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続・音楽歳時記「穀雨」

4月20日は穀雨。
穀物を潤してくれる雨が降る頃、という意味の節季だ。
田植えにむけて整えた田んぼを静かに潤す春の雨。
うららかな春の風景に、そこに降る静かな雨を想ってみる。
山も川も家も畑も、静かに濡れて優しくうつむく。その穏やかさを想ってみる。
暑くもない寒くもなく湿気も少なく爽やかな今の季節にはつい、ずっといいお天気なら、と思ってしまうけど、やっぱり雨が降る日もたいせつだと思う。

しとしと降る穏やかな春の雨の日に決まって聴きたくなるレコードのひとつが、ニック・ヘイワードくんのこのアルバム。

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North Of A Miracle / Nick Heyward

このアルバムを初めて聴いたのはまだ高校生だった。83年だから、多分二年生。
確かシングルの“Whistle Down The Wind”がFMラジオでかかってたのかな。なんとなく、あ、これは好きかもって思って、名前をメモして、駅前にできたばかりのレンタル屋で借りたんだったかな。
当時はいわゆるエイティーズの全盛期で。デュラン・デュランとかカジャグーグーとか、いわゆる美少年っぽいヴィジュアルを売りにしたバンドがMTVの人気と相まって大ブレイクしていた頃。最新のヒットチャートにも興味はあったけど、そんな女やガキが聴くような甘っちょろいもの聴いてられるかー、って思ってたから、ニック・ヘイワードがヘアカット100のメンバーだったって知っていたらレコードを借りようとは思わなかったかもしれないんだけど(笑)。
家に帰って、ターンテーブルに乗せて針を置く。
ドラムに続いていきなりブラスがパパッパラーと元気よくなって、キラキラと弾ける青春のようなサウンド 。これはちょっと自分には似合わないノーテンキだな、、、と思ったものの、二曲めの“Blue Hat For A Blue Day”が鳴って、あ、これこれ、こーゆー感じ。うつむき加減でセンチメンタルで、ちょっと陰りをまといつつも、明るく微笑んでみせるような。そんな感じがスッと心に落ちた。
シンセ中心の打ち込み系の音が氾濫していた時代だったからなおさら、アコギやピアノのアコースティックな音がよく鳴っているのが心地よかった。ブラスやマリンバや弦楽団なんかの使い方もとてもおしゃれで。おしゃれさとは無縁な田舎の高校生すらうっとりするくらい。
それからもう何年経つんだっけ。
35年?いちいち数えなくてもいいけど、それ以来このアルバムはずっとお気に入り。
50を過ぎた今聴いても、センチメンタルだけど、湿度の低い、そよ風が吹き抜けていくようなさわやかさが、少し甘酸っぱい香りを運んでくれる。
ふとずっと昔のこと、叶わない恋の悩みや、これから先の人生について思い悩んでいた頃を思い出させるような。
そして、それをどうこうしようっていうんじゃなく、そういう気持ちになることもあるよね、って感じでただ漂わせているのがいい。

音楽っていうのは、突き詰めていえば世界観を表すもの。
この人の音楽は「売れてスターになって金持ちになりたい」というギラギラした場所からは少し距離を置いた、もっとゆるくて穏やかでガツガツしていなくて、まぁ今の言葉で言えば肉食系ではなく草食系っぽい世界観を感じるのです。当時そんなふうな言葉で思ったわけではないけれど、思い起こせば自分はずっとこっち方向だったんだよな、と改めて思ったりする。気負ったり勘違いしたりしてガツガツしたこともあるけれど、やっぱりそっちじゃなかった。そんなふうに16才と51才の自分がすんなりシンクロする。

さわやかな晴れの日続きの人生もそれはそれでいいんだろうけど、雨の日をうまくやり過ごせる人生のほうがきっと素敵だ。
ほんのりと心地よい感傷に浸りながら、そんなことを思っていた、穏やかな春の雨の日。



◇人生相談

基本的には、人に悩み事の相談はしない。
悩み事がないわけではない。大きなことから小さなことまで、生きてりゃ誰でも困ったことや何かを選択しないといけないことはいつだってあるわけで、でもほとんどの場合、どうすべきかっていう答えは自分の中にすでにあるんですよね。
人生の大きな岐路、例えば高校や大学の進路、就職先も退職も、ほとんど相談せずに自分で決めた。結婚だけは相手があるもんだから相談したけどね(笑)。幸いにしていい選択をしたと思っている、っていうか自分で決めたんだからなんであれ納得できているんだろうね。
人から相談を受けることもあるけど、だいたい答えは本人が気づいているにしろ気づいていないにしろ、もう本人の中で決まっている。相談者はそのことを後押ししてほしくて相談してくるわけで、そのことを否定したりすると不満気な反応が返ってきたりする。まぁ、悩み事や相談ごとなんていうのは、そういうもんだ。

「人生相談」というのも文学のジャンルのひとつになるんだろうか、わりと新聞やら雑誌やらのコーナーとしては確立されていて、いろんな人がいろんな悩みに対していろんな回答をしているけれど、あの相談者の心理はどんな感じなんだろう。回答に納得されているのだろうか、そのことで人生が変わったりしているのだろうか、それとも「私が聞きたかったのはそんなことじゃないっ!」って逆ギレしているのだろうか。

文学ジャンルとしての「人生相談」は、相談の中身そのものよりも、誰がどう答えるのか、だと思う。ある意味、大喜利みたいなもん。おもしろいのは、回答する側の人生がその回答の中から垣間見えるところだ。
そういう意味でおもしろかったのが、このマツコさんと中村うさぎさんのこの本。僕は雑読なので図書館でちょっと気になったら片っ端から借りるのですが、これはそういう本のひとつ。マツコさんにもうさぎさんにもそんなに関心はなかったけど、その時借りた中で一番おもしろかった(笑)。

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信じる者はダマされる / マツコ・デラックス 中村うさぎ

このお二人って、何気ない普通の一言が妙に深いのですね。
人生相談にありがちな、お説教的でも教訓めいたまとめでもなく、これもありがちな茶化しておしまい、話題を自分の話にすり替えておしまい、っていうのではなく、かなり真摯に真面目に受け止めて回答されている。
ただし、その回答は世間的にはかなり異質。
「話上手になりたい」という相談に「無理よ。なれない。」と切って、「なる必要がない。」「そもそも聞き上手のほうが需要があるのよ。」とか、「中学生の息子が勉強しない」という相談にも「勉強なんて必要ない。何ひとつも役に立っていない。」「勉強って、自分からしたくなる年齢があるのよ。いずれ勉強したい気持ちになったときにすればいい。」とか。
「自分の住んでいるマンションの共用スペースをルール無視して使っている人に腹が立つがどうしたらいいか」という相談にはズバリ「ほっておけば。」と。そもそも世の中のご近所トラブルは「妙に正義感が強い人」の方が正義を振りかざすことで起きている。自分が正しい、自分が正義と思っているかもしれないけど、正義ってものほど他人への抑圧になるモノはない。むしろ「正義は凶器であり狂気」だと言っちゃうあたりはすごく痛快でした。
切って捨てるだけではなくて、63才のおじさんからの「定年後も勤めてほしいと言われているが、地毛が減ってカツラがつけられなくなりそう」という相談には「カミングアウトしたからって、自分が思うほど他人は衝撃を受けないわよ。」「むしろその方が株が上がる。」「コンプレックスをむきだしにするって大事。」「隠したりする煩わしさから解放されたほうがいい。」などなど、どっちが年上なんだかわからない回答でカミングアウトを後押ししたり。そこにはコンプレックスを抱えて生きている人への愛が感じられたりもする。

基本的に既成概念を信用しないところがベースにあるお二人。既成概念を押し付けてくる人たちに、嗤われ虐げられつまはじきにされながら苦難の時期を過ごし生き抜いてこられたんだと思う。その中で、いかに自分の欲求に忠実に、一方でどうやって社会と折り合いをつけていくのかという葛藤があったからこその説得力というか。
そのスタンスは、かなりロックだと思います。




♪They Call Me

「偉い人たちには、自分たちの振る舞いがどう見られているのか、ということに鈍感になってほしくはない。ゆーてることとやってることが違うんちゃう?ということに下の人たちはとても敏感だ。いくらいいこと言ってても行動が伴わないものはその程度の重みでしか部下は受け止めない。従って部下の行動は変わらない。」
というようなことをわりと最近書いたんだけど、その続き。
残念な上司がいてね。
上司っていっても同い年なんだけど、まぁ若い頃からバリバリやって出世して「自分はできてる」と思ってるんだろうね。そこが勘違いの根本なんだけど。
ある日この方からお達しが出た。
『職場内で、愛称で呼ぶことは禁止』と。
詳しい経緯は報告がないんだけど、どうやら一般の方々が出入りするフロア内で職員同士が愛称で呼びあっていて、それってどうなんだという指摘を上から受けたということらしい。
いや、そもそもあんたも使ってるやん。愛称どころか、蔑称的な・・・たとえば亀◯さんのことを「カメ」、◯留さんのことを「ドメ」みたいな・・・とは思ったんだけど、まぁ提案内容そのものはいいことなんで受け入れた。ってか、そもそもそんなの世間じゃ当たり前だし、これをきっかけにそういうことを意識されるのなら、それは善いことだな、と。

誰をどう呼ぶかっていうのは、その人自身の人間観が表れます。
ある上司は、どんなに目下の人にも必ず「さん」付けをされます。怒るときでも。これは、相手の人格への敬意ですよね。相手をちゃんと一人の人間として認めているという。
逆にやたらと愛称で呼びたがる人がいる。「◯◯ちゃん」「◯ちん」「◯子りん」・・・あれはなんなんだろ。親しみアピール?僕にはいまいちしっくりこないんだけど、呼び捨てや蔑称よりはいい。
ただ、呼び捨てや蔑称を使う人の中には、それが親しみの表現だと勘違いしている人がいるから具合が悪い。体育会的なノリの延長なんだろうね。よほど信頼関係がある人からならなんとも思わないんだけど、そうじゃない人から呼び捨てされるのはあんまり気分のいいものではないな。無意識のうちに相手を支配しようという目論見を感じてしまうのですよね。

で、件の『職場内で愛称禁止』のお達しがその後どうなったかっていうと、、、
お達しが出た翌週には出した本人が「カメ」とか「ドメ」とか呼び捨てとか使いだしたのよね。
指示を真に受けて使わないよう心がけていた愛称派の人たちからしたら「・・・・・。」って感じ。
アホですね。
言った本人が忘れてる。
本人にしても誰かに言われての指示だからその考えの根本にある「人間観」なんてことは頭にないんだろう。
まぁ、正義を振りかざして相手をとっちめても栓ないこと。
この人のために敢えて指摘をしてあげようと思うほど世話にもなっていないし敬意もない。
きっとこの人は、いつか自分のそういう振る舞いで墓穴を掘るんだろうな。
むしろ、人振り見て我が振り直せ、ってことだ。


春だけど、重いブルースな気分。
「人は俺のことこう呼ぶんだ。泥水野郎って。
青く深い海みたいに、手の施しようがない男さ。」
マディ・ウォータースの“The Call Me Muddy Waters”

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They Call Me Muddy Waters / Muddy Waters




続・音楽歳時記「清明」

4月5日は清明。
僕のCD棚にあるアルバムの8割方は、男の人のものなんだけど、春爛漫の時期になると、女性の歌う爽やか声が聴きたくなる傾向が強くなる。穏やかでやわらかく、ふんわりとした気分がそうさせるのだろうか。
なんとなく、春のウララカさが、心をゆるくしてくれる。
ピュアでゴーイング・イージーな気分にしてくれる。
なにしろ「清明」ってくらいだ。清く明るくだ。

そんな気分にぴったりマッチする女性シンガーといえば、例えばニコレット・ラーソンさん。
さっぱりとしてクールで涼やかな声、だけどただ清楚なだけではなく、跳び跳ねるような元気さややんちゃさ、芯のところでの強い意思も感じるような。

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Nicolette / Nicolette Larson

ファンキーで泥くさいのから、ハードなロックから、清らかなソウルから、やんちゃなカントリーから、しっとりと歌い上げるバラードまで、実にバラエティーに富んでいるこのアルバム。
飛び抜けて歌がうまいわけでも華があるわけでもないけれど、どこか純粋というか純真というかそういう感じの明るさにあふれている。
そんな無垢で純粋なニコレットを、プロデューサーはじめバンドのメンバーがみんな素直に愛情を込めてバックアップしていて、彼女はそんな愛を素直に受け止めて歌っている。そういう感じがこのアルバムをとても明るくてピュアなものにしている、それが何とも素敵なのです。
何て言うのかな、彼女の声はすべてを肯定しているんだな。
それは多分、彼女が、人生に起こるすべてのことを肯定的に捉え、愛しているからだと思う。その愛に満ちた感じが、彼女を素直に応援したくなる感じを呼び起こす。そんな愛の循環。

聴いていると、何か心の角質みたいなものがボロボロと剥がれ落ちていくような気分になる。
頑なな心の壁が崩れ落ちて、ほんわりとゆるい空気と一体化していくような気分になる。
普段はわりと我慢してしまうほうだから、気がついたら心の角質がゴリゴリに固まっていたりしやすいんだ。
そういうときは、ピュアなものに触れて、心の垢擦りが必要だ。

You send me / Nicolette Larson

季節は春。
ゆるく行きたいね。
愛に満たされて行きたいね。
そういう気分を邪魔するものは残念ながらたくさんあるけれど、できるだけ愛情を素直に受け止めて、それを素直に返していこう。
できるだけ、ね。
そんな愛の循環こそが、世界を平和にするはずだと思うから。。



