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訴状が届いていないのでコメントできない

よく訴訟関係のニュースなんかで、「訴状が届いていないのでコメントできない」って聞くんだけど。
「だったら、訴状が届いてからもう一回コメント取りに行けよ!」って思わない?
後日、訴状を読んでからのコメントが報じられたという記憶がない。

「行楽地は若いカップルや家族連れで賑わいました。」ってさ。
実際には高齢者だって男同士だってたくさんいるのにその姿は見えないみたい。
イメージだけで事実を切り取って紋切り型の常套句で報道したふりをする、それってちょっとどうなんだ?

「私の発言が誤解を招いたとしたら、お詫び致します。」
その言い回し、実際のところ、誤りを認めてないよね?全然謝罪してないよね?

「ふっくら炊き上がり、冷めてもおいしいお米です。」とお米のパッケージ。
更には「生産者が心を込めて作りました。」と。
ふっくら炊き上がらないお米なんてあるのか?冷めたら固くなるお米です、なんて売りたい側が誰も言うはずがない。心を込めて作ったかどうかの検証方法は果たしてあるのか?どのレベルまで達していれば心を込めたと認定できる基準はあるのか?心を込めて作っていません、とは誰も言わないよね。

紋切り型の言葉に騙されたくない。
人の言葉はまず疑ってかかったほうがいい。
そういうものの見方は、ひねくれているのだろうか。心が荒んでいるのだろうか?

でもね。
「この戦いは、アジアの人民を開放する戦いだ。」という言葉で。
「鬼畜米英を粉砕するのだ。一億玉砕火の玉だ。」という言葉で。
「お国のために命を捧げるのが男子の本懐だ。」「生きて帰るのは国の恥だ。」「お国のために協力しないのは非国民だ。」という言葉で。
どれだけ多くの命が失われたのか。
「原子力はクリーンなエネルギーです。」という言葉で、どれだけの土地が住めない土地になってしまったのか。
「公害と企業の活動に因果関係は認められない」という言葉で。
「悪行を積んでいるものはポアしろ。」という言葉で。

うっかり信じたらひどい目にあう。
騙した側の責任はうやむやにされる。仮に責任が後に認められたとしても、損なわれた人生は元通りにはならない。

言葉の上手い不誠実な人がいる。
誠実だけど、言葉の上手くない人がいる。
きれいな言葉ほど疑ったほうがいい。
きれいなことや威勢のいいことだけを言う人を信用しないほうがいい。
自分自身、販売や広告に関わる仕事をしているだけに、言葉の選び方については鈍感ではいられない。
ある人にとってはメリットになることがある人にとってはデメリットになることもあるわけで、否定すればいいってものではないし、消費ということで言えば少し背伸びした夢やときめきを語ることも必要なので、難しくはあるのだけれど、言葉に対しては誠実でありたいといつも思うのです。



Hypocrites / Jimmy Cliff

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続・音楽歳時記「立秋」

立秋。暦の上ではここからが秋。
とはいえ、命に関わるくらいの異常高温が続く今年の夏。
幸い今朝は少し暑さも落ち着いているけれど、それでも予想最高気温は36℃。
こんなときにがんばってはいけません。ほんと、命に関わります。夏休みだからと、海だ山だと出掛けていく人もたくさんいるんでしょうけど、無理は禁物。炎天下の高校野球なんて観てるだけでもふらふらになる。
こんな日はクーラーを効かせた部屋でくつろぐべきです。
シャワー浴びてさっぱりして、心地よいい音楽を聴いて。

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Goodtime For Love / 渡辺貞夫

ナベサダさんのなんともいえないゆるさがいいね。
ほっとする。
いろんなことがあるけど、だいたいでいいんじゃない?とりあえずある程度のところがうまくいってるならそれでいいんじゃない?どっちにしたところで、何もかも完璧にこなすなんて不可能でしょ?それよりも、ニコニコと笑っていられることのほうが大事なんじゃない?
やわらかなサックスの音色がそう語りかけてくる気がする。
ですよね。
迷惑をかけたりかけられたり、人を助けたり助けられたりしながらなんとか50年以上大過なく生きてこれたんだ。
ここまで生きてくりゃ、もう生きてるだけで儲けもんでしょ。
ですよね。
そんな必死にならなくったって、どうせみんな必ず死ぬよ。そのときに思い出せることが苦しいことばっかりだったら悲しいよね。思い出してもらえる顔が眉間にシワがよった辛い顔や、思い出してもらえる声が怒鳴り声や恨み節だったら嫌だよね。
ですよね。
ナベサダさんがそんなふうに語りかけてくる。
そういう毎日を過ごすためには、なぁーんにもしないでただポカーンと心地よいことに身を委ねるような時間があってほしいな。
そういうシフクの時間を持つことが、結果的にはすべてを善い方向へ運んでくれる気がするから。

Goodtime For Love

まだまだ残暑は続く。
今年の残暑はちょっとめんどくさそうだ。
でも、放っておいても季節はいずれ秋になる。
流れに身を委ねていこう。






♪ぼくは牛乳

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「私たちが牛乳を作っているのではないのです。牛乳を作るのは牛たち。私たちはそれを手伝っているだけなんですね。」
「だから、牛たちが気分よく過ごせるよう、いろいろ気遣ってあげることが大事。作業を機械化をするのも、効率をあげるためだけではなく、勘と経験に頼っていた質のばらつきをなくすためなんです。」
と、北海道のある牛乳の生産者さん。
また別の方は、こんな風に言っていた。
「牛は怒っちゃだめなんです。愛情をかけて優しくしてあげると、優しい牛が育つ。ダメなことをしたときだけは叱る。ほったらかしにし過ぎると気性が荒くなります。子供の教育と同じですよ。」

そんなふうに思いを込めて日々牛さんたちと向き合っている酪農家さんたちがいる。
そのおかげでおいしい牛乳を飲むことができる。ヨーグルトやチーズを食べることができる。
昔はなんとなく、牛小屋に閉じ込められた牛たちが、毎日毎日たらふく食べさせられ、奴隷のように苦しい思いをしながら泣く泣く絞りとられているんだと思っていた。
そんなことは全然なかった。
牛たちの目は穏やかで、人間が近づいても怖がらない。それはきっと、普段から人間に優しく接してもらっているから。
優しく育てられた牛が優しい気持ちで絞られた牛乳のほうが、絶対おいしいに決まってるよね。

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そして、そんなふうに絞られた牛乳を、鮮度のよいままに運んだりパックしたりする人たちがいる。
ひとりひとりの誠実な思いのリレーの結果として、わが家の冷蔵庫に牛乳が届く。
仕事で行った北海道で、そんなことを感じていました。

「ぼくは牛乳」

♪ぼくは牛乳
まじめな牛乳
やさしいひとたちに育ててもらったんだ
気持ちのいい丘で

歌っているのは、原田郁子さんです。




日記18.7.28~8.1

■7月28日(土)
土曜日なのに休日返上で、職員30数名を引率して兵庫県赤穂市のたまごの産地研修。
養鶏場からベルトコンベアに乗って流れてくるたまごが、手早く洗浄され検査されパックされていく。
たまごってなんか宇宙っぽいよね。美しい。すべてを内側で完結している美しさ。
宣伝媒体用の写真を撮らせてもらおうと若い職員にカメラを向けたら「あ、だいじょぶです。」と言われた。「だいじょぶです」というのは、本来の「だいじょうぶ」とは違う、柔らかい拒否の意思表示をする意味の言葉になったようです。

■7月29日(日)
観測史上異例の東から西への逆走台風。
8時頃目が覚めたら、もう雨風はやんで青空がのぞいていた。
木の枝が折れたりしてたので、それなりに強い風が吹いたみたいけど、まったく記憶がない。

■7月30日(月)
今年の夏は、目が覚めるのが早い。
東の窓側で寝ているので、日が昇ると暑くって眠っていられないのだ。
早起きしてもすることもないし、一度だらだらすると出かける気すら失せてしまうので、早めに仕事場に着いて早めに仕事に取りかかる。
なんとなく気分だけは仕事が順調に進んでいる感じがして気分がいい。心に余裕がある気がする。
今日も早めに職場に着いたのだが、始業時間になっても同じ沿線の同僚が出勤してこない。通勤電車で事故があって立ち往生しているらしい。
事故があったのは7時55分、いつもなら間違いなく電車の中だけど、今日はもう駅に着いていた頃。車両によってはエアコンが止まった車両もあったそうで、、、この酷暑の朝の通勤電車でエアコンなしで幽閉されるなんて、考えただけで地獄。。。
ラッキーだ。ツイている。まさに早起きは三文の徳。
三文っていうのは、現代に換算すると100円くらいの価値らしいのだけど、仕事の遅れや体調不良、ストレスなどを考えると、30000円くらいの価値はあったかと。

■7月31日(火)
台風が去ったら去ったで、またとてつもなく蒸し暑い。
会社の喫煙所は、屋外の非常階段。
タバコを吸うのも汗だくになりながら。
通勤で使うターミナルの喫煙所に至っては窓なしクーラーなしの倉庫みたいなところで。
このご時世、公共の場でタバコを吸える場所をわざわざ設置してやってるんだから文句言うな、ってなもんでしょうが、こうなってくると苦行に近い。あんまり暑いんでついビールを買っちゃう。この蒸し暑い中で飲むビールがうまいったらありゃしない。ビールを飲むとタバコもうまい。
こうやってタバコもビールもやめられないことになるわけで。

■8月1日(水)
あー、もう8月かー。
一年の2/3終了。えっ、もうそんな。
この時期になると毎年一気に年末まで坂道を転がるようにあっという間に過ぎていくんですよね。慌ただしすぎて記憶を失くす感じ。
大阪では毎年この日にPLの花火大会があります。正式には教祖祭花火芸術というそうですが。
実家からよく見えたので、この花火にはいろんな思い出があります。夏休みの宿題の絵日記の格好のネタでもありました。家族でスイカ食べながら観たのも、もはや嘘みたいに遠い日々。

人間の記憶っていうのは不思議なもので、ある程度の時間が経ってしまうとぜんぶきれいな思い出になっていくんですね。実際は嫌なこともたくさんあったんだろうけど、あんまり覚えていない。っていうか、嫌な思い出さえもがなんとなく美しいものに変わっていくっていうか。中学生より前くらいのことはぜんぶそうなってきてる。ってことは思い出が窯変するのにかかる時間はだいたい35~40年ってことか。
今感じている諸々の思いも、85とか90才とかになる頃にはぜんぶ美しいものに変わっているのかも知れませんね。ボケてなければ、ですが(笑)。
まぁそう思えるのも、日々大禍なく平穏無事で暮らせているお陰かと。感謝。


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Summer In The City / Quincy Jones






♪オクラ・ブルース

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オクラが高い。
旬のこの時期なら一袋100円ほどのものが230~250円。
主な産地の鹿児島や高知で、ようやく育って今から出荷という段階でのオクラが、西日本豪雨災害の影響でたくさんダメになってしまったからだ。
どうしても食べなきゃ困るものでもないだけに、うーん(*_*)となってしまう。
でも、うまいんだよな。
細切りにして醤油と鰹節かける。シャクシャクした歯触りと独特のねばり感。これを冷奴にのっけるとまたうまい。梅肉和えもいいな。塩昆布と合わせてもいい。刻むだけじゃなくって、そのまんまゆがいて丸かぶりしてもおいしい。醤油もいいけど、ポン酢がよく合う。
和食によく合うし、なんとなく名前の語感からも日本の野菜っぽいけど、オクラは英語でそのままOkra。そもそもはアフリカ原産で日本に入ってきたのは昭和50年代以降。そう言われれば確かに子供の頃に食卓にのぼった覚えはないなぁ。

オクラが世界的に広がったのは、皮肉にもヨーロッパやアメリカによる奴隷貿易によるもの。
ガーナやトーゴあたりで食べられていたものがルイジアナに持ち込まれてアメリカでも栽培されるようになり、やがてニュー・オリンズの名物料理であるガンボのとろみをつけるのに欠かせない食材になったのだ。
奴隷として連れてこられた人々は、オクラを食べて故郷のアフリカを思ったのだろうか。
星形の断面や独特のねばりなど、とても個性的でありながら癖がなくて、意外にもどんな料理にもよくあう。なんとなくその存在感がブルースっぽい思う。

殺人的な猛暑もようやくちょっと収まって。
36℃を越すとセミすら啼いていなかったけど、今日はお昼間もセミが啼いていた。そんないつもの暑い夏にちょっとひと安心。空にぽっかり入道雲が浮かんでいた。
夏のうちに、茄子やかぼちゃ、トウモロコシや赤ピーマンなんかといっしょにたっぷりのオクラを入れた夏野菜のカレーを作ろう。
もう少し価格が落ち着いたらね。


音楽はニュー・オリンズ。
ガンボといったらこれでしょ。

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Gumbo / Dr.John


Messin` Around / Dr.John



続・音楽歳時記「大暑」

今年の夏は尋常じゃないくらい暑い。
こんな日に外出したらまじで命に関わるんじゃないかしら。
ましてやスポーツだなんてあり得ない。
こんな日にも外で働く皆さん、ほんとうにお疲れさまです。

7月23日は大暑。文字通りに暑さMAX。一年で一番暑い時期。
京都・大阪の夏はただでさえ暑いのですよね。
湿気が高くてジメジメする上に、べったりと蒸し暑さが籠る感じ。風が抜けないんだな。それに緑が少ない。潤わない。立っているだけで蒸し風呂だ。
それが当たり前だと思っていたから、他の土地の夏を知ってびっくりした。
エジプトのカイロだって、気温こそ40℃近くまで上がるとはいえ、湿気が少なく実際のところ体感温度としては大阪より涼しくくらいだったのだ。沖縄の夏も湿気がなくて爽やかだったし、バンコクは湿気はあるけど空気のヌケがよくて、思っていたよりもじっとりと熱気がこもる感じではなかった。同じ関西でも、京都・大阪と神戸ではずいぶん暑さが違うもんね。
暑さっていうのは、気温の高さだけではなく、気と体感温度の影響が大きい。
今まで行ったことのある土地で、経験上一番暑いと思ったのはニュー・オリンズ。訪れたのは6月だったのだけど、めっちゃくちゃ湿気が高くて、息をするのも苦しいくらいだった。
ああいう土地では昼間はとても動けない。日本人みたいに生真面目に働こうものならバテてしまう。
南の国の人たちがとてもルーズになるのもわかる気がした。そして、夜の悦びとしてのダンス・ミュージックの発展も。

大暑の一枚は、そんなニュー・オリンズの大御所、アラン・トゥーサンさんを。

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Southern Nights / Allen Tousant

ニュー・オリンズらしい泥臭さと、お茶目なファンクっぽさ。
リズムは跳ねているんだけど、煽ったりけしかけたりはしてこない。開けっ広げというか、オープン・マインドというか、生命の持つ欲求に忠実っぽいというか。肩肘張らない、しかめっ面にならないゆるさ。ナチュラルかつリラクシング。
そんなゆったりとした感じがとても心地よいのです。

ちょっとオリエンタルな感じのメロディーが美しくもちょっと儚い“Southern Nights”はこんな歌だ。

南国の夜を感じたことはあるかい?
そよ風のように自由で、木々のようにおしゃべりじゃない。
口ずさむ鼻歌は恋の歌。
南国の空は目を閉じていたって気持ちいい。
この気持ちよさをもっとうまく言える誰かがいたら、謝ったっていい。
気持ちいい。
ふわふわと飛べてしまいそうだ。
この世界のすべての争いが止めばいいのにな。


だいたいにおいて、日本人は働き過ぎる。生真面目で細かくて完璧主義的に過ぎる。集団への所属意識や規範規則を重んじ、無理してでもがんばり過ぎる。
それはそれで美徳ではあるんだろうけど、この歌みたいにもっとゆるくていいんじゃないのかしら。
まして、こんなにクソ暑い時期には。
この曲みたいな気分でずっといられたら、世界はもっと平和なんだろうな。





京都ホテル

「暑っついなー。今、何度ある?」
「たいしたことないで。ほんの35℃。」
「地獄やん。」

灼熱の太陽が降り注ぐ真夏に、僕たちはひたすら石膏ボードを運んでいた。
石膏ボードとは、壁や天井に貼り付ける建築資材だ。一枚はちょうど畳一畳分くらいあって、重さは一枚だとせいぜい3kgとかくらいだろうけど、一枚では効率が悪いのでだいたい一度に5枚くらいは運ばなくてはならない。
建築中の建物の現場は、当然クーラーなんて設置されてはいないし、安全のために貸与されている長袖の上着はすでに汗を吸って重くなっているのに脱げない。
屋上から吊るされたクレーンで何千枚という石膏ボードをフロアに運び上げる。そこから各部屋へは、僕たちのような下請けの人足が手作業で運ぶのだ。
運んでも運んでも一向になくならないボードの山。
吹き出す汗。
確かに地獄だ。

