになるのか、と言われると、チコちゃんに「ぼぉーっと生きてんじゃねーよっ!」って怒られない程度のことかもしれないんだけど(笑)。
ただ、固有名詞っていうのは、唯一無二でアイデンティティーの依り処ですから、やっぱり当事者が納得する呼び方をするのが一番ですよね。「お前の名前はこうだ」と第三者に決められた名前で呼ばれたくはないのです。






◇ポケットに物語を入れて

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ポケットに物語を入れて / 角田光代

文庫本には必ず巻末に解説が載っている。
この解説を読むのがけっこう好きだ。
場合によっては、つい解説から先に読んでしまうという、本読みとしては邪道極まりないことをすることもあるくらい。邪道だろうがなんだろうが、好きなものは好きなのだ。
その解説で書かれたことが、実際自分が読んだ感想ととても近いこともあれば、まるで違うこともあるのだけれど、たぶんそういうことはどっちでもよくって、誰かが表現したことに対してどう向き合ったか、ということを聞くのが好きなんだろうと思う。

角田光代さんは、世代が近いだけあって、なんとなく物の感じ方が近いような気がして勝手に親近感を抱いている作家のひとりで、この本は、角田さんが書いた解説や雑誌に掲載された書評みたいなものばっかりを集めたというちょっと掟破りな本だ。
解説や書評がブンガクとして成り立つのか?という素朴な疑問はすぐに吹き飛んでしまう。
読んだことのある本は実際そう多くはないのだけれど、どの書評からも、角田光代さんという作家独特の感じ方が浮かびあがり匂いたってくる。その本を読みたいというよりも、人はそうやって誰かが表現したことに対して共感したり、自分の思いを手繰り寄せたりするものなのね、と感じることが楽しい。
水面に石を投げ込んだときの広がる波紋のように、誰かの言葉が心の中で広がって別の波を呼び起こす。さざ波はやがて岸辺にたどり着いて、また別の波紋を起こす。そうやって心のさざ波が連鎖して行く中で、今まで気づいていなかった自分の中にある感情が呼び覚まされたりする。

誰かが感じた何かも、自分が感じた何かも、心の底に一度沈んで、混ざりあったり溶け込んだりしながら静かに堆積していく。
その地層みたいな堆積物の連なりの中からひょっこりと新しい言葉が生まれたりする。或いはそういうものが生まれなかったとしても、その地層を眺めるだけでもその人らしさがうかがえたりもする。
そういうのって、ちょっといいよね、って思ったりするのですよね。








◇パックス・モンゴリカ

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パックス・モンゴリカ ーチンギス・ハンがつくった新世界ー / ジャック・ウェザーフォード

「モンゴル帝国」について最初に興味を持ったのは、エジプト・トルコへ旅行した時にたまたまトランジットでモスクワに立ち寄ったことがあってからのこと。いわゆるバックパッカー的な貧乏旅行で、当時まだソ連だったエアロフロートがカイロへ行くには一番安かったのだ。
モスクワで一泊して赤の広場とかを観て、数時間街をうろうろした。そのときはなんとも思わなかったのだけど、その後トルコに行ったら、建物や街の作りがとてもモスクワと似ていて。え、なんでそんなに近いんだ?と思って帰国してからいろんな本を読むうちに、ロシアもトルコもかつてはモンゴル帝国に支配されていた期間が長かったんだ、ということを知ったのだ。その後、中国の内陸の町へ行った時ににも同じことを感じて。
そもそも、ロシアという国がヨーロッパから中央アジア、シベリアに広がるあんなにどでかい国土を持っているのは、モンゴルの支配地をそのまま受け継いで拡大したから。そもそもは黄河、長江流域の中原地域だけを支配していた歴代のいわゆる中国各王朝が、満州・内蒙古・ウイグル・チベットを含む漢民族以外の領土を持つようになったのも、モンゴルが拡大した支配地をそのまま受け継いだからだ。

モンゴル帝国については、学校の世界史ではほとんど習わないのですよね。
チンギス・ハン率いる騎馬民族が中国を支配下に置いて「元」という王朝を作ったこと、西方まで勢力を広げてキプチャク・ハン国、イル・ハン国、チャガタイ・ハン国といった国になったことや、日本も支配しようと戦争を仕掛けたが失敗したこと、、、くらいしか教科書には出てこない。
元寇の脅威と西欧中心の歴史観が相まって、モンゴル帝国=残酷な虐殺を繰り広げて人民を蹂躙した悪徳国家のような印象が強いのだけど、モンゴルが全ユーラシアを平定したからこその安定の時代「パックス・モンゴリカ」の時代があり、世界史に大きな影響を与えた、というのがこの本の主張。
この本を読むと、モンゴル帝国の行ったことっていうのは、教科書1、2ページ程度でトピックス的に扱われる辺境での出来事ではなく、世界史上の最重要の出来事のひとつだったことはおろか、モンゴル帝国が作り上げたことが現代社会の基礎として受け継がれていることがよくわかる。

モンゴルという国は、交易、すなわち商業を中心に成り立っていた。遊牧民の暮らす本国は何ら産物を生み出すわけではなく、支配した土地から収奪する、或いは上納させる富で権力を維持していた。やがて収奪が一定の限界に来ると、交易を発達させることで国家の収入を得ることになる。
モンゴルが行った国家運営が他の国々と違っていたのは、代表的には以下のようなこと。
●統治者であるハーンは指名による世襲ではなく、一族のみとはいえ選挙を通じて選任されていた。
●公正な貿易を行うために広い支配地域に共通の法律を整備した。
●道路を整備して山賊を取り締まり、50kmごとに駅を置く駅伝網を整備することで情報通信網を整備した。
●世界中から集めた莫大な富を信用に、紙幣を流通させた。
●異民族を支配はするものの、忠誠さえ誓えばその地方に大きな自治権を与え、宗教や言語は押し付けず、政教分離を行い信仰の自由を守った。
モンゴルの国家運営はとても合理的で、それらはいずれもそれまでの中世社会にはなく、とても革新的なことだった。
そしてそれらは、後にグローバル化していく世界の価値観・・・資本主義や民主主義、政教分離や自治による連邦制などの基礎となっていったということなのだそうだ。

そもそもモンゴルがユーラシア大陸を東から西まで統一するまでは、ヨーロッパ~西アジアまでの地中海世界と、中国・東アジア世界の間には直接的な交流はなかった。それぞれの地域がそれぞれに発展を遂げてきたわけで、13世紀のモンゴルの出現によってはじめて「世界史」が始まったのだ。
そして、交易が活発化することで、羅針盤などの航海技術や製紙技術、印刷技術、それに火薬などの軍事技術など中華文明の優れた技術が14世紀を通じてヨーロッパに伝わったことが、15世紀以降のヨーロッパのルネッサンス、そして世界進出の礎になったのだそうだ。
もっとも良いことばかりではなく、ペストという災厄をヨーロッパにもたらしたのもモンゴルの交易網によるものなのだが、ペストで中国世界が壊滅的になったからこそのその後のヨーロッパの躍進という側面もある。
もし、モンゴル帝国が存在しなければ、ヨーロッパの席巻する大航海時代はなかったのかもしれない。アメリカの発見やアフリカの植民地化もなかったのかもしれない。
もし、元寇に敗れて日本もモンゴルの支配地となっていれば。朝鮮やチベット同様にそのまま中国の属国となっていた可能性も大いにあり得る。
まぁ歴史に「もし」はなく、歴史いうのはそうやって相互に影響を与えながらすすんでいくものだけれど。

ちなみに元は、1274年と1281年の二度の失敗で日本をあきらめたあと、1288年にはベトナム、1292年にはジャワ(インドネシア)にも派兵し、敗北している。それで海での戦いには懲りて台湾やフィリピンには攻撃すらしなかったのだとか。日本が守られたのは、神風なんて関係なく、ユーラシアを席巻した騎馬隊の戦法は海では通用しなかったということだったのですね。
同様にヨーロッパの西への侵攻が旧ソ連圏までで止まったのも、森や山脈に阻まれてのこと。馬に餌を与えるために必要な草原がない場所では、モンゴル軍は思うような活動ができなかったのだそうだ。

いずれにしても、学校で教わる「世界史」というのは「西欧史」と「中国史」に偏りすぎていて、ついつい西欧と中国が古代からずっと覇権を握り続けていたような潜在意識を刷り込ませるのだけれど、なんてことはない、パックス・モンゴリカの時代、西欧は世界の辺境だったし中国も非支配地域だったのだ。
それが時代を経るうちにひっくり返る。
世界は元々、そんなふうにダイナミックだった。
アメリカと中国の関係がどんどんキナ臭くなっている昨今の情勢。
そんな中でこの国はどこへ向かおうとしているのか?
なんとなく今までの流れの延長上でなんとかなるさとぼんやりしてたら、とんでもない場所へ追い込まれてしまうのではないのかしら?なんて思ったりもする。









続・音楽歳時記「処暑」

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On The Beach / Chris Rea

クリス・レアの“On The Beach”。
このレコードがリリースされたのが1986年。
19歳だった。
一人暮らしをはじめて、アルバイトばっかりしていた。バイトのない日にはどこか友達の部屋で飲んでいた。
その頃の僕は、ハードなロックやパンクばっかり浴びるように聴いている少年だった。心の中の野獣を解き放つようなカッコよさにしびれていた。ただただ意気がって虚勢を張ってばかりの自分、荒波にもまれて呑み込まれてしまいそうな自分。そんなちっぽけな自分自身が、溺れたり迷ったりバラバラに砕けてしまったりしないようにするためには、ロックのビートがもたらしてくれるエネルギーが必要だったのだと今は思う。ハードなギターの音や激しいシャウトでからだの中を満タンにすることが、あの年頃特有の不安や不満から逃れる一番の方法だったのだ。

そんな僕が、ハードでへヴィーな表現とは程遠い、老人のひなたぼっこみたいにひなびたこの音楽を気に入ったのはどうしたわけだったのか。
なんの予定もない日なんかに、このレコードをかけてぽかんとするのが好きだった。部屋の隅っこで膝を抱えて、ってほどではなく、むしろ狭い6畳部屋に精一杯大の字に寝転んで、窓からほんの少し覗く空をながめたりしながら。
クリス・レアの声はとてもしゃがれてはいるけれど、ブルースマンたちの音楽のようにざらついてはいないし重苦しくもない。むしろしゃがれた声質とは裏腹にやわらかで穏やかで、奇妙な明るさや爽やかさすら感じるのだけれど、数多いるAORのシンガーのようにただの甘い優しさでもなく。そんな不思議な立ち位置。抑制の効いた歌い方で感情を表に出さず、けれど感情を圧し殺しているわけでもなく、淡々と歌う中に諦念の感情は感じるけれど、それは絶望とはまるで違う種類のもので。
聴いているうちに、青い空に吸い込まれて溶け込んでしまうような気がして、30年も40年もがあっという間に過ぎてしまうような気分になったものだった。