♪花唄

4月になった。
なんとなく今年の3月は、ぼぉっとしたままあっという間に過ぎてしまった感じがする。
寒かった真冬には、もう二度と暖かい日など来ないとさえ思えてしまうほどだったのに、まるであんなに寒い日があったなんて幻だったかのように、普通に暖かい日が続いている。
二度と普通に立ったり座ったりなんてできないんじゃないかとさえ思えた腰痛も治り、痛みもなく普通に立ったり座ったりできるようになった。
プロ野球が開幕した。新しくフレッシュな人が出てきて活躍する一方で、かつてのスター選手の名前がスターティング・メンバーから漏れていたり、別の場所でいろんな苦労を重ねた人が返り咲いたり。
桜はあれよあれよという間に咲いて、さらさらと散っていこうとしている。
大阪では、市営地下鉄が民営化して「大阪メトロ」になるんですよね。実は父はここで40年勤めあげて僕たち家族を養ってきたのだ。父が生きていたらきっと大きな感慨を抱いたのだろうと思いながらぼんやりとニュースを見ていた。
いろんなことが移り変わっていく。
ゆっくりと、或いは突然に。

来年には天皇陛下が退位し、元号が変わる。
「平成」という元号に変わったとき、慣れるまでかなり違和感があったことを思えば、あれからずいぶんな時間が流れたんだな。
今はまだ誰も知らない新しい元号を、一年と少しあとには誰もが当たり前に使っているんだと想像すると、なんだかとても不思議な気持ちになってしまうな。


今日の音楽。
TOKIOの『花唄』

♪泣き出しそうな僕のために、舞う花吹雪

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♪桜

3月ももう終わり。
例年よりも幾分早く、穏やかな桜日和。
暑くもなく寒くもなく清々しい。
桜やお花見については古くからいろんな人がいろんなことを言ったり描いたり歌ったりしているけれど。
何かを感じて、それを誰かに伝えたくなる。美しいものにはそういう何かがあります。


『花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれに情深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ。歌の詞書にも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障る事ありてまからで」なども書けるは、「花を見て」と言へるに劣れる事かは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊にかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし」などは言ふめる。』
(徒然草 / 吉田兼好)


吉田兼好の「徒然草」の有名な一節。
僕は偏屈で理屈っぽくて天の邪鬼なので、この感じはよくわかる気がする。
現代語に訳してみるとこんな感じかな。

『満開の桜とか満月のときだけやたらにはしゃぐなんて、馬鹿げていると僕は思うんだな。むしろ、雨の日に月を恋しく思ったり、春が来ているのに部屋に閉じこもってぼんやりしてるほうが素敵なんじゃないかって。花が咲き始める頃の梢だとか、散ってしおれた花びらが舞う庭だとかだって、けっこういいもんだぜ。よく「せっかく花見に来たのにもう散ってしまった」とか「いろいろ忙しくて花見にいけなかった」とかいって嘆いている人がいるけど、僕からしてみればもう全然わかってなさすぎなんだ。そりゃ花が散ったり月が傾くのは悲しいけどさ、「もう散った枝は見所がない」なんて言っている人は、もののあわれという気持ちを知らなさすぎるんだよ。』

なぜか「ライ麦畑」風になってしまいました(笑)。

今年はあたたかくて桜が早い。その上、晴天に恵まれて、きっとこの週末あたりはたくさんの人が桜の名所へ花見に出掛けるのだろう。或いはお弁当を持って近くの桜のある公園なんかでお弁当を食べたりするのだろう。
お花見という風習は、まだ日本中にこんなにソメイヨシノが拡散する前の奈良時代あたりから貴族の間で行われていたらしいから、そもそも僕たちのDNAに組み込まれてしまっているのかもしれない。
そういう僕も、やはり桜が咲き始めると観に行かなくっちゃ、行かないわけにはいかない、ぜひとも観に行くべきだと思ってしまう。本能的に、とすら言いたくなるくらい。
そして満開の桜を眺めて美しいな、と思う。豊かで穏やかな気持ちになる。
その一方で、どうも天の邪鬼な気持ちもムズムズしてくるんだよな。
そんなに綺麗か、桜。そんなにめでたいか、桜。
ほんの短期間、派手に咲いてさっと散ってしまうなんて、なんだか自分勝手だよな。
本当に美しいのは、その花見のゴザの下で潰されてしなっているシロツメクサやイヌノフグリや小さな名前さえ知らない花なんじゃないのか?なんて思ったりするのだ。
桜自身にしてもそうだ。花の開花は桜にとっての生命維持のサイクルの一部分であって、若葉が芽吹くことも、実をつけて種を残すのも全部大切なこと。花の部分だけをとってざわざわされるのは「どうかしてるぜっ」って感じじゃないのかしらん。人間がいくら集まったって受粉を手伝ってくれるわけじゃなし。
ハハハ、そこまでいうとただの偏屈だな(笑)。
ただ、兼好法師のおっしゃるように、満開の桜だけが桜じゃないはずだ。
つぼみの脹らみに春の近さを感じたり、今は目の前にない遠い桜の開花を思ったり、散ってしまった花びらが雨に濡れてぐしゃぐしゃになっている哀しさを思ったり、揚々として鮮やかな若葉に初夏を感じたり、いつか観た桜のその場所や一緒に観た人のことを思い出したり、そういうすべてを愛しいと思えるほうがいいよな、なんてね。

素直に桜の満開を歓びたい気持ちもある。
それをちょっと否定したくもなる。
50を過ぎても相変わらず、そんな感じだなぁ。

今日の音楽。
宮本君がまだとんでもなく偏屈だった頃のエレファントカシマシ。

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浮世の夢 / エレファントカシマシ

世を上げて春の景色を語るとき
暗き自部屋の机上にて
暗くなるまでただ漫然と
思いゆく春もある
(「序曲」夢のちまた / エレファントカシマシ)

そういう春もそれはそれでいいのだよ。
と、ようやく治ってきた腰をさすりながらそう思う。
土日にお花見にはたぶん出掛けない。
その代わり今夜、どこかひっそりとした夜桜を眺めに行こう。




続・音楽歳時記「春分」

昨年の春分から始めた「音楽歳時記」のシリーズも一年をひとまわり。
まだまだ書いてみたいものもあるので続編Continueです。
ま、ブログも10年以上書いてるとネタ切れなので、テーマがあるほうが書きやすいってこともあるんだけど(笑)。

春はやっぱり大好きな季節。
日に日にあったかくなっていくっていうのはいいよね。
自然と気持ちもゆるむ。
腰痛もようやく収まったし、一時期ひどかった花粉症も、この数年わりとおとなしくて。
今日はあいにくの雨だけど、それでも冬の雨とは気分が違う。

春らしくのんびりとご機嫌な音のイメージって、なんとなく60年代初期モータウンの感じ。
特に春のほわっとした気分によくあうのは、ミラクルズだなー。

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Going to a Go Go / Smokey Robinson & The Miracles

ゆっくりと花びらが開いていくような“Tracks of My Tears”でアルバムは幕を開ける。
2曲めに早くもガンガンのイケイケナンバー“Going to a Go-Go”でご機嫌になったあと、、しっとりと“Ooh Baby Baby”、これぞミラクルズというような美しいコーラスにホーン・セクションのリフがかっこいい“My Baby Has Gone”と、オープニングから4曲立て続けの名曲連発。
続くは、ブルージーなギターにロビンソンがファルセットではなく地声で歌う“In Case You Need Love”、さらにミラクルズの裏名曲“Choosey Beggar”、ドゥーワップっぽい“Since You Won You Heart”と、広島カープ打線も顔負けの役者揃いの切れめのないラインナップはまさにミラクルだ。
この時代のソウルのアルバムには、1、2曲のヒット・シングル以外は凡作もしくはシングルの焼き直しの金太郎飴・・・みたいなものも多い中、バラエティーに富んで捨て曲なしというのは、まさにロビンソン氏の溢れる才能の賜物、世界文化遺産級の素晴らしさだと思います。

Beggars can't be choicey I know
That's what the people say.
But though my heart is begging for love
I've turned some love away.
Maybe one was true love
I'll never know which cause
your love is the only love to make this beggar rich.
I'm a choosy beggar and your my choice.

「乞食はものを選べない」って人は言う
そうさ、だけど恋は始まってしまったんだ
いくつかの恋を失ってきたけれど
たぶんこれこそほんとうの恋
もう迷うこともないはずさ
あなたの愛だけが乞食を豊かにするたったひとつのもの
僕は選り好みをする乞食
そしてあなたこそがマイ・チョイス
(Choosey Beggar)

ロビンソン氏は作詞家としても素晴らしい評価をされているけれど、なるほど、諺を逆手にとった意外な書き出しと、冒頭のネタ振りがきっちり回収される見事なストーリー展開。
この曲に限らずロビンソン氏の歌は、語り口は穏やかだけれどヤワではなく芯が強い。その静かな確信みたいなものが好きだな。



♪入院雑感

■腰という字は「にくづき」に「要」と書きますが、腰って、ほんと体の要なんだと実感した入院生活でした。
まさかぎっくり腰を悪化させて入院するとは思っていなかったですもん。

先週の土曜日の朝。医者へ行かなきゃと思って立ち上がろうとするんだけど、これが立ち上がれない。無理してふんばって、壁づたいに腕で支えながらなんとか立ち上がろうとしたものの途中で身動き取れなくなって。それ以上動かそうとすると激痛が走る。だんだん腕がしびれてくる。二進も三進もいかないとはまさにこの状態だと、頭のどこかで考えながら、腕はぶるぶる震えてくるわけで。あと数cm、この数cmが動かない。脂汗がにじりにじり。妻が隣でおろおろ。
自分の体って、自分が思っているよりもとても重たいんだということを実感しました。

そう考えると、羽生結弦くんとか内村航平くんとかはほんとものすごいことやってますよね。加速度をつけているとはいえ、自分の体を自分のエネルギーで浮かせた上に何度も何度もぐるぐる回って。
すごすぎます。

入院中の雑感をいくつか、メモ代わりに。

■人間が生きる上で「排泄」ということがいかに重要かということも、認識を新たにしたことのひとつ。
「排泄が自力でできるかどうか」は、人間の尊厳に関わるとてもたいせつなこと。
立ち上がれなくなった土曜日の前の夜、用を足そうとトイレにしゃがんだときも立てなくってね。パンツ下ろした状態で介助を頼むというのはとても情けないもので。これ以上無理できないな、って思ったもの。
入院してからの三日間は寝たきり。ここはいわゆる「しびん」でしのぎました。看護師さんは慣れているでしょうけど、これを手伝っていただくのは何とも辱しいもので。
あぁ、もし拷問とか受けたときに、気持ちでは「絶対死んでも口を割らない」と思っていても、尿意・便意にはきっと勝てないんだろうなぁ。縛られたまま敵の前でお漏らしでもした日にはきっと、泣いて許しを乞うて屈服してしまうだろうな、と。拷問を受けないといけないような予定は今のところないけれど(笑)。
大便は出なかった。金曜日の夜の経験が怖くて便秘になった。
月曜日の朝に、「今日出なければ、お手伝いしますから出してしまいましょうか。」と看護師さんは事も無げに言うのだけれど、そんな屈辱的なことはできる限り避けたい。月曜日の夜に自力で立ち上がることができるようになったのは、その辱しめから逃れたい一心だったのかもしれません。

■シモの話が続きますが。
人間の無意識下での体のコントロールっていうのは、ほんとうまくできていますよね。
トイレに自分で行けない環境のとき、ほとんど尿意をもよおさなかった。一日二回まで。出る小便はものすごく濃い。
ところが、火曜日以降自分で動けるようになると、とたんに尿意が増えるんだ。痛むし立ち上がりたくないもんだから我慢するんだけど、我慢しきれない。やむなく這う這うの体で立ち上がってトイレに行くと、明らかに薄い。おい、こないだまではもっと我慢できてたんじゃないの?どうなってんの?
おそらく月曜日までは、意識下でスクランブル体制が引かれていたんでしょうね。「今は無理だ。小便の余分な水分を他へ回せ!」と。それがスクランブル解除になると膀胱から拒否られる。
「緊急事態なら仕方ないっすけど、今はもう大丈夫っしょ。こっちも無理ばっかしてらんないんすよ。ただでさえ後始末ばっかやってる下処理部署なんで。」と我が膀胱庁長官。「いや、こっちもなかなかたいへんなんすけどね、そこをなんとか。」という四肢管轄庁からの申し出は、脳幹総督から却下を受ける。そーゆー状況。
おもしろいもんですよね。

■痛みがかなりましになってきて、一応動けるようになってから。
「どうですかー。お変わりありませんかー。」
「うーん、動かさなければ痛みはないんですが、腰を曲げるとすごく痛いんです。」
医者によると、もう炎症は退いて、外科的には治っていると。
「最初、すごく痛かったでしょう。その痛みを脳が覚えているから痛いんだ、というふうに最近は云われているんですね。はっきりしたメカニズムはまだ解明できていないんですが。」とその医者は言うのです。
「ここからは逆に、積極的に動かして、脳の記憶を書き換えさせないといけないんです。ゆっくりでいいから動かして、慣らしていってください。」と。
そういうものなんだろうなぁ。
「この動きは痛む。禁止。」と脳幹総督から命令が下ると、神経庁が脳幹総督に忖度するわけですね。「この動きをしたときは痛みを感じろ。総督からのお達しだ。」「ははっ。」、みたいな。
脳幹総督の意識を変えるためには「痛くない」実績を積み上げて命令を解除させないといけない。或いは我が脳の中のレジスタンスたちにクーデターを起こさせるか。
状況としては、あのアニメの有名なあのシーンと一緒ですね。
「クララ、あなたの足はもう治っているのよ。ねぇ、クララ。立って!」
「だめよ、ハイジ。私の足はもう治らないのよ。」
「クララのいくじなしっ!」
・・・
まぁ、そんなこんな。
ハイジに励まされて、僕は歩き出すことができました。