現場は、当時景観問題で京都市民を二分していた京都ホテル。
17階立て、地上60mの高さは、従来は規制により建てることができなかった建物だ。
最初の会社を辞めて無職だった僕は、とりあえずいろんなアルバイトをして糊口をしのいでいた。最初にやった印刷会社でのアルバイトはなんだかやる気のないくすぶった感じにいたたまれなくなってすぐに辞めた。設計事務所でのアルバイトはわりと楽しかったのだけれど、いかにも典型的な中小企業の社長タイプのワンマンな社長が鼻についてやめた。昼夜二交代制の自動車工場のラインは給料こそよかったものの、長く続ける種類ものではなかった。そうやってアルバイトを転々としているうちに、建築現場の日雇いに落ち着いたのだ。
日雇い会社から人足として向かわされたのが京都ホテルの現場だった。
石膏ボードだけじゃなく、天井に張り巡らせるステンレスの骨組みみたいなものや、アスベスト入りの断熱シート、玄関ホールの大理石の床石やら、ホテル内のチャペルの白い扉やら、スイートルームに入れる大型のテレビ台や、とりあえず何でも運んだ。今は一般人が決して立ち入ることができない屋上の給水塔にも登った。腰から安全ベルトをぶらさげて屋上の上に組まれた足場の上で鳶職の真似事みたいなこともした。遥か向こうの大文字山が同じ目の高さに見えた。

建設現場の良いところは、日当がそこそこ貰えたことと、その日の仕事あがりに現金で貰えたこと。
日雇いだから毎日行く義務はないのだけれど、工期が押し気味だったのか「明日も頼むわ。」と言われると断りきれず、まぁ金もないしどーせヒマだしと週6ペースで出勤していた。
毎日現場へ行っているとだんだん顔見知りが増えてくる。基本、そういう現場へ働きにくる奴らは、どいつもこいつもけっこうどこかぶっ飛んでいる。ギャンブル狂い、借金まみれ、宵越しの金は持たない遊び人、あるいはいわゆる社会生活不適合者。そういう僕だって、周りの人からそう見られていたのかも知れないけれど。
年齢不詳のジイサン(といっても当時の僕からジイサンに見えただけで実際は50くらいだったかも知れない)から10代の学生までいろんな人たちがごちゃごちゃ働いていた中で、自然に仲良くなったのは同世代の連中で、とりわけ意気投合したのは同い年のツカサくんだった。確か本名は中務とかだったと思うけど、みんなツカサくんと呼んでいた。
ツカサくんは元パンク・バンドのヴォーカリストで、ピストルズとスタークラブの大ファンだった。
「お前、ギター弾けるって?バンド演ろうぜ。今何もやってへんし、ウズウズしてんねん。」
コンビニで買ってきた安いシャケ弁当を食ってるときに、ツカサくんがそう持ちかけてきた。
「弾けるってほどではないけどなぁ、まぁコードガチャガチャするくらいやったら。」
「上等上等。パンクバンドやで。ジャジャーン、ガシャーンでええねん。」
「リズムは?」
「時々来てるシミズくんっておるやろ。あいつ叩けんねんて。ベースはシミズくんの彼女の友達。」
「あー、けっこう男前のあいつな。」
「シミズくんな、家は横浜やねんて。」
「そうなん?なんで京都でバイトしとんねん。」
「なんかな、京都におる彼女が東京の方に遊びに行った時に知り合って、こっちへ転がり込んできたらしいで。」
「そーなんや。自由やなぁ。」
「ロッカーっぽいやろ(笑)。」

それからはツカサくんとシミズくんと、三人が同じ現場になるたびにバンドの話。
「何演る?」
「下手くそやし、簡単なやつで頼むわ。」
「勢いイッパツでいけるって。」
「パンクやしな。」
「とりあえず、ピストルズは演りたいねん。」
「そこははずされへんとこなんや。」
「あと、ラモーンズな。」
「ええな。」
「それからスタークラブとコンチネンタルキッズやな。」
「そのへんはちゃんと聴いたことないねんけど。」
「ま、だいたいでええんちゃうの。今度貸したるわ。」

いよいよスタジオに入る日が決まった。
曲はとりあえず“Anarchy In The U.K”と“電撃バップ”と“White Riot”。
電撃バップとWhite Riotはなんとかなりそうだけど、ピストルズは意外に難しい。アーイ、ワーナービーィ、イーッ、アーナーキィーッのところのE、D、Cと下がってくるところがなんとも感じが出ない。リズムを取るタイミングがなかなかうまくいかないのだ。ピストルズのライヴ・ビデオも借りてみたけど、シド・ヴィシャスがピョンピョン跳び跳ねているばっかりでまるでわからない。
「ま、いいか。勢いイッパツだ。」なんてうそぶきながら、毎日汗だくになって泥まみれになってヘトヘトで疲れた体でせこせこと練習をする。スティーヴ・ジョーンズだってああ見えてもきっとこうやってせこせこと練習したんだろうな、なんて思いながら。

けれど、結局このバンドは、スタジオにすら一度も入ることはなかった。
灼熱の炎天下の作業中に、僕が意識を失って倒れてしまったのだ。
病院に運ばれ点滴を受ける。診断としては軽い熱射病ということだったのだけど、そもそもが貧血というか栄養不足というか、体力が弱っていたのだろう。だいたい朝飯抜き、昼はおにぎり、夜はビールとラーメンかチャーハンみたいな食生活が1年以上も続いていたのだ。そりゃ栄養も偏る。まして暑さには定評のある京都の夏に炎天下での体力仕事。いくら若いとはいえ、ガタがこないはずはない。
入院こそしなくて済んだものの、その夏僕は一切の仕事をせずに療養することを迫られたのだ。
携帯もない時代、バイトに行かなきゃメンバーとのコミュニケーションもない。ツカサくんたちは別のギタリストを見つけたものの、ドラムのシミズくんが、彼女とケンカ別れして同棲していた部屋を追い出されて横浜へ帰ってしまい敢えなく解散となってしまったと後になって聞いた。

そろそろまともな仕事を探すべきなんだろうか。
それとももう少しふらふらしていようか。
俺、どこへ向かっているのかな。
そもそも何がしたいんだろう。
なんとでもなる、どうにでもなる。そういう自信だけはなぜかあったのだけど、根拠はどこにもなかった。
空はいつの間にか少し秋めいてきて、高い空にいわし雲がなびいていた。


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Ramones / Ramones

“電撃バップ”




♪祇園祭、もしくは、暑中お見舞い申し上げます

京都の夏といえば祇園祭。
蒸し風呂みたいにゆであがってしまうくらいのひどい人混みなので、宵山とか宵々山にあの辺りに近づきはしないのだけど、あのお祭りの独特な感じは嫌いじゃない。
1100年も続いている行事に対して嫌いじゃないとはずいぶん上からの物言いですが(笑)。

宵山の少し前の時期から、四条界隈の路地に、それぞれの町の鉾が並ぶ。近くで見るとほんとうにきらびやかで豪華絢爛で、和風や中国風はもとより、インドやアラビアあたりから直接舞い込んだような意匠の数々には息をのむ凄みがあって。施されたデザインのそれぞれにおそらくなにがしかの意味が込められていることが伝わってくる。
そして山鉾巡行の日には、きらびやかな鉾が街中を練り歩く。
圧巻で壮麗でありながら、なんだか霊柩車みたいだな、と思ったりもする。

そもそも祇園祭の始まりは今からおよそ1100年前の平安時代。都で流行した疫病を治めるために八坂神社で66本の鉾をつくり病魔の退散を祈願したのが始まりなんだそうだ。
米の貯蓄が底をつき、悪い疫病が流行する、エアコンも冷蔵庫も冷凍庫もない時代の夏は忌まわしい季節でもあった。
小さな子どもや老人など、体力のないものから順番に倒れてゆく。愛する人を突然、疫病で奪われる。
医者もいなければまともな薬もない。
人々ができることは、無事夏を越せるよう、神様に祈ることしかなかったのだろう。
お祭として同じように括られているけれど、祇園祭は、先祖を敬うお盆や、収穫の実りを祝う秋祭りや冬至を越えて日が長くなり新しい年の訪れを祝うお正月などとは少し意味合いが違う。つまりは死者の魂を鎮める祈りのためのお祭。
とてもにぎやかに打ち鳴らされる鐘太鼓、あのコンコンチキチンのリズムは実は死者へたむけられたもの。そして、きらびやかな赤や朱や金で飾られた装飾品。 神様を喜ばせるための派手な体裁の内側に込められた哀しくて切ない生きることへの願い。
ずっと昔から連綿と積み重ねられてきた人の営みの哀しさに、ただ呆然としてしまうのだ。


悲しい災害があったばかり。
激しいとはいえ、ただの雨なのに。幾日か降り続くだけで、あんなにひどい災害がいくつもあっちこちで引き起こされるなんて。
あの日、亡くなられた方々は、誰もみな、その日自分がああいう目に会うことなんて想像すらしなかっただろうと思う。ごく普通のいつもの暮らしが、大きな力で突然に寸断される。
無念にも亡くなられた方々も、残された方々も、心の準備などなかった分余計に辛く悲しい。
人が生きているっていうことは、自分で思っているよりもすごく脆いものなんだな。

どうかみなさんが、元気で無事この夏を越せますように。

暑中お見舞い申し上げます。


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Shang Shang Typhoon 2


いろんなことを乗り越えてのなんでもアリ感のある、上々颱風のレット・イット・ビー、好きだな。
ただのばか騒ぎじゃない、悲しみを抱きつつ、それでも、だからこそ、踊っちゃえ的な。

Let It Be / 上々颱風





続・音楽歳時記「小暑」

記録的豪雨。
住んでいるエリアにも避難勧告の連絡が届いた。
すぐそばにある疎水は舗道が埋まるまで水が溢れ、ゴウゴウと音を立てていた。
数十年に一度の異常な大雨っていうけど、それは過去のデータからの確率論でしかなくって、地球規模の気候変動が起きているとすれば、この規模の雨が降るのが次はまた数十年後ということにはならないだろう。

7月7日は小暑。
豪雨が去ったあとは、暑さが増してくるはずだ。
ついこの間までは寒さに震えていたのに、もう真夏?っていうか、もう2018年も半分既に過ぎてるんだ、と気づいて愕然とする。
大人になると月日が流れるのが早くなるって子どもの頃よく聞かされたけど、それはほんとうだった。
つい最近のことだと思っていたら10年以上も前のことだった、ってことも今やよくある話。
このレコードを初めて聴いたときの衝撃も最近のことのようによく覚えている。
暴風雨のように、或いは吐き出す場所のないマグマのように、エネルギーの塊をどかっと噴き出す泉谷しげる。そのテンションの高さ。なんだかよくはわからないけど、このアルバムは凄すぎる、、、と。

80
,80のバラッド / 泉谷しげる

音そのものとしてはそんなにハードなわけではない。つまりはラウドでもノイジーでもないし、リズムの手数が多いわけでも高速ビートをパンキッシュに叩くわけでもない。
にも関わらずとてもハードでへヴィーなのは、泉谷の存在そのものだ。叩きつけるように歌う、歌うというよりは吠える、心の中にある苛立ちやうねりをそのまま噴き出させる歌。
醒めた熱気、狂おしいばかりに心の奥から噴き出してくるような熱さと、したたかなまでにクールで落ち着いた肚の座った感じ。ヤスリのようにざらついた、しかしながらドスが効いただけではない深み、闇ではない深みを持った泉谷の声。
満たされない苛立ちをたくさん抱え込まざるを得ない都市の暮らしを、泉谷しげるはしなやかで確かな言葉と音で切り取ってみせる。
今立っている場所が実はとても不安定な場所で、いつも普通にあるものが実はとても希薄な存在で、今日のあたりまえは明日はあたりまえじゃないのかもしれない。そんな漠然とした不安が立ち上る暮らしの中で、勇気を持って立ち向かっていく力をくれる。

まだまだこれから暑くなる。地震だって豪雨だってこれから幾度もやってくるのだろう。
お金が腐るほどあって悠々自適の暮らしをしているのなら、避暑地へバカンスに行ったり、リゾートで優雅に過ごすこともできるのかもしれないけれど、しがない労働者はこの暑さから逃れることはできないのだ。まして天変地異的な事象に対しては、いくらお金があっても役には立たない。
だとすれば、そういう不安に立ち向かっていくためには心の強さが必要だ。
そして、その強さを維持する上で、音楽の力はとても役に立つ。
だから、熱い音楽でエネルギー充填が必要なのだ。
内側から煮えたぎるように湧いてくる熱い音が。




翼なき野郎ども / 泉谷しげる





日記18.6.28~7.3

■6月28日(木)
夜11時からワールドカップ、ポーランド戦。
なんとなく負けそうな予感はしてた。1-0で。ただし、コロンビアがセネガルに圧勝して得失点差で日本が決勝トーナメントへ、というシナリオ。
まさか、最後の10分がああいう形になるとは思わなかったけど。
賛否両論あるのはわかる。わざわざチケットを買って見に行った試合でああいうことがあれば、僕だってブーイングしたと思うけど、でも、勝ちあがっていくためにああいうことができるくらいこの国の若者たちのメンタルはしたたかさになったんだなと頼もしくも思ったり、監督の腹をくくった判断を全員が納得してやったんだなというその信頼関係を清々しく思ったり。
全部自分の判断、選手たちには不本意なことをさせてしまったという、監督が全部引き受ける覚悟が、某大学のアメリカンフットボール部で起きたこととは真逆だよな、って。

■6月29日(金)
着任の頃から面倒見て、4年近くの間いっしょに働いていた女の子が、出向元に帰らなくてはいけないことになって、その彼女の送別会。
おとなしくてちょっと天然で、決して出来がいいとは言えなかったし、真面目で要領をかまさないから、押せば開くドアを一生懸命引いているようなことも多かったけど、律儀でコツコツ働く姿は誰からも愛されていました。
「ここを離れるのはほんとは嫌で、とっても淋しい。」って言ってくれたのは嬉しかった。
だいじょうぶ。ここで経験したことはいつかきっと何かの役に立つ。きみならだいじょうぶ。
淋しくなるな。

■6月30日(土)
土曜日なのに、自主研修という名のほぼ強制参加で、仕事関係のとあるシンポジウム。
シンポジウムそのものはとてもおもしろくてためになるものだった。売れるとか売れないとかの前に、その商品にはどういう考え方があって利用された人にどういう気持ちをもたらすものなのか、考えているようであんまり考えたことがなかったかも、と思わされた。
シンポジウムのあと、これもほぼ強制参加の部内の懇親会。いまいちつまらない。
新しくサブマネージャーになった男が上司に媚び売って部下にはエラソーにするのを不愉快な思いで見ていた。元々熱さ先行気合い先行で自分を大きく見せたがる奴ではあったけど、もうちょっとましなとこあったんだけどなぁ。
年は下なのに「お前」呼ばわりしてきやがるから、上司になったからこそ、部下には年下であろうとキャリアが浅かろうと「お前」や「呼び捨て」じゃなく「さん」付けで接するべきだと思うんだが、と言おうと思ってやめたらあとでもやもやした。やはり言うべきだった。

■7月1日(日)
昼までのんびり寝ようと思っていたけど、暑くて目が覚めた。家族会議を開いて、クーラーの解禁を決定した。今日から7月だしね。

夕方、といってもまだクソ暑い午後4時、ブログ友のヨンチーさんと会うために梅田へ。
中古レコード・フェアで大阪に来るっていうんで、せっかくなんで飲みましょうよ、と。
いやぁ、めちゃくちゃ楽しかったですねー。
なにしろ同い年なんで、聴いてきたもの経験してきたものが近い。
普段、仕事場やなんかではそういう話はほとんどしないからね。無理に話合わせるのも合わされるのも好きじゃないし。同い年でロック好きだと、そーゆーのにまるで無理がない。
ブログを書いてて良かったなぁと思うことのひとつは、こういうふうに、普段の生活ではまず出会う可能性がない人と出会うことができること。それが目的ではないにせよ、とても楽しい副産物ですよね。
盛り上がってイキオイでカラオケボックスで80年代ソングばっかりひたすら歌いまくりました。ARB、柳ジョージ、永ちゃんから始まって、思いついたもの片っ端から。だいたい歌えるわけないんだよ、松原みきなんて(笑)。

■7月2日(月)
3日連続飲み会という荒れた週末のあとの週明け。仕事に気合いが入るわけもなく、しかしやらなきゃいけないことはてんこ盛り。
尚且つ、夕方からお店の方でレジの欠員が埋まらないとかで応援が元々入っていて。4時から8時までの4時間とはいえ、忙しい時間帯でのレジ打ちはキツかった。。。ミスはしなかったけど、笑顔で接客できる余裕がなかったな、さすがに。