そして、実際あれから30年以上が、思い返せばあっという間に経ってしまった。
1986年の夏と今年の夏、果たして一体何が違うのだろう。あの頃から失ってしまったもの、あの頃はまるでわからなかったこと。変わってしまったこと、今も変わらないもの。それを成長と呼んでいいのかどうかはよくわからないけれど。
あの頃50歳を過ぎた自分の姿なんて想像もつかなかったけれど、現実に50才を過ぎた自分が紛れもなくここにいて、それがなんだかとても奇妙な気がする。うまくは言えないけれど、心の底をうわぁぁぁーっとかきむしりたいような気分になる。それは、そんなに悪い感情ではないのだけれど。

それにしても暑かったねぇ、今年の夏。
実際まだまだ蒸し暑くはあるのだけれど、暦は処暑。暑さが止まるところ、という意味だ。
どんなに暑い夏だって、やがては穏やかに過ぎていく。
それも、決して悪い感情ではない。
穏やかに過ぎていく。
その景色を、かみしめるようにゆっくりと味わえそうなほどには大人なったのだろうか。
っていうか、実際のところ、暑いのはもううんざりなんだけどー(笑)。


Just Passing Through / Chris Rea







陸前高田

初めて陸前高田を訪れたのは、震災があった年の夏だった。
決して自発的な意思からではなかった。
勤務先がボランティア団体と関わりがあったことから、要員として駆り出されたに過ぎない。
そういう活動がとても大切だということは頭ではわかる。けど、同時に、どこか胡散臭い感じ、敢えて言うならば偽善っぽい臭いもしないではなく、できるならば避けたい気持ちもどこかにあったというのが正直なところ。

春先に行った先発隊はトラックを運転して陸路で現地に入り、その後の部隊はそのトラックを使って物資の運搬を行うことになった。被害の少なかった遠野に拠点を置いて全国から集まった支援物質をプールし、仕分けを行い、沿岸部の被災地へ運ぶのだ。とりわけ支援は陸前高田市と大槌町が中心になった。津波で行政そのものが壊滅的になっていたからだ。
遠野のボランティア・センターでボランティアの登録を行い、倉庫として提供された町立の体育館で物質の仕分けを行う。仮設住宅で必要な消耗品はもとより、お皿やお茶碗、衣類や寝具、毛布や扇風機なんかが特に要望としては多く、それらをできるだけトラックに積み込んだ。
陸前高田までは車で一時間と少し。山あいの谷間をジグザグと縫うように下っていく。
いくつかの山を抜け、いくつかの集落を越えて高田に入る頃にはもうお昼前だ。
川沿いの国道の直線を下り、緩やかな丘を越えると海が見えた。
その手前にはだだっぴろい埋め立て地のような景色が広がっていた。四方2、3kmくらいはあるのだろうか。荒っぽい土だらけのゴツゴツした風景には草すら生えていない。
平地から丘にあたる手前に、壊れた車がまるで廃車センターのように集積されていた。いくつかの重機が荒れ地に住む特別な生き物のように無機質に音を立て、ボタ山みたいな瓦礫の山がところどころにうず高く積み上げられていた。
ところどころに建物が、というよりはかつて建物だっったらしいものが見える。そのかつて建物だったものは例外なく一階部分がぶち抜かれている。まるではらわたをえぐられたように。
説明されなければこの場所がかつて町だったとはおそらく誰も想像できないだろう。
唯一の記念碑みたいに、沿岸部の道路にガソリンスタンドの看板が立っていた。

僕たちはトラックで、地域のあちこちに点在する仮設住宅を訪ねて歩く。
「こんにちは。大阪からボランティアで来たものです。お困りのことや必要なものをお聞きしてまわっています。」
阪神大震災のときにもたくさんの支援物資が全国から寄せられたけれど、現地の被災者が必要としているものと送られてきたものにずいぶんアンマッチがあり、結局集まった支援物資はじゅうぶんに活用されずに廃棄せざるえを得なかったという話を、来る途中の新幹線の中で聞かされた。実際、集まった支援物資の中には、どうせバザーかフリーマーケットで処分しようと思っていたのよ的なガラクタまがいのものもたくさん混ざっていたのは確かだ。とりあえず被災者のために何かしたいという思いから出た行動なのだからそのことは否定的にとらえるべきではないのだけれど、結果としてそれらのものは役には立たないことがほとんどだということを目の当たりにする。それでもこれは善意なんだと自分に言い聞かせながら仮設住宅を回る。
「扇風機、いただけるの?この仮設住宅って風通しが悪くってね。」
「もしあれば、毛布があるといいんだけど。夏とはいえ夜は冷えるから。」
「うちは、とくに必要なものはないです。」
訪ねた仮設住宅にはいろんな方がおられました。老人の一人暮らしの方、小さな子供を抱えた若い世帯。お母さんが亡くなられたのか、書いていただいた家族状況の表にお父さんと子供たちだけの名前が並ぶお宅。聞けなかったけど、となりの方がお話を聞かせてくださる。
「うちはみんな大丈夫だったんだけど、お隣はね、奥様が亡くなられて。まだ中学生と高校生なのよ、お子さん。ご主人の勤め先も流されてしまって。」
「そうなんですか、、、」と言ったっきり僕には次の言葉が見つからない。
「あの時はほんとうにたいへんでね。わたしたちは車で逃げたんだけど、渋滞でまったく動かなくなってしまって、バックミラーに津波が迫ってくるのが見えて慌てて車を置いて走ってね。ほんとうに波に飲まれる寸前で、ほんとに必死で山を掛け登って。」
「・・・」
仮設住宅で状況を聞き取りするとき、被災されたときの状況をこちらから詮索してはいけない、と言われていた。ただし、相手が話を自分からしてこられたら、いくらでも聞いてあげてください、とも。相槌を打つだけでいいからずっと聞いてあげてください、と。
「ここに来る途中、市役所のあたり、車がたくさんあったでしょう。あれ、みんなあそこで乗り捨てたのよ。」
廃車センターみたいに見えたあの光景には、そんな理由があったのか。そういうことだったのか。
「ほんとうに、目の前で起きていることが信じられなくってね、何にも考えられなかった。」
「・・・」

そんなふうにして仮設住宅を回って、お住まいの状況を聞き取り、必要なものはないかを聞いて回る。トラックに積んでいるものがあれば差し上げて、ないものは住居表にチェックする。子供のおもちゃ、CDラジカセ、下着、除湿機・・・いろんな商品がリストに並ぶ。そういう些細なものたちが、暮らしにどれだけの安心感を与えているのかなんて今まで当たり前にありすぎて考えたこともなかった。

夕方になって、遠野まで帰る時間になり、来た時に通った海岸沿いの大通りに出る。
工事車両用に応急で整備された交差点に差し掛かったとき、ふとトラックのカーナビが目に留まったんだ。
ナビの画面には、現在いる交差点の角にはモスバーガーがあることになっていた。コンビニがあって、ガソリンスタンドがあって、ファミレスと紳士服店が並んでいて、近くには駅があって病院があって、スーパーマーケットがあって。
この何にもない、だだっぴろい埋め立て地みたいな場所には、つい数ヶ月まえまで普通の暮らしがあったんだ。町があって、普通に人々が暮らしていたんだ。
何にもなくなってしまったその場所が、確かに町だった痕跡。
その画面を見て、僕は泣いてしまった。



それから幾度か陸前高田を訪れることになった。
この町が、あのカーナビで見たような普通の暮らしがある町に戻るまで、僕はこのことを忘れるわけにはいかないだろう、と強く思ったからだ。
そう言いながら、もう三年以上足を運べていない。
聞いた話では、あのだっぴろい埋め立て地みたいな場所はかさ上げ工事が終わり、最後に訪れたときに張り巡らされていた山からの土を運ぶ巨大なベルトコンベアも撤去されたのだそうだ。新市街地には、図書館を併設したショッピングモールと大きな広場ができ、海沿いにあった慰霊施設もそこへ移動したそうだけど、新市街地と呼ぶにはまだまだあまりにもだだっぴろいガランとした場所なのだそうだ。
またいつか訪れるとき、その場所がとても賑わっていて、人々の笑顔があふれているといいな。いや、賑わっていなくても、笑顔でなくても、ただ普通の暮らしがあるといいな。




Bridge Over Troubled Water / Aretha Franklin

荒れた川に架かる橋のように
私はこの身を横たえよう

ボランティアの帰路にはいつも、このアレサの声に励まされ、癒されていました。

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30Greatest Hits / Aretha Franklin







訴状が届いていないのでコメントできない

よく訴訟関係のニュースなんかで、「訴状が届いていないのでコメントできない」って聞くんだけど。
「だったら、訴状が届いてからもう一回コメント取りに行けよ!」って思わない?
後日、訴状を読んでからのコメントが報じられたという記憶がない。

「行楽地は若いカップルや家族連れで賑わいました。」ってさ。
実際には高齢者だって男同士だってたくさんいるのにその姿は見えないみたい。
イメージだけで事実を切り取って紋切り型の常套句で報道したふりをする、それってちょっとどうなんだ?

「私の発言が誤解を招いたとしたら、お詫び致します。」
その言い回し、実際のところ、誤りを認めてないよね?全然謝罪してないよね?

「ふっくら炊き上がり、冷めてもおいしいお米です。」とお米のパッケージ。
更には「生産者が心を込めて作りました。」と。
ふっくら炊き上がらないお米なんてあるのか?冷めたら固くなるお米です、なんて売りたい側が誰も言うはずがない。心を込めて作ったかどうかの検証方法は果たしてあるのか?どのレベルまで達していれば心を込めたと認定できる基準はあるのか?心を込めて作っていません、とは誰も言わないよね。

紋切り型の言葉に騙されたくない。
人の言葉はまず疑ってかかったほうがいい。
そういうものの見方は、ひねくれているのだろうか。心が荒んでいるのだろうか?