■病室で、若い看護師さんたちがきびきびと動き、笑顔で応対する姿はとても好感が持てるものでした。
若いからいいということではなく、まだ経験の浅い人たちが、ちゃんと心を込めて自分のできる対応しようとしている様子が心地よかったですね。
どこから来てるんだろ。なぜか方言まるだしで訛っている子が多く、ちょっとカーリング女子の「そだねージャパン」を思い出した次第(笑)。
入院患者はほとんどオーバー75の高齢者だったので、そのコントラストも含め、同世代がほとんどの日常では味わえない感じがおもしろかった。
ひとつだけ困ったのは、となりのベッドの爺さん。80前後くらいかなぁ、糖尿病を悪化させた挙げ句の体のあちこちの疲弊、という感じ。
この爺さんがね、ナースコールというものを理解しない。
何かあると「おーい。ちょっとー。」と叫ぶんですよね。
となりのベッドなので放っておくわけにも行かず代わりに呼んであげるのですが、それが連日。一回寝てるふりしてガン無視してやろうかと思ったのですが、ひょっと本当にナースコールに手が届かないとかの窮地だったりして、ここ無視すると将来同じような窮地に自分が陥ったときに誰も助けてくれなくって「あぁ、あのときのバチがあたったなぁ。」なんていう思いをするのも嫌なので結局呼んだんですが。
ちょっと痴呆も入ってるのかなぁ、急に「おかぁさーん、おーい。おーい。ちょっとー。」とか呼ぶのよね。看護師さんが「もう奥様は帰られましたよ。」というと「なんや。ここどこや。あんたはどちらさん?」みたいな。
あの世代ならきっと、若い頃から家のこととかはぜんぶ「おーい、ちょっとー。」で済ませてきたんやろうなぁ。
将来、ああいうふうにはなりたくないと思いました。自分のことが自分でできなくなったら、野生動物なら野垂れ死ぬのが当たり前なんだから。
ちなみにこのストレスは、「言葉が理解できる相手だと思うから腹が立つ」のであって、「言葉の通じない大きな犬が哭いているんだ」と思えば腹が立たなくなりました。
わんわんわわん。おぉ、犬が吠えている。なんかあったか。飼い主さーん。ってな感じ。

■いろいろありつつも、入院生活は概ね快適でした。
ウォークマンと本とノートと鉛筆くらいがあれば、暇で困ることはない。入院したのは、30才の頃に胃潰瘍で入院して以来だけど、今はスマホもあるしね。
基本的には畳一畳分くらいのスペースと少しの道具さえあれば大丈夫。多少の不便や物足りなさはあっても、今あるもので満足する。足りないことは工夫して楽しむ。そういうスタンスはたいせつかな、と。
この先あと30年近くは生きるとして、またこういう機会はきっとあるのだろうと思う。もっとひどい状況でこういう機会を迎えるかもしれない。それから、南海トラフ云々で避難所で過ごすようなことだって想定としてはあり得る。
そういうときのシミュレーションとしてもいい機会だったような気がします。



そんなわけで退院しての、のどかでウララカな休日。
リンダ・ルイスの透明な歌声と、アコギのがちゃがちゃが心地よい。

“Spring Song” Linda Lewis

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Lark / Linda Lewis


だらだらとまとまりなく長文書いてしまいました。
あー、月曜日までに残っている仕事を少しでも片付けなきゃ、なんだけど、あんまりそういう気分にならないなぁー。。。
ちょっと昼寝しよーっと。
あぁ、こんな感じで社会復帰できるんだろうか(笑)。



♪New In

「入院ってしんどいですねー。」
「やることなくてめっちゃヒマでしょ?」

入院となると必ず言われる入院あるある的なこれらの言葉ですが、僕はあんまり当てはまらないのです。

元々環境順応性は高いのか、例えば「枕が変わると眠れない」というようなことがない。
その上、冬の間は3ヶ月ほど冬眠したいというくらいの基本出不精。ひまをつぶす方法なんていくらでもあるのだ。
従って入院はパラダイス(笑)。
仕事休んじゃってご迷惑をお掛けしてしまっている同僚たちには申し訳ないんだけど。

入院生活で退屈を感じないためには、少しコツがあります。
それは「ひとつひとつのことを丁寧にやること」。そのためには「時間を一切気にせずに」することと、「ながら」をやめること。
例えば歯磨き。一本一本を磨くくらいの感じで、ゆっくりゆっくり丁寧に磨いてみる。急ぐ必要なんてどこにもないから計ってないけど、たぶん20分くらいかけて。それだけでものすごく達成感を味わえる。
新聞なんかも普段ほとんど読み飛ばしているけれど、じっくり一文字ずつ読んでいくとこれはなかなかの情報量。4ページめくらいになるともう集中力が切れてしまうくらい。
「ながら」も、やめてみると普段どれだけ「ながら」でやっているかよくわかります。
音楽聴きながらスマホ、テレビ観ながら新聞、などなど。
「ながら」をやめてひとつのことに集中すると、味わいがまるで変わってくるのですね。
あー、この曲、こんなベースラインだったんだ、とか、こんなとこでサックス鳴ってたんだ、とか、普段聴いているようで聞こえていない音が聴こえてきたりする。テレビでも、アナウンサーの顔じっくり見て「あー、この人こんな大きな耳だったんだー。」とか発見したり、普段見ていないスタジオのセットの背景が気になったり、いろいろ発見があります。
こーゆーことしてると、時間なんてけっこうあっという間に過ぎてしまうのですよね。

この「丁寧」を維持するポイントは、集中とリラックス。人間の集中力はだいたい45分~60分までのようで(学校の授業時間の長さは理に適っている)、それ以上になってきてちょっと飽きてきたなと感じ始めたら止める。
文庫本を一時間読んだら一旦止めて、音楽に切り替えて一時間。テレビもだらだら観ずに番組が終わったら一旦消す(幸い有料だから躊躇なく消せる〉、で、また本の続きを一時間。ほーら、もう4時間たったでしょ(笑)。

消灯は早いけど、山小屋だと思えば快適だ。
ご飯は決しておいしいとはいえないけど、最初からこんなもんだと思えばこんなもんだ。
となりのベッドの爺さんの独り言がたまにうるさいけど、まぁ大きな犬だというくらいに思っておけばだんだん気にならなくなる。
今ある環境を受け入れて、ココロに波を立てない。
慣れるとなかなかに快適ですよ。
もちろんこれが期間限定の非日常だからこそ、楽しめるんだけど。
期間限定の非日常という点では、お金持ちがバカンスに出かけるリゾート・ホテルだってそう変わらないんじゃないかしら。行ったことないからよくわからないけど(笑)。


心を穏やかに落ち着けたいとき、あるいはそういう丁寧な気分モードにしたいときに、この本を読むのがお気に入り。
池澤夏樹さんのブレイク作「スティル・ライフ」。

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池澤夏樹 「スティル・ライフ」

この物語の冒頭部分、というか物語に入る前のイントロダクションの部分が、暗誦したくなるくらい好きで。
全文引用してみます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。
世界はきみを入れる容器ではない。
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。
世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。

でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、ひとつの世界がある。
きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。
きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。
大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
たとえば、星を見るとかして。

二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、毎日を過ごすのはずっと楽になる。
心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。
水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。
星を正しく見るのはむつかしいが、上手になればそれだけの効果があがるだろう。
星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こういう考え方、こういう心の在り方。
普段忘れがちになってしなっているんだけど、こうやって普段のあくせくから離れてクールダウンしてみると、より心に響く。
二つの世界の呼応と調和。
50+1才としては、こういう感じでこの先行きたいよねぇ、って、入院という機会を得て改めて思い出すことができました。



♪YOー2

50+1才のスタートは、思わぬ苦闘から始まることになった。
腰痛。
診断書上の疾病名は急性腰痛症。
いわゆるぎっくり腰。

最初にちょっとピリピリするな、と思ったのは先々週の木曜日だから3月1日だった。まぁそういうピリピリはたまにあること。以前もぎっくり腰やったことあるし。用心しなきゃ、なんだけど、その土日にイベントがあって出なきゃいけなかった。早朝から二日間立ち仕事。これが効いたんだろうけど、月曜日はちょっとこりゃまずいかもの状態に。それでも普通に立ち歩けるので、誤魔化しながら出勤してた。
痛み始めた頃にさっさと養生しておけばいいのに、、、ってのはよくやらかしてしまうパターンで。歯医者だってそうやっていつも悪化させるし、人間関係だってギスギスする前に謝ればいいとは、、、わかっちゃいるけどねぇ、どうしようもなくなるまでほったらかしてしまうんだよなぁ。

月火平行線、水曜日に少しましになったと思ったのに、木曜日には再度痛み出し、金曜日に腰崩壊。布団から立ち上がることすらできなくって休んだ。医者に行こうにも動けない。そして土曜日から入院して治療することになったわけです。
一週間腰痛と闘って、結果敗北。。。
椎間板ヘルニアとかではなかったのはとりあえず一安心。

今日で入院5日め。
ようやく痛みも引いて、昨日から自分の足で歩けるようになってきました。まだ腰をかばって腹をつきだすので妊婦さんみたいな歩き方ですが。時速はおそらく60m/hくらい。km/hではなくm/hね。いや、実際一時間も歩けそうにないからこの数字は意味がない。要はトイレまでの10mの道のりに5分かかるということ。
それでも歩けるるようになった瞬間、タバコ吸いに行ったぜ。全館禁煙なので病院の外のコンビニまで、果てしない道のりを(笑)。

まぁ、いろいろと思うところはあります。
昔のように無理はきかなくなってきてるんだなぁ、、、というのが50+1才のはじまりの教訓としては象徴的かと。
つい無理をしてしまうのは、たぶん無理をするのが好きなんでしょうね。
でもここから先はそういうわけにもいかないぜ、って現実を突き付けられたような気分。
あぁ、これから先は、こういうこととの戦いが続くんだろうな、と。
何をどこまで無理すべきか。逆に何を適当にやりすごすか。選択と引き算の世界。


入院していると音楽を聴く機会はいつもより増えます。
何しろ暇なんで(笑)。
ただ、おもしろいことに、普段とちょっと聴きたい音の好みが変わる。
僕は3分間のロックンロールやポップスが大好きですが、入院中はちょっと元気過ぎて疲れてしまう。体のリズムと合わないっていうか。
もっと重くてどっしりしていて、かつ音楽全体に物語性のあるようなものが心地よく感じたのです。
けど、なにしろしっかり準備して入院したわけじゃなし、とりあえず持ってきたウォークマンに入っていたもので繰り返し聴いたのがこれでした。

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Joshua Tree / U2

U2。腰痛にU2。

まさかの駄洒落オチ!?


(*´艸`)



♪ソンタク

事務所の隣には、小さな会議室があって。
使う人がパソコンでスケジュールを入力して場所を押さえる仕組みになっているんだけど、実態としてはけっこう空いているので、ちょっと事務所ではしにくい打ち合わせやなんかには申請なしで使うことはままある。試食室を兼ねていて小さなキッチンが付いているから、新しい商品の試食などに便利ということもあって。
ある日、上司から朝礼でこんなお達しがあった。
「うちの部署が会議室を自分の部署の持ち物のように使っている、っていう指摘があった。会議室を使うときは申請せよ。」
ま、どっかから文句が出たんでしょうね。
ルールとしては誰も文句を言えないごもっともなお話。

で、つい先日のこと。
トイレ行こうと事務所を出たら、別のフロアの部署の方が数名、会議室の前でうろうろしている。やや困った感じ。
「どないしはったんですか?」
「いや、3時から会議室抑えてたんですが、何かそちらの部署の責任者会議か何かやっておられるみたいで。」
「そんなん、ちゃんとスケジュール抑えてはるんやったら、入ったらよろしいやん。」
「そんなことできませんよー、偉い人たちに向かって。」
「ほな、ゆーてきたるわ。」

ガチャン、「あー、すんません。3時から◯◯部がココとってはるみたいっすよー」
「・・・あ、そうかー。」

上司たち、すごすごと退散。
当然っていやぁ当然のこと。

「ありがとうございます。」
「そんなん、ちょっとゆーたらしまいやん。」
「いやぁ、よう言いませんわ。サラリーマンなんで。」
「なんでやねんな。ルールはルール。ちゃんと抑えている方が使うのは当たり前。上司やからって甘やかしたらあかんって。」

偉い人たちには、自分たちの振る舞いがどう見られているのか、ということに鈍感になってほしくはない。あんたら、ゆーてることとやってることが違うんちゃう?ということに下の人たちはとても敏感だ。いくらいいこと言ってても行動が伴わないものはその程度の重みでしか部下は受け止めない。従って部下の行動は変わらない。
でもね、部下の側で必要以上に上司の気持ちを慮ってしまうことも絶対に悪だ。
上司だからって甘やかしてはいけません。
誰がどう考えても自分側の行動や考えが正しいのならそう主張すべきだ。
上司相手に言えない、言わない、が結果として組織をだめにするんだと思う。
まぁ、それも部下がつい慮らざるをえないような組織風土を作っている側に問題があるんだけど、ただ、その風土とて上司側だけではなく、ソンタクしてしまう部下の側も加担しているんだと思う。

こういうの、僕は我慢できないから言っちゃうほう。
だから上司からは好かれない。
まぁいいんだ。
我慢するのは精神衛生上よろしくないからね。


このことを思い出したのは、ソンタクがらみのひどい話があったせい。
ソンタクして売買した挙げ句、ソンタクして改ざんし、ソンタクして隠蔽。
あの人たちは完全に国民をなめてますね。
小学生が60点のテストを、親に見せるときに80点に書き換えた、みたいなレベルと大差ない。バレたらこっぴどく怒られますぜ?
今時、隠蔽や改ざんやってたら、民間企業なら倒産に追い込まれる時代ですぜ?
そのことを政局に持っていこうとする野党にもうんざりだけど、言い訳さんざんの挙げ句とかげのしっぽ切りで終わらせようとする偉い人たちの無様でみっともない様からは、あの人たちが、国民にどう向き合っているかということがよくわかる。
次の選挙までしっかり覚えておくべきだと思います。

で、真実はどこにある?