そういう状況下でありながらも、11時には一旦就寝して、3時起き。
もちろんワールドカップ。
惜しかったなぁ。
乾選手のシュートが見事に決まって2点目が入ったときには深夜なのに叫んでしまったし、「勝ったら次のブラジル戦は金曜日の早朝か、、、週に2回も真夜中に起きれるかしらん?」といらん心配すらしてしまいましたが。。。
アディショナル・タイムでの決定打。シュートを止めきれなかった昌子選手がへたりこむのが、94年ドーハの悲劇と少しオーバーラップした。
あれから24年経って、舞台はワールドカップの決勝トーナメントで同じようなアディショナル・タイムでの失点。いつか「あの当時は日本はまだあんなレベルだったのに」と思えるようになるには、やっぱりこれからまだ24年くらいはかかるのかもしれない。
まぁ、楽しみは先にとっておいたほうがいいのかもしれないしね。

■7月3日(火)
というわけで、眠い目をこすりながらのウィークデイ。
とっとと定時で上がるつもりだったけど、眠む気が通りこして逆にテンション上がってきて。木金といろいろたてこんでてたまってた懸案を、残業して一気にやっつけてやった。迎え酒ならぬ迎え仕事状態。
いいんだ、チマチマやるより、無理できる感じのときには無理するくらいのほうが。
で、ひと風呂浴びて、ビール飲みながら、だらだらと日記を書いている。
明日、まだ水曜日だぜ。。。
天気予報は、明日は大型の台風で荒れたお天気になるって言っている。



松原みき “真夜中のドア”






河童くんの池

毎日学校の帰り道に道草をするのが大好きだった。
小学校3年とか4年の頃だ。
子供の足で15分くらいの道のりの間には、田んぼがあり畦道があり、用水路がありため池があった。
春にはたんぽぽの綿毛を飛ばし、いちごをつまみ食いし、夏にはおたまじゃくしを捕まえ、大きな蓮の葉の上で水玉を転がし、秋にはトンボを追いかけ、干してある稲わらに体当たりする。食用ガエルや草ガメもたくさんいた。何にもいないときは空き缶を集めて用水路に流してレースをしたり、ため池に浮かべて石を投げて撃沈させたりした。
楽しかったのはザリガニ釣りだ。用水路の端っこでザリガニを捕まえる。そいつの腹を割って中の肉を紐に結びつけてため池の淵から池の中へたらすと、ザリガニが食らいついてくる。
おもしろいくらいよく釣れて、バケツの中へ数匹のザリガニを放り込むとザリガニたちはハサミを振り上げて闘いを始める。そいつらに名前をつけて闘わせて遊んだ。
遊べるネタは無限にあって、飽きることはなく、いつも泥んこで帰っては母親に叱られた。

その日もひとりでザリガニを釣っていた。
釣り上げたザリガニの腹を割ろうとしていたとき、後ろから声が聞こえたんだ。
「かわいそうだからやめてあげて。」
振り向くとそこには、河童がいた。
ひょろんと細長い手足、背丈は僕より少し小さいくらいだろうか。全身は雨蛙よりは濃いくらいの浅い緑色で、頭の上には絵本やなんかで見た通りに薄い黄色のお皿が乗っていた。
「かわいそうだからやめてあげてよ。」
河童は今にも泣きそうな顔をしていて、なぜだか僕は素直にそうだなと思った。
「うん、そうだね。かわいそうだね。」
「ありがとう。」
河童くんの声はちょっと甲高く、ちょっとくちばしにかかったような不思議な声だった。
「君はこの池に住んでいるの?」
「そうだよ。」
その年はカラ梅雨で雨が少なく、池の水はいつもの年の半分くらいに干上がっていた。
「今年は雨が少なくってさ。ザリガニだっていろいろとたいへんなんだよ。」
「そうなんだ。ごめんね。」
「雨が降らないといろいろ困るよね。大好きなきゅうりもあんまりとれなくって。」
「やっぱりきゅうりが好きなの?」
「うん。きゅうり、食べたいなぁ。」
「じゃあ、僕、明日持ってきてあげるよ。」
「えっ、ほんと?」

そうして僕と河童は友達になった。
畦道でかけっこしたり、縄跳びをしたり、キャッチボールをしたり、野球盤で遊んだりした。
ユニホームが緑色だからという理由で南海ホークスのファンで、僕が大阪球場に連れていってもらったことがあると言ったらとてもうらやましそうにした。
そんなにふうに僕は学校が終わってから毎日河童くんと遊ぶようになった。ランドセルを置いて、隣のおじさんが小さな庭で作っている畑からきゅうりをもらって持っていくんだ。
そしてきゅうりをふたりでかじった。
「きゅうりって意外とおいしいんだなぁ。」
「そうだろ?」
「あんまり好きじゃなかったんだけど、好きになったよ。」
「きゅうりほどおいしいものなんてないよ、きっと。僕たちはお肉とか食べないから。」
「そうなんだ。」
「生き物が生き物を食べるなんてさ、残酷だよ。」
「そういうもんかなぁ。考えたことなかったけど。」

やがて夏休みに入ったある日のこと。
その日、河童くんは浮かない顔をしていた。
「ゆうべお父さんに聞いたんだけど、この池、埋め立ててられちゃうかも知れないんだって。」
「えーっ、どうしてー。」
「この池を埋め立てて道路を作る計画があるんだって。お父さんもお母さんも反対運動をしていたんだけど、決まってしまったみたい。」
「そんな、、、引っ越しちゃうの?」
「うん、わからない。でも、近所の池もぜんぶ埋められちゃうんだって。」
「どうしてそんなことするんだろ。」
「うん、よくわからないけど、便利になるんだって人間たちが言ってたって、お父さんが言ってたけど。」
「別に今も何にも不便じゃないけどなぁ。」
「そのうち海の上に作る飛行場まで道路をつなげるんだって。山も崩したり、トンネル掘ったりして。それで、道路のそばにはスーパーマーケットやレストランができるんだって。」
「そんな・・・だからって埋め立てなくても。」
「まぁ、でもまだ決まったわけじゃないし。それより遊ぼ。」
「うん。今日は何をする?」
「野球!」
「じゃあぼくが門田ね。」
「じゃあ、ぼくは江夏。」
「おんなじチーム同士で対戦するのって変じゃない?」
「じゃあ、阪急の山田。」
そう言って河童くんはアンダースローで小石を投げる。僕が空振りをして、河童くんはガッツポーズ。

それからしばらくして。
お盆に母の田舎に帰ることになって、一週間くらい池に遊びに行けなかった。田舎から帰ったあとも、宿題もたまっていたし、夏休みの工作も作らなきゃいけなかったし、子供会のサマーキャンプにも行かなきゃいけなかった。
あぁ、河童くん、どうしてるかな。
河童くんの世界には宿題はないのかな。
「ちょっと遊びに行ってくる。」
「どこ行くんや。あんた、よく池に行ってるやろ。あの辺、危ないから行ったらあかんで。工事始まるから。」
「えっ!」
そんな、ほんとうに工事しちゃうの?
ダメだよ、池を埋め立てちゃ。
道路なんていらないよ。
僕は、慌てて池へ走った。
河童くんの好きなきゅうりを持って。
はぁはぁと息を切らせて池にたどり着くと。

・・・そこに池はなかった。
オレンジと黒の柵が張りめぐらされ、立ち入り禁止の看板が立っていた。
そして、ブルドーザーがごうごうと音を立てて土を運び、池を埋め立てていたんだ。
黄色いヘルメットを被ったおじさんがやってきて、おい、坊主、危ないからあっちへ行け、って。
河童くん。
どこへ行っちゃったの、河童くん。
僕はただ、わんわん泣いていた。
池のそばで、きゅうりを持ったまま、ただただずっと泣いていた。


春になる頃には、河童くんの池があった場所にはとても大きな道路が通って、車やトラックがびゅんびゅん走るようになった。
道路沿いにはガソリンスタンドやスーパーマーケットができた。お母さんはすごく便利になった、今までは隣の町の市場まで行かなくっちゃいけなかったのが近くなったし、何でも揃うようになったって喜んでいたけれど。
道路の先の山のほうにはたくさんの住宅ができて、転校生がいっぱい入ってきた。
僕は5年生になって、学校の帰り道に道草をすることもなくなった。
あなた最近きゅうり食べられるようになったのねぇ、前はよく残してたのに、それと、お肉はそんなに好きじゃなくなったのね、ってお母さんが言う。
そうだよ、きゅうりほどおいしいものなんてないよ、ねぇ、河童くん。

今も、きゅうりを見ると思い出すんだ。
特に今年のようなカラ梅雨の年には。
「おい、かぱ太郎、もう行くよ。」
「だって、友達が。」
「結局、わたしたちと人間は、うまくやっていけないんだよ。」
「でも、、、」
「仕方のないことなんだ。」
そんなふうにして池をあとにした河童くんの姿が、浮かんでくる。
そして、泣き出してしまいそうになる。
人間って勝手だよな。
今も元気でいてくれるといいな。
僕と遊んだこと、覚えてるかな。
人間のことを恨まないでいてくれるといいんけど。




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For Everyman / Jackson Browne

I Thought I Was A Child





小学校のプール

死にそうになった経験がありますか?
僕は一度だけあります。
あれは小学校2年生の時。
体育の授業中だった。
夏、といっても肌寒かったからまだ6月くらいだったのかも知れない。その日がプール開きだった。
2年生からは本格的な水泳の授業が始まる。1年生のときは浅い幼児用のプールで水遊びするだけだったのだが、水深1mのプールに入ることになるわけだ。
水着に着替え、シャワーを浴び、カビ臭いにおいのする消毒液のプールに浸かってから、プールサイドで体操をする。コンクリートのすきまからコケが生えていてぬるぬるする。頭から順に心臓のほうに向けて水を掛ける。きゃぁっ、冷たい。おーい、水かけんなよっ。こら、そこ静かにしなさい。だって○○くんが水をかけてくるんですー。
「まずはみなさん、水に慣れましょう。」
先生がそう言って全員プールに入る。
僕は体が小さく、背の順で整列するといつも一番前だった。なぜだったのかはわからないけれど、その日は背の高い順に前から並んでいて、僕は一番うしろだった。
当時僕の身長は1m15cmほど。その小柄な子供が1mのプールに入るとどうなるか。
つま先立ちをしても水面が、あごまでくる。誰かが動いて小さな波がくると、水が口を襲ってくる。えっ、これ、どうしたらええのん、とは思うものの、授業だし、みんなと同じようにするしかないんだと思っていた。つま先でぴょんぴょんと跳ねながら、なんとか溺れないようにする。前の方で先生が何か言っているけれど、とても聞いているような余裕がない。
ぴょん、ぴょん。
バシャ。
ぴょん、ぴょん。
バシャ。
その姿は先生には見えないようだ。
寒い。唇が真紫になっていく。
いつまで続くんだ。もう足がつりそうだよ。
「それでは、プールの中を、輪になって歩きましょう。」
先頭の背の高い連中がプールを逆方向に向かって歩きだす。
横からも強い波が押し寄せてくる。
僕はあっぷあっぷになりながら前へ歩こうとするけれど、一向に進まない。
やがて背の高い連中の一群が僕のうしろに追いついた。
そしてそいつが、いきなり僕を突飛ばしたのだ。
ザブン、ボゴボゴボゴ、、
立っているのも必死だった僕は、押されてバランスを崩し、つんのめった。
口にガバッと水が入ってむせると同時に鼻からも水。ゲホッ、ゴホッ、、、あぶっ、げひっ、げひっ、、、もがく。口、鼻、水。
その先、記憶がない。
たぶん先生が救い上げてくれたんだと思う。
プールサイドに寝かされて背中を叩かれ水を吐き出しとかされたんだと思うのだけど、記憶がない。

本当に死にそうなときは、死ぬんだと思う余裕すらないものだ、ということが僕が得た経験。

元々読書やお絵かきが大好きで運動は苦手だった僕は、それ以降、水泳が大嫌いになった。なにかと理由をつけては水泳の授業を休んだ。
大嫌いだから当然まともに泳ぐこともずいぶん遅くまでマスターできず、それは自分自身の劣等感に繋がっていった。
その劣等感を振り払い自分自身をちゃんと肯定できるようになるまで、ずいぶんと回り道をさせられた気がする。
そんなことがあったからでもないんだけど、今もプールや海にはあまり気持ちがそそられない。その延長で、サザンやチューブの歌の物語みたいに夏だ海だビーチだなんてやっている奴らに憧れもしないどころかアホにしか見えなかった。
今も、夏になったからって海になんかいかない。


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Automatic for the People / R.E.M

Nightswiming


続・音楽歳時記「夏至」

6月はどちらかといえばあまり好きな月ではないのです。
じめじめと湿気が増えて不快指数が上がっていくし、蒸し暑かったりとたんに涼しかったりで体調管理も難しく、なんとなく血の巡りがぐずぐずしてなんだかなぁ感がつきまとう。
春の爽やかさやうららかさはなく、一方で真夏や真冬のように肚を据えて挑むほどでもなく、どこか中途半端というか過渡期的というか。

そんな6月に好きなことがふたつ。
ひとつは、夜に窓を開けて眠ること。
昼間の蒸し蒸しが退いて涼しい風が入り込んでくるのを感じながら眠るのが心地よい。明け方に少し冷えて、ふとんをかぶりなおしたりするのも心地よい。
もうひとつは、まだ日があるうちに退社できる機会が増えること。仕事が終わってもまだ明るいと、ちゃんと仕事以外の自分の人生の時間が確保されているような嬉しい気持ちになれる。
本屋にでも立ち寄るか、ビールでも飲みにいくか、それともぶらぶら散歩でもするか、なんて、なんとなく心に余裕ができる気がするのですよね。

6月21日は夏至。
夏至を過ぎるとだんだんと日暮れが早くなっていくのは少し悲しい。
仕事もここから秋まではどんどん忙しくなっていくし。
切羽詰まってキリキリするのは自分も周りもしんどくなるからね、余裕、ゆとり、失いたくないですね。

そんなゆとりを感じられる音楽を夏至の一枚に。
原田知世さんの『音楽と私』。

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音楽と私 / 原田知世

原田知世さんの、まぁいわゆる過去のヒット曲のセルフ・カバー集なんだけど、決して昔の名前で出ています的なテイストではなく、大人になった立ち位置で歌われた歌。今の知世さんの充実ぶりが感じられる。
さっぱりと爽やかで明るい感じが素敵。

ロマンス
時をかける少女

爽やかといってもカリフォルニアみたいなカラッとピーカン湿度ゼロみたいな爽やかさではなく、ミストシャワーみたいな穏やかな湿り気があるし、明るいといってもはしゃぎまわったり能天気だったり或いはネオンライトのギラギラだったりみたいな明るさではなくて、ちょうど仕事あがりの夕方の空みたいな明るさなんですよね。
穏やかな湿気と淡い明るさ。
そのバランスがすごくいい。
心にスゥーッと心地よい風が吹く感じ。
ぐずぐずする心やだらだらする体を、やわらかく解きほぐしてくれる。
声もいいよね。声量のあるヴォーカリストではないけれど、透明感や清涼感のある独特の雰囲気が素敵なんだな。
アンニュイな雰囲気はあるけれど気だるくはならない。ウィスパー系の息づかいが聴こえるような歌い方をしてもぬめっといやらしくはならない。ふわっと異空間へ連れていってくれるような浮遊感もあるけれど、しっかり地に足がついた生活感もある。そして年齢を重ねた分だけ、声に奥行きや陰影があってそれが実にいい味わいになっていて。
とてもいい年齢の重ね方をされている感じが、同世代としてとても頼もしくもある。

こういう心地よさに包まれていると、バスケットにサンドイッチでも詰めて、お気に入りの帽子をかぶって、木綿のワンピースでも着てちょっと公園にでもお散歩に、みたいな乙女っぽい気分になってくるよね。
いや、ワンピースは着たことないけど(笑)。
あれ、風が通って心地よさそうなんだよなぁ。
女装癖はないけれど、ワンピースは着てみたい。或いは生まれ変わったらワンピースが似合う女の子に生まれ変わりたい(笑)、なーんて軽口のひとつやふたつもチョーシこいて言えるような余裕、ゆとりが大事かと。

夏至を過ぎれば1年ももう折り返し。
年を重ねるごとに1年の感じ方は短くなるけれど、一方で季節の流れに感じる思いは年を重ねるごとに豊かになっていく気もする。
のんびり行こう。







地震20180618

今まで経験した中では二度めの大きな衝撃だった。
下からガツンと突き上げるような衝撃。
一瞬何が起きたのかわからない。
照明が落ち、きゃぁーっ、と女子高校生たちの叫び声。横揺れがグラグラグラッと来てから、スマホの地震警報が鳴った。遅いよ。
いつもなら確実に通勤電車の中なのだけれど、たまたま朝から配送センターへ行く用事があって枚方市駅で降りた直後だった。
電車に閉じ込められた同僚の話では、一時間以上停まったあと最寄りの駅で下ろされ、数駅分の距離を歩いて帰ったというから僕はラッキーだった。帰りも僕の沿線の電車は動いていた。動いていない沿線の人たちが、バス停に長蛇の列を作っていた。