でもね。
「この戦いは、アジアの人民を開放する戦いだ。」という言葉で。
「鬼畜米英を粉砕するのだ。一億玉砕火の玉だ。」という言葉で。
「お国のために命を捧げるのが男子の本懐だ。」「生きて帰るのは国の恥だ。」「お国のために協力しないのは非国民だ。」という言葉で。
どれだけ多くの命が失われたのか。
「原子力はクリーンなエネルギーです。」という言葉で、どれだけの土地が住めない土地になってしまったのか。
「公害と企業の活動に因果関係は認められない」という言葉で。
「悪行を積んでいるものはポアしろ。」という言葉で。

うっかり信じたらひどい目にあう。
騙した側の責任はうやむやにされる。仮に責任が後に認められたとしても、損なわれた人生は元通りにはならない。

言葉の上手い不誠実な人がいる。
誠実だけど、言葉の上手くない人がいる。
きれいな言葉ほど疑ったほうがいい。
きれいなことや威勢のいいことだけを言う人を信用しないほうがいい。
自分自身、販売や広告に関わる仕事をしているだけに、言葉の選び方については鈍感ではいられない。
ある人にとってはメリットになることがある人にとってはデメリットになることもあるわけで、否定すればいいってものではないし、消費ということで言えば少し背伸びした夢やときめきを語ることも必要なので、難しくはあるのだけれど、言葉に対しては誠実でありたいといつも思うのです。



Hypocrites / Jimmy Cliff

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喫煙宣言

仕事場の喫煙所は屋外にしかない。
自宅でも吸えないので、煙草を吸うのは外。
このくそ暑い真夏に煙草を吸いに行くことは、すなわち汗だくになることを意味する。
この数年で、喫煙者に対する風向きはずいぶんと変わった。
「人の迷惑を考えない配慮のない奴だ。」「自分の心地よさと引き換えに人を不快にしている。」「煙草を吸う奴は吸わない奴よりたくさん休憩時間を使っている。」、挙げ句「自分を律するのとのできない心の弱い奴だ。」
・・・それでも今のところ、煙草を止めるつもりはない。もちろん依存症だから止められないというのが正しいのだけれど、止めるつもりもない。

新聞に、会社を挙げて禁煙運動をして喫煙社員を0にしたという会社が紹介されていた。
お客様からのクレームが発端だったらしいのだけど、全社挙げての禁煙の取り組みは取引先からも評価が高いのだそうだ。社長曰く「煙草代はかからないし、煙草やライターを持ち歩く必要がない。八方よしだ。」なんだそうだ。

・・・僕がもしこの会社にいたとしたら、煙草を止めずに会社を辞める。

煙草を止めない、と言っているわけではない。健康面含め、止めようと思うことはないとは限らない。
ただし、それは、自らの意思で止めるのだ。自発的に止めるのだ。
誰かに止めさせられるものではない。
それは個人の嗜好のものだからだ。
勤務中は禁煙せよ、であれば頷くことはできる。が、個人の嗜好について、会社からとやかく言われるべきではないはずだ。
社長のいうように「お金がかからず、持ち歩く必要がない。」のがメリットなら、ヘッドホン付き音楽再生機も禁止にしますか?ロックを聴くと耳が悪くなるからとロックを聴くことを禁止にできますか?余計なお世話だろ。
だいたい、一面的な価値を正義と信じこんで他人に押し付けるような人が社長をやっているような会社なんて、まっぴらごめんだ。しかもそれは「権力がある」からなびいているんだということにすら気づけない社長なんて、きっとろくなことがないぜ。おそらく社内では、社長に媚を売る上司が率先して禁煙し、「社を挙げての目標達成」のために部下にハラスメントまがいで禁煙を迫ったようなことがきっとあっただろう。そんなの「言うことを聞けば面倒をみてやる。しかし拒否するなら総力をあげて潰しにかかる!」とか言ってた奴等と対して変わらない。

もう一度書いておこう。
煙草を止めない、と言っているわけではない。健康面含め、止めようと思うことはないとは限らない。
ただし、それは、自らの意思で止めるのだ。自発的に止めるのだ。
誰かに止めさせられるものではない。
それは個人の嗜好のものだからだ。



自由 / RCサクセション


続・音楽歳時記「立秋」

立秋。暦の上ではここからが秋。
とはいえ、命に関わるくらいの異常高温が続く今年の夏。
幸い今朝は少し暑さも落ち着いているけれど、それでも予想最高気温は36℃。
こんなときにがんばってはいけません。ほんと、命に関わります。夏休みだからと、海だ山だと出掛けていく人もたくさんいるんでしょうけど、無理は禁物。炎天下の高校野球なんて観てるだけでもふらふらになる。
こんな日はクーラーを効かせた部屋でくつろぐべきです。
シャワー浴びてさっぱりして、心地よいい音楽を聴いて。

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Goodtime For Love / 渡辺貞夫

ナベサダさんのなんともいえないゆるさがいいね。
ほっとする。
いろんなことがあるけど、だいたいでいいんじゃない?とりあえずある程度のところがうまくいってるならそれでいいんじゃない?どっちにしたところで、何もかも完璧にこなすなんて不可能でしょ?それよりも、ニコニコと笑っていられることのほうが大事なんじゃない?
やわらかなサックスの音色がそう語りかけてくる気がする。
ですよね。
迷惑をかけたりかけられたり、人を助けたり助けられたりしながらなんとか50年以上大過なく生きてこれたんだ。
ここまで生きてくりゃ、もう生きてるだけで儲けもんでしょ。
ですよね。
そんな必死にならなくったって、どうせみんな必ず死ぬよ。そのときに思い出せることが苦しいことばっかりだったら悲しいよね。思い出してもらえる顔が眉間にシワがよった辛い顔や、思い出してもらえる声が怒鳴り声や恨み節だったら嫌だよね。
ですよね。
ナベサダさんがそんなふうに語りかけてくる。
そういう毎日を過ごすためには、なぁーんにもしないでただポカーンと心地よいことに身を委ねるような時間があってほしいな。
そういうシフクの時間を持つことが、結果的にはすべてを善い方向へ運んでくれる気がするから。

Goodtime For Love

まだまだ残暑は続く。
今年の残暑はちょっとめんどくさそうだ。
でも、放っておいても季節はいずれ秋になる。
流れに身を委ねていこう。






♪ぼくは牛乳

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「私たちが牛乳を作っているのではないのです。牛乳を作るのは牛たち。私たちはそれを手伝っているだけなんですね。」
「だから、牛たちが気分よく過ごせるよう、いろいろ気遣ってあげることが大事。作業を機械化をするのも、効率をあげるためだけではなく、勘と経験に頼っていた質のばらつきをなくすためなんです。」
と、北海道のある牛乳の生産者さん。
また別の方は、こんな風に言っていた。
「牛は怒っちゃだめなんです。愛情をかけて優しくしてあげると、優しい牛が育つ。ダメなことをしたときだけは叱る。ほったらかしにし過ぎると気性が荒くなります。子供の教育と同じですよ。」

そんなふうに思いを込めて日々牛さんたちと向き合っている酪農家さんたちがいる。
そのおかげでおいしい牛乳を飲むことができる。ヨーグルトやチーズを食べることができる。
昔はなんとなく、牛小屋に閉じ込められた牛たちが、毎日毎日たらふく食べさせられ、奴隷のように苦しい思いをしながら泣く泣く絞りとられているんだと思っていた。
そんなことは全然なかった。
牛たちの目は穏やかで、人間が近づいても怖がらない。それはきっと、普段から人間に優しく接してもらっているから。
優しく育てられた牛が優しい気持ちで絞られた牛乳のほうが、絶対おいしいに決まってるよね。

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そして、そんなふうに絞られた牛乳を、鮮度のよいままに運んだりパックしたりする人たちがいる。
ひとりひとりの誠実な思いのリレーの結果として、わが家の冷蔵庫に牛乳が届く。
仕事で行った北海道で、そんなことを感じていました。

「ぼくは牛乳」

♪ぼくは牛乳
まじめな牛乳
やさしいひとたちに育ててもらったんだ
気持ちのいい丘で

歌っているのは、原田郁子さんです。




日記18.7.28~8.1

■7月28日(土)
土曜日なのに休日返上で、職員30数名を引率して兵庫県赤穂市のたまごの産地研修。
養鶏場からベルトコンベアに乗って流れてくるたまごが、手早く洗浄され検査されパックされていく。
たまごってなんか宇宙っぽいよね。美しい。すべてを内側で完結している美しさ。
宣伝媒体用の写真を撮らせてもらおうと若い職員にカメラを向けたら「あ、だいじょぶです。」と言われた。「だいじょぶです」というのは、本来の「だいじょうぶ」とは違う、柔らかい拒否の意思表示をする意味の言葉になったようです。

■7月29日(日)
観測史上異例の東から西への逆走台風。
8時頃目が覚めたら、もう雨風はやんで青空がのぞいていた。
木の枝が折れたりしてたので、それなりに強い風が吹いたみたいけど、まったく記憶がない。

■7月30日(月)
今年の夏は、目が覚めるのが早い。
東の窓側で寝ているので、日が昇ると暑くって眠っていられないのだ。
早起きしてもすることもないし、一度だらだらすると出かける気すら失せてしまうので、早めに仕事場に着いて早めに仕事に取りかかる。
なんとなく気分だけは仕事が順調に進んでいる感じがして気分がいい。心に余裕がある気がする。
今日も早めに職場に着いたのだが、始業時間になっても同じ沿線の同僚が出勤してこない。通勤電車で事故があって立ち往生しているらしい。
事故があったのは7時55分、いつもなら間違いなく電車の中だけど、今日はもう駅に着いていた頃。車両によってはエアコンが止まった車両もあったそうで、、、この酷暑の朝の通勤電車でエアコンなしで幽閉されるなんて、考えただけで地獄。。。
ラッキーだ。ツイている。まさに早起きは三文の徳。
三文っていうのは、現代に換算すると100円くらいの価値らしいのだけど、仕事の遅れや体調不良、ストレスなどを考えると、30000円くらいの価値はあったかと。

■7月31日(火)
台風が去ったら去ったで、またとてつもなく蒸し暑い。
会社の喫煙所は、屋外の非常階段。
タバコを吸うのも汗だくになりながら。
通勤で使うターミナルの喫煙所に至っては窓なしクーラーなしの倉庫みたいなところで。
このご時世、公共の場でタバコを吸える場所をわざわざ設置してやってるんだから文句言うな、ってなもんでしょうが、こうなってくると苦行に近い。あんまり暑いんでついビールを買っちゃう。この蒸し暑い中で飲むビールがうまいったらありゃしない。ビールを飲むとタバコもうまい。
こうやってタバコもビールもやめられないことになるわけで。

■8月1日(水)
あー、もう8月かー。
一年の2/3終了。えっ、もうそんな。
この時期になると毎年一気に年末まで坂道を転がるようにあっという間に過ぎていくんですよね。慌ただしすぎて記憶を失くす感じ。
大阪では毎年この日にPLの花火大会があります。正式には教祖祭花火芸術というそうですが。
実家からよく見えたので、この花火にはいろんな思い出があります。夏休みの宿題の絵日記の格好のネタでもありました。家族でスイカ食べながら観たのも、もはや嘘みたいに遠い日々。

人間の記憶っていうのは不思議なもので、ある程度の時間が経ってしまうとぜんぶきれいな思い出になっていくんですね。実際は嫌なこともたくさんあったんだろうけど、あんまり覚えていない。っていうか、嫌な思い出さえもがなんとなく美しいものに変わっていくっていうか。中学生より前くらいのことはぜんぶそうなってきてる。ってことは思い出が窯変するのにかかる時間はだいたい35~40年ってことか。
今感じている諸々の思いも、85とか90才とかになる頃にはぜんぶ美しいものに変わっているのかも知れませんね。ボケてなければ、ですが(笑)。
まぁそう思えるのも、日々大禍なく平穏無事で暮らせているお陰かと。感謝。


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Summer In The City / Quincy Jones






♪オクラ・ブルース

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オクラが高い。
旬のこの時期なら一袋100円ほどのものが230~250円。
主な産地の鹿児島や高知で、ようやく育って今から出荷という段階でのオクラが、西日本豪雨災害の影響でたくさんダメになってしまったからだ。
どうしても食べなきゃ困るものでもないだけに、うーん(*_*)となってしまう。
でも、うまいんだよな。
細切りにして醤油と鰹節かける。シャクシャクした歯触りと独特のねばり感。これを冷奴にのっけるとまたうまい。梅肉和えもいいな。塩昆布と合わせてもいい。刻むだけじゃなくって、そのまんまゆがいて丸かぶりしてもおいしい。醤油もいいけど、ポン酢がよく合う。
和食によく合うし、なんとなく名前の語感からも日本の野菜っぽいけど、オクラは英語でそのままOkra。そもそもはアフリカ原産で日本に入ってきたのは昭和50年代以降。そう言われれば確かに子供の頃に食卓にのぼった覚えはないなぁ。