言論の自由 / RCサクセション

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初期のRCサクセション


♪3・12

まずいっと思ったときには、もう水の塊に足をとられていた。
ズブズブとあっという間に腰の高さまで上がってくる。必死で両手で水をかき分けようとするけれど体は前には進まない。見えない足元が何かにとられてつまずいたところへ、後ろから何か流れてきたものが背中を強打。態勢が崩れたところへ波が襲いかかってきて、とうとう流されてしまった。
ものすごいスピードで押し流される。流れてきた看板みたいなものに必死でつかまる。
ゼェゼェゼェ、ゲホッ、うぇっ。看板の上でなんとか呼吸を整えた。波にもまれたときに少し水を飲んだ。油臭くて胸がムカムカする。ここはどこだ。そのまま流されていくみたい。
やがて僕がつかまった看板は、大きな建物らしきものに引っ掛かって止まった。チャンスだ。なんとか沖まで流されずにすむのかもしれない。
必死でコンクリートの壁をつかみ、よじ登る。
服はびしょ濡れで、あっちこっち傷だらけでヒリヒリする。とにかく助かった。
いや、助かった?本当に?
あたりは人影ひとつなく、泥の海が渦を巻いている。屋根や車がゴッツンゴッツンとぶつかりながら流れていく。
連絡できるものはなにもない。ポケットにあったはずのスマートホンもどこかへ行ってしまった。もちろんポケットに残っていたところで使えるはずもない。
もしここへ誰かが助けに来てくれるのなら助かったといえるのだけど。
そもそもこんなひどい津波だ。日本中水浸しならきっと誰も助けになんてこれないのかもしれない。
それにしても寒い。
日が暮れていく。
歯がガタガタと震える。
体中がズキズキする。
頭が割れるように痛い。
このまま誰にも連絡がとれないまま、夜を迎えるとどうなる?
持ち堪えることができるのか。
寒い。
家族は、友達は、恋人は、どうしてるだろうか?
寒い。
意識が遠のいていく、、、
寒い、、、


・・・こんな夢をたまに見ることがある。
薄れていく意識の中で、こんなふうに亡くなっていったのかもしれない数えられないほどのたくさんの人のことをとてもやりきれない気持ちで思い浮かべる。
苦しかったですよね。
寒かったですよね。
痛かったですよね。
不安でしたよね。
愛する人に知らせるすべもないまま。


あの3月12日の朝、テレビのニュースで目にしたものは、なんにもなくなってしまった、かつて町だったはずの場所の風景だった。
石巻ではタンカーが街につっこみ、ほうぼうが燃えて真っ黒焦げになっていた。陸前高田では病院の屋根に取り残された数名がヘリコプターで救助されていた。
その映像には映らない、その夜を持ち堪えることができなかった人たち。

昨日、全国各地で黙祷をするニュースが流れていた。
でもね。
黙祷をするのは14時46分ではないような気がする。
だって、そのときはまだ、ほとんどの人は普通に生きていたんだから。

僕には何にもできない。
ただ、そういうふうに失われてしまった命があったということを想像して怖れていたい。
そして、これは決して他人事ではなく、いつだって自分の身に起き得ることなのだと思っていたい。

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In The Wake Of Poseidon / King Crimson




音楽歳時記「啓蟄」

啓蟄というのは二十四節気の中ではわりと有名な方でしょうか。
元々の言葉は啓蟄啓戸。「蟄虫(すごもりむし)戸を啓(ひら)く」、つまり冬眠をしていた虫が穴から出てくる頃という意味ですね。
いきなりの20℃越えには虫たちも花たちもちょっとびっくりしちゃいそうだけど。え、もうそんな季節?慌てて起き出さなきゃ、って。

この時期に聴きたくなるのは、元気な音じゃない。
元気になれそうな音。
この時期の朝の光のように、まだ力強くはないけれど、透明感があって澄んだ音。
例えばアズテック・カメラ。

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Highland,Hard Rain / Aztec Camera

はじけるような軽快なビート、軽やかに撥ねるギター、さわやかなメロディー。
だけどそれに乗る歌声はどこか心細く物憂げで、しかし荒んではいない。
所在なさ気で憂鬱ではあっても絶望ではない。希望の光はまだ弱く遠いかげろうのようにゆらゆらしてはいるけれど、木々の新芽のようにやわらかく瑞々しい。

Just close your eyes, again
Until these things get better
You're never far away
But we could send letters

もう一度、目を閉じてみて
もう少し世界がましになるまで
まだそんな遠くまで来たわけじゃないし
手紙を出すことだってできるしさ
(We Could Send Letters / Aztec Camera)

この曲の始まりの、とてもやわらかなギターの音がすごく好き。
音の粒のはっきりとしたアコギに、ブォーンと漂うように入ってくるベース。ピアノのか弱い音も交えながら少しずつ歌は熱を帯び、かきならされるアコギにコーラスが重なる。どんどんとメロディーが展開していきながら、サビでぶっきらぼうに言葉を吐き出した後の流れるようなギター・ソロが美しい。

寒い冬を越えて、命が再生される春。
まるで生まれたてのように不安も驚きも包み隠さずに歌うようなロディー・フレーム。
少しずつ、少しずつだけど、エネルギーが満たされていく。
慌てなくてもいい。少しずつでいい。
季節は確実に春に向かっていくんだから。



♪(Just Like)Starting Over

自分に関して、気に入っていることも気に入らないこともいろいろあるけれど、「3月生まれ」というのは気に入っていることのひとつ。
長く寒く暗い冬を越えて、陽射しが明るくなって暖かくなってくるこの季節に生まれた、っていうのは何かいいな、と。

昨年50の大台に乗って、今年は51。
まぁ何が変わるってことも今更あんまりないんだけど、なんとなくね、人生の後半がスタートというか、ここまでのことはここまでのこととして、ここまでとはちょっと違う自分がリスタートできるといいのにな、って気分。
できればこれから先はあんまりあくせくせずに、ちょっとスローペースで、自分が心地よいかどうかを優先していけたらいいのになぁ、って。
そんな50+1のBirthday。
また1から新しく積み上げていくこともできるはず。

ってことで、音楽は『(Just Like)Starting Over』。
明るい鐘の音、じゃらーんと鳴らされるAのコード。
かっこいいよね。


 出会ってからもうずいぶんと時が過ぎた
 時が過ぎることは誰も邪魔することなんて出来ないけれど
 また君にこうして出会えて
 また恋に落ちそうな気分
 まるで最初からやり直すみたいにさ
   〈(Just Like)Starting Over / John Lennon

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Double Fantasy / John Lennon & Yoko Ono


3月生まれ、魚座っていうと、占いで必ず載っているのは「ロマンチスト」「芸術家肌」。
そう決めつけられるとなんとなく「そうでもないんだけど。」って言いたくなってしまうんだけど、まぁ、やっぱりどっちかっていうとそうなんだろうな。
気に入っているとまでは言わないけど、そう悪くはないかもね。



『徒然なるままに春を詠む 』

ブロ友のサーシャさんが、めっちゃ楽しいことしてた。
「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」のサーシャさん版なんですが、これがめちゃくちゃおもしろくって。

徒然なるままに春を詠む

こういう楽しいことは、自分もやってみたくなる。楽しいことはひとり占めしちゃいけない。楽しいことはみんなでやればもっと楽しくなる。

というわけで、「もしもあの人が春を書いたら…きっとこんな感じ」goldenblue版、行ってみましょー。

******************************************************
「春が待ち遠しいね。」って、冬が長くなってくるとみんなそう言うんだよ。
「こんにちは、春が待ち遠しいですね。」「そうですね、今年はよく冷えますね。」、それで春が来たら来たで「春ですね。」「春になりましたね。」って同じように800万回だって言い合うんだ。そういうのって僕にはなんだかとってもむず痒くなるようなことなんだよな。
でも、だからって春が嫌いなわけじゃない。逆立ちして誓ってもいいくらいだ。
春になるとあっちこっちで花が咲くだろ。あれを見るのが好きなんだ。赤やオレンジやピンクや紫や黄色の。あの花たちが咲いているのを見ると、どういうわけかすべてを赦してやってもいいような気持ちになるんだな。あのストラドレイターみたいなくだらないやつだって。

           (サリンジャー /野崎孝訳テイスト)

*******************************************************
春は物静かにやってきて
しずしずとおじぎをする
今年はたいへん遅くなりましたけど
ようやく訪れることができました
水色のふろしきから
緑の束をひとつかみ
さっと宙に放り投げれば
景色はみずみずしさを取り戻し
空では雲雀が歌い出す

           (谷川俊太郎テイスト)

*******************************************************
季節なんてものは、こちらが気にかけようと気にかけまいと、勝手に巡ってくるものなのだ。
あたふたとしているうちに春になり、どんどん暑くなったかと思ったらいつの間にか涼しくなり、また寒くなる。その繰り返しにいちいち風情を感じているほどヒマじゃない。あたしは忙しいのだ。
それでも春はいいわね。確かにテンションがあがるもの。冬のどんよりした暗い空なんてとてもじゃないけど見てらんない。なんか萎えちゃうのよね。こっちまで暗い気分になっちゃう。
「生き物は皆、春は好きなはずだよ。ほとんどの動物の発情期は春だから。」
と連れ合いがいう。
あはは、それじゃあたしは動物か。まぁ、それも悪くないわね。好きな男になら、一年中発情していてもかまわないもの。

           (佐野洋子テイスト)

*******************************************************
春はライム・グリーンだ。
少し蛍光色がかった鮮やかなきみどりいろ。
色のない世界だった冬に、さっとカーテンを開けたみたいに明るい光が差し込んでくる。
明るいということはそれだけで幸福だと思う。
むやみやたらとした明るさではなく、さりげない微笑みのような明るさ。
それに、あたたかいということ。
そしてなによりもしゃきしゃきの野菜がおいしくなるのがいい。
レタスやらキャベツやら、春になると私は生野菜をむしゃむしゃと食べる。ミニトマトやゆでたまごを飾ったり、気分によってお気に入りのドレッシングを使い分けるのも好きだけれど、ただちぎっただけの生の葉っぱをそのままむしゃむしゃ食べるのも好きだ。
きっと私は昔、あおむしだったことがあるのだと思う。
蝶になれたのかどうかは記憶がない。

          (江國香織テイスト)

*******************************************************
春はやつてきた
息はずませて
足音響かせて
春のパレエドは
スプリング
跳び跳ねる
びよんびよん
光の天使たちが
七色の
虹の弓をひいて矢を放つ
あゝ俺の魂はまだ
凍りついてはゐなかつたのだ

           (中原中也テイスト)

*******************************************************
その日はのっぴきならない用事があって早朝より出かける算段になっていた。前夜には支度を済ませ目覚まし時計を起床予定時刻に合わせ万端の準備で床についたのである。蒲団の中は程よい居心地で先週からずっと多忙続きで程ほどに疲れも溜まっていたのであろう、我輩は三秒で爆睡した。
さて、ここはどこであろうか。物々しさなど欠片もない安穏とした空気に包まれた場所に我輩はいた。ピンクの絨毯を敷き詰めたような花畑、桃とも苺ともつかぬ甘い香り。池には蓮の花が咲き乱れ、途方もなくよい匂いが漂っている。香りにつられて一口含んでみると酒である。おぉ、これはうまい。もう一杯、あぁ、極楽だ。もう一杯、いや手で掬うのでは埒がいかぬ。盃はないか、コップでもいい。こらうまいわ。なんぼでもいけるやないか。美しい羽衣を身に纏った天女のような女が近づいてきて、いけるくちやおへんか、おひとつどうぞ。おお、苦しゅうないぞ、近う寄れ。あら、あなた様、何をなさいまする、いけませぬ。よいではないかよいではないか。いけませぬ、私には夫と子供が。何を申すか、構いはせぬ。
そのときであった。ジリジリジリと何やら不愉快な音。しかもどんどんと加速してゆく。これは何事だ、今からがエエとこやないか、どこぞのアホやねん、けたたましい。はようその音止めさらせ、と叫ぶと音はすっぱりと止んだ。
静寂が訪れた。が、天女の姿も消えた。ふと我に帰ると手元には目覚まし時計。完全に遅刻である。
慌てふためいた我輩は、ズボンの股に二本とも足を入れて転びそうになり、歯ブラシを鼻につっこみ、昨夜準備した鞄をひっくり返してぶちまけ、駅までの道のりを走ろうとして二十米ばかり走ったところで足が吊った。それでも健気に走ろうとしたところ路傍の石につまずいてスッ転んで鼻血が出た。痛む鼻を押さえながらほうほうの体で駅に着いたら財布を忘れた。
我輩は思い立って先方に連絡を入れ、丁重に詫びを入れ、家に帰って屁をこいて眠った。
春眠暁を覚えず。