普段気にしていないけど、地震だとこうなるんだ、と思ったことがふたつ。

1・頭上のものは落ちてくる
今回落ちてきたのは、エアコンの風の方向を調整するフラップだけだったけど、電光掲示板が落ちてきた駅があったり、窓ガラスが崩れ落ちた建物もあった。ブロック塀の下敷きになった痛ましい事故もあった。
普段歩く場所なんかでは、頭上になにがあるのか確認しておいたほうがいい。

2・電気は停まる
駅構内で地震に遭い、とりあえず揺れが収まって、さてどうすべきかと思って、いろいろと長丁場になりそうだしとりあえず用を足しておこうと思ってトイレに行ったら、大のほうからおっさんが出てきて「流れまへんわ。」と。排水のセンサーが作動しないらしい。
あー、そーゆーことね。。。
改札機も停まっていたから駅の外へ出るためにもカードを駅員さんのパソコンで解除してもらわないといけなかった。
市内の高層マンションなんかではエレベーターが停まって住民は軟禁状態になったらしい。
そういう些細な日常行動が電気で動いていることを把握しておいたほうがいい。電気が停まったときに何が動かなくなるのかは知っておいたほうがいい。

日常の風景があっという間に変わってしまうものだということを僕たちは先の大震災や阪神淡路大震災で経験している。
そのおかげだろうか、人々の対応はとても落ち着いたものだった。
ただ、もう少しひどい被害だったらどうだったのだろう。
民家が燃えているのをテレビで見た。幸い消防車がすぐに駆けつけていたけど、家屋の倒壊が相次いで道路が寸断されていたら。
地下鉄なんかで情報がないまま何時間も閉じ込められたりしたら?もし津波が来るとしたら?
そのときにパニックが起きないとは限らない。
職場の同僚でも、僕と同じように駅で被災、津波や余震があるかもと駅に留まった人もいれば、とにかく職場へ行こうとバスやタクシーに乗った人、駅に着いて引き返した人、まだ家にいた人、いろんなシチュエーションがあった。その瞬間にどこにいたのかで運命が変わる。どう動いたかでまた運命が変わる。
数名の命が失われ、今もガスや水道が止まって不便な暮らしを強いられている今回の地震を被害の多い少ないで軽微だったとは言わないけれど、いつかもっと大きいのが来る。来ないでと願ったところで自然には届かない。
そのときのための心構え、十分な準備はできないとしても、気持ちのシミュレーションだけはしておいたほうがいい。
そんなことを改めて思ったのでした。


No Language in Our Lungs / XTC

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XTC Black Sea








♪らっきょうブルース

らっきょうがおいしい季節です。
シャクシャクとした歯応えと、適度な酸味とほのかな甘み。
つまみだすと止まらなくなるんですよね。
らっきょうの可食部分は玉ねぎのように根っこのところ。正しくは根っこではなく茎が肥大化したものなんだそうだけど、こういう植物のこの部分を食べるとおいしい、って発見した人は誰なんだろう。生だとかなり辛みがあってピリピリするはず。それを酢に漬け込んで辛み成分をとばしてやわらかくする食べ方を発明したのは誰なんだろう。人間の知恵ってすごいですよね。

らっきょうの大産地である鳥取県の砂丘地方でらっきょうの栽培が始まったのは江戸時代の末期のことらしい。
らっきょうは、豊かな土壌よりも栄養が少ない痩せた土地のほうがおいしく育つ。少ない水分と栄養分をしっかりと球根に蓄えておいしくなるのだ。
江戸時代というのは、末期には実質貨幣経済になっていたとはいえ基本は「米」を中心にした経済制度で、米がとれる地域は豊かで米の栽培に適さない地域は貧しかった。そういう社会にあって鳥取の砂丘の近くの村の貧しさは想像に難くない。なにしろ水はけの良すぎる砂地、田んぼ溜める水の確保も一苦労で、土の栄養もすべて流れてしまう痩せた土地。お米はまともに穫れない。
お代官様、勘弁してくださいまし
ならぬならぬ、年貢米を滞らせるなど不届き千万、ならぬものはならぬのじゃ
そこをなんとか、うちには病気を抱えた母親と娘が
ほう、娘とな、歳はいくつじゃ
この春で数えで14にございます
14ならばもう働けるではないか
娘も体が弱く
その娘を連れてまいれ、遊郭で稼がせればよいではないか
お代官様、ご慈悲を
おとっちゃん、あたい、行くよ
お加代・・・
・・・なんて、こんな物語をつい想像してしまう(笑)。
らっきょうが砂地で育つこと、砂地で育ったらっきょうの方が質が良いことを知った砂丘の村の人々の喜びはいかばかりだっただろうか。
これで年貢を追いたてられることがなくなる、ひもじい思いをしなくて済む、娘や息子たちを奴隷のような仕事にやらなくても済む、一家が離散しなくて済む。そんな思いだったんじゃないだろうか。
スイカやメロンやトマト、茄子やきゅうりなんかもそうだろうけど、夏においしい野菜や果物のいい産地は全部米どころではない場所だ。
たった200年ほど前、そういう土地で暮らすことがいかに大変なことだったか。
そんなことに思いを馳せながら食べるらっきょうは、とてもせつない味がするような気がする。


農業といえば、なんとなくミシシッピ・デルタ・ブルース。
サン・ハウスの“Country Farm Blues”を。

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♪Vinyl Change The World

6月9日、ロックの日。
たまたま観る機会があって、それ以来めっちゃお気に入りのバンド、ザ・50回転ズ。
今のところぶっちぎりで2018年度最優秀ソングに決定です。

“Vinyl Change The World”
ザ・50回転ズ


62年のハンブルグなら
港町に響き渡る
やけくそな“Twist and Shout”
昨日の涙も知らない顔で
歌ってくれるよ
あの日のビートルズ


高校生のときに聴いていたら、きっと大ファンになって追っかけてたただろうな。
ルックスがいけてないとこがまたいいんだ(笑)。
ラモーンズとジャム、それにブルーハーツが好きなんだろうな、ってすぐにわかる音。そういう音にぶちのめされてそれを支えに生きてきたことが、音からビシビシ伝わってくる。ロックンロールへの愛があふれてる。

世界を変えるなんて
難しいことじゃないさ
たった3分だけ
時計を止めてあげるよ
針を落とせばもう
まばたきもできない
回り続けるよ
君をのせて


ロックンロールの魔法がかけられた3分間。
レコードの魔法は二度ととけないんだぜ。


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ザ・50回転ズ / ザ・50回転ズ






続・音楽歳時記「芒種」

6月6日に雨ざぁざぁ降ってきて。
梅雨入りですね。
雨はそんなに嫌いでもないのですよ。
晴れた日のほうが好きだけど、雨には雨の風情がある。
めんどくさいのは、傘を差さなきゃいけないことかな。
傘を持つと、片手が塞がるじゃない。あれがあんまり好きじゃない。多少濡れたところでそんなに困らないのだけど、びしょ濡れで朝の満員電車に乗るのも気がひけるので朝から雨が降る日なんかは一応傘を差しはする。夜から雨が降りだしたときなんかは傘を持たずに帰ることもある。濡れて帰ってお風呂に直行。冷えた体とあったかいお風呂の落差が気持ちよかったりもして。
どしゃ降りのときは別だけど、しとしと降る雨なら濡れて歩くのもけっこういいものです。

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You're Only Lonely / J.D Souther

雨の日にはなんとなく大人っぽい音楽がいい。
しっとりとちょっと後ろ向きな気分で。
例えばこういうの。謂わずと知れたAORの名盤。
うつむき加減のジャケットが、なんとなく梅雨の季節っぽい。
“You're Only Lonely”“If You Don't Want My Love”“Last In Line”“White Rhythm and Blues”と続くA面の4曲は完璧。
憂いをたっぷりと含んだボーカルに、しっとりとしたアコースティック・ギターやピアノの響きがとてもいい。
聴いていると、自分がとても優しい男になったような気がしてくる。いや、実際優しいんだけど(笑)。
ただ、毎日いろいろあると、なかなか優しさなんて表に出てこなくなっちゃうよね。
そういうとき、こういう柔らかな音楽は、立ち止まらせ振り返らせてくれるからいい。
思っているよりも、世の中は穏やかで優しいものに溢れている。みんなそうでありたいと願っている。
いろんなしがらみやちょっとばかりの優越欲求や承認欲求が時々、それを隠してしまったり棚上げしたり邪魔したりするだけで。
さみしいときにはさみしいとそっと呟けばいいし、嬉しいときにはにっこり微笑めばいいし、間違っていると気づけば素直に謝ればいいし、誰かが困っていれば素直に手を差しのべればいい。
そういうことができにくくなってしまうのは何が原因なんだろうね、なんて思いながら“You're Only Lonely”をリピートして聴いていた。

6月6日は芒種。
種を蒔く時期という意味。
種にとって雨は恵み。
ゆっくり育てばいい。








パン工場(後編)

会社の経営状況は思わしくなかった。
80年代後半から90年代にかけての流通構造の変化に完全に乗り遅れていた。つまりは、大規模化したスーパーマーケットチェーンと広がりはじめたコンビニチェーンに入り込めなかったのだ。
今ではもはや見かけなくなった、駄菓子屋とかクリーニング屋とかと一緒に奥さんとおばあちゃんが交代で店番をしているような小さなお店にパンをほんの10個ほど運んでいたって儲かるわけもなく、大手のスーパーで山ほど積まれた他社のパンの脇にほんの少しだけ場所をもらった自社のパンの返品を持ち帰るのはとても惨めだった。
「お前とこのパンは売れんのぉ。」とスーパーの仕入れ担当から嫌みを投げつけられ、販促の提案をしても「お前とこので売れるのこれとあれだけやし他のはいらん。」とにべもなく断られ、心の中で「ですよねー。」と呟きながら「そこをなんとかなりませんかねー。」とかペコペコしている自分が嫌だった。
大手のスーパーには「返品OK」という条件がついているお店もあった。立場が弱いからやむを得ない、まずは売り場に並ばなきゃお客様が買うはずもないと置いてもらうのだけど、翌日に大量に残った返品を持ち帰るのは辛かった。
「これ、まだ賞味期限内ですけど?」
「あほぬかせ、そんな古い日付のパン置いてたら、うちの店が古いもんばっかり置いてるみたいに見えんねん。とっとと赤伝切って持って帰れ!」
その一方で駄菓子屋とかクリーニング屋のお店は返品不可。おばあちゃんが泣きそうになりながら、「これ引き取ってもらわれへんわなぁ。いっぱい余ってしもうてん。」と差し出してくる返品を断らなければいけないのも心苦しかった。この店、たぶん赤字やろなぁ、そう思いながら「いやー、無理なんでー。」
商売とはいえ、人としては良心が痛む。でも仕方がない。仕方がない、それが世の中だ、そう呟いて自分の正義を自分で折る。それって終わってるよな。。。

ある日、工場全体の大きな会議があって「わが社としては現在の事業をリストラクティブすることになりました。リストラクティブとは再構築するということです。」と発表があった。世間はまだバブル崩壊前の好景気の中、後に当たり前の言葉になった「リストラ」という言葉を僕はそのとき初めて知った。不採算のラインが縮小されそれに伴う配置転換や人員カットが行われた。労働組合はあったけど、所詮は本社工場の息のかかった傀儡組合で、まるで役立たずだった。田舎から出てきたばかりの高卒組がまず最初に首を切られた。
それでも1年やそこらでケツを割ったと思われるのは嫌だったから、自分なりには頑張りもしてみた。要領よくやればなんてことはない。業績が上がり始めると少しずつ僕の扱われ方も変わった。あ、やればできるんじゃんと少しずつ自信が出てくる。
あぁ、こうやってなんだかんだ言いながらも仕事を続けていくことになるんだろうか。それはそれで正しい選択なのかも知れない。
そう思い始めた頃に、友部正人の歌を聴いた。
ブルーハーツのマーシーやボ・ガンボスのどんとさんたちが影響を受けたと再評価され、古いアルバムがCDで再発された頃だったのだ。
『1976』というアルバムにこんな歌があった。

どうして旅に出なかったんだ、坊や
あんなに行きたがっていたじゃないか
どうして旅に出なかったんだ、坊や
行っても行かなくてもおんなじだと思ったのかい
おまえは旅に出るよって行って出なかった
俺は昨日旅から帰ってきた奴に会ったんだ
あいつはおまえとおんなじだったよ
ただ違うのはあいつはまた昨日旅に出たけど
おまえは行かなかったのさ
(どうして旅に出なかったんだ / 友部正人)

鈍器で頭を殴られたような衝撃だった。
どうして旅に出なかったんだ、あんなに行きたがっていたじゃないか。
ざらざらした友部正人の声が、僕の喉元にナイフを突きつけるようにして歌う。
どうして旅に出なかったんだ
どうして旅に出なかったんだ
あぁ、そうだった。そうだったよ。
やっぱり僕はここを出ていくべきだ。
想いも覚悟もないままずるずるとこんなところにいたらほんとうに腐ってしまう。

「ヨースケ、俺、やっぱり辞めるわ。」
「そうなんか。最近仕事おもしろくなってきたとかゆーてたし、辞めへんのかと思うてたわ。」
「仕事なんかそれなりに頑張ったらそれなりの結果が出るってわかったからな。」
「まぁな。」
「沈んでいく船に乗り続けてから手遅れになるよりは、溺れても泳いでみるべきなんじゃないかと。」
「俺も考え時かなぁ。」
「日本は福祉国家だからな。食いっぱぐれても、貧乏で死ぬことはない。なんとかなるもんやって。」
「なんか儲かる商売でもするか?」
「いや、借金してまでギャンブルするのはやめとくわ。そこそこぶらぶら遊んで、金がなくなったらどっかの会社に潜り込む。」

退職届はあっさりと受理された。
退職する日の朝、朝礼で挨拶をしろと呼ばれ前に立った。
「お先に失礼します。」
と挨拶をしたら最後に上司にこっぴどく怒られた。

その工場は今、別のパンメーカーに買収され、別の会社の大きな看板が立っている。
僕が辞めてから数年後、会社は倒産し、工場は別のメーカーの手に渡ったのだ。
工場の中では、同じような仕事をあの頃とは別の誰かがやっている。変わらない日常の中で人だけが入れ替わっている。その中に、会社を辞めずにそのままパン工場で働き続けた自分の姿を想像してみる。暗い顔して、ああ、やっぱりあのとき辞めておけばよかった、今さらこの歳で雇ってくれるところなんてありはしない・・・そんなふうに毎日後悔しながらトラックでパンを運んでいる男の姿が見える。
そうならなくて済んだことは本当にラッキーだった。




“どうして旅に出なかったんだ”

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1976 / 友部正人




パン工場(前編)

娘が生まれてから今の家に移ってきてもう15年以上経つ。おそらく今の家が一番長く住んだ場所ということになる。
18のときに実家を出てから今まで、いくつかの場所で住んできた。
その中で2年と少しの間、パン工場に住んでいたことがある。
といっても、もちろん工場の中ではない。
工場の敷地の端に併設されていた男子寮、築15年以上は経つであろうおんぼろの2階立てで、6畳2間の部屋が10ほどある建物だった。
部屋は2人用の大部屋で、昔はそこを4人で使っていたのだろう、6畳間に二段ベッドが2つ置かれていて、もうひとつの6畳間にはテレビがあるだけの簡素な部屋だった。朝からパンが焼けるいい匂いが漂う以外には何のプラス要素もない物件。部屋には電話もなく、外界との連絡手段は寮にひとつだけ置かれた公衆電話だけ。もちろんケータイもスマホもない時代だ。
同室になった男はヨースケ。
「おまえ、ARB聴くんや。」
引っ越してきた日に僕が荷物の中から引っ張り出したARBのレコードを見て驚いたように話しかけてくるヨースケ。
奴は大学のときに映画研究部にいて、松田優作の映画化「ア・ホーマンス」で石橋凌を見てファンになったらしい。
僕たちはすぐに意気投合した。
就職活動で僕はとある製パンメーカーを就職先に選んだ。大阪出身だけど京都での就職を希望し京都のメーカーを選んだのだが、同期が20人くらいいたうちの5人だけが、大阪工場での勤務を命じられることになったのだ。なぜ僕たちが選ばれたのかは誰にもわからない。
僕とヨースケの他に不本意にも大阪行きとなった3人の同期。福祉大学出身のちょっと生真面目なムライ、わたせせいぞうが好きだったおしゃれでスタイリッシュなオカノ、二浪して年は二つ上だったキモトはフットボール選手みたいにごっつい体で酒を飲んで赤くなると赤鬼みたいになった。
その3人はそれぞれ先輩と相部屋だったので、必然的に僕たちの部屋が同期メンバーの溜まり場になった。
京都が本社のこのメーカーにとって大阪工場は、植民地における現地政府みたいなものだった。地元のローカル企業から関西圏を中心とした企業へ進出する足掛かりとして15年ほど前に建てられたそうだが、実質何をやるにも本社のお伺いが必要で、大阪行きはメイン・ストリームではないことが工場の幹部たちの媚びた態度から感じられた。社員のほとんどは現地採用で、今までいろいろな職を転々としてきたであろうやさぐれ感がある労働者っぽいおっさんたちばっかりだった。新卒でそれなりの希望をもって就職したはずの僕たちにとって、大阪工場で知る現実はかなり思い描いていたイメージとは違っていてそれなりにショックだったわけで、だからこそなのだろうけど必然的に僕ら5人の結束は固くなった。
まだまだ遊びたい盛りの僕たちにとって、寮というのは思いのほかうってつけの場所だったようで、毎晩ビールを買ってきては風呂上がりに僕らの部屋に集まるのが日課になった。
連夜の宴会、ビデオ鑑賞会、人生ゲーム大会。夜中にギター弾いて騒いだり、工場の屋上で無許可で花火を打ち上げたり、返品の食パンの集積場で食パンをどれだけ遠くまで投げられるか競争をしたり。ほとんどはヨースケが思いついて僕らがそれに輪をかけた。