オクラが世界的に広がったのは、皮肉にもヨーロッパやアメリカによる奴隷貿易によるもの。
ガーナやトーゴあたりで食べられていたものがルイジアナに持ち込まれてアメリカでも栽培されるようになり、やがてニュー・オリンズの名物料理であるガンボのとろみをつけるのに欠かせない食材になったのだ。
奴隷として連れてこられた人々は、オクラを食べて故郷のアフリカを思ったのだろうか。
星形の断面や独特のねばりなど、とても個性的でありながら癖がなくて、意外にもどんな料理にもよくあう。なんとなくその存在感がブルースっぽい思う。

殺人的な猛暑もようやくちょっと収まって。
36℃を越すとセミすら啼いていなかったけど、今日はお昼間もセミが啼いていた。そんないつもの暑い夏にちょっとひと安心。空にぽっかり入道雲が浮かんでいた。
夏のうちに、茄子やかぼちゃ、トウモロコシや赤ピーマンなんかといっしょにたっぷりのオクラを入れた夏野菜のカレーを作ろう。
もう少し価格が落ち着いたらね。


音楽はニュー・オリンズ。
ガンボといったらこれでしょ。

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Gumbo / Dr.John


Messin` Around / Dr.John



続・音楽歳時記「大暑」

今年の夏は尋常じゃないくらい暑い。
こんな日に外出したらまじで命に関わるんじゃないかしら。
ましてやスポーツだなんてあり得ない。
こんな日にも外で働く皆さん、ほんとうにお疲れさまです。

7月23日は大暑。文字通りに暑さMAX。一年で一番暑い時期。
京都・大阪の夏はただでさえ暑いのですよね。
湿気が高くてジメジメする上に、べったりと蒸し暑さが籠る感じ。風が抜けないんだな。それに緑が少ない。潤わない。立っているだけで蒸し風呂だ。
それが当たり前だと思っていたから、他の土地の夏を知ってびっくりした。
エジプトのカイロだって、気温こそ40℃近くまで上がるとはいえ、湿気が少なく実際のところ体感温度としては大阪より涼しくくらいだったのだ。沖縄の夏も湿気がなくて爽やかだったし、バンコクは湿気はあるけど空気のヌケがよくて、思っていたよりもじっとりと熱気がこもる感じではなかった。同じ関西でも、京都・大阪と神戸ではずいぶん暑さが違うもんね。
暑さっていうのは、気温の高さだけではなく、気と体感温度の影響が大きい。
今まで行ったことのある土地で、経験上一番暑いと思ったのはニュー・オリンズ。訪れたのは6月だったのだけど、めっちゃくちゃ湿気が高くて、息をするのも苦しいくらいだった。
ああいう土地では昼間はとても動けない。日本人みたいに生真面目に働こうものならバテてしまう。
南の国の人たちがとてもルーズになるのもわかる気がした。そして、夜の悦びとしてのダンス・ミュージックの発展も。

大暑の一枚は、そんなニュー・オリンズの大御所、アラン・トゥーサンさんを。

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Southern Nights / Allen Tousant

ニュー・オリンズらしい泥臭さと、お茶目なファンクっぽさ。
リズムは跳ねているんだけど、煽ったりけしかけたりはしてこない。開けっ広げというか、オープン・マインドというか、生命の持つ欲求に忠実っぽいというか。肩肘張らない、しかめっ面にならないゆるさ。ナチュラルかつリラクシング。
そんなゆったりとした感じがとても心地よいのです。

ちょっとオリエンタルな感じのメロディーが美しくもちょっと儚い“Southern Nights”はこんな歌だ。

南国の夜を感じたことはあるかい?
そよ風のように自由で、木々のようにおしゃべりじゃない。
口ずさむ鼻歌は恋の歌。
南国の空は目を閉じていたって気持ちいい。
この気持ちよさをもっとうまく言える誰かがいたら、謝ったっていい。
気持ちいい。
ふわふわと飛べてしまいそうだ。
この世界のすべての争いが止めばいいのにな。


だいたいにおいて、日本人は働き過ぎる。生真面目で細かくて完璧主義的に過ぎる。集団への所属意識や規範規則を重んじ、無理してでもがんばり過ぎる。
それはそれで美徳ではあるんだろうけど、この歌みたいにもっとゆるくていいんじゃないのかしら。
まして、こんなにクソ暑い時期には。
この曲みたいな気分でずっといられたら、世界はもっと平和なんだろうな。





京都ホテル

「暑っついなー。今、何度ある?」
「たいしたことないで。ほんの35℃。」
「地獄やん。」

灼熱の太陽が降り注ぐ真夏に、僕たちはひたすら石膏ボードを運んでいた。
石膏ボードとは、壁や天井に貼り付ける建築資材だ。一枚はちょうど畳一畳分くらいあって、重さは一枚だとせいぜい3kgとかくらいだろうけど、一枚では効率が悪いのでだいたい一度に5枚くらいは運ばなくてはならない。
建築中の建物の現場は、当然クーラーなんて設置されてはいないし、安全のために貸与されている長袖の上着はすでに汗を吸って重くなっているのに脱げない。
屋上から吊るされたクレーンで何千枚という石膏ボードをフロアに運び上げる。そこから各部屋へは、僕たちのような下請けの人足が手作業で運ぶのだ。
運んでも運んでも一向になくならないボードの山。
吹き出す汗。
確かに地獄だ。

現場は、当時景観問題で京都市民を二分していた京都ホテル。
17階立て、地上60mの高さは、従来は規制により建てることができなかった建物だ。
最初の会社を辞めて無職だった僕は、とりあえずいろんなアルバイトをして糊口をしのいでいた。最初にやった印刷会社でのアルバイトはなんだかやる気のないくすぶった感じにいたたまれなくなってすぐに辞めた。設計事務所でのアルバイトはわりと楽しかったのだけれど、いかにも典型的な中小企業の社長タイプのワンマンな社長が鼻についてやめた。昼夜二交代制の自動車工場のラインは給料こそよかったものの、長く続ける種類ものではなかった。そうやってアルバイトを転々としているうちに、建築現場の日雇いに落ち着いたのだ。
日雇い会社から人足として向かわされたのが京都ホテルの現場だった。
石膏ボードだけじゃなく、天井に張り巡らせるステンレスの骨組みみたいなものや、アスベスト入りの断熱シート、玄関ホールの大理石の床石やら、ホテル内のチャペルの白い扉やら、スイートルームに入れる大型のテレビ台や、とりあえず何でも運んだ。今は一般人が決して立ち入ることができない屋上の給水塔にも登った。腰から安全ベルトをぶらさげて屋上の上に組まれた足場の上で鳶職の真似事みたいなこともした。遥か向こうの大文字山が同じ目の高さに見えた。

建設現場の良いところは、日当がそこそこ貰えたことと、その日の仕事あがりに現金で貰えたこと。
日雇いだから毎日行く義務はないのだけれど、工期が押し気味だったのか「明日も頼むわ。」と言われると断りきれず、まぁ金もないしどーせヒマだしと週6ペースで出勤していた。
毎日現場へ行っているとだんだん顔見知りが増えてくる。基本、そういう現場へ働きにくる奴らは、どいつもこいつもけっこうどこかぶっ飛んでいる。ギャンブル狂い、借金まみれ、宵越しの金は持たない遊び人、あるいはいわゆる社会生活不適合者。そういう僕だって、周りの人からそう見られていたのかも知れないけれど。
年齢不詳のジイサン(といっても当時の僕からジイサンに見えただけで実際は50くらいだったかも知れない)から10代の学生までいろんな人たちがごちゃごちゃ働いていた中で、自然に仲良くなったのは同世代の連中で、とりわけ意気投合したのは同い年のツカサくんだった。確か本名は中務とかだったと思うけど、みんなツカサくんと呼んでいた。
ツカサくんは元パンク・バンドのヴォーカリストで、ピストルズとスタークラブの大ファンだった。
「お前、ギター弾けるって?バンド演ろうぜ。今何もやってへんし、ウズウズしてんねん。」
コンビニで買ってきた安いシャケ弁当を食ってるときに、ツカサくんがそう持ちかけてきた。
「弾けるってほどではないけどなぁ、まぁコードガチャガチャするくらいやったら。」
「上等上等。パンクバンドやで。ジャジャーン、ガシャーンでええねん。」
「リズムは?」
「時々来てるシミズくんっておるやろ。あいつ叩けんねんて。ベースはシミズくんの彼女の友達。」
「あー、けっこう男前のあいつな。」
「シミズくんな、家は横浜やねんて。」
「そうなん?なんで京都でバイトしとんねん。」
「なんかな、京都におる彼女が東京の方に遊びに行った時に知り合って、こっちへ転がり込んできたらしいで。」
「そーなんや。自由やなぁ。」
「ロッカーっぽいやろ(笑)。」

それからはツカサくんとシミズくんと、三人が同じ現場になるたびにバンドの話。
「何演る?」
「下手くそやし、簡単なやつで頼むわ。」
「勢いイッパツでいけるって。」
「パンクやしな。」
「とりあえず、ピストルズは演りたいねん。」
「そこははずされへんとこなんや。」
「あと、ラモーンズな。」
「ええな。」
「それからスタークラブとコンチネンタルキッズやな。」
「そのへんはちゃんと聴いたことないねんけど。」
「ま、だいたいでええんちゃうの。今度貸したるわ。」

いよいよスタジオに入る日が決まった。
曲はとりあえず“Anarchy In The U.K”と“電撃バップ”と“White Riot”。
電撃バップとWhite Riotはなんとかなりそうだけど、ピストルズは意外に難しい。アーイ、ワーナービーィ、イーッ、アーナーキィーッのところのE、D、Cと下がってくるところがなんとも感じが出ない。リズムを取るタイミングがなかなかうまくいかないのだ。ピストルズのライヴ・ビデオも借りてみたけど、シド・ヴィシャスがピョンピョン跳び跳ねているばっかりでまるでわからない。
「ま、いいか。勢いイッパツだ。」なんてうそぶきながら、毎日汗だくになって泥まみれになってヘトヘトで疲れた体でせこせこと練習をする。スティーヴ・ジョーンズだってああ見えてもきっとこうやってせこせこと練習したんだろうな、なんて思いながら。

けれど、結局このバンドは、スタジオにすら一度も入ることはなかった。
灼熱の炎天下の作業中に、僕が意識を失って倒れてしまったのだ。
病院に運ばれ点滴を受ける。診断としては軽い熱射病ということだったのだけど、そもそもが貧血というか栄養不足というか、体力が弱っていたのだろう。だいたい朝飯抜き、昼はおにぎり、夜はビールとラーメンかチャーハンみたいな食生活が1年以上も続いていたのだ。そりゃ栄養も偏る。まして暑さには定評のある京都の夏に炎天下での体力仕事。いくら若いとはいえ、ガタがこないはずはない。
入院こそしなくて済んだものの、その夏僕は一切の仕事をせずに療養することを迫られたのだ。
携帯もない時代、バイトに行かなきゃメンバーとのコミュニケーションもない。ツカサくんたちは別のギタリストを見つけたものの、ドラムのシミズくんが、彼女とケンカ別れして同棲していた部屋を追い出されて横浜へ帰ってしまい敢えなく解散となってしまったと後になって聞いた。

