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My Girl



I’ve got sunshine on a cloudy day
When it’s cold outside,
I’ve got a month of May
I guess you’d say
What can make me feel this way?

曇が切れて光が射すようだった
外は寒いけど僕はまるで
5月のように爽やかな気持ち
どうしてか?って君は尋ねるよね
何がそんなにご機嫌なの?って
僕の彼女さ
彼女のこと、話してもいいかな

I’ve got so much honey, the bees envy me
I’ve got a sweeter song than the birds in the trees
Well, I guess you’d say
What can make me feel this way?

甘ぁーいハチミツたっぷり
ミツバチに目の敵にされそう
あの鳥たちよりも
甘ぁーい歌が歌えそう
どうしてか?って君は尋ねるよね
何がそんなにご機嫌なの?って
僕の彼女さ
彼女のこと、話してもいいかな

(My Girl)

のんびりと穏やかな初夏のそよ風。
木々は艶々と緑の葉を茂らせる。
新緑の5月は生き物たちも活力に満ち、活き活きと生命の輝きをあふれさせている。
そんな5月っぽい曲、テンプテーションズの“My Girl”。
陽気で穏やかで能天気なメロディーとハーモニーが心地よい。
歌詞に“I’ve got a month of May”とも出てくるんだけど、“外は寒いのに僕の気持ちは5月”というフレーズなので、この歌が歌われているのはほんとうは寒い季節なんだけど、まぁいいのだ。
この歌の芳しさや明るさは、やはり5月っぽいのだもの。



50数年生きてきての教訓として
「自分のご機嫌は自分で取ること」
ということがある。
誰もわざわざ他人のご機嫌を取ってくれたりはしない。
そういうことに関わってくれるのはせいぜい成人までの親と教師くらいで、まぁそれはそれで煩わしいものでもあったりする。
そういうふうに扱われているうちが花だと知りつつも、めんどくさい。
そういう時期を過ぎて自立した以上、甘えてはいけないのだと思う。
夫婦や肉親ですら他人なのだ。
勝手に多くを期待して自滅する人は多いのだろう。

めんどくさいことやうまくいかないことがあったときは、姿勢をかがめてやりすごす。
本当に自分が心から楽しいと思えることだけをして、ほかのことはだいたいで済ます。
ご機嫌なんてお天気と同じで、ずっとハイでもずっとロウでもいられないものだ。
不機嫌な自分が周りを不幸にするのなら、関与せずにおとなしくしておいたほうがいい。

“My Girl”はそういう点でも最高なご機嫌ミュージックだ。
めんどくさいことや憂鬱になりそうなことなんて脇に置いて、のんびりゆったりした気持ちにさせてくれる。
しばらくは雨が続きそうな天気予報だけど、この曲の中にはいつでも5月の青空が広がっている。
まずはそういうものを心に持って、半径数メートルの手の届く範囲の幸せをキープする。
世の中いろいろあっても、まずはそれがあってこそだと思うのです。




聡乃学習


聡乃学習 / 小林聡美

「好きな女優は?」と訊かれたら、「小林聡美」と答える。
実際のところ、そういうシチュエーションなどほぼないにせよ。

高校一年生だったかに観た映画『転校生』に主演していた小林さんの、体当たりともいえるぶっ飛んだ演技ですぐにファンになってしまったのだ。
男の子役のときの奔放さと、女の子役のときの不安げな演技のギャップが圧巻だった。
美しさや可愛らしさを売りにするのとは少し違う、もっと人間的な魅力、いや人間的っていうとちょっと違うか、取り繕わず素で反応しているような生き物的なエネルギッシュさと、ナチュラルな聡明さ。
卒論を書いていた昭和の終わりには『やっぱり猫が好き』もたまたま観てたし、パスコのCMもいい雰囲気でした。

そんな小林さんももう50代後半。
若い頃のエッセイのやんちゃさやちょっとウケを狙った表現も今やすっかり落ち着いて。
話題の多くは「体力や運動能力を維持すること」「断捨離」「IT関係の進化と順応」などなどで、ほぼ同世代なだけに、身につまされるテーマも多く、あーそーだよねぇとついつい納得しながらゆるい気持ちで読んだ。

実際、50代っていうのは曲がり角なんだな、と思う。
若い頃のようにがむしゃらにとことん突っ走るだけの体力も情熱も衰える。いろんな出来事に既視感が増え、動じない代わりに感動も減る。新しいものを取り入れようとしなくなってくる。
何か今までにない大きな仕事をやったとしてもある意味そのキャリアなら当然とか、自分ががんばるんじゃなくて後進を育成するほうへ力を注いでほしいとかそういう評価をされてしまいがちだったり。
まぁ、そうなんでしょうね。そういう評価をされてしまう年頃なのだ。
でも、この50代をどう乗り切るかというのは、そのあとの後半ステージの生き方を大きく左右するんだろうと思う。