仕事そのものはそんなにキツかったわけではない。
基本はルート・セールス。担当になったお店に毎日パンを運び、集金をして、注文をもらい、会社に帰って発注する。翌朝には発注したパンが工場のゲートに並んでいる。それをまたトラックに乗って運ぶ。その繰り返しだ。
キツかったのは「朝配」と呼ばれる早朝シフトがあるときだった。
受け持ちのお店に朝一番用のパンを納品するのは正社員ではなくアルバイトさんの仕事だったのだけど、そのアルバイトさんがよく休む。或いはよく辞める。今思えば当然で、朝の3時や4時に出勤しなくてはいけないアルバイトがそうそう長続きするわけもない。大抵のアルバイトさんは、何かしらの理由で金に困っていて、昼の仕事を掛け持ちしていたからだ。
早朝のアルバイトさんに欠員が出ると、正社員がたたき起こされる。まるでそのために寮があるんだと言わんばかりに。
ひどいときなんて、夜中の2時くらいまで馬鹿騒ぎしたあとの4時くらいになってドアをガンガンと叩かれてお構い無しに起こされたし、大きな声では言えないし今の時代ならば絶対に許されないことだけれど、酒を飲んでいても叩き起こされて配送に行ったこともある。

僕は寝坊キングで、3日に2回は遅刻した。朝の体操かなんかを事務所でやっているうちにこそっと入るのだ。上司にいくら注意されても寝坊を繰り返し、イラストが得意だったオカノが僕のベッドに「起こすなキケン」と落書きしたボードを置き、ヨースケがそこに「反省してませーん」と書き込む。そしたらひとつ上の先輩に「反省しろっ、ボケッ」とマジギレされた。
配送のトラックにはAMラジオしか付いていなかったので、荷物を積み込んだあと寮の部屋にラジカセを取りに戻って助手席に積んでいったりもした。もちろん安全上も禁止のはずで見つかったらこっぴどく怒られるのだろうけど、そんなことはお構い無しだった。
取引先のあまりにも理不尽な対応にぶちギレてケンカしたこともある。上司が呼び出され平謝りするのを僕はむくれた顔をして聞いていた。
明日の仕事のために早く寝て体力を蓄えたりしたくなかったんだ。日々の暮らしが、仕事だけで終わってしまうことがどうしても我慢できなかったんだ。
AMラジオから流れるいかにも庶民的なほっこりした空気感が苦手だったのだ。ああいうものを毎日聞いていたら、そのうち牙を抜かれてしまう、と本気で思っていた。
取引先の上から見下すような態度が我慢できなかったんだ。取引先とはいえ、フェアじゃない命令なんて突っぱねて当然だと思っていた。お客様は神様なんかじゃない。やり方は稚拙だったにせよ。
1989年だった。
ある日、取引先の待合室で見かけた新聞には、隣の国の民主化デモの様子が一面を飾っていた。
海の向こうでは同じ世代の奴らが自由を求めて命掛けて闘っている。
なのに、俺は馬鹿馬鹿しい日常に縛られて何をやっているんだろう。

「おまえさぁ、この仕事ずっとやる?」
と、ヨースケ。
「いやぁ、無理。監獄やで、ここは。」
「俺、多分前世で悪いことしたんやと思うねん。せやからこんなとこに送りこまれてまうことになったんやと思うわ。」
「ハハハ。」
「いや、そうとでも思わんとやってられんやろ、これ。」
「そら確かにそうや。」
「なんか一生遊んで暮らせるくらい儲かる仕事ないかなぁ。」
「そんなんあったらみんなやっとるって。」
「いや、まだまだいろいろあるで。そーゆーのを思いついた奴が勝ちなんやって。」
ヨースケはいつもそんな話をしていた。
「せやけどなぁ、新卒で入って半年やそこらで辞めても、次の会社の面接ですぐにケツ割ったヘタレやと思われそうやん。やっぱり最低でも1年、できれば2年は勤めとかんとなぁ。」
と現実的な返しをする僕。
「せやなぁ。。。」
酒を飲みながら悶々とした話しをしていると、同期の誰かがビールを持ってやってくる。
「シオタのおっさん、クビらしいで。」
「なんかな、集金の金ちょろまかして着服してたらしい。」
「まじで。」
「お店は払ってんのに、事務のほうで入金がまだなんですがー、とか催促の電話して発覚したらしいで。」
「あほやろ。そんなんすぐバレるに決まってるやん。」
「ほんまロクなやつおらんな。」
「吹きだまりやで。」
「なーんでこんな会社に入ってしもーたかなぁ。」
「まぁ、とりたてて一生懸命就職活動したわけでもないし、いわゆる自業自得ってことやけど。」
「ショーケン会社に入ったツレとか、ボーナス5ヶ月分あったらしいで。」
「世間はバブルで浮かれてるのになぁ、俺らにはなぁーんも関係あらへん。」
「どこをどう間違ったかなぁ。」
「もともとそうやってこきつかわれる運命やったんやって。」
「せやけど、もうちょっとおもろいことあってもええやろ。」
「そうや、あれ、弾いてみてや。映画のエンディングの曲。」
「“After'45”やな。」
「かなしーみうぉぉおーっ、ぬぐいさぁーれずにぃー、ってやつ。」
「うーん、コードわからんけどこんなんかなぁ。」
D、A、G、うーん、次はAか。
「おうおう、そんな感じや。」
悲しみを拭い去れずに
君は夜の川を渡る
忘れなよ、忘れてしまえ
悪い夢にうなされていたのさ
ヨースケが立ち上がって歌う。
石橋凌になりきって、腕を大きく振り上げて。
誰かが缶ビールをプシュッと開けると大きく泡が吹きこぼれる。
僕は一生懸命コードを押さえてギターをストロークする。
薄い木製の扉がドンドンと叩かれ、隣の部屋の先輩が「おいっ、お前ら何時やと思うてんねん。俺、明日朝配やねん。」とかなんとか叫んでいるのを無視して、僕たちは騒ぎ続けた。


“After'45”

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砂丘1945年 / ARB







♪Two Punks

喫茶店のアルバイトは退屈だった。
人通りの多い繁華街の大衆喫茶、薄暗い室内、たいしてうまくもないブレンドコーヒーに立地がいい分それなりに代金をとるふつーのカレーライスやナポリタン。バイトの時間が6時から10時だったせいもあるかもしれない。普通の人間はその時間帯はコーヒーなんて飲まずに飯食うものだからね。
退屈なアルバイトの唯一の楽しみは、有線放送にリクエストすることだった。
お店ごとに割り振られた有線をリクエストできるコード番号があって、それを告げるとリクエストを受け付けてくれる。リクエストしてから30分くらいするとその曲がかかる。曲が終わるとまた電話ボックスへ行って10円玉を入れ、次の曲をリクエストする。
選局していたのは日本のポップスのチャンネルだったから、大抵は当たり障りのない歌謡曲、当時だと松田聖子や中森明菜、それに毒にも薬にもならないポップなニューミュージック、、、杉山清貴とオメガトライブとかさ、、、が流れるのだ。そこにあえてハードなロックをリクエストするのが好きだった。シングル盤しかリクエストできなかったので、スターリンの“ロマンチスト”をリクエストしたり、戸川純の“レーダーマン”を掛けてもらったり、基本日本語の曲しかかからないのを逆手に取ってVOWWOWの英語のシングルをリクエストしたり。なんてことのない歌謡曲の次にエキセントリックなシャウトや音圧の高いハードなロックがぎゅわんぎゅわん流れて、くつろいでいる店の客の顔がちょっと歪むのを見るのが好きだった。

ある日、あまりにも退屈だったんで賭けをすることにした。
大好きなロックが掛かっている間、一切仕事をしない。客に呼ばれてもその曲が掛かっている間は無視する。
それで客とケンカになっても構わない。クビになっても構わない。
そうなったらそうなったで面白いじゃないか。ただボサッと銀色のお盆を持って突っ立っている退屈よりはずっとましじゃないか。
このまま日和見しながらペコペコと頭を下げる毎日が続いていくのか、それとも自分の意思を曲げずに貫いていけるのか、その賭けに、自分のこれからの生き方が懸かっている気がした。
どうせなら、めちゃくちゃ長い曲にしてやれ、と選んだのは、ザ・モッズの“Two Punks”のライヴ・バージョン。“激しい雨が”のシングルのB面に入っていた、8分以上もあるやつだ。
トイレに行ってきます、と持ち場を離れて公衆電話を掛ける。
係の女の人は僕の目論見など知るはずもなく無機質な声でそのリクエストを受け付ける。30分ほど経って、突然静寂になったかと思うと歓声が聴こえ、レゲエのビートのカッティングに合わせて森やんが歌いだす。
虚ろな街に風が吠え抜ける
俺たちはアスファルトの上
転げ落ち
観客といっしょに歌うヴァースがしばらく続く。
そしておもむろに森やんが“みんなのため、トゥー・パンクス!”と叫ぶと、ビートが加速する。
店の空気が少しだけ熱くなる。
客の顔が少しだけ歪む。
銀色のトレイを持って突っ立ちながら僕は、もっと音量上げろよ、と思っていた。
もっと、もっとデカイ音で聴かせてくれ。
俺をぶっ飛ばしてくれ。
もっと、もっとだ。
ここにいる奴らをみんなぶっ飛ばしてくれ。
Two Punksしばられて
Two Punks見張られて
Two Punks 逃げられない
一度だけ、僕の少し前のテーブルにいた客が、水のおかわりかなんかで僕を呼ぼうと少し片手を上げたけれど、僕は完全に無視をした。
少し離れた場所にいた島田紳助似のアゴの出たヤンキー上がりの先輩が僕に目配せしたのも無視した。紳助は、チッと軽く舌打ちをしたように見えたけれど、とりあえず客の対応に動いた。
俺たちは乗ることができなかった
俺たちは乗ることができなかった
俺たちは乗ることができなかった
俺たちは乗せてもらえはしなかった
ビートがどんどん早くなり、森やんがシャウトする。
そして曲が終わる。
音楽は少年隊に切り替わり、店の空気も元に戻る。
結果的には、何にも起きなかった。
客が怒りだすことも、紳助に文句を言われることもなかった。
もし客が怒りだしたら「うるせぇ」って言ってやるつもりだったけど、そういうことにはならなかった。
何にも起きなかった。
でも、18才だった僕にとって、それは、とても大きな意味を持つ8分間だった。



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ザ・モッズ : 激しい雨が cw/Two Punks


なんば地下街喫茶V

その喫茶店は、地下街の中にあった。
通学経路の乗り換えターミナルだった難波駅。店頭にはコーヒー豆を売るコーナーがあり、室内はやや薄暗く、4人掛けのテーブルがいくつかの島に分かれて15ばかりあっただろうか。
コーヒーはブレンドとアメリカン、他にはミックスジュースやクリームソーダがあり、サンドイッチやカレーやナポリンといったいくつかの軽食メニューがあった。つまりは駅のそばという立地だけが売りの安っぽい喫茶店だ。
浪人して受験なんてまっぴらだと思った僕は、とりあえず滑り込んだ京都の三流大学に通うことになった。
自宅から学校までは電車を4つ乗り継いで2時間。下宿なんてさせるお金はあらへんで、という親にそれ以上借りを作りたくなくて、僕は下宿をするための資金稼ぎのアルバイトを始めたのだ。たまたま通りがかった喫茶店にアルバイト募集のビラが貼ってあった。時給は確か750円。夕方6時から閉店の10時まで一日4時間を週に5回。高校時代、休みの間のバイトはいくつもやったけど、週5とかでちゃんと働くのは初めてだった。
ポマードをべったり頭に塗りたくった小太りの店長がいて、島田紳助似のヤンキー崩れのウェイターが店内を仕切っていて、薄いブラウンのカッターシャツとブラウンのネクタイと黒のスラックスを貸与された。ウェイトレスは紺のチェックのブラウスだった。
そもそも郊外の田舎町で育った金のない高校生だった僕は、喫茶店なんてろくに行ったこともなかったから、最初はヘマばっかりやらかしていた。
「オーダー入りまーす。ミックスサンド1。」
「飲み物は?」
「えっ?」
「普通、サンドイッチ注文したら、飲み物も頼むやろーがっ!」
「いや、お客さん、何にも言われてなかったですけど。」
「水でサンドイッチ食う奴おらんて。もう一回聴いてこいや。」
「は、はぁ。(そーゆーもんなんかなぁ、、、とほほ。)」
みたいな。
あまりに僕が世間知らずなので、僕はボンというあだ名をつけられた。関西弁で言うボンボン、お坊ちゃん育ちという意味だ。

2、3ヶ月してちょっと仕事に慣れた頃、新しいアルバイトが入ってきた。3つくらい年上のやぼったい男で、確かシモヤマとかいった。
シモヤマくんはロックが好きで、パチンコが好きで、大学に行っているとか訳あって休学中だとかなんかそーゆーことを言っていた。喫茶店には有線が入っていて、休憩時間に10円玉を握りしめて好きな曲をリクエストするのだけがこのアルバイトでの唯一の楽しみだった僕は、シモヤマくんと同じシフトの日にはロックの話ができるのが楽しみのひとつになった。
「ナイトレンジャーのニューアルバム、かっこよかったで。」とシモヤマくん。
「そうなんや。まだ聴いてへんけど。最近はハード・ロックよりも、スタイルカウンシルとかトーキングヘッヅがよかったかな。」
「スティングもソロはジャズっぽかったしな。」
「MTVで観たわ。」
「あと、エアロスミスが復活アルバムをレコーディング中らしい。」
「え、まじで。RUN-DMCで当たったから調子乗っとんな。」
「クラッシュも新メンバー入れて活動再開、ミック・ジョーンズは新しいバンドを結成したらしい。」
「へー。そらすごいな。」
そんな具合。

そんなふうにして夏休みも終わる頃、シモヤマくんが、なんだか妙に深刻な顔をして「バイト終わったらちょっとええか。深刻な相談があんねん。」って言ってきた。
なんだかよくわからないままバイト上がりに居酒屋へ行き話を聞いた。深刻な話とは、つまり金を貸してくれということだった。なんだかよくわからないままだったけどよほど深刻なんだろうと思って、僕はなけなしの貯金の中から3万円を貸した。
「助かるわぁ。これで学校辞めんで済むわ。来月の給料日には返すから。」

その翌週。
シモヤマくんはバイトに来なかった。
急用ができたとか、体調が悪いとか。
一週間が過ぎ二週間が過ぎてもシモヤマくんから音沙汰がない。
不安にはなった。でも、きっと何か理由があるんだろう、と思うことにした。信じて貸したんだからと誰にも相談しなかった。
結局、給料日が明けてもシモヤマくんからの連絡はなかった。
「店長、実は、シモヤマさんのことなんですけど。」
「あいつ?もう来ぇへんで。おとついくらいか、給料取りにきて、辞めるって。」
「え、、、」
僕の顔は真っ青だったはずだ。
「どうしたんや。」
「実は、金貸してたんです。給料日には返すからって。」
「あほやな、お前。そりゃ戻ってこんで。無理無理。あんなんに貸した方が悪いわ。見たらわかるやろ、だらしなさそうなとこくらい。」
「そんな、、、」
「先に相談しといてくれりゃ、給料から差し引くこともできたやろうけど、もう渡してしもたがな。どないもならんで。」

社会っていうのはこういうとこなんだ。
自分の馬鹿さ加減が身にしみた。
そうやんな。店長の言うとおりだ。
なんて甘ちゃんなんだ、僕は。
店長は落ち込んでいる僕をよそに、バイトメンバーにそのことを言いふらしまくる。
「ボンな、シモヤマに金貸しててんて。」
「えー、まじで。」
「なんぼ?」
「3万。」
「うそっ。ありえへんな。」と厨房のヤマグチさん。
「俺に貸してくれたら、パチンコで倍にして返したんのに。俺にもなんぼか貸してくれや。」と紳助。
「3万あったら、ソープ行ってドーテー卒業できたのにな、ハハハハハ。」
「2週間分、タダ働きっ。ご苦労っ!」
「お前、ほんまボンやな。ボンボンやのうてボンクラのボンや。」
「そんな可哀想なことゆーたりなや。言われてもしゃーないけど(笑)。」とヤマグチさんと付き合っていたウェイトレス。
「・・・なんとかなりませんかね。」
「そら無理やろ、お前。借用書とかももろてへんねやろ。」
「・・・はい・・・」
僕はただただ小さくなって、逃げ出したいような気持ちをただただじっと堪えるしかなかった。