そろそろまともな仕事を探すべきなんだろうか。
それとももう少しふらふらしていようか。
俺、どこへ向かっているのかな。
そもそも何がしたいんだろう。
なんとでもなる、どうにでもなる。そういう自信だけはなぜかあったのだけど、根拠はどこにもなかった。
空はいつの間にか少し秋めいてきて、高い空にいわし雲がなびいていた。


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Ramones / Ramones

“電撃バップ”




♪祇園祭、もしくは、暑中お見舞い申し上げます

京都の夏といえば祇園祭。
蒸し風呂みたいにゆであがってしまうくらいのひどい人混みなので、宵山とか宵々山にあの辺りに近づきはしないのだけど、あのお祭りの独特な感じは嫌いじゃない。
1100年も続いている行事に対して嫌いじゃないとはずいぶん上からの物言いですが(笑)。

宵山の少し前の時期から、四条界隈の路地に、それぞれの町の鉾が並ぶ。近くで見るとほんとうにきらびやかで豪華絢爛で、和風や中国風はもとより、インドやアラビアあたりから直接舞い込んだような意匠の数々には息をのむ凄みがあって。施されたデザインのそれぞれにおそらくなにがしかの意味が込められていることが伝わってくる。
そして山鉾巡行の日には、きらびやかな鉾が街中を練り歩く。
圧巻で壮麗でありながら、なんだか霊柩車みたいだな、と思ったりもする。

そもそも祇園祭の始まりは今からおよそ1100年前の平安時代。都で流行した疫病を治めるために八坂神社で66本の鉾をつくり病魔の退散を祈願したのが始まりなんだそうだ。
米の貯蓄が底をつき、悪い疫病が流行する、エアコンも冷蔵庫も冷凍庫もない時代の夏は忌まわしい季節でもあった。
小さな子どもや老人など、体力のないものから順番に倒れてゆく。愛する人を突然、疫病で奪われる。
医者もいなければまともな薬もない。
人々ができることは、無事夏を越せるよう、神様に祈ることしかなかったのだろう。
お祭として同じように括られているけれど、祇園祭は、先祖を敬うお盆や、収穫の実りを祝う秋祭りや冬至を越えて日が長くなり新しい年の訪れを祝うお正月などとは少し意味合いが違う。つまりは死者の魂を鎮める祈りのためのお祭。
とてもにぎやかに打ち鳴らされる鐘太鼓、あのコンコンチキチンのリズムは実は死者へたむけられたもの。そして、きらびやかな赤や朱や金で飾られた装飾品。 神様を喜ばせるための派手な体裁の内側に込められた哀しくて切ない生きることへの願い。
ずっと昔から連綿と積み重ねられてきた人の営みの哀しさに、ただ呆然としてしまうのだ。


悲しい災害があったばかり。
激しいとはいえ、ただの雨なのに。幾日か降り続くだけで、あんなにひどい災害がいくつもあっちこちで引き起こされるなんて。
あの日、亡くなられた方々は、誰もみな、その日自分がああいう目に会うことなんて想像すらしなかっただろうと思う。ごく普通のいつもの暮らしが、大きな力で突然に寸断される。
無念にも亡くなられた方々も、残された方々も、心の準備などなかった分余計に辛く悲しい。
人が生きているっていうことは、自分で思っているよりもすごく脆いものなんだな。

どうかみなさんが、元気で無事この夏を越せますように。

暑中お見舞い申し上げます。


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Shang Shang Typhoon 2


いろんなことを乗り越えてのなんでもアリ感のある、上々颱風のレット・イット・ビー、好きだな。
ただのばか騒ぎじゃない、悲しみを抱きつつ、それでも、だからこそ、踊っちゃえ的な。

Let It Be / 上々颱風





続・音楽歳時記「小暑」

記録的豪雨。
住んでいるエリアにも避難勧告の連絡が届いた。
すぐそばにある疎水は舗道が埋まるまで水が溢れ、ゴウゴウと音を立てていた。
数十年に一度の異常な大雨っていうけど、それは過去のデータからの確率論でしかなくって、地球規模の気候変動が起きているとすれば、この規模の雨が降るのが次はまた数十年後ということにはならないだろう。

7月7日は小暑。
豪雨が去ったあとは、暑さが増してくるはずだ。
ついこの間までは寒さに震えていたのに、もう真夏?っていうか、もう2018年も半分既に過ぎてるんだ、と気づいて愕然とする。
大人になると月日が流れるのが早くなるって子どもの頃よく聞かされたけど、それはほんとうだった。
つい最近のことだと思っていたら10年以上も前のことだった、ってことも今やよくある話。
このレコードを初めて聴いたときの衝撃も最近のことのようによく覚えている。
暴風雨のように、或いは吐き出す場所のないマグマのように、エネルギーの塊をどかっと噴き出す泉谷しげる。そのテンションの高さ。なんだかよくはわからないけど、このアルバムは凄すぎる、、、と。

80
,80のバラッド / 泉谷しげる

音そのものとしてはそんなにハードなわけではない。つまりはラウドでもノイジーでもないし、リズムの手数が多いわけでも高速ビートをパンキッシュに叩くわけでもない。
にも関わらずとてもハードでへヴィーなのは、泉谷の存在そのものだ。叩きつけるように歌う、歌うというよりは吠える、心の中にある苛立ちやうねりをそのまま噴き出させる歌。
醒めた熱気、狂おしいばかりに心の奥から噴き出してくるような熱さと、したたかなまでにクールで落ち着いた肚の座った感じ。ヤスリのようにざらついた、しかしながらドスが効いただけではない深み、闇ではない深みを持った泉谷の声。
満たされない苛立ちをたくさん抱え込まざるを得ない都市の暮らしを、泉谷しげるはしなやかで確かな言葉と音で切り取ってみせる。
今立っている場所が実はとても不安定な場所で、いつも普通にあるものが実はとても希薄な存在で、今日のあたりまえは明日はあたりまえじゃないのかもしれない。そんな漠然とした不安が立ち上る暮らしの中で、勇気を持って立ち向かっていく力をくれる。

まだまだこれから暑くなる。地震だって豪雨だってこれから幾度もやってくるのだろう。
お金が腐るほどあって悠々自適の暮らしをしているのなら、避暑地へバカンスに行ったり、リゾートで優雅に過ごすこともできるのかもしれないけれど、しがない労働者はこの暑さから逃れることはできないのだ。まして天変地異的な事象に対しては、いくらお金があっても役には立たない。
だとすれば、そういう不安に立ち向かっていくためには心の強さが必要だ。
そして、その強さを維持する上で、音楽の力はとても役に立つ。
だから、熱い音楽でエネルギー充填が必要なのだ。
内側から煮えたぎるように湧いてくる熱い音が。




翼なき野郎ども / 泉谷しげる





日記18.6.28~7.3

■6月28日(木)
夜11時からワールドカップ、ポーランド戦。
なんとなく負けそうな予感はしてた。1-0で。ただし、コロンビアがセネガルに圧勝して得失点差で日本が決勝トーナメントへ、というシナリオ。
まさか、最後の10分がああいう形になるとは思わなかったけど。
賛否両論あるのはわかる。わざわざチケットを買って見に行った試合でああいうことがあれば、僕だってブーイングしたと思うけど、でも、勝ちあがっていくためにああいうことができるくらいこの国の若者たちのメンタルはしたたかさになったんだなと頼もしくも思ったり、監督の腹をくくった判断を全員が納得してやったんだなというその信頼関係を清々しく思ったり。
全部自分の判断、選手たちには不本意なことをさせてしまったという、監督が全部引き受ける覚悟が、某大学のアメリカンフットボール部で起きたこととは真逆だよな、って。

■6月29日(金)
着任の頃から面倒見て、4年近くの間いっしょに働いていた女の子が、出向元に帰らなくてはいけないことになって、その彼女の送別会。
おとなしくてちょっと天然で、決して出来がいいとは言えなかったし、真面目で要領をかまさないから、押せば開くドアを一生懸命引いているようなことも多かったけど、律儀でコツコツ働く姿は誰からも愛されていました。
「ここを離れるのはほんとは嫌で、とっても淋しい。」って言ってくれたのは嬉しかった。
だいじょうぶ。ここで経験したことはいつかきっと何かの役に立つ。きみならだいじょうぶ。
淋しくなるな。

■6月30日(土)
土曜日なのに、自主研修という名のほぼ強制参加で、仕事関係のとあるシンポジウム。
シンポジウムそのものはとてもおもしろくてためになるものだった。売れるとか売れないとかの前に、その商品にはどういう考え方があって利用された人にどういう気持ちをもたらすものなのか、考えているようであんまり考えたことがなかったかも、と思わされた。
シンポジウムのあと、これもほぼ強制参加の部内の懇親会。いまいちつまらない。
新しくサブマネージャーになった男が上司に媚び売って部下にはエラソーにするのを不愉快な思いで見ていた。元々熱さ先行気合い先行で自分を大きく見せたがる奴ではあったけど、もうちょっとましなとこあったんだけどなぁ。
年は下なのに「お前」呼ばわりしてきやがるから、上司になったからこそ、部下には年下であろうとキャリアが浅かろうと「お前」や「呼び捨て」じゃなく「さん」付けで接するべきだと思うんだが、と言おうと思ってやめたらあとでもやもやした。やはり言うべきだった。

■7月1日(日)
昼までのんびり寝ようと思っていたけど、暑くて目が覚めた。家族会議を開いて、クーラーの解禁を決定した。今日から7月だしね。

夕方、といってもまだクソ暑い午後4時、ブログ友のヨンチーさんと会うために梅田へ。
中古レコード・フェアで大阪に来るっていうんで、せっかくなんで飲みましょうよ、と。
いやぁ、めちゃくちゃ楽しかったですねー。
なにしろ同い年なんで、聴いてきたもの経験してきたものが近い。
普段、仕事場やなんかではそういう話はほとんどしないからね。無理に話合わせるのも合わされるのも好きじゃないし。同い年でロック好きだと、そーゆーのにまるで無理がない。
ブログを書いてて良かったなぁと思うことのひとつは、こういうふうに、普段の生活ではまず出会う可能性がない人と出会うことができること。それが目的ではないにせよ、とても楽しい副産物ですよね。
盛り上がってイキオイでカラオケボックスで80年代ソングばっかりひたすら歌いまくりました。ARB、柳ジョージ、永ちゃんから始まって、思いついたもの片っ端から。だいたい歌えるわけないんだよ、松原みきなんて(笑)。

■7月2日(月)
3日連続飲み会という荒れた週末のあとの週明け。仕事に気合いが入るわけもなく、しかしやらなきゃいけないことはてんこ盛り。
尚且つ、夕方からお店の方でレジの欠員が埋まらないとかで応援が元々入っていて。4時から8時までの4時間とはいえ、忙しい時間帯でのレジ打ちはキツかった。。。ミスはしなかったけど、笑顔で接客できる余裕がなかったな、さすがに。