           (町田康テイスト)

*******************************************************
春という言葉の語源はなんだと思いますか?
「貼る」?違います。
「晴れる」?あぁ、惜しいですね。
そう、正解は「張る」なんですね。花のつぼみが膨らんで張ってくるところから「張る」、つまり「春」なんです。だんだんと膨らんで、生命力が満ちてくる。そういう様子を表していると言われています。
英語ではスプリングといいますね。
これは「バネ」のスプリングではありません。スプリングにはバネ以外にも、「泉」という意味があるんですね。温泉のことをホットスプリングとか言いますね。あのスプリングです。
泉は水が涌き出るところ。そこから「物事の源泉、始まり」と意味が転じて、季節の最初、一年の始まりということでスプリングとなったようです。

           (池上彰テイスト)

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           (西原理恵子テイスト)




なかなかあほなことしてますねー(笑)。
才能の無駄遣い(笑)。

人間の体が食べたものでできているとすれば、人間の精神は見聞きしたものや読んだものでできている。
物心ついてからいろんな本をたくさん読んできたけど、共感したり感動したりしたものっていうのはそのまま自分の精神のパーツになっているんだろうね。
この人ならこんなことをこんな風に書きそうだよな、と想像しながら書きつつも、結局のところ自分が感じていることの一部分をデフォルメして書いたのであって、書かれたものはやっぱり自分が感じたこと。町田康的な部分も江國香織的な部分も池上彰的な部分も西原理恵子的な部分もぜんぶ自分の一部分ってことなんだろうなぁ。
おもしろいものですよね。



♪世界音楽

実は、年を越してから自己最高体重を更新中だったのですが、インフルエンザで寝込んだお陰でベスト・コンディションまで体重が落とすことができました。
危険なインフルエンザ・ダイエット(笑)、いや、これこそが人間万事塞翁が馬ってことで。
あんまりスタイルやファッションは頓着しないのですが、腹だけ出たみっともないオヤジにはなりたくないのです。
4日休んで無精髭も伸び、ちょっとやつれた感じ。
ちょうど海外をうろついていた頃の20代半ばの自分の顔を少し思い出したりもしました。

前記事の「イスラームから見た世界史」という600ページ超の分厚い本を読んでいる間、イスラムっぽい気分や中世っぽい雰囲気に浸りたくなって、ずいぶん昔によく聴いたいわゆるワールド・ミュージックと呼ばれた音源を棚の奥から引っ張り出して聴いていました。20代後半~30代前半くらいかな。最新型のロック(もしくはロックごっこ)やヒップホップを追いかけるのがしんどくなってきて、ジャズや古いR&Bなんかといっしょにこういうのをよく聴いていた時期がありました。

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Caravanserai / Santana [Waves Within]

これはわりと最近、Bach Bachさんのブログに触発されて聴きなおしてみたばかり。なんとも崇高な雰囲気とリズムの嵐。
東洋的な思想に導かれて編んだシンフォニーをジャズとロックの語法で演奏した感じ。
演奏に込められた志の高さが、気持ちをとても高いところへ連れていってくれる。


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The Mansa Of Mali / Salif Keita [Mandjou]a

西アフリカのイスラムの国、マリのサリフ・ケイタ。
イスラムというのは神に委ねるという意味だけど、まさに身も心も委ねてしまわざるを得ないような強い説得力のある声がすごいです。
原初的なエネルギーとハイレベルなセンスに裏打ちされたテクニックの融合、中世的でありながら近未来的でもある感じは、まさに「世界音楽」かと。


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Swan Song / Nusrat Fateh Ali Khan [Allah Hoo ]

この方はもう、圧巻です。20数分、ひたすらループしていく演奏に身動きがとれなくなってしまう。
「世界音楽」という枠すらはるかに超越した、「人間の音楽」という感じ。



久しぶりにこういう音楽を聴きながら、20代の頃に訪れたアラブの国の人々の、暑苦しいほどの喧騒を思い出していた。
どこかふらりと出掛けてみたい気持ちに少し駆られたりもして。
トルコからイランに渡ろうとしてビザが取れずに、また翌年にでも来るつもりであっさり引き返してきてからそのまんま、そこで旅を中断したまんまなんだよな。
思い描くのは、ティムールの都だったサマルカンドや古都・ブハラの青いモスク、セルジューク朝時代には「世界の半分」とまで謳われたイスファハーン、アルメニアの古い修道院やアララット山、或いはサハラに点在するオアシス群、バマコやダカールのバザールやマーケット。
行こうと思えばいけないわけではないけれど、今はまだもう少し今の場所でやるべきことがある。
いずれ、そのうち、いろんな準備が整ったらね。




◇イスラームから見た「世界史」

小学生の頃から、得意な教科は国語と社会だった。
3才のときに大阪で万博があったんだけど、その公式ガイドブックが人生初の愛読書で、そこに載っていた国や国旗は片っ端から覚えていたらしい。だから小学生の頃から、イギリスの正式名称はグレート・ブリテンおよび北部アイルランド連合王国だとか、北朝鮮は朝鮮民主主義人民共和国だとか、当時のソビエト社会主義共和国連邦だとか、そーゆー舌を噛みそうな長い名前なんかもスラスラ言えた。ハハハ、そう書いてみるとけっこう嫌なガキだな(笑)。
ただ、世界史だけはあんまりおもしろいと感じなかったのです。
ディオクレティアヌスとかメッテルニッヒとかホンタイジとか読みにくくてわけのわからない人名がずらずら出てきて、紀元前264年ポエニ戦争とか1077年カノッサの屈辱とか1517年ルターの宗教革命だとかそういう年号と事件名ばっかりをとりあえず覚えさせられた印象があって。
日本との関わりもまるでわからないし、時代の大きな流れが見えないから教えられる(覚えさせられられる)事柄ひとつひとつが全然つながらなくって、まるでピンとこなかった。
興味を持ったきっかけは、いわゆるバックパッカー的にいろんな国をうろうろしたからなんだけど、やっぱりその国の人たちのことを知る上で歴史って大事だな、と。
で、図書館でいろいろ借りては今さらながら「あー、そういうこと!」とか思ったりしています。


インフルエンザで出勤停止という思ってもみなかった連休をいただいて、ふとんの中でずっと読んでいたのはこんな本でした。

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イスラームから見た「世界史」 / タミム・アンサーリー

ハードカバーで600ページ以上もある、物理的にも「重たい」本なんだけど、おもしろくってスラスラ読めた。
冒頭、著者はいわゆる中東地域のことを「Middle World」と呼ぶことを提唱する。
極東=Far Eastもそうなんだけど、中東=Middle Eastという呼び方はヨーロッパ側を中央としてヨーロッパから見た呼称であって、この言葉自体が、現代がアメリカを含むヨーロッパ文明が世界を制覇していることを表すものなんですよね。日本から見たら西にある地域なのに日本人が直訳の「中東」という言葉を違和感なく受け入れているのもそもそもおかしい感じ。
日本の教科書で教える世界史は、世界史とは名ばかりの「中国史」と「西洋史」の寄せ集めなので、この地域のことは断片的にしか教わらない。教わったとしても、背景の見えない事件名をまとめて数百年分、って感じでしかないし、どこか悪役的な役割を担わされていることが多いですよね。例えば古代マケドニアのアレクサンダー大王の東方遠征のことは教わるけれど、視点はアレクサンダー側=征服者側=西欧側。どうしてアレクサンダーが短期間の間にアフガニスタン近くまで広がる大帝国を築きあげることができたか。簡単だ。そこにはすでにペルシャという大帝国が栄えていたからだ。
そもそもヨーロッパ人が世界を完全に支配したのは18世紀の産業革命以降のこと。15世紀末の大航海時代が始まる前は、それぞれの地域でそれぞれの文明と歴史があった。紀元前3000年頃にはメソポタミア、紀元前2500年頃にはエジプト、その後ギリシャ、ローマで文明が興り、一方東ではインドや中国でもそれぞれの文明が興る。それらは混じりあうことはほとんどなかった。そんな中で交流と相互影響があったのがユーラシア大陸で、長い歴史の中でこの大陸で文明をリードしてきたのは、アッシリアでありバビロニアでありペルシャでありイスラーム帝国、モンゴル帝国、オスマントルコと続いていく現代では「中東」と呼ばれる地域だった。インド亜大陸や、中国を含む東アジア地域は独立性が高かったし、ヨーロッパを含む地中海地域はローマ帝国の没落以降はずっと長い間、文明的には辺境でしかなかったのだ。地理的にも文明的にもこの地域こそが世界の中心、だからMiddle World。だいたい「ユーラシア大陸」という名称そのものが、ヨーロッパとアジアを連結させて後付けで名付けた名称で、それはつまりこの土地こそが「世界」で名前を付ける必要がなかったということに他ならない。「大陸」という概念そのものが大航海時代よりあとに生まれた概念だということだ。

この本、「イスラームの歴史」ではなく「イスラームから見た世界史」なので、イスラム教発生前後の社会状況や初期のイスラム教がどのようなプロセスを経て世界宗教になっていったかに多くページを割きつつも、世界史上の事件がイスラーム世界から見たときどう認識されていたのかがおもしろい。
例えば11~12世紀の十字軍遠征は、イスラム側からすれば野蛮人の略奪行為が散発的に繰り返されたに過ぎない。スペインでのレコンキスタも辺境地方の反乱でしかない。それほど当時のイスラムとヨーロッパの力の差は絶大だったようだ。
むしろイスラーム帝国にとって打撃的だったのは、モンゴル民族の来襲。これもヨーロッパ史では負の歴史に当たるためかあまり大きく取り上げられないが世界をひっくり返すような大事件で、当時アッバース朝第37代カリフのムスタアスィムが統治するアッバース朝の首都で100万を超える居住者と6万の精強な軍隊を誇った世界一の大都市だったバグダッドは徹底的に破壊され、数々の図書館に収蔵されていた何十万冊もの大量の学術書はモンゴル軍によって燃やされ、メソポタミア文明ならびにイスラム文明が築いた多くの文化遺産が地上から消失したのだそうだ。ただ、侵入してきたモンゴル人たちも結果的にイスラムに改宗したのは、イスラムが当時最高の文明だったということの証でもあるのだろう。
十字軍の影響は文明の一騎討ちとはまるで違う形で最終的にヨーロッパとミドルワールドの立場を逆転することにつながっていく。発展したレヴァント地方から持ち帰られた香辛料や奢侈な品々は、ヨーロッパ人へ東方への憧れを抱かせた。当時、ヨーロッパ人がインドや東アジアへアクセスするためにはミドルワールドを経由しなければならなかった。これをイスラム商人を通さずに取引できないものか、という思いが大航海時代を生んだのだ。

この本を読んで改めて知ったのは、イスラム教という宗教の成り立ちと本質。
ムハンマドがイスラム教を興した頃のミドルワールドは、ビザンツ帝国がギリシャ、アナトリア、レヴァント、エジプトを、ササーン朝ペルシャがカスピ海やアラル海近くの中央アジアを含む地域でそれぞれ大帝国を築いていた。この二大帝国の抗争から陸路の交易が途絶え、当時は辺境だったアラビア半島が紅海を経由した海の交易路として活況を呈することになるのだが、実質は富める一族と貧しい人々との貧富の差は増すばかり。
貧しい境遇に育ったムハンマドが説いたのは、神は唯一無二であり、神の前では誰もが平等であるということ。偶像崇拝を禁止し、神への信仰を告白し神へ礼拝を続けることで神の意思に帰依すること。そして同じ一神教であるユダヤ教やキリスト教と性質が異なっているのが、イスラムが「社会的平等が確立された公正な共同体を建設することを意図した社会事業」という側面を持っていたことなのだそうだ。
私たちが一般に連想するような個人の信仰としての宗教ではなく、思想的なことも政治的なものもすべて包括した社会システムとしての教義。
なるほどど思ったのは、なぜ7世紀にイスラム世界が広まり、信仰が確立されたかだ。著者はその理由のひとつに、イスラムの軍事的勝利を挙げている。実際、迫害されていた設立当初のムスリム集団は団結が強く軍事的にも強かった。そのことがムスリムは神に守られていたことに説得力を持たせた。そこから先は、いわゆる「勝ち馬に乗る」的な広がりもあったのだろうけれど、ムスリム圏が広がり、絶えず拡大しているのは一つの奇跡であり、ムスリムはそこに神の恩寵を感じたというのが、著者の考察だ。
これまでムスリムは神に守られて勝利してきたが、モンゴルの前にイスラム帝国は崩壊、パグダッドは破壊される。そのときから、ムスリムはなぜ神の恩寵が得られないの悩みはじめる。そこから、イスラムの改革運動も起きる。
しかし、クルアーンは「神からの預言の最終形」として出されたものであるが故に、イスラムでは常に原点に回帰することが求められる。イスラムを改革しようとする運動は根本的にイスラムそのものの中核をなす教義に本質的に逆らうものであり、各自が最良と思う宗教実践を行う権利を個々人に保証することを目指すような運動は許されなかった。実際、18世紀の産業革命につながっていったジェイムズ・ワットの蒸気機関に近いものは、イスラム文明でもすでに発見されていたのだそうだが、イスラムの社会にはそれを社会的な発展に活かすという発想がなかったのだそうだ。
産業革命以降、一気にヨーロッパとの形勢は逆転し、オスマントルコは分割される。トルコはイスラム国家であることを否定して世俗主義の国を作り、一方イランはアメリカとの石油がからんだ駆け引きの中からイスラム原理に立脚した国を作り、アラブ民族はエジプト・ヨルダン・レバノン・シリア・イラク・クゥエートと分割され、さらにパレスチナにユダヤ人の国を興され、イスラムの中では異端だったワッハーブ派のサウード王家の土地では石油が出たことでアメリカと接近して軍事大国になり・・・と完全に分断された地域になってしまった。
イスラムの人たちは、これを「神に対して誠実でなかったことへの神の怒り」と捉え、原理主義運動が深まっていくのも、イスラム教の成り立ちから考えればそれは不自然なことではないのかもしれない。