今の僕を知っている人からすれば、きっとピンと来ないエピソードだと思う。
今の僕はそんな気の弱いキャラとはとても遠いところにいる。むしろ、頑固で理屈っぽくて、誰に対しても物怖じせず言いたいことを言いまくっている、一癖も二癖もある男だと思われているはずだけど、あの頃はそうじゃなかったんだ。ほんとうに子供だったと言えばそうなんだけど。

10月も過ぎた頃、なんとか目標だったお金を貯めた僕は、大学の近くに下宿するためにバイトを辞めた。3万円はとうとう返ってこなかった。
その喫茶店は今もまだ難波駅の地下街の中で営業していて、たまに仕事の用事や実家へ帰る途中なんかにその喫茶店の脇を通ることがある。
悔しいけれど、ああいう経験したことで強くなったことは確かだ。
誰かがどこかで腹を空かせながら狙いを定めている。弱みを見せたら食いつかれる。そんなサバンナみたいな世の中で、いっちょまえに生きていくためには、したたかでなくっちゃいけない。自分の意思を強く持っていなくちゃいけない。あの頃、そう強く思ったんだ。



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The Dream Of The Blue Turtle / Sting




続・音楽歳時記「小満」

雨があがって新緑がきれい。風が爽やかに吹き抜けて、道端にはたんぽぽの黄色い花が揺れていた。
暑くもなく寒くもなく、とても過ごしやすい休日。
コンビニ限定のポテトチップス“パクチー&レモン味”をかじりながらプロ野球中継をだらだら眺めていた。
こういうなんでもない一日がシアワセだと思う。
せっせと5日間働いて、2日休むっていうのはちょうどいいバランスなのかもしれない。
節季は21日が「小満」。
「小さく満たされる」っていうのはなんかいいよね。
50も過ぎると、人生に高望みはしない。今さら億万長者になりたいとも美女に囲まれてちやほやされたいともあんまり思わない。そもそも人生のおいしいところって、そーゆーわかりやすいところにはないって知ってるからね。

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There Goes Rhymin' Simon / Paul Simon

こんなよく晴れて穏やかな季節に聴きたいアルバム、ポール・サイモンの「ひとりごと」。
どこかで書いた気もするけど、ポール・サイモンは僕の憧れの人のひとりで、この人の表現へのスタンスは、とてもバランスがいいと思うのですよね。っていうか、自分がいいな、と感じるバランス感覚にとても近い、といった方が正しいのかな。
基本スタンスとしては誠実、真面目。でも意外と杓子定規なクソ真面目ではなく、ユーモアのセンスもあるし、何よりとてもポップ。真面目だけど従順ではなく、時には反逆的ですらあるけれど、その反逆は暴力的ではない。好奇心旺盛で学究的スタンスも強いけれど、マニアックにはならない。根本的にはペシミスティックでありながらネガティヴではなくどこかあっけらかんとして突き抜けていて、繊細だけどしたたかでもあって、芯のところではとてもタフで。
作品にしても、詩やメロディーにとてもこだわりがあるようなイメージが強いけれど、実はリズムとアンサンブルが素晴らしいのですよね。新しいリズムへのチャレンジとトラディショナルな音楽へのリスペクト。そういうバランス感覚がとても素敵なのです。
こんなに天才的なすんごいミュージシャンで、実際スーパースターであるにもかかわらず、ポール・サイモンの立ち位置ってのはどこか地味なんですよね。
生真面目キャラを背負って時々イライラしたり悲観したりもしてそう。でもだからといってポール・サイモンが例えばミック・ジャガーみたいな華麗な人生を求めているかっていうと、時には憧れるかも知れないけれど自分には向いてないって思ってるんじゃないかな。結局自分らしいのが一番で、自分がいいな、好きだな、と思えるのが一番。

日々はいろいろあるけど、こーゆー感じで真面目にコツコツやるのはけっこう好き。
クソ真面目じゃなくって、自分なりのペースとリズムで楽しみながら、真面目にやるんだ。
誰かに強制されてじゃない。そーゆーのが好きだから。
そんなとき僕は小さく満たされる。
それが一番だ。



♪指鹿為馬

中国に「指鹿為馬(しかをさしてうまとなす)」という故事があって、「馬鹿」という言葉の語源のひとつとされているそうだ。

秦の2代皇帝・胡亥の時代、権力をふるった宦官の趙高は謀反を企み、廷臣のうち自分の味方と敵を判別するため一策を案じた。
彼は宮中に鹿を曳いてこさせ『珍しい馬が手に入りました』と皇帝に献じた。皇帝は『これは鹿ではないのか』と尋ねたが、趙高が左右の廷臣に『これは馬に相違あるまい?』と聞くと、彼を恐れる者は馬と言い、彼を恐れぬ気骨のある者は鹿と答えた。
趙高は後で、鹿と答えた者をすべて殺したという。
(Wikipediaより)

毎日新聞のインタビューで辺見庸さんが、この故事を持ち出して、昨今の政権と官僚のことを揶揄していた。

さて、「馬」と答えて生き残った者と「鹿」と答えて殺されたもの、どちらが馬鹿なのでしょう。

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Won't Get Fooled Again / Thw Who



東灘区御影

先日、久しぶりに神戸へ出掛けたときのことだ。
阪神電車に揺られ、ぼんやりと窓の外の景色を見ていた。
尼崎を過ぎ、芦屋を越えて電車は神戸に入る。左手にはぼんやりとした海、右手にはごちゃっとした町並みとその向こうに六甲山。
やがて電車は御影駅を通りすぎる。
あ、なんだかこの駅、見覚えがある。ここで何かを経験したことがあった気がする。
そして、ずいぶんと長いこと忘れていた記憶が、そのときに感じた何ともいえない感覚ごとふわりと浮かんできた。

あれは、大学生になったばかりの初夏の頃だった。
小学校のときのクラスメイトだったタカノから、神戸の大学に受かり下宿することになったからって葉書が届いて、ずいぶん懐かしくって遊びに行くことになったんだ。住所は東灘区御影。
駅を降りて下宿に電話すると、タカノが原チャリに乗って迎えにきてくれた。
僕はその原チャリの後ろに乗せてもらって、神戸特有の長い長い登り坂を上って下宿に向かった。当時はまだ原チャリにノーヘルで2ケツしてもOKだったのだ。
タカノと会うのは小学校の卒業式以来だった。
タカノは勉強ができてスポーツも万能でもちろん女の子たちにもモテモテで、勉強は中くらいでスポーツはまるでダメだった僕とはまるっきり違っていたのだけど、なぜか僕とはよくウマがあった。学校の帰りによく道草をしながら、タカノの家によく遊びに行った。木造平屋の市営住宅で、ほんの申し訳程度の小さな庭があった。
タカノには年の離れたお兄さんがいて、お兄さんの部屋にはギターがあって、壁には外人のタレントのモノクロのポスターが貼られていた。
「この外人さん、誰?」
「ビートルズ。」
「へー。知らんわ。」
「もう今は解散してるらしいけどな。」

秀才だったタカノは教育大学の付属の中学校に合格し、春休みに大阪市内へ家族で引っ越した。元々小学校を出たらそうする計画だったのかも知れない。僕は普通に地元の中学に通った。引っ越しの数日前に「遊びに来いよ。」「そのうち行くわ。」とかなんとか話をして、それから幾度か葉書をやりとりして、やがてお互いに音信不通になった。あの年頃の友達同士なんて、まぁそんなものだろう。

タカノの下宿は、六畳ほどの小さな部屋に、玄関からつながったキッチンがついていた。
窓の外には阪急電車が走っていた。窓の外、というよりも感覚としては窓の上。ガラガラと窓を開けるとちょうど目の高さに線路の枕木や敷石が見える。神戸は坂道だらけの町で、北へ行くほどに土地が上がっていく。タカノの下宿は線路と東西を走る大通りの間の狭い敷地の中にへばりつくように立っていたのだ。
「ひさしぶりやなぁ。何年ぶり?」
「あんまり変わらんなぁ。」
「酒、どうや。とりあえず、飲もうか。」
その夜、何を話したのか、あまりよくは覚えていない。
ひとしきり共通の友人の話をしたあとはとりたてて話すこともなく、飲みつけないウイスキーをちびちびとやりながら、もっぱら宇宙の果てはどうなっているとか、ブラックホールは実はとても重たい重力を持った恒星で、とか、恐竜は実は大きな隕石が落ちてきて滅んだのだとか、そういうような話ばかりをしていたように思う。小学校の頃、そういう話ばかりしていたように。
時折窓の上からガタガタガタと電車が通りすぎると、部屋がガタガタガタと揺れた。

よく覚えているのは、その翌朝のことだ。
目が覚めると、キッチンから湯気が立っていて、母親が朝ごはんを作るようないい匂いがしていた。タカノと、知らない女性が穏やかな笑みを浮かべて楽しげに話している。
「お、やっと目、覚めたか。」
「お、おお、おはよう。」
ズキン。頭が痛い。飲みつけないウイスキーのせいだ。
「タカノくんとお付き合いさせていただいているヨシオカといいます。」
と、その女性は僕に挨拶をした。
すらっとして色白でとても聡明そうで、しとやかな大人の雰囲気が漂う女性だった。
「俺さぁ、今日昼からバイトあるの忘れてたんだよな、もうちょっとしたら出かけなきゃいけないんだけど、せっかくだし飯食ってゆっくりしていけよ。」とタカノ。
「え、いや、そんな、悪いし。」
「気にせんでええって。」
そう言ってタカノは身支度を始める。
ヨシオカさんが入れてくれたコーヒーを三人でいただく。
「小学校の頃からのお友達なんですってね。タカノから聞いてます。学校は京都?大阪から通うのってけっこうたいへんね。」
「え、ええ、まぁ。」
「じゃ、俺行くわ。また遊びにきてな。」
そういってタカノは靴をはく。
部屋には女性特有の甘い香りが漂っている。
壁には、ビートルズのポスターがあった。マッシュルームカットのスーツ姿のモノクロではなく、Let It Beの頃の髭ヅラの4人。
「僕も夕方からバイトなんで、ご飯いただいたら帰ります。」
ヨシオカさんはニコニコと笑みを浮かべながら、とりとめのない話をする。窓の上を阪急電車がガタガタガタと通りすぎていき、そのたびに彼女の言葉はしばし中断した。僕はときどき相づちをうちながら、その甘い香りに、とても居所のない頼りない気持ちと、こういうものにずっと包まれていたいような柔らかい気持ちと、なんでこうしているんだろ的不思議感の混ざった複雑な気分で気が遠くなりそうだった。
小学校のクラスメイトと、神戸の下宿にいる彼女がどうしても現実として結びつかないまま、タカノのいる場所と僕が今いる場所がとてつもなく宇宙的に離れているような気がした。タカノは宇宙飛行士の姿をして宇宙船から地球を眺めていて、僕は地べたでアリのようにはいつくばっている。その距離はとても縮まらないどころか、どんどんと離れていき、タカノとヨシオカさんは遠い星になって僕は手の届かない場所からそれを呆然とただ見上げていた。

結局それ以来、タカノと会うことはなかった。
フェイスブックで消息はなんとなく知ったものの、連絡はしていない。
あの電車の線路の下にへばりつくように立っていた下宿は、きっと今はもうないだろう。
あのとき感じたクラクラするような遠い距離感を誰かに感じることもおそらくこの先二度とないだろうと思う。



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I've got a feeling / The Beatles


♪グレーのパーカーにまつわる小さな事件

いつもの通勤電車。
僕は車両の一番奥の、隣の車両への扉の辺りに吊革を握って立っていた。
すし詰めというほどではないけれど体を少しでも動かせば隣の人の体に触れるくらいには混んでいる。
いつものように電車はターミナル駅に着いた。
降りようとするのだけれど、通路が満員なのに椅子に座っていた人たちがその満員の通路に立ち上がるのでその入れ替わりがもたもたとしていてなかなか動けない。
僕の横で立っていた大学生くらいの女の子はこの駅で降りないらしく、前の席の女性が立ち上がるのを待っている感じだった。ようやく通路が少し空いて、座っていた女性が立ち上がり扉へ向かう。
そのとき、大学生っぽい女の子が急にしゃがんで、床に落ちたグレーのパーカーらしきものを拾いあげる。座っていた女性が立ち上がったときに落としたらしい。その女性は気づかずに降りてしまったらしい。
僕はその女の子の後ろをすり抜けて扉に近づいてから、その女の子が困惑していることに気がついた。
拾いはしたものの、彼女はその駅では降りない。つまり、落とし主を追いかけて手渡してあげることができない。

あ、

そう思ったときにはもう遅かった。
僕は電車を降りてしまい、扉は閉まろうとしていた。
彼女はグレーのパーカーを手に持って困惑したままだった。
そして扉が閉まって電車が動き出したとき、彼女はそのパーカーを、そっと網棚の上に置くのが見えた。
電車は駅を離れていった。

「渡してこようか。」と、どうして声を描けることができなかったのだろう。
2秒。ほんの2秒だけ、気づくのが遅かった。
あ、と気づいてから状況を再確認できるまでの一瞬の躊躇。
せっかくの彼女の優しさのバトンを受け取ってあげることができなかった。
そのことで、ずいぶんともやっとした気持ちが残ってしまった。僕にも、その女の子にも、そしてパーカーを落としてしまった女性にも。
おそらくは、終着駅で網棚に残ったままのグレーのパーカーは、駅員さんに見つけられただろう。よくあることとして終着駅で遺失物として取り扱われるだろう。落とし主の女性に探す気持ちと時間の余裕さえあれば、グレーのパーカーは彼女の元に戻るだろう。彼女はほんの不注意で時間を浪費したことをもやっとした気持ちのまま受け入れるしかないだろう。
パーカーを拾った女の子も、きっともやっとしているだろう。パーカーを網棚に残したまま電車を降りるとき、きっと心が痛んだだろう。自分が降りるべき駅ではなかったけれど、降りて追いかけるべきだったのかもと自分を責めているかもしれない。落とした方が悪いんだ、そのせいでどうして私がもやっとしなきゃならないの、と思っているかもしれない。彼女はまた同じことがあったときは、拾いあげることすら躊躇してしまうかもしれない。
そして、その状況にほんの一瞬立ち会ってしまった僕ももやっとした気持ちが残ったままだ。
どうして一言声を掛けることができなかったのか。さっとパーカーを受け取って、素早く落とし主を追いかければ、誰ももやっとすることはなかったのだ。
こういうもやっとした気持ちの積み重ねが、人と人との関わりを消極的にしてしまう。そういう経験の積み重ねが、世の中の平和を少しずつ悪い方向へ回転させてしまうのだと思う。

ずっと前にね、電車の中で鼻血が出て、カバンを探してもポケットを探ってもティッシュがなくって困っていたときに、さっとティッシュを差し出してくれた人がいたんだ。そのとき、こういう人になりたいって思ったんだ。
そういうことが自然にできる人こそが、本当の大人で、そういう人たちが世界を平和にしているんだと思う。
とっさのときの判断力と行動力。そういうことの大切さを、僕らはあの大きな地震から学んだはずだったのに。
反省。


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日々のあわ / ハナレグミ

「きのみ」


続・音楽歳時記「立夏」

5月5日、立夏。
連休の真っ只中の土曜日は、さわやかな青空。
過ごしやすくて、明るくて、元気溌剌。
なんとなく青春っぽい感じ。
で、青春っぽいといえば、初期ビートルズだ。

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Please Please Me / The Beatles

“I Saw Her Standing There”で始まって“Twist and Shout”で終わる。
それだけでこのアルバムは満点だ。
この二曲、中学生の頃に最初に聴いたビートルズのベスト盤には入っていなくて、そのあとでラジオで聴いて「なんでこんなかっこええ曲がベスト盤に入ってへんねんっ!」って思った記憶がある。どうやら世間で思うビートルズの良さと自分の感じ方は少し違うのかも、と。
このアルバム、この二曲以外ハチャメチャなロックンロールは入っていなくってあとはミディアムものがほとんどだけど、いわゆるスローなバラードものは一曲もないっていうのもいい。
“Chains”“Boys”と続くカヴァー曲の楽しそうでイキイキした感じや、ジョージやリンゴが歌っているのもバンドっぽくていいし、“P.S I Love You”や“Baby It's You”もなんとなく青春っぽくっていい。もちろんヒット・シングル“Please Please Me”と“Love Me Do”も入ってる。
なんだかんだとアルバム単位ではこれが一番よく聴くビートルズかもしれない。これに“I Wanna Hold Your Hand”と“She Loves You”も入っていれば完璧。
いや、おっさんくさくてもっさりした“Taste Of Honey”だけは、なんでこんなの入れたんだって思うけど(笑)。ま、色んな事情があったんだろうな。
そういう蘊蓄はきっとビートルズ・マニアな人たちがいくらでも語ってそうだけど、個人的には、ビートルズに関しては、なんとなくあんまり語りたくない気分がある。いろんな人がいろんな切り口で語ってきたし、その語り口はともすれば音楽そのものよりも、社会現象的な側面や文化史的な面ばかりがクローズアップされたり、或いはどうでもいいトリビア的な情報に終始するマニアックなネタばかりだったりもして、正直そういうのにはうんざりなんだよね。
僕が聴きたいのは純粋に音楽としてのビートルズ。
そして僕が好きなのは、音楽史的意義がどうだのこうだの革新的な音楽的実験がどうだのこうだのではない、バンドとしてのビートルズ。
で、バンドとしてのビートルズの味わいは、やっぱりファースト・アルバムが最強だ。
なにしろ“I Saw Her Standing There”と“Twist and Shout”が入ってるんだから。
このイキオイ、溌剌感、怖いものなし感、いろいろあるけどぶっ飛ばしていくぜーって感じは、ロックンロールの最高のエッセンスが詰め込まれていると思う。