そういう状況下でありながらも、11時には一旦就寝して、3時起き。
もちろんワールドカップ。
惜しかったなぁ。
乾選手のシュートが見事に決まって2点目が入ったときには深夜なのに叫んでしまったし、「勝ったら次のブラジル戦は金曜日の早朝か、、、週に2回も真夜中に起きれるかしらん?」といらん心配すらしてしまいましたが。。。
アディショナル・タイムでの決定打。シュートを止めきれなかった昌子選手がへたりこむのが、94年ドーハの悲劇と少しオーバーラップした。
あれから24年経って、舞台はワールドカップの決勝トーナメントで同じようなアディショナル・タイムでの失点。いつか「あの当時は日本はまだあんなレベルだったのに」と思えるようになるには、やっぱりこれからまだ24年くらいはかかるのかもしれない。
まぁ、楽しみは先にとっておいたほうがいいのかもしれないしね。

■7月3日(火)
というわけで、眠い目をこすりながらのウィークデイ。
とっとと定時で上がるつもりだったけど、眠む気が通りこして逆にテンション上がってきて。木金といろいろたてこんでてたまってた懸案を、残業して一気にやっつけてやった。迎え酒ならぬ迎え仕事状態。
いいんだ、チマチマやるより、無理できる感じのときには無理するくらいのほうが。
で、ひと風呂浴びて、ビール飲みながら、だらだらと日記を書いている。
明日、まだ水曜日だぜ。。。
天気予報は、明日は大型の台風で荒れたお天気になるって言っている。



松原みき “真夜中のドア”






河童くんの池

毎日学校の帰り道に道草をするのが大好きだった。
小学校3年とか4年の頃だ。
子供の足で15分くらいの道のりの間には、田んぼがあり畦道があり、用水路がありため池があった。
春にはたんぽぽの綿毛を飛ばし、いちごをつまみ食いし、夏にはおたまじゃくしを捕まえ、大きな蓮の葉の上で水玉を転がし、秋にはトンボを追いかけ、干してある稲わらに体当たりする。食用ガエルや草ガメもたくさんいた。何にもいないときは空き缶を集めて用水路に流してレースをしたり、ため池に浮かべて石を投げて撃沈させたりした。
楽しかったのはザリガニ釣りだ。用水路の端っこでザリガニを捕まえる。そいつの腹を割って中の肉を紐に結びつけてため池の淵から池の中へたらすと、ザリガニが食らいついてくる。
おもしろいくらいよく釣れて、バケツの中へ数匹のザリガニを放り込むとザリガニたちはハサミを振り上げて闘いを始める。そいつらに名前をつけて闘わせて遊んだ。
遊べるネタは無限にあって、飽きることはなく、いつも泥んこで帰っては母親に叱られた。

その日もひとりでザリガニを釣っていた。
釣り上げたザリガニの腹を割ろうとしていたとき、後ろから声が聞こえたんだ。
「かわいそうだからやめてあげて。」
振り向くとそこには、河童がいた。
ひょろんと細長い手足、背丈は僕より少し小さいくらいだろうか。全身は雨蛙よりは濃いくらいの浅い緑色で、頭の上には絵本やなんかで見た通りに薄い黄色のお皿が乗っていた。
「かわいそうだからやめてあげてよ。」
河童は今にも泣きそうな顔をしていて、なぜだか僕は素直にそうだなと思った。
「うん、そうだね。かわいそうだね。」
「ありがとう。」
河童くんの声はちょっと甲高く、ちょっとくちばしにかかったような不思議な声だった。
「君はこの池に住んでいるの?」
「そうだよ。」
その年はカラ梅雨で雨が少なく、池の水はいつもの年の半分くらいに干上がっていた。
「今年は雨が少なくってさ。ザリガニだっていろいろとたいへんなんだよ。」
「そうなんだ。ごめんね。」
「雨が降らないといろいろ困るよね。大好きなきゅうりもあんまりとれなくって。」
「やっぱりきゅうりが好きなの?」
「うん。きゅうり、食べたいなぁ。」
「じゃあ、僕、明日持ってきてあげるよ。」
「えっ、ほんと?」

そうして僕と河童は友達になった。
畦道でかけっこしたり、縄跳びをしたり、キャッチボールをしたり、野球盤で遊んだりした。
ユニホームが緑色だからという理由で南海ホークスのファンで、僕が大阪球場に連れていってもらったことがあると言ったらとてもうらやましそうにした。
そんなにふうに僕は学校が終わってから毎日河童くんと遊ぶようになった。ランドセルを置いて、隣のおじさんが小さな庭で作っている畑からきゅうりをもらって持っていくんだ。
そしてきゅうりをふたりでかじった。
「きゅうりって意外とおいしいんだなぁ。」
「そうだろ?」
「あんまり好きじゃなかったんだけど、好きになったよ。」
「きゅうりほどおいしいものなんてないよ、きっと。僕たちはお肉とか食べないから。」
「そうなんだ。」
「生き物が生き物を食べるなんてさ、残酷だよ。」
「そういうもんかなぁ。考えたことなかったけど。」

やがて夏休みに入ったある日のこと。
その日、河童くんは浮かない顔をしていた。
「ゆうべお父さんに聞いたんだけど、この池、埋め立ててられちゃうかも知れないんだって。」
「えーっ、どうしてー。」
「この池を埋め立てて道路を作る計画があるんだって。お父さんもお母さんも反対運動をしていたんだけど、決まってしまったみたい。」
「そんな、、、引っ越しちゃうの?」
「うん、わからない。でも、近所の池もぜんぶ埋められちゃうんだって。」
「どうしてそんなことするんだろ。」
「うん、よくわからないけど、便利になるんだって人間たちが言ってたって、お父さんが言ってたけど。」
「別に今も何にも不便じゃないけどなぁ。」
「そのうち海の上に作る飛行場まで道路をつなげるんだって。山も崩したり、トンネル掘ったりして。それで、道路のそばにはスーパーマーケットやレストランができるんだって。」
「そんな・・・だからって埋め立てなくても。」
「まぁ、でもまだ決まったわけじゃないし。それより遊ぼ。」
「うん。今日は何をする?」
「野球!」
「じゃあぼくが門田ね。」
「じゃあ、ぼくは江夏。」
「おんなじチーム同士で対戦するのって変じゃない?」
「じゃあ、阪急の山田。」
そう言って河童くんはアンダースローで小石を投げる。僕が空振りをして、河童くんはガッツポーズ。

それからしばらくして。
お盆に母の田舎に帰ることになって、一週間くらい池に遊びに行けなかった。田舎から帰ったあとも、宿題もたまっていたし、夏休みの工作も作らなきゃいけなかったし、子供会のサマーキャンプにも行かなきゃいけなかった。
あぁ、河童くん、どうしてるかな。
河童くんの世界には宿題はないのかな。
「ちょっと遊びに行ってくる。」
「どこ行くんや。あんた、よく池に行ってるやろ。あの辺、危ないから行ったらあかんで。工事始まるから。」
「えっ!」
そんな、ほんとうに工事しちゃうの?
ダメだよ、池を埋め立てちゃ。
道路なんていらないよ。
僕は、慌てて池へ走った。
河童くんの好きなきゅうりを持って。
はぁはぁと息を切らせて池にたどり着くと。

・・・そこに池はなかった。
オレンジと黒の柵が張りめぐらされ、立ち入り禁止の看板が立っていた。
そして、ブルドーザーがごうごうと音を立てて土を運び、池を埋め立てていたんだ。
黄色いヘルメットを被ったおじさんがやってきて、おい、坊主、危ないからあっちへ行け、って。
河童くん。
どこへ行っちゃったの、河童くん。
僕はただ、わんわん泣いていた。
池のそばで、きゅうりを持ったまま、ただただずっと泣いていた。


春になる頃には、河童くんの池があった場所にはとても大きな道路が通って、車やトラックがびゅんびゅん走るようになった。
道路沿いにはガソリンスタンドやスーパーマーケットができた。お母さんはすごく便利になった、今までは隣の町の市場まで行かなくっちゃいけなかったのが近くなったし、何でも揃うようになったって喜んでいたけれど。
道路の先の山のほうにはたくさんの住宅ができて、転校生がいっぱい入ってきた。
僕は5年生になって、学校の帰り道に道草をすることもなくなった。
あなた最近きゅうり食べられるようになったのねぇ、前はよく残してたのに、それと、お肉はそんなに好きじゃなくなったのね、ってお母さんが言う。
そうだよ、きゅうりほどおいしいものなんてないよ、ねぇ、河童くん。

今も、きゅうりを見ると思い出すんだ。
特に今年のようなカラ梅雨の年には。
「おい、かぱ太郎、もう行くよ。」
「だって、友達が。」
「結局、わたしたちと人間は、うまくやっていけないんだよ。」
「でも、、、」
「仕方のないことなんだ。」
そんなふうにして池をあとにした河童くんの姿が、浮かんでくる。
そして、泣き出してしまいそうになる。
人間って勝手だよな。
今も元気でいてくれるといいな。
僕と遊んだこと、覚えてるかな。
人間のことを恨まないでいてくれるといいんけど。




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For Everyman / Jackson Browne

I Thought I Was A Child





小学校のプール

死にそうになった経験がありますか?
僕は一度だけあります。
あれは小学校2年生の時。
体育の授業中だった。
夏、といっても肌寒かったからまだ6月くらいだったのかも知れない。その日がプール開きだった。
2年生からは本格的な水泳の授業が始まる。1年生のときは浅い幼児用のプールで水遊びするだけだったのだが、水深1mのプールに入ることになるわけだ。
水着に着替え、シャワーを浴び、カビ臭いにおいのする消毒液のプールに浸かってから、プールサイドで体操をする。コンクリートのすきまからコケが生えていてぬるぬるする。頭から順に心臓のほうに向けて水を掛ける。きゃぁっ、冷たい。おーい、水かけんなよっ。こら、そこ静かにしなさい。だって○○くんが水をかけてくるんですー。
「まずはみなさん、水に慣れましょう。」
先生がそう言って全員プールに入る。
僕は体が小さく、背の順で整列するといつも一番前だった。なぜだったのかはわからないけれど、その日は背の高い順に前から並んでいて、僕は一番うしろだった。
当時僕の身長は1m15cmほど。その小柄な子供が1mのプールに入るとどうなるか。
つま先立ちをしても水面が、あごまでくる。誰かが動いて小さな波がくると、水が口を襲ってくる。えっ、これ、どうしたらええのん、とは思うものの、授業だし、みんなと同じようにするしかないんだと思っていた。つま先でぴょんぴょんと跳ねながら、なんとか溺れないようにする。前の方で先生が何か言っているけれど、とても聞いているような余裕がない。
ぴょん、ぴょん。
バシャ。
ぴょん、ぴょん。
バシャ。
その姿は先生には見えないようだ。
寒い。唇が真紫になっていく。
いつまで続くんだ。もう足がつりそうだよ。
「それでは、プールの中を、輪になって歩きましょう。」
先頭の背の高い連中がプールを逆方向に向かって歩きだす。
横からも強い波が押し寄せてくる。
僕はあっぷあっぷになりながら前へ歩こうとするけれど、一向に進まない。
やがて背の高い連中の一群が僕のうしろに追いついた。
そしてそいつが、いきなり僕を突飛ばしたのだ。
ザブン、ボゴボゴボゴ、、
立っているのも必死だった僕は、押されてバランスを崩し、つんのめった。
口にガバッと水が入ってむせると同時に鼻からも水。ゲホッ、ゴホッ、、、あぶっ、げひっ、げひっ、、、もがく。口、鼻、水。
その先、記憶がない。
たぶん先生が救い上げてくれたんだと思う。
プールサイドに寝かされて背中を叩かれ水を吐き出しとかされたんだと思うのだけど、記憶がない。