歴史というものは勝者側・支配者側から書かれ流布されるのが常。
実際のところどんな現場にも、立場によっていろいろな視点と考え方と感じ方がある。
著者はアメリカ在住のアフガニスタン系で、当然イスラム礼賛に近くはありつつも、教わってきた、あるいは私たちが自然と受け入れてしまっているヨーロッパ中心史観へのカウンターとして、とても刺激的な本でした。
むろん、ここに書かれたことへも、トルコ人からの、モンゴル人からの、インド人からの、いろんな見方がきっと存在するはずだ。
むしろ、世界中の地域でこういうものが書かれればいいのに。
それを段階を置いて学ぶことができれば、多様性を認め合い、物事を大きな視点と流れで捉えて、憎しみあわずに冷静に判断できる人間が育つと思うのですが。
フェイクなニュースが飛び交う現在だからこそ、多様なものの味方と騙されない眼を養いたいものだと思います。
ある物事を反対側から見てみることは、きっとその訓練にはなるのではないかと、タミフルでちょっとぼんやりした頭で、そんなことを思っていました。



音楽歳時記「雨水」

2月19日、雨水。雪が雨に変わる頃、という意味なんだそうだ。
薄く曇った空、薄い水色の晴れ間が見えているのにパラパラと細い雨が落ちてくる。

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Randy Newman / Randy Newman

用心はしていたのだけど、インフルエンザに罹ってしまって療養中。
そんな弱った感じにはランディ・ニューマン。
風邪引きのようなひび割れた声。火の消えかかった暖炉のように侘びしく、しかし確かに灯し火の暖かさが感じられるピアノ。冬の朝のもやのようなオーケストレーション。
真冬のような張りつめた厳しい冷たさではない、けれど暖かくなってきたというにはあまりにも心許ないぼんやりとした寒さに、ぼんやりとしたランディ・ニューマンの歌が染み入る。
小さな呟きやため息のようにほんの2分ほどで終わってしまう作品群が収められた、たった30分ほどのアルバムは、どこかこの世のものとは思えないようなドリーミーでポエティックな美しさを湛えていて、そして同時に、とてもヘヴィでダークな部分やクレイジーな部分を懐に忍ばせている。
そのクレイジーさは、真夜中の酔っぱらいのようではなく、むしろ冬の朝に公園で佇む老人のように、物悲しくてどうしようも救いようがなく、なおかつ少し滑稽ですらあり。

割れた窓、人通りのない廊下
青白い顔で死んだ月がグレイの空の上
人の優しさがあふれすぎて
今日はこれからきっと雨降り
(I think it's going to rain today / Randy Newman)

Human kindness is overflowing.
And I think it's going to rain today.

人の優しさがあふれすぎると、雨になる。
その微妙なニュアンス。
雪が雨に変わる、という意味にもとれなくもないな。
雪はやがて雨に変わる。
雨はやがてあがって、晴れ間がのぞきだす。
季節は少しずつ移ろっていく。
悲しい気持ちも楽しい気持ちもお天気のように移ろっていく。





♪ふとんとブルース

今年はほんとよく冷えますね。
大阪や京都南部では幸い雪が積もることもなく、ふだんの暮らしに支障はないけれど、寒さはこの数年で一番。
そんな中でなんとか風邪もひかずに過ごせているのは、あったかいおふとんのおかげです。
年明けすぐにね、ちょっと体調崩しかけたときがあって。朝目が覚めると体が冷えきっていて。どうも安眠できていないんじゃないか、と。
エアコンは喉が乾燥するし、電気毛布みたいなのも局部的に熱くなりすぎて好きじゃないのですよね。例年の冬はそれで何ら問題ないんだけど、今年はさすがに。
そこで買ってきたのが、いわゆる「かいまき毛布」というモノ。袖を通して着るタイプの毛布ですね。首元あたりにはファーもついていて、これがとってもあったかい。これを使うようになってから、すっかり安眠できるようになって、体調も万全。多少のウィルスなら跳ね返してるんじゃないかと思えるほどで、心なしか肩こりもましになったような。

この「かいまき毛布」、昔は「夜着」と呼ばれる貴族や上級武士しか使えない高級品だったようで、実は「掛けふとん」よりも早くから使われていたそうです。
ちょっと興味がわいていろいろ調べてみると、江戸時代に入るまで「ふとん」というものはなくて、それまで農民は藁の中で、庶民は畳の上にゴザで眠るのが普通のことだったそうです。殿様や貴族でさえも、このあったかいおふとんで眠る心地よさは知らなかったのですね。当然今よりも家屋内は寒かったでしょうから、冬とかめちゃくちゃ寒かったことでしょう。当時の人からしたら、羽毛ふとんなんて神グッズでしょうね。
「夜着」が発明されたのが室町時代後期(1500年代中期)、江戸時代元禄年間(1600年代後半)になってようやく「綿」の入ったふとんが登場したのですが、当初「綿ふとん」が使用されたのは遊郭で、ふとんは一枚30両、今の金額だと5~600万円もする超高級品だったのだそうです。
なぜ高級品だったか?元々暖かい土地の作物である綿花は当時の技術では日本国内ではほとんど栽培できないものだったから。鎖国の時代だから輸入もままならず、綿はとても希少だったのですね。手を出せない庶民の間ではこれを真似た「和紙製」のふとんが一般的になっていったそうです。
庶民がふとんで眠るようになったのは明治の中頃(1890年代)まで下る。ふとんで眠る文化はたかだか120~130年ほどしかないのですね。

なぜ、超高級品だった綿が庶民にも手に入れることができるようになったのか。
その答えは「産業革命」と「奴隷制度」です。
18世紀後半の1764年にイギリスのジェームズ・ハーグリーブスが複数の糸を紡ぐジェニー紡績機を発明。1769年にはリチャード・アークライトらがより強い糸を作ることができる水力式の精紡機を、1779年にはサミュエル・クロンプトンが大量生産に向くミュール紡績機を開発。綿花から糸を紡ぐ効率が一気にアップしたのと並行して、1785年にエドモンド・カートライトが蒸気機関を動力とした動力織機を発明して織物の生産力も向上。原綿の供給面でも1793年にはアメリカのイーライ・ホイットニーが綿繰り機を発明したことで梳毛が大幅に改良され、大量の原綿が供給されることとなった。
そしてその綿の原料である綿花栽培を支えたのが、アメリカ南部。サトウキビやタバコと並ぶ大プランテーションの労働力としてアフリカから奴隷が売買されてアメリカへ連れてこられたわけですね。
アメリカで栽培された綿花が、イギリスで綿の製品になり、その製品は植民地へ売られた。製品を手に入れる対価としてアフリカ人は奴隷を売った、そういう三角貿易のスパイラルで綿産業は飛躍的に発達していった、ということなのです。
その結果、東洋の国にも安価な綿製品が流れ込んだ。日本人はそれをふとんにした。

厳しい綿摘み労働の中で歌われたハーラーソングが原型となって、やがて仕事の憂さを晴らす風刺歌がジューク・ジョイントで歌われ、ブルースが生まれる。1930年代になり、畑労働の機械化や化学繊維の台頭におされてたくさんの労働者が大都会へ流出してシカゴ・ブルースが生まれ、そのシカゴ・ブルースに感動したミックやキースがバンドを始めると、歴史と現代が一気に繋がっていくわけで。

ふとんの話がブルースに繋がっていくとは、思いもしなかったけど。
人の暮らしと歴史、奥が深いです。



ライトニン・ホプキンスの“Cotton Field Blues”を。

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音楽歳時記「立春」

昨年一年の間で、いわゆる「新作」のレコードはたったの二枚しか買っていない。
一枚はチャック・ベリーの遺作。もう一枚が佐野元春の「Maniju」。コヨーテ・バンドとの息もぴったりの素晴らしいアルバムだった。
佐野元春というアーティストへの印象は、おそらく世代によって大きく違うのだろう。フォークやニューミュージックの世代や、まだロックンロールが一部の不良たちのアウトローだった時期に知った人からすれば気取ったシティ・ポップスの人に見えただろうし、僕らより下の世代からはサザンや浜省と並ぶ日本のロックのオーソリティーだっただろうし、もっと若い人たちからすればおかしなしゃべり方をする変なおじさんなのかもしれない。
今となってはピンと来ないだろうけど、1982年~83年の頃、佐野元春は本当に新しくてヒップなアーティストだったのだ。その頃に高校生になったばかりだった僕にとって、本当に初めて夢中になったアーティストで、僕は佐野元春からロックンロールのスピリットの真髄を教えてもらったのだ。そして、佐野元春のアルバムだけは、新作が出るたびに必ず買っている。「Visitors」での変化についていけなかった友人たちがファンを辞めたあとも、だんだんと作品のインターバルが長くなってあまり話題が聞こえてこなくなってきてからも。

そんな佐野元春のアルバムの中で一番聴かなかったのがこれ、1999年発表の「Stones and Eggs」だ。

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Stones and Eggs / 佐野元春

このアルバムは、おそらくファンの間でも一番評価が低いのではないかと思われる。
アルバムはヒップホップっぽい“Go4”で始まるのだけれど、なんだかとってつけたみたいに凡庸。ラップのようなスポークンワードの中に“さよならレヴォリューション”とか“輝き続けるフリーダム”とかかつてのヒット曲のフレーズがはさみこまれているのにも違和感があった。
そのあとに続く曲も、当時の僕にはなんだかとてもバラつきが激しく、ありきたりに聴こえたのだ。新しい表現に常にチャレンジし続けてきた佐野さんが、12作めにして初めて後ろを向いたというか、ありきたりの自己摸倣をしたような気がしたんだ。その頃すでに、かつて大好きだったアーティストがピーク時の劣化コピーみたいな作品を出してはがっかりしてどんどん新作を聴かなくなっていった頃だったから、「佐野さん、あなたもですか・・・」と思ってしまったのだ。
当時僕は32才。佐野さんは43才でデビューから19年が経っていた。
今ならわからないでもない。新しい表現を常に模索していくということは本当にエネルギーのいるしんどいことだと。若いうちは何もかもが新しく新鮮で、また上の世代へのカウンターとしての表現方法がいくらでも見つかる。しかし、ある程度のキャリアを経て一定のスタイルができあがったあとにそれを覆してより新しくよりクオリティーの高いものを作ることは並大抵のことじゃない。
でも、当時はそんなことは理解できなかった。

それから何年かして。
佐野さんはエピックを離れて自らのレーベルを立ち上げた。ひと世代下のメンバーを集めてコヨーテ・バンドを作った。その音楽は見違えるようにみずみずしく勢いがあり、それは昨年の「Maniju」でも健在だった。
やっぱりこの人は別格だな。
そう思って改めてこの「Stones and Eggs」を聴いてみたら、めちゃくちゃよかったんだ。
C'mon”とか“メッセージ”とか“シーズン”なんてとてもポップで数ある佐野クラシックと遜色ないできだし、“だいじょうぶ、と彼女は言った”もとてもいい。祈りのような気持ちに満ちた“石と卵”もすごくソウルフル。
確かに喉はへたっているし、作品それぞれも水準程度ではあるけれど、決して自己摸倣の作品じゃない、苦しい時期に苦しいなりの足掻きとも呼べるような葛藤があったことや、その中でも新しい表現を模索しようとしていたんだな、ってことが聴こえてきた。
この作品は、確かに中途半端ではあるけれど、今までを精算して次のステージへと行くために必要なプロセスだったんだな、って思ったんだ。

さて、季節は立春。
一応暦の上ではここからが春。
でも実際はまだまだ寒さがとても厳しい。
誰の人生にも冬の時期はある。
冬の寒さを耐えしのいだあとに咲く花がある。
今までを精算して次のステージへ行くために必要なプロセス。
立春とはそういう季節なんだと思う。
今はまだとても寒いけれど、春の気配はやがて立ち始めてくる。



♪レトロニム

言葉っておもしろい、という話の続き。

言葉は時代にあわせて変化していくものなんだけど、“現在呼ばれている呼ばれ方が、実は元々はそう呼ばれていなかった”ということがけっこうある。
わかりやすい例、例えば「ガラケー」という呼び方。
僕がスマホに変える前にあの形状のものを使っていたとき、それは「ケータイ」と呼ばれていたのだ。当時、携帯電話といえばあれだった。スマートフォンが普及し出してから、スマホとの区別をするためにガラケーと呼ばれ始めたのだ。
こういう言葉のことを“レトロニム”と言うらしい。
「固定電話」という言い方もそう。携帯電話が普及する前、電話と言えば家にあるあれのことだった。わざわざ固定なんてつける必要はなかった。
ガラケーと同じように最近のIT化で生まれた言葉として「紙媒体」とかもそうですね。

ちょっと調べると、まぁたくさんあります。
「天然芝」は人工芝のレトロニム。「白熱電球」は蛍光灯のレトロニム。「プロペラ機」はジェット機のレトロニム。「アコースティックギター」もエレキギターのレトロニム。エレキが発明される前、ギターはアコースティックが当たり前だった。
「日本酒」「和食」という言い方だって、洋酒や洋食が入ってきてから使われだした言葉。明治に入るまで酒といえば日本酒だったのだ。