♪ゴールデンウィーク対談:監獄ミュージック

golden(以下g):「ゴールデンウィークといえば、大掃除の季節ですねー。」
blue(以下b):「そうなんか?」
g:「普通、大掃除といえば年末ですが、あの時期はいろいろ忙しくて。それに寒くて動くのめんどくさいでしょ。厚着では動きにくいし、窓開けても寒いし。」
b:「雑巾絞るのにわざわざお湯沸かしたりな。」
g:「この時期なら休みもとれるし、冬物片付けるのと一石二鳥なわけさ。」
b:「わりと一理あるな。俺は年末にするのが好きやけどな。」
g:「で、大掃除ついでのお題なんだけど。」
b:「はぁ。」
g:「部屋にCDいっぱいあるじゃない。」
b:「そんなでもないやろ。1000枚くらいちゃう。」
g:「いや、それはじゅうぶん多いよ(笑)。」
b:「そういうもんか?まぁ、この先一生聴かんのもありそうやけど(笑)。」
g:「実際に処分するわけではないけどさ、もしこの中から5枚しか手元に残せないとしたら何を選ぶ?ってのを語り合うってのはいかがかと。」
b:「いわゆる、よくある『無人島CD』の類いやな。」
g:「まぁ、いわゆるよくある(笑)。」
b:「俺、無人島行かへんし(笑)。そもそも無人島で音楽聴かれへんよ。」
g:「だから、無人島じゃなくって、究極の断捨離をするとしたら、みたいな想定で。」
b:「それやったらむしろ、『独房に入れられて何年も過ごさないといけないときに、5枚だけCDの差し入れが許されるとしたら何を持ってきてもらう?』の方がええんちゃう?」
g:「なんか、それ妙にリアル(笑)。まぁなんでもいいんですけど。」
b:「無人島より可能性あるやろ(笑)。」
g:「ポイントは、『好きな5枚』とか『生き方に影響を受けた5枚』とかのニュアンスじゃなくって、日常生活の中でいつも聴けて長く聴き続けられるとかね、気分を変えたいときにはなくてはならないとかね、そーゆー感じ。」
b:「『i-podから消せない5枚』、みたいな?」
g:「まぁ近いけど。」
b:「とりあえず真っ先に思い付くのはあれやな。」
g:「あれってどれ?」
b:「黄色いレコード。」
g:「ピストルズ?」
b:「そう。セックス・ピストルズ“Never Mind The Bollocks”。あれは最強やで。何かイラッとするときとか、ぶっ飛ばしたい気分のときとか、あれを爆音で聴くだけでスカッとするでー。」
g:「一発で気分変えられるっていうのは音楽の魅力だからね。」
b:「これはまじマストやで。」
g:「僕も一発で気分が変わるやつを。ピストルズとは真逆だけど、ロイ・オービソン“The Very Best Of Roy Orbison”。」
b:「甘っ!」
g:「これ聴くと、なんていうか、スイートでセンチメンタルな気分になれるのですよね。」
b:「まぁ、この時代のロックンロールは粋っていうか、雰囲気ええわな。」
g:「エルヴィスとかサム・クックもいいんだけど、ロイ・オービソンが最強かと。」
b:「最強かつ鉄板のマスト・アイテムといえば、フェイセズやな。」
g:「70年代ブリティッシュ・ロックのど真ん中。」
b:「どのアルバムもいいんやけど、解散直前のシングルまで入ったベスト盤が一番へヴィーローテーションかな。2枚め、フェイセズのベスト盤“Snakes and Ladders”で。」
g:「とりあえずめっちゃ元気になる感じだもんね。」
b:「この系統のロックンロール・ミュージックといえばまずはストーンズなんやけどな。でも、ストーンズよりも朗らかでユーモアがある感じが好きやねんな。」
g:「僕も2枚目は王道で。ポール・サイモン。S&G解散から“Graceland”の時代までのベスト盤、ポール・サイモン“Born At The Right Time”を。」
b:「やわいの好きやなぁ。。。」
g:「いや、ポール・サイモンはけっこう硬派よ。シニカルだけどユーモアもあるし、リズムがかっこいいよね。」
b:「レゲエ演ったり、ニュー・オリンズに行ったり、南アフリカに行ったり。」
g:「新しいリズムを貪欲に取り入れていくという点ではストーンズと共に時代を作った人ですから。っていうか、聴いてて単純に気持ちいいのですよ。」
b:「リズムといえば、レゲエを一枚入れておきたいね。監獄で躍りたくなったときのために。」
g:「いいね。」
b:「ジミー・クリフ“Follow My Mind”。」
g:「あ、それ僕も候補に入れてた(笑)。」
b:「70年代後半のジミー・クリフは、すっごくソウルっぽさもあるし、おおらかで、ゆるいのがええねん。」
g:「でもレゲエが本来持つレベル・ミュージックとしてのファイティング・スピリットもビシバシ感じますよね。」
b:「なんていうかな、元気出るよな。」
g:「僕の3枚めは、これもベスト盤で申し訳ないんだけど、ザ・フー“The Very Best Of The Who”。」
b:「あ、それ、俺の候補・・・。」
g:「やっぱり被った?」
b:「ビートルズちゃうんや?」
g:「ビートルズももちろん捨てがたいんだけど、ビートルズのベストはわりとすぐに飽きそうで。」
b:「ビートルズ・ファンに怒られるで(笑)。」
g:「初期のロックンロールのアルバムだと尺短いじゃん。でもベスト盤はいらない曲も多っくって。」
b:「わかるけどー。」
g:「フーはね、飽きないのよ。ドラムだけ聴いてても楽しめるし、ベースだけ聴いててもかっこいいし。」
b:「なるほどなぁ。」
g:「さて、あと二枚。」
b:「パンクとブルースの俺としては、ブルースのアルバムを入れないわけにはいかんわな。」
g:「監獄といえばブルースですか。」
b:「大好きなのはいっぱいあるけど、アルバムとしてバランスが良くて、バラエティーもあって聴き飽きないという点でいえば、ジミー・ロジャース“Chicago Bound”やな。」
g:「あえてマディやロバート・ジョンソンではなく?」
b:「そう、ハウリンウルフでもジミー・リードでもなく。」
g:「歌もギターもかっこいいよね。」
b:「なんちゅーんかねぇ、職人の矜持的なね。黙々と裏方に徹しつつ、実はけっこう熱い。」
g:「ポップだしね。」
b:「あんまりどろどろ過ぎると救いようがなくなるやろ。監獄やと。」
g:「救われる、癒される感じというところで、僕の4枚めはオールド・ジャズ。レスター・ヤング&テディ・ウィルソン・カルテット“Pres and Teddy”。」
b:「懐かしくてゆるーい感じがいいね。」
g:「なんかね、歌ものがうるさく感じる気分のときがあるような気がして。」
b:「あぁ、なるほど。」
g:「穏やかに、メロディーとリズムに身を委ねる心地よさ、みたいなね。ピアノやサックスの音もすごくあたたかいし。」
b:「一人で浸れる心地よさね。」
g:「そうそう。」
b:「最後の5枚めはそういうのにしておこうかな。70年代のトム・ウェイツのベスト盤、“Used Songs 1973-1980”。」
g:「渋い。」
b:「監獄暮らしで孤独をかみしめるときに、孤独な自分と向き合える強さみたいなのが、トム・ウェイツにはある気がすんねんな。」
g:「深い響きがあるよね。」
b:「罪を受け入れて赦してくれそうな、そんな深さっていうか優しさっていうか。そういうのが沁みるなぁ。」
g:「さて、ラストの1枚。やっぱり5枚に絞るのって難しいねー。」
b:「言い出したの、おまえのほうやん(笑)。」
g:「ここまで選んだのを見てみるとね、80年代ものが入ってないね。」
b:「まぁ、やっぱり70年代はロックの黄金時代やし、絞りこんだベーシックなものとなると50年代60年代になってくるか。」
g:「あと、女性も入ってないな。」
b:「あぁ、そうやなぁー。たまには聴きたくなるかも、女の人の声。」
g:「アコースティックで和めるのがいいね。80年代で、女声ヴォーカルで、ちょっと落ち着いたアコースティックなレコードといえば、僕ならフェアグラウンド・アトラクション“The First Of A Million Kisses”だね。」
b:「“Perfect”、好きやったわ。」
g:「エディ・リーダーの大人っぽいのにちょっとこじらせてる感じがいいよね。」
b:「ほっこりするし、ちょっと切ないし。」
g:「アコギやウッド・ベースの音もすごく体温があるしね。」
b:「独房で荒んだ心が癒されるかもなぁ。」
g:「これで5枚ずつ。」
b:「うーむ、このセレクトで良かったんやろか。ソウルやR&Bのオムニバスがあってもよかったかな。」
g:「まぁ、迷いだしたらキリがないよね。」
b:「爆音ロックンロールはピストルズを選んだので外れたんだけど、ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズの“L.A.M.F”も入れときたかったなぁ。あとパティ・スミスにテレヴィジョン。」
g:「そりゃ、リトルフィートやJガイルズ・バンドあたりもあるといいんだけど。それからニール・ヤングとトム・ペティとボニー・レイット。」
b:「もちろんストーンズもビートルズもやな。」
g:「リッキー・リー・ジョーンズも持って行きたいなぁ。」
b:「コステロかニック・ロウ、80年代ならアズテック・カメラかポーグスやな。」
g:「もうちょっとあとの時代だと、マシュー・スイートとスザンナ・ホフスの“Under The Cover”シリーズとかね。」
b:「あれは名曲がいっぱい入っててお得感あるな。」
g:「でもさ、意外と一番使えるのは、ヒット曲満載の、ボズ・スキャッグス“Hits”とかフリートウッド・マックの“Greatest Hits”とかだったりしてね。」
b:「気分は盛り上がりそうやけどな。」
g:「日本人は入れてなくてよかったの?」
b:「RCは本来マストやけど。」
g:「ただ、歌詞が直接頭に入りすぎるのは監獄という環境では不向きかもしれません。」
b:「必要以上に気持ちが乱され過ぎる。」
g:「音として聴き込むのならやっぱりアメリカ・イギリスになっちゃうね。」
b:「いざとなったら歌えばいいしな(笑)。」
g:「ずいぶん前に書いた『私を構成する9枚』とはだいぶ違うラインナップになったね。」
b:「まぁ、今回のは、日常的にずっと聴けるっていうのがコンセプトやからな。」
g:「二人であわせて10枚。これで孤独な監獄暮らしがだいぶましになりそうな気がするね。」
b:「とりあえずな。」
g:「でも、実際問題さ、監獄にCDって差し入れしてもらえるのかな?」
b:「知らん。たぶん無理ちゃうかー(笑)。」


●goldenくんの5枚
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Roy Orbison “ The Very Best Of Roy Orbison”
Paul Simon “Born At The Right Time”
The Who “ The Very Best Of The Who”
Lester Young & Teddy Wilson Quartet “Pres and Teddy”
Fairground Attraction “The First Of A Million Kisses”

●blueくんの5枚
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rogers_jimm_chicagobo_101b.jpg thYCZ6PQW2.jpg

Sex Pistols “Never Mind The Bollocks”
The Faces “Snakes and Ladders”
Jimmy Cliff “Follow My Mind”
Jimmy Rogers “Chicago Bound”
Tom Waits “Used Songs”


♪ある春の日に、マイケル・ジャクソン

マイケル・ジャクソン?
そんな甘っちょろいもん、聴いてられっかよ。
そもそもちゃんとアルバムを通して聴いたこともない。
なんというか、動きがやかましいんだよな、マイケル・ジャクソン。
ちょこちょこチャカチャカした動きがやたら多くって。
音楽もそうだ。無駄な飾りが多すぎる。
効果音っぽいのとか、必然性を感じない轟音ギターが突然鳴ったり、いきなり奇声を発したり。

でもね、この曲は好きだな。
Heal The World”。
ベタな展開の曲だよ。
サビでコーラスが入って、だんだん盛り上げっていって、最後は大合唱、的な。
あざとい。いかにも狙ってる感じ。
メッセージも陳腐だ。
「世界を癒そう」だなんて、何様?そもそも癒せるもの?神様目線?
だいたい、癒されるとかヒーリングだとか、そういうのって好きじゃない。そもそも癒されようのない世界で生きていくんだっていう覚悟からロックンロールは始まっているんだ。
甘っちょろいんだよ。
でも、この曲を聴いていると、なんか泣けてくる。
涙がじわじわと溢れてきて止まらなくなる。
何度でも聴きたくなる。
聴き終わると、なぜか心が洗われたような気がする。

心の中にひとつの場所がある
それは愛
その場所は明日をより明るくしてくれる
もし本当に向き合うことができれば
泣き叫ぶこともない
痛みや悲しみを感じることもない
そこへ至る道はあるよ
生きることをもっと大事にすれば
小さな場所を作ろう
よりよい場所を
(Heal The World)

青臭いメッセージも、マイケルの声で歌われると素直に聴ける気がする。
この人はほんとうに、世界中の人々が、癒され、平和に暮らせることを願っていたんだと思う。ほんとうにそう感じられる。
立場の弱い人に威圧的に振る舞ったり、人の揚げ足をとっては馬鹿にしたり、誠実さのかけらもなく自分に都合のいいように嘘を重ねて事実を改ざんしたり、人々の暮らしを駆け引きの道具にしたり、爆弾を作って脅しをかけたり、よその国に爆弾を落としたりている偉い人たちに聞かせてやりたいよな。
森友・加計問題、公文書改ざん、防衛省の日報、財務官僚のセクハラ、或いはアメリカ大統領の振る舞いにしても隣の国の国家主席にしても、誤魔化しても隠しきれる、力で相手を黙らせることができる、と思っていることがそもそも大きな問題。時代錯誤。
そんなことを論じたいわけではないけれど、マイケルが歌う愛や人が生きることへの誠実な向き合い方がひとつも感じられないんだよな。

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History -Pats,Present and Future- / Michael Jackson

マイケルのバラードはいいな。
心が洗われる。
どーなってんの?だいじょうぶかよ?と思ってしまうようなことがいろいろある世の中だからこそ、心をクリアーにして鎮めておくことが必要だ。
マイケルのバラードはいいよ。
“You're Not Alone”もしみるし、“I Just Can't Stop Loving You”もぐっとくる。それから、ジャクソンズのアルバムに入っていた“Be Not Always”も泣ける。
「オフ・ザ・ウォール」の“She's Out Of My Life”も「スリラー」の“Human Nature”もいいし、「BAD」の“Man In The Mirror”にも世界を憂い何かを改めたいと願う気持ちが歌われている。

って、なんだかんだとけっこう聴いてるわけね(笑)。




◇みんなの図書室

「電車の中に乗っている人が全員スマホを見ていた」なんてことがよく言われる。
たいていは否定的な文脈で、新聞の投書欄なんてガキやジイサンがよくこーゆーこと書いてたりする。「近頃は」云々とか、「僕は読書をしたほうがいいと思う」みたいなトーンで。
確かに、こんな現象はこの数年のことだ。
でも、それは悪いことなのだろうか?
通勤電車、隣りあわせた見ず知らずの人たち、その人たちのと何か心を通わせる必要がどこにあるかしら?むしろそんなめんどくさい公共から離脱できるプライベートな空間を多くの人たちが手に入れることができたというのは、素晴らしいことなんじゃないのか、と天の邪鬼な僕は思うのです。
電車の中で本を読んでいても誰も否定しないのに。公共からの離脱、自分だけの世界への逃避、という意味では本もスマホも変わらない。
電車の中で新聞広げているおっさんが駆逐されたのはむしろスマホの功績だ。狭い中で無理やり畳んだり、隣の人のスペースまで広げてきたり、あれはけっこう迷惑だった。
公共の中での共感なんて求めちゃいないのに、そういうのを否定するのってなんだか矛盾してる気がするよね。
そういうありきたりでありがちなことを平気で言ったり、それにのっかってるのがどうもあんまり好きじゃない。
自分のアタマで考えずに世間の当たり前をなんとなく鵜呑みにしている奴がさ、普通の顔して普通に差別的なことやハラスな振る舞いをするんだ。そういう人たちが「この程度のことは昔から当たり前だった。」とハラスメントを擁護したり、「この国も武装すべきだ。あんたの息子を国のために貢献させるべきだ。」とか言い出すんだよ。
考えもせずにイメージにのっかって。