本当に死にそうなときは、死ぬんだと思う余裕すらないものだ、ということが僕が得た経験。

元々読書やお絵かきが大好きで運動は苦手だった僕は、それ以降、水泳が大嫌いになった。なにかと理由をつけては水泳の授業を休んだ。
大嫌いだから当然まともに泳ぐこともずいぶん遅くまでマスターできず、それは自分自身の劣等感に繋がっていった。
その劣等感を振り払い自分自身をちゃんと肯定できるようになるまで、ずいぶんと回り道をさせられた気がする。
そんなことがあったからでもないんだけど、今もプールや海にはあまり気持ちがそそられない。その延長で、サザンやチューブの歌の物語みたいに夏だ海だビーチだなんてやっている奴らに憧れもしないどころかアホにしか見えなかった。
今も、夏になったからって海になんかいかない。


201806252124324d9.jpg
Automatic for the People / R.E.M

Nightswiming


続・音楽歳時記「夏至」

6月はどちらかといえばあまり好きな月ではないのです。
じめじめと湿気が増えて不快指数が上がっていくし、蒸し暑かったりとたんに涼しかったりで体調管理も難しく、なんとなく血の巡りがぐずぐずしてなんだかなぁ感がつきまとう。
春の爽やかさやうららかさはなく、一方で真夏や真冬のように肚を据えて挑むほどでもなく、どこか中途半端というか過渡期的というか。

そんな6月に好きなことがふたつ。
ひとつは、夜に窓を開けて眠ること。
昼間の蒸し蒸しが退いて涼しい風が入り込んでくるのを感じながら眠るのが心地よい。明け方に少し冷えて、ふとんをかぶりなおしたりするのも心地よい。
もうひとつは、まだ日があるうちに退社できる機会が増えること。仕事が終わってもまだ明るいと、ちゃんと仕事以外の自分の人生の時間が確保されているような嬉しい気持ちになれる。
本屋にでも立ち寄るか、ビールでも飲みにいくか、それともぶらぶら散歩でもするか、なんて、なんとなく心に余裕ができる気がするのですよね。

6月21日は夏至。
夏至を過ぎるとだんだんと日暮れが早くなっていくのは少し悲しい。
仕事もここから秋まではどんどん忙しくなっていくし。
切羽詰まってキリキリするのは自分も周りもしんどくなるからね、余裕、ゆとり、失いたくないですね。

そんなゆとりを感じられる音楽を夏至の一枚に。
原田知世さんの『音楽と私』。

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音楽と私 / 原田知世

原田知世さんの、まぁいわゆる過去のヒット曲のセルフ・カバー集なんだけど、決して昔の名前で出ています的なテイストではなく、大人になった立ち位置で歌われた歌。今の知世さんの充実ぶりが感じられる。
さっぱりと爽やかで明るい感じが素敵。

ロマンス
時をかける少女

爽やかといってもカリフォルニアみたいなカラッとピーカン湿度ゼロみたいな爽やかさではなく、ミストシャワーみたいな穏やかな湿り気があるし、明るいといってもはしゃぎまわったり能天気だったり或いはネオンライトのギラギラだったりみたいな明るさではなくて、ちょうど仕事あがりの夕方の空みたいな明るさなんですよね。
穏やかな湿気と淡い明るさ。
そのバランスがすごくいい。
心にスゥーッと心地よい風が吹く感じ。
ぐずぐずする心やだらだらする体を、やわらかく解きほぐしてくれる。
声もいいよね。声量のあるヴォーカリストではないけれど、透明感や清涼感のある独特の雰囲気が素敵なんだな。
アンニュイな雰囲気はあるけれど気だるくはならない。ウィスパー系の息づかいが聴こえるような歌い方をしてもぬめっといやらしくはならない。ふわっと異空間へ連れていってくれるような浮遊感もあるけれど、しっかり地に足がついた生活感もある。そして年齢を重ねた分だけ、声に奥行きや陰影があってそれが実にいい味わいになっていて。
とてもいい年齢の重ね方をされている感じが、同世代としてとても頼もしくもある。

こういう心地よさに包まれていると、バスケットにサンドイッチでも詰めて、お気に入りの帽子をかぶって、木綿のワンピースでも着てちょっと公園にでもお散歩に、みたいな乙女っぽい気分になってくるよね。
いや、ワンピースは着たことないけど(笑)。
あれ、風が通って心地よさそうなんだよなぁ。
女装癖はないけれど、ワンピースは着てみたい。或いは生まれ変わったらワンピースが似合う女の子に生まれ変わりたい(笑)、なーんて軽口のひとつやふたつもチョーシこいて言えるような余裕、ゆとりが大事かと。

夏至を過ぎれば1年ももう折り返し。
年を重ねるごとに1年の感じ方は短くなるけれど、一方で季節の流れに感じる思いは年を重ねるごとに豊かになっていく気もする。
のんびり行こう。







地震20180618

今まで経験した中では二度めの大きな衝撃だった。
下からガツンと突き上げるような衝撃。
一瞬何が起きたのかわからない。
照明が落ち、きゃぁーっ、と女子高校生たちの叫び声。横揺れがグラグラグラッと来てから、スマホの地震警報が鳴った。遅いよ。
いつもなら確実に通勤電車の中なのだけれど、たまたま朝から配送センターへ行く用事があって枚方市駅で降りた直後だった。
電車に閉じ込められた同僚の話では、一時間以上停まったあと最寄りの駅で下ろされ、数駅分の距離を歩いて帰ったというから僕はラッキーだった。帰りも僕の沿線の電車は動いていた。動いていない沿線の人たちが、バス停に長蛇の列を作っていた。

普段気にしていないけど、地震だとこうなるんだ、と思ったことがふたつ。

1・頭上のものは落ちてくる
今回落ちてきたのは、エアコンの風の方向を調整するフラップだけだったけど、電光掲示板が落ちてきた駅があったり、窓ガラスが崩れ落ちた建物もあった。ブロック塀の下敷きになった痛ましい事故もあった。
普段歩く場所なんかでは、頭上になにがあるのか確認しておいたほうがいい。

2・電気は停まる
駅構内で地震に遭い、とりあえず揺れが収まって、さてどうすべきかと思って、いろいろと長丁場になりそうだしとりあえず用を足しておこうと思ってトイレに行ったら、大のほうからおっさんが出てきて「流れまへんわ。」と。排水のセンサーが作動しないらしい。
あー、そーゆーことね。。。
改札機も停まっていたから駅の外へ出るためにもカードを駅員さんのパソコンで解除してもらわないといけなかった。
市内の高層マンションなんかではエレベーターが停まって住民は軟禁状態になったらしい。
そういう些細な日常行動が電気で動いていることを把握しておいたほうがいい。電気が停まったときに何が動かなくなるのかは知っておいたほうがいい。

日常の風景があっという間に変わってしまうものだということを僕たちは先の大震災や阪神淡路大震災で経験している。
そのおかげだろうか、人々の対応はとても落ち着いたものだった。
ただ、もう少しひどい被害だったらどうだったのだろう。
民家が燃えているのをテレビで見た。幸い消防車がすぐに駆けつけていたけど、家屋の倒壊が相次いで道路が寸断されていたら。
地下鉄なんかで情報がないまま何時間も閉じ込められたりしたら?もし津波が来るとしたら?
そのときにパニックが起きないとは限らない。
職場の同僚でも、僕と同じように駅で被災、津波や余震があるかもと駅に留まった人もいれば、とにかく職場へ行こうとバスやタクシーに乗った人、駅に着いて引き返した人、まだ家にいた人、いろんなシチュエーションがあった。その瞬間にどこにいたのかで運命が変わる。どう動いたかでまた運命が変わる。
数名の命が失われ、今もガスや水道が止まって不便な暮らしを強いられている今回の地震を被害の多い少ないで軽微だったとは言わないけれど、いつかもっと大きいのが来る。来ないでと願ったところで自然には届かない。
そのときのための心構え、十分な準備はできないとしても、気持ちのシミュレーションだけはしておいたほうがいい。
そんなことを改めて思ったのでした。


No Language in Our Lungs / XTC

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XTC Black Sea








♪らっきょうブルース

らっきょうがおいしい季節です。
シャクシャクとした歯応えと、適度な酸味とほのかな甘み。
つまみだすと止まらなくなるんですよね。
らっきょうの可食部分は玉ねぎのように根っこのところ。正しくは根っこではなく茎が肥大化したものなんだそうだけど、こういう植物のこの部分を食べるとおいしい、って発見した人は誰なんだろう。生だとかなり辛みがあってピリピリするはず。それを酢に漬け込んで辛み成分をとばしてやわらかくする食べ方を発明したのは誰なんだろう。人間の知恵ってすごいですよね。

らっきょうの大産地である鳥取県の砂丘地方でらっきょうの栽培が始まったのは江戸時代の末期のことらしい。
らっきょうは、豊かな土壌よりも栄養が少ない痩せた土地のほうがおいしく育つ。少ない水分と栄養分をしっかりと球根に蓄えておいしくなるのだ。
江戸時代というのは、末期には実質貨幣経済になっていたとはいえ基本は「米」を中心にした経済制度で、米がとれる地域は豊かで米の栽培に適さない地域は貧しかった。そういう社会にあって鳥取の砂丘の近くの村の貧しさは想像に難くない。なにしろ水はけの良すぎる砂地、田んぼ溜める水の確保も一苦労で、土の栄養もすべて流れてしまう痩せた土地。お米はまともに穫れない。
お代官様、勘弁してくださいまし
ならぬならぬ、年貢米を滞らせるなど不届き千万、ならぬものはならぬのじゃ
そこをなんとか、うちには病気を抱えた母親と娘が
ほう、娘とな、歳はいくつじゃ
この春で数えで14にございます
14ならばもう働けるではないか
娘も体が弱く
その娘を連れてまいれ、遊郭で稼がせればよいではないか
お代官様、ご慈悲を
おとっちゃん、あたい、行くよ
お加代・・・
・・・なんて、こんな物語をつい想像してしまう(笑)。
らっきょうが砂地で育つこと、砂地で育ったらっきょうの方が質が良いことを知った砂丘の村の人々の喜びはいかばかりだっただろうか。
これで年貢を追いたてられることがなくなる、ひもじい思いをしなくて済む、娘や息子たちを奴隷のような仕事にやらなくても済む、一家が離散しなくて済む。そんな思いだったんじゃないだろうか。
スイカやメロンやトマト、茄子やきゅうりなんかもそうだろうけど、夏においしい野菜や果物のいい産地は全部米どころではない場所だ。
たった200年ほど前、そういう土地で暮らすことがいかに大変なことだったか。
そんなことに思いを馳せながら食べるらっきょうは、とてもせつない味がするような気がする。