おもしろいな、と思ったのは後から出たほうが元祖の言葉を乗っ取ってしまうケース。
例えば「サイレント映画」。映画というものができたころは無音が普通で、トーキー映画が誕生したあとに区別され、それが主流となったときに後出のトーキーという部分が取れて「映画=音声あり」となり元祖のほうに注釈が残る形に変わってしまったのですね。
「白黒テレビ」と「カラーテレビ」の関係も同じですね。今時誰も「カラーテレビ」なんて言わない。カラーが当たり前なんだから。
「コーヒー」と「レギュラーコーヒー」、「チョコレート」と「ホットチョコレート」の関係もそう。コーヒーは元々豆から挽くのが当たり前だったし、チョコレートは元々お菓子ではなく温かい飲み物だったのだそうだ。
「パンダ」と「レッサーパンダ」もそうで、最初パンダと呼ばれていたのは今でいうレッサーパンダの方だったとか。後から発見されたほうは「ジャイアントパンダ」と名付けられたが、ジャイアントパンダが超メジャーになった結果、今では「パンダ=白黒の」になってしまったのだ。なんか不憫だぞ、レッサーパンダ。
あぁ、そういえば、と納得したのは「ライヴ」という言葉。これもレトロニム。
20世紀に入ってレコードが発明されるまでは、そもそも音楽は生で演奏されるものだったんですよね。レコードが普及して、ラジオで録音が流れるようになって、それと区別するために「生演奏」「ライヴ演奏」という言葉が生まれたわけですね。

ピーター・グリーン時代のフリートウッドマックとか、ピーター・ゲイブリエル時代のジェネシス、シド・バレット在籍時のピンクフロイド、二人組の頃のオフコース、なんていうのも一種のレトロニムですよね(笑)。

ニール・ヤングとスティーブン・スティルスがいたバッファロー・スプリングフィールド 、ニック・ロウがいたブリンズリー・シュウォーツ、山下達郎と大貫妙子のいたシュガーベイブ、ヒューイ・ルイスがいたクローヴァー、ポール・ヤングのQティップス、ビリー・アイドルのジェネレーションX。平成の日本ならハナレグミのヒットのあとで知ったSUPER BUTTER DOGとか、星野源のサケロックとか。
メンバーのその後のソロ活動で陽の目を浴びたバンドっていうのもいくつもあります。
活動当時は後にそういうふうになるとは誰も考えなかっただろうなぁ、と思うと、なんとなくレトロニム的。
ふと思い出したのは、Blue Angelというバンド。
シンディー・ローパーさんがブレイクしたときに、元々いたバンドとして再発されたLPをレンタル屋で借りたことがある。
50~60年代風のオールディーズっぽい感じがけっこう好きだった。

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Blue Angel / Blue Angel

I Had A Love

今普通に使っているものにも、やがてレトロニムになるものがたくさんあるんだろうなぁ。
「二次元テレビ」とか「手動運転式自動車」とか「手描き画家」とか「生ヴォーカリスト」とか(笑)。

と、そんなことを書いていたのは、まだブログというSNSがあった頃。元号はまだ平成だった・・・って。



♪Language Of Life

一服の清涼剤だ、という言い回しがある。
例えば「トレイシー・ソーンのオーガニックなヴォーカルは、ユーロビートに浮かれたバブリーなシーンの中で、一服の清涼剤だった。」というように。
そう書いて、ふと思う。
「清涼剤」って、なんだ?
少なくとも僕は、「清涼剤」という言葉を、さっきのような例えでしか使ったことがない。
サイダーみたいなもの?いや、あれは「清涼飲料水」であっても「清涼剤」ではないだろう。
ミントとか、そーゆーハーブっぽい類いのものか?いや、言葉のイメージからしたらもっと錠剤か粉末みたいなもののような気がする。昔、駄菓子屋で小さなコーラの瓶の形をしたプラスチック容器に白い粉が入っていて、水を入れるとソーダっぽい味がするお菓子があった。ああいうものがかつては一般的に「清涼剤」として売られていたのか?
うーん、わかんない、って僕は匙を投げる。
ん?「匙」???
僕らの世代だと、それはいわゆるスプーンやああいう形状で液体や粉末を掬う器具のことだとわかるのだけど、たぶん娘にはわからないだろうな。僕と妻の会話には蚊帳の外って時があるもんね。
ん?「蚊帳」?
どういうものかはわかるけど、使ったことはない。
気になってきた。いろいろ調べてみたくなる。僕はこういうところけっこう几帳面なんだ。
ん?これは「帳面」?
調べてみると、この言葉の語源は「几の帳面」ではなく「几帳の面」。「几帳」とはいわゆる間仕切りのための家具、パーテーションみたいなもの。その柱の角が丁寧に丸める加工を施されていたことから、隅々にまで気を回すような意味に転じたようだ。

言葉っておもしろいものですね。
元々の語源になった言葉は廃れたり使われなくなったり別の言葉に置き換わったりしていくのに、合成語や比喩表現や慣用句の中で元の言葉が生き残っていたりすることがときどきある。
やがて語源そのものは誰もわからなくなっても、そういう言葉だけはずっと残ったりして。
「さつまいも」や「越前そば」が古い地名だというのはわかるけど、これらの言葉は今は基本モノの名前の中でしか使われない。「いよかん」しかり「越乃寒梅」しかり「吉備団子」しかり。海外なら「シャム猫」や「ペルシャ絨毯」もそうだ。
「丑三つ時」みたいな昔の時間の区切り方が残っている言葉も多い。「おやつ」とか「四六時中」とか。「午前」「午後」だって12時が午の刻だったことによるものだもんね。
「図星」は弓矢の的の中心のこと。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の八卦は占いに使う図表のひとつ。どちらの道具も今、一般的には使われない。
「管を巻く」は、紡績工場で絹糸をまきとる音がガタガタうるさかったことから来た言葉。「はめをはずす」は、馬の口にはめる馬銜(はみ)のこと。なんとなくわかるとはいえピンと来ない。
「おくびにも出さない」の「おくび」とはゲップのこと。「ほぞをかむ」のほぞは、おへそのこと。どちらの言葉も今は、この慣用句の中でしか使われない。


はて、なんでこんな話になったんだったっけ。
あ、「清涼剤」か。
そうだった。
トレイシー・ソーンの涼しげな声で頭を冷やそう。
こういうクールでオーガニックな音を、寒い冬の日にひっそり聴くのもいい。

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Language of Life / Everything But The Girl
Driving


言葉っておもしろいね。
その時その時の人間の暮らしが、化石みたいに痕跡として残っていくものなんだな。
きっとここに挙げたものの何十倍とあるよ、そういう言葉の化石。
考え出すとキリがないくらい。
ん?「キリがない」の「キリ」ってなんだ?
あ、これは単に「区切り」の「切り」か。
まるで埒があかないな。
ん?「埒」って何だ・・・???



音楽歳時記「大寒」

1月20日は大寒。
一年で一番寒さが厳しい時期。
この数日はちょっと寒さは和らいでキーンとくるような冷え込みはましになったとはいえ、やっぱり寒い。
寒いのは苦手なんですよね。
ほんとうはどこへも出掛けずに、冬眠していたい。基本出不精だし、インドア派だから、3ヶ月くらいは表へ出なくても誰とも会わなくても全然平気なのだ。好きな音楽聴いて、本を読んで、気が向いたら料理でも作って、酒飲んで、映画でも観て。あぁ、仕事なんてめんどくさい・・・と(笑)。

そんな苦手な冬にシアワセを感じるもの。
ひとつはあったかいお風呂。
もうひとつはあったかいおふとん。
熱ぅーいお湯をたっぷりためた湯船に浸かってうぇーいとか言いながら放心するシアワセ。
それからぬくぬくのおふとんにくるまってごろごろするシアワセ。
これは冬ならではでこそです。
おふとんの中に、大好きなひとがいっしょだったりしたら、もう言うことないんだけれど(笑)。
お風呂やおふとんを発明した人は偉いよなぁ。
おそらく数百年前までは、貴族や王様でもこんな至福は味わっていなかったんじゃないかと。現代に生まれてよかったよ。

さてさて、音楽の話を。
温もりを感じたい季節の、温かい音楽といえばソウルだ。
それもとびっきりスイートでホットでセクシーなものを。
ってことで、大寒の一枚はアル・グリーン師です。

Im Still In Love With You
I'm Still In Love With You / Al Green

もたったリズム、キュートなギター、もこもことうねるベース、そしてハートウォーミーかつセクシーなヴォーカル。
あったかい。
このセクシーさは明らかに狙ってる。白で固めたジャケットからして狙ってる。その狙いにまんまとはまる心地よさといったら。
I'm Still In Love With YouLove and HappinessLook What You Done For MeFor the Goodtimesといった代表曲から、I'm Glad You're MineWhat A Wonderful Thing Love IsSimply Beautifulといった隠れ名曲、それにロイ・オービソンのOh, Pretty Womanのカバー、と捨て曲なしの最強ラインナップ。
あったかいお風呂にのんびり浸かったときみたいに、ほんのりとのぼせて、血行促進、健康にもたいへんよろしい感じ。
まさに冬の至福。

それにしても、実際、お風呂とおふとんとソウル・ミュージックは最強です。
あったまって、心を解放してあげたら、たいがいの争いごとはどーでもよくなる。
それは世界平和への第一歩ですらあると思うのです。



♪リベンジ成功

高校三年の秋のこと。
文化祭を間近に控えているのに、実行委員の成り手がなくって。
ホームルームで議論しても誰もやろうとしない。
そのクラスメイトたちの人任せで無責任な感じにものすごくムカついて「じゃぁ俺やるからっ!」って引き受けたことがあったんです。
で、直前の週に遅くまで残っていろいろ準備してたら、生活指導の教師が来て
「お前ら、何を遅うまで残っとんねん!」って頭ごなしに怒られて。
誰も引き受けんかったことを俺らは引き受けてみんなのために前向きにやろうとしてんのに、なんで俺らが怒られんなあかんねん!理不尽すぎるやろっ!ほな、「僕もできませーん」ってしてたほうがよかったんかよっ!って、めっちゃくちゃムカついてね。
これ、いまだに思い出すたびムカつくんですよね。

うちの事務所の入り口には、正月明けに毎年「啓翁桜」を飾ります。
毎年お花のお取引先様が送ってくださるのです。
本来総務部の役割のはずなんですが、行き掛かり上、担当のバイヤーとなぜか世話焼きの僕の仕事になっていて。
飾ったり、片付けたり、正直けっこう手間がかかるのです。
去年、ついうっかりもう花が散りはじめていたのに忙しくてほったらかしにしていたら、総務のおっさんがやってきて「いつまで出してんねん。散らかるからさっさとしまえ!」って頭ごなしに怒られてさ。
忘れかけていた文化祭での一件を思い出して、余計にめっちゃくちゃ腹がたって。
ほんま「はぁ?」って感じっすよ。なんで俺らが怒られるのん?

その怒りを一年間ずっと持ち続けていました。
今日、松の内も済んだタイミングで、今年の桜を先手を打って片付けました。
なんとなくリベンジ成功。
すっきりした気分。
正しいと思うことならなおさら、誰かに言われる前に率先してやるって、大事なことだと思いました。

奴らに走らされる前に、
自分の足で歩くんだ
by キース・リチャーズ

Before They Make Me Run”

♪Many Rivers To Cross

いろんなことがなかなか思うようにはすすまないもんだなぁ、とため息が出るようなことが続く。
怒りを持って立ち向かうほど理不尽でもなく、こりゃもうだめだとあきらめるほどに絶望的でもなく、ただなにかがなんとなくずれている感じ。ボタンをひとつかけ違えたまんまでも日常生活にはそれほど支障はないけれど、どうにもしっくりこない、そんな感じ。
なんなんだろう。そもそもの考え方のベースにずれがあるのか、それともただ深く考えないだけなのか。そもそもの責任感や実行力の差なのか、それともただ実務的にずぼらなだけなのか。
仕事をする上でお互いに共通の考え方がベースにあって、自分も相手も「そりゃこうでしょっ!」って行動が一致したときっていうのはとても気持ちがいいのだけど、「えっ、そこでなんでこうなんの?」ってなったときはとても歯痒い。「だってこれはこういう考えに照らしあわせてこう考えたんだけど。」っていう明確な理論と根拠があれば「おぉ、そうか、そういう考え方ね。」って納得もするのだけれど、「いやぁ、それは・・・・モゴモゴ・・・」ってなった日にゃあね。遠回しにやんわりと、ではけっきょく何にも変わらない。でもあせって相手を罵倒したところでやっぱり伝わらないどころか断絶になっていくわけで。
難しいね。仕事として。相手の成長にとって。
いや、本当はそんなことはどうでもよくって、自分が日々ご機嫌に円滑に物事を進めたいだけなんだけど。

そんななんだかなぁ感の気分にすんなりはまったのが、ニルソンとジョン・レノンがコラボしたこのアルバム。

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Pussy Cats / Harry Nilsson

Without You”のセンチメンタルなバラードのイメージのニルソンとはまるで違う、酒で涸らしたような焼けた声で歌われる、なんともやるせない歌。
収録曲のほとんどがカバーなんだけど、その解釈は実にひねくれていて。
例えば“Many Rivers To Cross”はジミー・クリフの原曲のピンと張りつめた艶感を敢えて殺したヨレヨレのへヴィーな歌に。ドリフターズの“Save The Last Dance For Me”も、他の男と踊る彼女をいじいじとなじる情けない男の歌に。逆にディランの“Subterrenian Homeshick Blues”はザクザクと荒っぽいへヴィー・ロックに。それからビル・へイリーの“Rock Around The Clock”なんてもう、酔っぱらいがへべれけで踊っているみたいのやけっぱちさで。
なんだかね、聴いているうちに、いろんなことがとても些細でどうでもいいつまらないことのような気分がしてきて、どよーんとした気分がいつの間にかさっぱりするような感じになれるんです。