だいたい「読書」を持ち上げる人に限って、実はあんまり本なんて読んでいなかったりする。
読んでいたとしても「◯◯を◯◯するナントカの方法」だとかそーゆービジネス本やハウツー本程度だったり(笑)。
活字中毒者の実感としては、読書は、学んだり感性を磨いたり、自分自身を見つめなおしたり、という以前に、現実逃避のための有効なツールだ。現実逃避という言い方が否定的だとすれば、リアルの人生とは違う別の人生を覗き見るツールとでもいうか。たくさんのものを読んだ結果として知識や見聞が広がったり論理立てや表現力が高まったりすることもあるけれど、それは副次的なもの。結果のひとつであって目的ではない。
おそらくは読書の代わりにスマホを使うことによって得られる能力というのもきっとあるはずで、それはそれでこれからの時代を生きていくのに大切な能力になるのかもしれない。
だから読書を持ち上げるのはなんか好きじゃないな。
楽しみのひとつでいいんだと思う。


読書が心から好きなんだな、と思わせてくれる作家さんのひとりが、小川洋子さん。

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みんなの図書室 / 小川洋子

「みんなの図書室」という本は、文学作品を紹介するラジオ番組を本の形にまとめたもの。
紹介される本は、古今東西の古典から現代の作家、ベストセラーから恋愛もの、推理小説、エッセイ、絵本や児童文学までなんでもあり。
感想が素直すぎて食い足りない感もあるけど、評論家チックに頭でっかちじゃなく、純粋に好きな感じが伝わってきて好感がもてる。

楽しみとしての読書。
ツールとしてのスマホ。
そもそも相容れないものではないはずだよねー。




続・音楽歳時記「穀雨」

4月20日は穀雨。
穀物を潤してくれる雨が降る頃、という意味の節季だ。
田植えにむけて整えた田んぼを静かに潤す春の雨。
うららかな春の風景に、そこに降る静かな雨を想ってみる。
山も川も家も畑も、静かに濡れて優しくうつむく。その穏やかさを想ってみる。
暑くもない寒くもなく湿気も少なく爽やかな今の季節にはつい、ずっといいお天気なら、と思ってしまうけど、やっぱり雨が降る日もたいせつだと思う。

しとしと降る穏やかな春の雨の日に決まって聴きたくなるレコードのひとつが、ニック・ヘイワードくんのこのアルバム。

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North Of A Miracle / Nick Heyward

このアルバムを初めて聴いたのはまだ高校生だった。83年だから、多分二年生。
確かシングルの“Whistle Down The Wind”がFMラジオでかかってたのかな。なんとなく、あ、これは好きかもって思って、名前をメモして、駅前にできたばかりのレンタル屋で借りたんだったかな。
当時はいわゆるエイティーズの全盛期で。デュラン・デュランとかカジャグーグーとか、いわゆる美少年っぽいヴィジュアルを売りにしたバンドがMTVの人気と相まって大ブレイクしていた頃。最新のヒットチャートにも興味はあったけど、そんな女やガキが聴くような甘っちょろいもの聴いてられるかー、って思ってたから、ニック・ヘイワードがヘアカット100のメンバーだったって知っていたらレコードを借りようとは思わなかったかもしれないんだけど(笑)。
家に帰って、ターンテーブルに乗せて針を置く。
ドラムに続いていきなりブラスがパパッパラーと元気よくなって、キラキラと弾ける青春のようなサウンド 。これはちょっと自分には似合わないノーテンキだな、、、と思ったものの、二曲めの“Blue Hat For A Blue Day”が鳴って、あ、これこれ、こーゆー感じ。うつむき加減でセンチメンタルで、ちょっと陰りをまといつつも、明るく微笑んでみせるような。そんな感じがスッと心に落ちた。
シンセ中心の打ち込み系の音が氾濫していた時代だったからなおさら、アコギやピアノのアコースティックな音がよく鳴っているのが心地よかった。ブラスやマリンバや弦楽団なんかの使い方もとてもおしゃれで。おしゃれさとは無縁な田舎の高校生すらうっとりするくらい。
それからもう何年経つんだっけ。
35年?いちいち数えなくてもいいけど、それ以来このアルバムはずっとお気に入り。
50を過ぎた今聴いても、センチメンタルだけど、湿度の低い、そよ風が吹き抜けていくようなさわやかさが、少し甘酸っぱい香りを運んでくれる。
ふとずっと昔のこと、叶わない恋の悩みや、これから先の人生について思い悩んでいた頃を思い出させるような。
そして、それをどうこうしようっていうんじゃなく、そういう気持ちになることもあるよね、って感じでただ漂わせているのがいい。

音楽っていうのは、突き詰めていえば世界観を表すもの。
この人の音楽は「売れてスターになって金持ちになりたい」というギラギラした場所からは少し距離を置いた、もっとゆるくて穏やかでガツガツしていなくて、まぁ今の言葉で言えば肉食系ではなく草食系っぽい世界観を感じるのです。当時そんなふうな言葉で思ったわけではないけれど、思い起こせば自分はずっとこっち方向だったんだよな、と改めて思ったりする。気負ったり勘違いしたりしてガツガツしたこともあるけれど、やっぱりそっちじゃなかった。そんなふうに16才と51才の自分がすんなりシンクロする。

さわやかな晴れの日続きの人生もそれはそれでいいんだろうけど、雨の日をうまくやり過ごせる人生のほうがきっと素敵だ。
ほんのりと心地よい感傷に浸りながら、そんなことを思っていた、穏やかな春の雨の日。



Appendix

Profile

golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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51NacLGHbDL.jpg Musical Romance 81Jiymj05iL__SL1417_.jpg Ramblin Bob Amazing Bud Powell 1 I'm Jimmy Reed 91nimun-gdL__SX425_.jpg The West Coast Sessions 51N428T8D2L.jpg 71Y7cZxniBL__SL1098_.jpg Ella & Louis Chicago Bound アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション+1 51RNkrRkrKL.jpg ベスト・オブ・バディ・ホリー 51Y1W0GNK4L.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 51r1Jn3KysL.jpg 418FMPHEH8L.jpg 41BMZZ4644L.jpg 91gRh3dMZCL__SL1500_.jpg 41D5N5A2NPL.jpg 71rf2SLpdpL__SL1000_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 41D7S4CZWBL.jpg 41+QbmWm7aL.jpg presandteddycover.jpg clyde mcphater VERY BEST OF Man & His Music A1DhxQZCjXL_SL1500_.jpg marvin-fellow.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg The_Rolling_Stones-1964-The_Rolling_Stones.jpg Beatles for Sale My Generation: Deluxe Edition 51AcnSJcHyL.jpg 51bNj+ULpSL.jpg 51DHQC61ZWL_SX425_.jpg 41o9XeUuZjL.jpg 20 G.H. Live in Europe tomt 51cKCqaKQxL__SY355_.jpg 81DCRuSH25L__SL1500_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg MI0002782768.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg soulman_original_alb.jpg 51FGtOkImKL_SX300_.jpg west_side_soul1.jpg Beggars Banquet エヴリ・ワン・オブ・アス+1 randynewman.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 71otoVzhCuL__SL1105_.jpg 413AMGT7SFL.jpg 51ds00OKe-L.jpg 616osu5m8iL_SX425_.jpg 305a1614.jpg 81pMwMtFveL__SL1345_.jpg 81f2DLVCzJL__SL1300_.jpg 51uOzyp+Z6L.jpg 71eG2rIxazL__SL1046_.jpg 51ZJJGM2ZZL.jpg Fire and Water 91nimun-gdL__SX425_.jpg th.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg Fragile littlefeat.jpg 715IJ+j9EuL__SL1131_.jpg Music Muswell Hillbillies 71ctdmsHsJL__SL1084_.jpg 71PD4tBKioL__SL1116_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg SantanaCaravanserai.jpg 61XXWX6tmCL.jpg 61NAZCOWDDL__SL1100_.jpg セイリン・シューズ(紙ジャケットCD) 71eNbpCI6UL__SL1077_.jpg 511-tyxVUpL.jpg 91gT9fqhZ3L_SX425_.jpg I'm Still in Love With You 414HP65MBKL.jpg 51X8dY66CsL.jpg 愛と自由を求めて 51RXYQ9OO3L.jpg Takin My Time Closing Time There Goes Rhymin Simon 明日に架ける橋(紙ジャケット仕様) ひこうき雲 GP Moondog Matinee 716rGZASCKL__SL1425_.jpg 41SSP93BHWL.jpg 51zJyUc+r6L.jpg 51jCzIh4qRL__SS280.jpg 61-8DQVxWjL__SL1050_.jpg 61dZdC6t62L__SY355_.jpg 71aWAFuF6BL__SL1050_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 51JbSP69QaL.jpg 渚にて 5197RcTXXnL.jpg 81A5c2hHeyL__SL1425_.jpg 81qgW6uhF1L__SL1500_.jpg Born to Run Nils Lofgren 61BdFFiXniL__SX425_.jpg スネイクス&ラダーズ(ベスト)(紙ジャケットCD) 20171026013241d1d.jpg ROCK 'N' ROLL 61ijQ7n04TL__SL1065_.jpg 31vqqUxOjnL.jpg 612tlGtI4sL_SX425_.jpg Malpractice c674c8d38b834d1a46f26cee2f0381b7.jpg 71f0CPCXaJL__SL1050_.jpg 71s7uOgUVBL__SL1092_.jpg 81-hcf-9GdL__SL1228_.jpg In Concert: Best of Pretender 3112T4QJV9L.jpg Equal Rights Songs in the Key of Life “1976” 6184mADL6LL.jpg Ronnie_Lane_-_One_For_The_Road_-_LP_RECORD-57899.jpg Brinsley_Schwarz_Surrender.jpg 51sDSqlWYbL.jpg マーキー・ムーン Ramones L.A.M.F. - The Lost Mixes Never Mind the Bollocks Here's the Sex Pistols マイ・エイム・イズ・トゥルー+1 New Boots & Panties 7139dYLoG8L__SL1050_.jpg 21EXZVPG4AL.jpg 51fnZ7zzuUL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg KinksSleepwalker.jpg 4129-Q6sVHL.jpg 61NLoHBAYAL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg Black Woman Chaka Briefcase Full of Blues 616WAJF3SGL.jpg 91U+8UJ1+vL__SL1500_.jpg 80 51Cm3YGmDQL.jpg 51JKKZA9W4L_SX425_.jpg 518Vq58mgUL.jpg 41VQXG3BFML.jpg 1624540jpg.jpg 31V0AVW674L.jpg Long Run 71Y9bXH9D+L__SL1412_.jpg labour_of_lust_nick_lowe.jpg Into the Music London Calling マラッカ(紙ジャケット仕様) Rickie Lee Jones 81zR19Ga9VL__SL1079_.jpg 41cLeG0ZrFL.jpg The River Emotional Rescue THE ROOSTERS Woman and I...OLD FASHIONED LOVE SONGS(紙ジャケット仕様) RHAPSODY 41Tcvs70ZPL.jpg 51tRgx3mLgL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg Poet david lindley 91nimun-gdL__SX425_.jpg A00003808.jpg 800.jpg 51au3oRpDSL__SS280.jpg Heart Beat 61rH90dDhtL__SL1050_.jpg 71gHPyBVGqL__SL1050_.jpg lookout.jpg milk_hi.jpg 女の泪はワザモンだ!!<デラックス・エディション>(紙ジャケット仕様) Pipes of Peace 51QeHiRUz8L.jpg JOAN20JETT202620THE20BLACKHEARTS20I20LOVE20ROCKN20ROLL.jpg 62805277.jpg 71WCRrbfr5L__SL1500_.jpg 51YJOxD55iL.jpg 51SSVnYVsJL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 812JxniX3jL__SL1500_.jpg 41o+TOhThhL__SL500_.jpg 嘉門雄三 51wXhNgjs4L__SS280.jpg 510RsGZt0KL.jpg 71fefvSZXFL__SL1076_.jpg 71sCe7ReLUL__SL1273_.jpg Innocent Man 91nimun-gdL__SX425_.jpg 51ipQpNEBPL.jpg 51b+kbtwmZL__SX355_.jpg Uh-Huh (Rpkg) Learning to Crawl North of a Miracle 510NH8D9RTL.jpg MI0003515862.jpg 2017102722040546a.jpg 61gyVhU1QCL.jpg Ocean Rain インナ・ビッグ・カントリー<30周年記念デラックス・エディション>(紙ジャケット仕様) LIGHTS OUT 41uaexamSNL.jpg 819qdTNLMxL__SL1500_.jpg 616vZDe-wFL_SX425_.jpg 51Nh3RjwObL.jpg 31219QDNA0L.jpg Live in Italy YELLOW BLOOD(紙ジャケット仕様) 0831oyamatakuji.jpg pj.jpg 98e7c281-3edb-4b58-b382-0fee520de343.jpg 51xUBB5IDXL.jpg 51W5vbzNSoL_SX425_.jpg This is the sea Southern Accents Centerfield Rose Of England Poor Boy Boogie 51KQnRGfZkL.jpg 61P1R84YZTL.jpg THE仲井戸麗市BOOK 81xvZZeDEqL__SL500_.jpg 71uNe1yRlOL_SX425_.jpg 41BiuimcyaL__SL500_.jpg 71mWhnbZlBL__SL1045_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 51Uv2AegNJL.jpg Lone Justice Shake You Down 71qx7rhRauL_SL1247_.jpg Talking With The Taxman About Poetry 71PrfBnIAlL__SL1417_.jpg 51JC0ZVZ2JL.jpg 41FRDVE5HHL.jpg 51MCNZnwnYL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 41kyWjIskxL.jpg kaminari.jpg 61pfESgIsfL.jpg 51161GGhY3L.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 81341iLwJBL__SL1500_.jpg TearsofaClown2.png 41G391YlKQL.jpg 41H2ZNKB5BL.jpg RogerTroutmanUnlimited517753.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 71+LokGlumL_SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 51vj8mxfgpL_SX425_.jpg 61r6gn5Zw7L__SL1050_.jpg 81KoDrysvWL__SL1402_.jpg 81CONxXc05L__SL1425_.jpg MARVY Dream of Life 41P61852YRL.jpg First of a Million Kisses covers.jpg 51WXla6D4UL.jpg 51iMxsNHHpL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg MONKEY PATROL If I Should Fall From Grace With God Lou Reed NY アメリカ roy orbison mystery girl NZO.jpg tbirds.jpg ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 浮世の夢 51lOB6A0QuL.jpg 31TRAKHBS3L.jpg 201710170003023bc.jpg 41HETTEDKEL.jpg 61WRTiXKDxL__SX425_.jpg 71XidOygo4L__SL500_.jpg 71VhTv2GwpL__SL1079_.jpg 61GF12GYFTL.jpg 41CX6E9PEDL.jpg 29b546020ea0dffa61f19110_L.jpg thEJUVZLEV.jpg 71sLT+3QzeL__SL1000_.jpg 51EXCEcq9XL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 51Cu2Y3de7L__SS280.jpg album-worldwide.jpg 416RTFVCTCL.jpg 愛があるから大丈夫 71-OO+VcMTL__SL1400_.jpg STICK OUT 91nimun-gdL__SX425_.jpg Through the Fire 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg album-four-chords-several-years-ago.jpg Mitakuye Oyasin Oyasin/All My Relations king-cake-front.jpg 81nBa9cn4ML__SX425_.jpg 71mdoTOXk2L__SL1084_.jpg 51zRUTKe5SL__SX425_.jpg 51AeVTRTGL.jpg 51uHHCgmeUL.jpg 201803020818585d9.jpg 20180302222942b4c.jpg New World Order Sound of the Summer Running 41PFEPPAEHL.jpg 615 61umgDYJ83L_SS500_SS280.jpg 20170806160213709.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg Home Girl Journey All That You Can't Leave Behind 91nimun-gdL__SX425_.jpg 31ARJGY84EL.jpg 31BGVPYMTKL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 日々のあわ 20171117081733097.jpg Soulbook 廻る命(DM008) 41mNSDBqy6L__SX355_.jpg Dance-With-My-Father-by-Luther-Vandross-J-Rrecords.jpg 81XonM-Wu4L__SX355_.jpg Okinawauta.jpg 41JYS3WjE6L.jpg 81DSuwZXaxL__SL1400_.jpg cover32.jpg 61gyVhU1QCL.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg 91nimun-gdL__SX425_.jpg yjimage.jpg Chuck-Berry-1.jpg image3-e1508841142364.jpg

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