農業といえば、なんとなくミシシッピ・デルタ・ブルース。
サン・ハウスの“Country Farm Blues”を。

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Appendix

Profile

golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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51NacLGHbDL.jpg Musical Romance 81Jiymj05iL__SL1417_.jpg Ramblin Bob Amazing Bud Powell 1 I'm Jimmy Reed 91nimun-gdL__SX425_.jpg The West Coast Sessions 51N428T8D2L.jpg 71Y7cZxniBL__SL1098_.jpg Ella & Louis Chicago Bound アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション+1 51RNkrRkrKL.jpg ベスト・オブ・バディ・ホリー 51Y1W0GNK4L.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 51r1Jn3KysL.jpg 418FMPHEH8L.jpg 41BMZZ4644L.jpg 91gRh3dMZCL__SL1500_.jpg 41D5N5A2NPL.jpg 71rf2SLpdpL__SL1000_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 41D7S4CZWBL.jpg 41+QbmWm7aL.jpg presandteddycover.jpg clyde mcphater VERY BEST OF Man & His Music A1DhxQZCjXL_SL1500_.jpg marvin-fellow.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg The_Rolling_Stones-1964-The_Rolling_Stones.jpg Beatles for Sale My Generation: Deluxe Edition 51AcnSJcHyL.jpg 51bNj+ULpSL.jpg 51DHQC61ZWL_SX425_.jpg 41o9XeUuZjL.jpg 20 G.H. Live in Europe tomt 51cKCqaKQxL__SY355_.jpg 81DCRuSH25L__SL1500_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg MI0002782768.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg soulman_original_alb.jpg 51FGtOkImKL_SX300_.jpg west_side_soul1.jpg Beggars Banquet エヴリ・ワン・オブ・アス+1 randynewman.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 71otoVzhCuL__SL1105_.jpg 413AMGT7SFL.jpg 51ds00OKe-L.jpg 616osu5m8iL_SX425_.jpg 305a1614.jpg 81pMwMtFveL__SL1345_.jpg 81f2DLVCzJL__SL1300_.jpg 51uOzyp+Z6L.jpg 71eG2rIxazL__SL1046_.jpg 51ZJJGM2ZZL.jpg Fire and Water 91nimun-gdL__SX425_.jpg th.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg Fragile littlefeat.jpg 715IJ+j9EuL__SL1131_.jpg Music Muswell Hillbillies 71ctdmsHsJL__SL1084_.jpg 71PD4tBKioL__SL1116_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg SantanaCaravanserai.jpg 61XXWX6tmCL.jpg 61NAZCOWDDL__SL1100_.jpg セイリン・シューズ(紙ジャケットCD) 71eNbpCI6UL__SL1077_.jpg 511-tyxVUpL.jpg 91gT9fqhZ3L_SX425_.jpg I'm Still in Love With You 414HP65MBKL.jpg 51X8dY66CsL.jpg 愛と自由を求めて 51RXYQ9OO3L.jpg Takin My Time Closing Time There Goes Rhymin Simon 明日に架ける橋(紙ジャケット仕様) ひこうき雲 GP Moondog Matinee 716rGZASCKL__SL1425_.jpg 41SSP93BHWL.jpg 51zJyUc+r6L.jpg 51jCzIh4qRL__SS280.jpg 61-8DQVxWjL__SL1050_.jpg 61dZdC6t62L__SY355_.jpg 71aWAFuF6BL__SL1050_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 51JbSP69QaL.jpg 渚にて 5197RcTXXnL.jpg 81A5c2hHeyL__SL1425_.jpg 81qgW6uhF1L__SL1500_.jpg Born to Run Nils Lofgren 61BdFFiXniL__SX425_.jpg スネイクス&ラダーズ(ベスト)(紙ジャケットCD) 20171026013241d1d.jpg ROCK 'N' ROLL 61ijQ7n04TL__SL1065_.jpg 31vqqUxOjnL.jpg 612tlGtI4sL_SX425_.jpg Malpractice c674c8d38b834d1a46f26cee2f0381b7.jpg 71f0CPCXaJL__SL1050_.jpg 71s7uOgUVBL__SL1092_.jpg 81-hcf-9GdL__SL1228_.jpg In Concert: Best of Pretender 3112T4QJV9L.jpg Equal Rights Songs in the Key of Life “1976” 6184mADL6LL.jpg Ronnie_Lane_-_One_For_The_Road_-_LP_RECORD-57899.jpg Brinsley_Schwarz_Surrender.jpg 51sDSqlWYbL.jpg マーキー・ムーン Ramones L.A.M.F. - The Lost Mixes Never Mind the Bollocks Here's the Sex Pistols マイ・エイム・イズ・トゥルー+1 New Boots & Panties 7139dYLoG8L__SL1050_.jpg 21EXZVPG4AL.jpg 51fnZ7zzuUL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg KinksSleepwalker.jpg 4129-Q6sVHL.jpg 61NLoHBAYAL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg Black Woman Chaka Briefcase Full of Blues 616WAJF3SGL.jpg 91U+8UJ1+vL__SL1500_.jpg 80 51Cm3YGmDQL.jpg 51JKKZA9W4L_SX425_.jpg 518Vq58mgUL.jpg 41VQXG3BFML.jpg 1624540jpg.jpg 31V0AVW674L.jpg Long Run 71Y9bXH9D+L__SL1412_.jpg labour_of_lust_nick_lowe.jpg Into the Music London Calling マラッカ(紙ジャケット仕様) Rickie Lee Jones 81zR19Ga9VL__SL1079_.jpg 41cLeG0ZrFL.jpg The River Emotional Rescue THE ROOSTERS Woman and I...OLD FASHIONED LOVE SONGS(紙ジャケット仕様) RHAPSODY 41Tcvs70ZPL.jpg 51tRgx3mLgL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg Poet david lindley 91nimun-gdL__SX425_.jpg A00003808.jpg 800.jpg 51au3oRpDSL__SS280.jpg Heart Beat 61rH90dDhtL__SL1050_.jpg 71gHPyBVGqL__SL1050_.jpg lookout.jpg milk_hi.jpg 女の泪はワザモンだ!!<デラックス・エディション>(紙ジャケット仕様) Pipes of Peace 51QeHiRUz8L.jpg JOAN20JETT202620THE20BLACKHEARTS20I20LOVE20ROCKN20ROLL.jpg 62805277.jpg 71WCRrbfr5L__SL1500_.jpg 51YJOxD55iL.jpg 51SSVnYVsJL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 812JxniX3jL__SL1500_.jpg 41o+TOhThhL__SL500_.jpg 嘉門雄三 51wXhNgjs4L__SS280.jpg 510RsGZt0KL.jpg 71fefvSZXFL__SL1076_.jpg 71sCe7ReLUL__SL1273_.jpg Innocent Man 91nimun-gdL__SX425_.jpg 51ipQpNEBPL.jpg 51b+kbtwmZL__SX355_.jpg Uh-Huh (Rpkg) Learning to Crawl North of a Miracle 510NH8D9RTL.jpg MI0003515862.jpg 2017102722040546a.jpg 61gyVhU1QCL.jpg Ocean Rain インナ・ビッグ・カントリー<30周年記念デラックス・エディション>(紙ジャケット仕様) LIGHTS OUT 41uaexamSNL.jpg 819qdTNLMxL__SL1500_.jpg 616vZDe-wFL_SX425_.jpg 51Nh3RjwObL.jpg 31219QDNA0L.jpg Live in Italy YELLOW BLOOD(紙ジャケット仕様) 0831oyamatakuji.jpg pj.jpg 98e7c281-3edb-4b58-b382-0fee520de343.jpg 51xUBB5IDXL.jpg 51W5vbzNSoL_SX425_.jpg This is the sea Southern Accents Centerfield Rose Of England Poor Boy Boogie 51KQnRGfZkL.jpg 61P1R84YZTL.jpg THE仲井戸麗市BOOK 81xvZZeDEqL__SL500_.jpg 71uNe1yRlOL_SX425_.jpg 41BiuimcyaL__SL500_.jpg 71mWhnbZlBL__SL1045_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 51Uv2AegNJL.jpg Lone Justice Shake You Down 71qx7rhRauL_SL1247_.jpg Talking With The Taxman About Poetry 71PrfBnIAlL__SL1417_.jpg 51JC0ZVZ2JL.jpg 41FRDVE5HHL.jpg 51MCNZnwnYL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 41kyWjIskxL.jpg kaminari.jpg 61pfESgIsfL.jpg 51161GGhY3L.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 81341iLwJBL__SL1500_.jpg TearsofaClown2.png 41G391YlKQL.jpg 41H2ZNKB5BL.jpg RogerTroutmanUnlimited517753.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 71+LokGlumL_SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 51vj8mxfgpL_SX425_.jpg 61r6gn5Zw7L__SL1050_.jpg 81KoDrysvWL__SL1402_.jpg 81CONxXc05L__SL1425_.jpg MARVY Dream of Life 41P61852YRL.jpg First of a Million Kisses covers.jpg 51WXla6D4UL.jpg 51iMxsNHHpL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg MONKEY PATROL If I Should Fall From Grace With God Lou Reed NY アメリカ roy orbison mystery girl NZO.jpg tbirds.jpg ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 浮世の夢 51lOB6A0QuL.jpg 31TRAKHBS3L.jpg 201710170003023bc.jpg 41HETTEDKEL.jpg 61WRTiXKDxL__SX425_.jpg 71XidOygo4L__SL500_.jpg 71VhTv2GwpL__SL1079_.jpg 61GF12GYFTL.jpg 41CX6E9PEDL.jpg 29b546020ea0dffa61f19110_L.jpg thEJUVZLEV.jpg 71sLT+3QzeL__SL1000_.jpg 51EXCEcq9XL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 51Cu2Y3de7L__SS280.jpg album-worldwide.jpg 416RTFVCTCL.jpg 愛があるから大丈夫 71-OO+VcMTL__SL1400_.jpg STICK OUT 91nimun-gdL__SX425_.jpg Through the Fire 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg album-four-chords-several-years-ago.jpg Mitakuye Oyasin Oyasin/All My Relations king-cake-front.jpg 81nBa9cn4ML__SX425_.jpg 71mdoTOXk2L__SL1084_.jpg 51zRUTKe5SL__SX425_.jpg 51AeVTRTGL.jpg 51uHHCgmeUL.jpg 201803020818585d9.jpg 20180302222942b4c.jpg New World Order Sound of the Summer Running 41PFEPPAEHL.jpg 615 61umgDYJ83L_SS500_SS280.jpg 20170806160213709.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg Home Girl Journey All That You Can't Leave Behind 91nimun-gdL__SX425_.jpg 31ARJGY84EL.jpg 31BGVPYMTKL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 日々のあわ 20171117081733097.jpg Soulbook 廻る命(DM008) 41mNSDBqy6L__SX355_.jpg Dance-With-My-Father-by-Luther-Vandross-J-Rrecords.jpg 81XonM-Wu4L__SX355_.jpg Okinawauta.jpg 41JYS3WjE6L.jpg 81DSuwZXaxL__SL1400_.jpg cover32.jpg 61gyVhU1QCL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg yjimage.jpg Chuck-Berry-1.jpg image3-e1508841142364.jpg

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