まぁ、日々はなんだかんだといろいろある。
そういうのも、例えば運動会の出し物の一部みたいなもんで、きっとなんにもなきゃないでつまらないのかもしれない、と。
出し物が綱引きであれ玉入れであれ二人三脚であれ、ホイッスルが鳴るまでの間、悪戦苦闘するしかないのだ。
むしろ大事なことは、いやーな気分やモヤモヤを溜め込まないことだ。自分のせいにして自分を虐げすぎないことだ。
そういうとき、音楽とか、自分が楽しめて解放されるものがあるっていうのはラッキーだと思う。


音楽歳時記「小寒」

お正月明けひとつめの節季は「小寒」。
いわゆる「寒の入」の季節。
ここからが一年で一番冷える時期、とわかっちゃいても寒い。
ほんっと今年はよく冷えますね。

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Horses / Patti Smith

凍てつく冷たい風、冬の張りつめた空気。
なんとなく連想したのはパティ・スミスさんだった。
1975年のこのファーストアルバムに詰め込まれているのは、世界中のあらゆる場所で「確かに存在しているのに存在しないことにされてしまっているような魂のあり様」に、全身全霊を込めて形を与えようとしているかのようなパティの姿だ。まるで、神の啓示を受けて立ち上がったジャンヌ・ダルクのように、言葉だけを武器に、情念を込めてマシンガンのように世界中にぶっ放してゆくパティ。
その声は、冬の張りつめた風のように耳に痛い。
けれど、その姿は、凍りついた世界に背筋をピンと伸ばしてひとり立ち向かうように、凛として気高い。
「背中丸めてうだうだいってんじゃねーのっ!」ってケツをひっぱたかれるように気合いが入ります。

Gloria / Patti Smith

年が明けて2018年。
世間を見渡してみても、あんまり明るい話題は聞こえてこない。
経済はもはや飽和状態。国の借金は火の車、国民年金も医療保障も破綻状態。ただでさえ人口減少の下り坂をどんどんと転がっているこの国で、危機だの国難だのの言葉ばかりが煽り立てられて、分断と対立が広がっていく。
あいつが敵だ、こいつがダメだと非難することは確かにわかりやすい。
でも、目の前の敵をやっつけたら問題は解決するのか?本当に?
パティさんはそこらへんのパンクスみたいに、あいつが敵だ、あいつ引きずりおろして叩きのめせ、とは歌わない。ノーテンキになんとかなるさとも歌わない。なんともならない状況をしっかりと見据えて、なんともならないとしても目を閉じちゃいけないと歌う。
冬の風のようにピンと張りつめた声で、冬の風に立ち向かうように凛として。

寒いのは好きじゃないんだよな。ほんとは毎日コタツで丸くなっていたい。
でも、まだまだやるべきことをやらなきゃならない。
パティさんの声にケツをひっぱたかれながら、さぁ、表へ出る時間だ。



♪Happiness

晴れときどき曇りたまににわか雨。
よく冷えてはいるけれど風は冷たくない。
お日様の前を雲が横切ったかと思えばパラパラと雨粒が落ちてきたり、雲のすきまからお日様の光の筋が射し込んできたり。
ん?光の筋?
あれ、正しくはなんて呼ぶのだろう?
「天使の梯子」とか「天使の階段」とかいう比喩表現は聞いたことあるけどこれは妙にロマンチックに過ぎる。
「レンブラント光線」?それも画家のレンブラントがよく描いたことによる比喩。
調べてみると「薄明光線」と言うらしいのだが、なんだかあまり美しくないなぁ。
太古の昔から起きている現象なのにどうして「くも」とか「かぜ」とか「にじ」とか「ほし」のような基本的な名前がつけられなかったのだろう?
「薄明光線」は英語ではcrepuscular raysなので、その直訳語。20世紀以降に西洋科学とともに入った言葉だろう。「天使の梯子」だって早くてもキリスト教解禁の明治以降のだいぶたってからの言葉だろうし、だとすればそれより以前、この現象はどう呼ばれていたのだろう?

などと、正月早々どうでもいいことをついつい考えてしまう。
僕はいつもこんな感じ。

大晦日まで働いて、仕事を終えて紅白を観て。
お正月、お雑煮を食べてから、家族で実家へ行って母と弟とおせちをいただき。
二日、昼前まで寝て、お笑い番組を観て、肴やお菓子をつまみながらだらだらと過ごす。
明日は初詣へでも行くべきか。年賀状の返事も書かなくっちゃ。
特別変わったことなど何もない、とりたててどうっていうことのない普通のお正月。
その普通さがありがたい。
この平穏さがありがたい。

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Big Love / Ali Campbell

UB40のリード・シンガー、アリ・キャンベルさんが95年に出していたソロ・アルバム「Big Love」は、「Labour of Love」以降のUB40と同じポップ・レゲエ路線の一枚。
ゆるくてのんびりしたレゲエのリズムにのせて、どこかとぼけたようにソフトなアリ・キャンベルさんの声。言ってしまえば毒にも薬にもならない普通のポップス。
でも、それでいいんだよな。
いや、それがいいんだよな。
シアワセっていうものは、実はこういうことなんだろう。

Happiness”という曲を。

In my heaven here on earth
I found my paradise
All the laughter in my heart
I credit to your smile
Happiness is seeing all the stars in your eyes
Happiness is knowing you are loved



今年もよろしくお願いします。


♪All I Have To Do Is Dream

2017年もいよいよ押し迫ってきました。
年末だから、年を越したからって何が変わるわけでもないんだけど、なんてうそぶきながらも、毎年ブログではちゃんと一年の締めくくりの記事を書いている。意外とちゃんと律儀なんだよ。昭和育ちだからね。
そんな50代になって初めての年末。

さて、今年は自分にとってどんな年だったんだろうか?と振り返ってみようとしてふと気づく。そもそもこんなふうでありたいみたいな目標すら立てていなかったということを。
過去の年末の記事を読んでみるとね、40代の半ばくらいまでは「今年はこういうことを目指した」とかちゃんと書いているんですよね。
それが、年を経るにつれて、そういうことにこだわりがどんどんなくなっていったような気がする。いい意味で、がんばらなくなってきたっていうか。がんばらないは言い過ぎか、気張らない、力まないってことかな。
50才を越えてなんとなく楽だなぁ、と思うのはそういう感じ。とりあえず最低限はクリアして来るべきところまでは来たのかな、みたいな。気張ってこれを成し遂げようとか、誰かに認められようとか、もうそういうことは考えなくてもこのまんまでいいや、って。
あとはもう、ゆるゆるとペースダウンしながら下り坂をゆっくり降りていけばいい。登り坂を登っているときには見る余裕もなかった風景なんかをのんびり眺めたりしてもいい。
自分が楽しいと思えることと、周りの人たちが楽しいと思えることの真ん中あたりでうろうろしていよう。
そんなふうに思えるのがとても気楽な感じです。
ただ、ずるずると老いぼれていくのは嫌なので、夢だけは見ていたいなぁ。
夢を実現させるためにあくせくはしない。叶わなくっても全然構わない。ただ夢を見るために夢を見ていたい。

今年の最後を締めくくるのは、ゆるーい夢の歌にしよう。

All I Have To Do Is Dream / Nils Lofgren

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ニルス・ロフグレンが2001年にひっそり出していたソロ・アルバム「Breakaway Angel」より。ジャケットが妙にハードコア・パンクみたいなのが気に入らないんだけど(笑)、中身はほっこり渋めの大人のロックで、地味だけどけっこうお気に入り。
原曲はエヴァリー・ブラザースの50年代の甘ぁーいヒット曲だけど、ぐっと枯れた感じで孤独をまといつつも、悲嘆や絶望方面には向かわずにのんびりぼやーんとしてる感じがとてもいいのです。

今年もたくさんの方々にお世話になりました。
2018年もこんな感じで、何にも目指さないことを目指そうかと思います。




音楽歳時記「冬至」

冬至。一年中で最も昼の短い日。
暗くて寒く、太陽の力が弱まっていくこの時期は、悪霊の力が強まると昔は考えられていたそうです。
牧畜や農耕で暮らす民族にとって、太陽はまさに恵みの象徴で、その日照時間が日々減って暗闇に近づいてゆく冬至までの期間はとても心細く不安なものだったのだろう。だからこそ冬至はおめでたい日として祝われた。日本でも古くから「一陽来復」と言って、この日を境に運が上向くとされていたそうです。
この時期にキリスト教の大切な祝祭日があるのも、この日を境に日照時間が増えていくありがたさが復活の象徴として結び付いたから、と云われているそうだ。
僕は宗教にはまるで興味がない不信心者だけど、人が宗教を求める気持ちはわからないでもない。いつの時代でも人は生きていくのが心細くて、何が正しくて何が誤りなのかがわからなくって、だから誰も抗えない超越した力を持つものを設定することで心の拠を作る。神に祈りを捧げることで心細さから解消される。不安から解放される。そういうものなんだろうな。
音楽も、もともとの始まりはそういう“祈り”の気持ちから生まれたものなのだろうな、という気がします。
日常を越えた絶対的な存在に触れることで、自分を小さなものとして謙虚に認識する。そのことは不安の解消にとても効果がある。

歌に込めた祈り成分の高さ、超越した歌の力、とくればこの方、アレサ・フランクリンです。

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Amazing Grace / Aretha Franklin

アレサの歌は、60年代アトランティック・レーベルでのヒット曲の数々も、80年代以降の女王のように堂々としてパワフルな録音も大好きなんですが、やっぱり黒人解放運動とリンクした70年代初頭が圧巻です。
これは、1972年にロサンゼルスのバプティスト教会で録音されたゴスペル・アルバム。
そもそも高名な牧師の家に生まれ幼い頃から教会で歌っていたアレサにとって、ゴスペルはルーツでありホーム・グラウンド。オープニングの“Mary,Don't You Weep”、チロチロしたオルガンとピアノが刻むゆるいリズム、クワイヤのコーラスの中にアレサの♪ウェェェェ~というハミングが入るだけでもう教会はアレサ・ワールド。キャロル・キングの“You've Got A Friend”も奥行きの深いゴスペルに。圧巻なのは、延々と10分近くにわたって熱唱する“Amazing Grace”。いかにもゴスペルっぽいバラードだけではなく、映画「ブルース・ブラザース」でJBが飛んだり跳ねたりしながら歌っていた“Old Land Mark”とかノリのいいのもたっぷり。聴衆の熱さもハンパない。
バックのメンバーは同時期の「Live At Fillmore West」や「Young,Gifted,and Black」などと同じく、バーナード・パーディー(dr)やチャック・レイニー(b)、コーネル・デュプリー(g)らが務めているのですが、ここでは匿名性の高い歌伴に徹していて、とにかく主役のアレサのパワフルな歌を盛り上げている。
力強いといっても、単なる馬力としてのパワーだけじゃない。熱量と、よくしなるしなやかさと、遠く深くまで浸透していけるだけの持続的な強さを兼ね備えたアレサの歌は最強だ。
かぼちゃを食べて無病息災を願い、柚子湯に入って邪気を祓うように、冬至にはアレサのゴスペルを。



♪KYOTO 1985-2017

地下鉄の階段を上がると、よく見知った光景が広がっていた。
このあたりで僕は大学時代の4年間を過ごした。
もう30年も前のこと。
19やハタチの青二才だった。
ふらふらと界隈を歩く。
ショッピングモールには駐車場に並ぶ車の列。このショッピングモールは元々はでっかいバス停だったんだよな。
バイトしていた居酒屋はもうなくなってしまっていたけれど、建物や佇まいはそのまんまで別の名前のお店になっていた。
バイト帰りによくいった銭湯は健在だった。
最初に下宿した4畳半の風呂なしアパートはとっくに取り壊されて、ハイツみたいなものが建っていた。
下宿近所の某ファミリーレストランは、「カウボーイ家族」なんていうなんとも情けない名前になっていた。

界隈のはずれ、大学時代の先輩が、昔は集合市場だった場所を改造してアーティストたちの溜まり場的な怪しげなアジトを作っている。
そこで、大学時代からの友人のレコ発ライヴがあるんだ。
ちょっと寝坊しすぎた。慌ててパンをかじって電車に飛び乗ったものの、到着はギリギリだ。
冷たい北風を真っ正面に浴びながら、僕は急ぎ足で歩いた。
この町で過ごしていた19ハタチの自分のマボロシとすれ違いながら。
今はまだ懐かしくもなんともない。思い出したくもないほど嫌なことばかりだったわけでもなく、だからといってあの頃に帰りたいなんて思うほど甘く美しい青春だったわけでもない。ただただガキだったのだ。

あれからそれなりに遠いところまで歩いてきたつもりだったのだけれど。
たどり着いたアジトには、30年前とほとんど変わらないまんま、でもそれなりの大人になった奴等の顔が見えた。はじめて会う人たちも30年前から知り合っていたような錯覚をするような、そんな場所だった。
ライヴが終わって、廃業したパチンコ屋がどうだの、フランスへの37日ツアーがどうだの、鹿のローストがどうだの、まるで興味のないどうでもいいことをとうとうと語る人たちの話を聞きながら、まるで興味がないにも関わらずとても楽しく聞いていた。
なんだか愉快な気分だった。

♪覚えてるのは、あのオレンジ


オレンジ&ターミナル
オレンジ&ターミナル / 福田ユウイチwith後藤トシロウ


CDの感想はまた改めて。



Appendix

Profile

golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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