小林さんのスタンスは、そういう点でもいいなと思う。

「五十を過ぎたら順不同」というエッセイでは、この言葉の意味するものを昔は「ある程度の年齢になったら年長も年下もなく同じ扱いだ」と誤解していたけど、本当は「50才を過ぎたら年齢順ではなく誰がどこでどんな病気になってもおかしくない」という意味だと知って愕然とし、だからこそ「いつ起こるかわからない不測の事態を受け入れられるよう、後悔のない日々を送ろう」と括る。
また別の話では「シニアになったらやっぱり自分の心地よさが一番大事。むきだしの自分でいられる場所を大事にしていきたい。」、「いつかではなく、できること、したいことを楽しんでいこう。」などなど、老いを前に人生を充実させたい言葉が並ぶ。
そう書くと、すごくポジティブでエネルギッシュな感じがするけれど、トーンとしては、なんというか、もっとゆるやかで自然体。
でも、こう書くとすごく意識が高くて優雅な感じがしてしまう。
そうじゃなくて、ジタバタもするし、小さなことで不安になったりもするし、人生の後半戦を充実させようと頑張ろうとは思うけど実際なかなかねー、って感じがあって、意識して作った自然体ではなく、ほんとに気負いなく普通なのだ。自然体というよりは天然といったほうがふさわしいくらい。
「身体を鍛えようとすると、無理がかかるのかずっこけ軽い怪我。きらびやかなスポーツジムは無理。」とか若さやエネルギーを維持するために必死になる感じはまるでなく、だからといって悟ったようにすべてを受け入れていくでもなく、普通なんですよね。
そういう、とても普通で、どこかとぼけた雰囲気と、ジタバタもするんだけど青筋立てたりあるべき論を振りかざしたりしないところに共感してしまうのです。

一番いいなと思ったのは、「終活は早い方がいい」と、断捨離めいて押し込め部屋の若い頃の旅日記をひっぱり出してきた話。
若い頃に書いたその日記を読み返してみて、懐かしんだりあの頃は輝いていたとか回顧するのではなく、「まるで大したことは書いてない」とばっさり。
「それらはただの紙切れで、日記の文字も今の自分と変わらなくて、懐かしいと思うにはまだ少し生っぽくて。」と微妙な気持ちになって、でも、つまらないと言いつつも結局処分はせず、そっと元の場所に戻す。
そういうバランス感がいいなと思うのです。




I Can See Clearly Now



雨も止んで視界良好
僕の行く手を阻むものも
全部見えるし
視界を遮っていた暗い雲も
流れていった
眩しいお日様が輝く日になりそう
眩しいお日様が輝く日になりそう

痛みも消えて今ならやれそうだ
嫌な感じも全部どっかへ行った
ずっと待ち望んでいた虹が出た
眩しいお日様が輝く日になりそう
ほら、見渡せば青い空
眼の前はずっと青い空
痛みも消えて今ならやれそうだ
嫌な感じも全部どっかへ行った
ずっと待ち望んでいた虹が出た
眩しいお日様が輝く日になりそう

(I Can See Clearly Now / Jimmy Cliff)

オリジナルはカントリーの大御所、ジョニー・キャッシュなんだそうだけど、この歌には能天気なレゲエのリズムとジミー・クリフのすっとぼけた歌がよく似合う。
ほんとに、行く手にずーっと青空が広がっていて憂うべきことなど何ひとつないような爽やかな演奏だと思う。



5月は好きな季節。
暑くもなく寒くもなく、Tシャツにあと一枚羽織るくらいで動きやすい。
寒いのはダメなんです。
血行が悪くなって体全体がどこか縮こまって固くなってしまって。
防寒のためにいろいろ着込むのも好きじゃない。重い。基本的には身軽がいい。
若い頃は暑い真夏はへっちゃらで、炎天下で重労働の現場仕事なんてのもなんなくこなせてたんだけど、これは加齢とともにだんだん思うようにいかなくなってきた。
まぁ、やむを得ないことなんだろう。

できることならずっと5月だったらいいのに。
ずっと25℃・低湿度の青空だったらいいのに。
ま、そんなわけにもいかない。

できることとすれば、せめて心の気温と湿度を保つこと。
そのためには、こういうご機嫌な音楽がプラスに作用する。

ボブ・マーリーは自由と権利のために立ち上がって闘った。偽善者の嘘を暴き権力者の足元を脅かした。
それはそれでとても大切なことで、そういうシーンには立ち上がって声を挙げるべきだと思う。
でも、ほんとうに理想的なのはジミー・クリフのスタンスだ。
あるがままを受け入れて、その上でできる限りハッピーな気持ちを維持すること。

80年生きるとすれば、それは日数にすると約30,000日足らず。そのうちもう20,000日近くは過ごしてしまったのだから、せめて残りの10,000日、青空の晴れた日が多いに越したことはない。





How Deep Is Your Love

5月。
今年ももう1/3消化、っていうと早いねぇ。

5月っぽい歌って何があったっけ?確か“First of May”って曲があったっけ。ビージーズだな。
映画「小さな恋のメロディー」の挿入曲だったそうだ。
美しい曲だけど、うーん、この曲は少し上の世代の大切な曲というイメージがあって、自分には上手く語れそうにない。
ビージーズといえば、自分にとっては“First of May”や“Melody Fair”よりもこの曲かな。


How Deep Is Your Love / Bee Gees

僕が育った家は、日常的に音楽がある環境ではなかった。
テレビよりはラジオをつけていることが多かった。
地方AMなのでおしゃべりがほとんどで、たまにリクエスト曲がかかる程度だったけど、ごく稀に洋楽のヒット曲が流れてくることもあった。
そういう曲の中で、うっすらと記憶に残っているのが、カーペンターズの“Yesterday Once More”とビージーズの“How Deep Is Your Love”だった。
いや、正確には、だったような気がする、という感じだけど。
もちろん当時、アーティスト名も知らないし曲のタイトルも覚えてなんかいない。
高校生くらいになってから「あぁ、この曲はうっすらと聞き覚えがある」と思い出した程度のことだし、その記憶すら本当だったか曖昧なくらいだ。
ただ、この曲を聴いたときの、うっすらと甘くなんともふわふわとした感じの不思議な気分だけをぼんやりと覚えている。

どんなことを歌っているのかもわからない。きれいなメロディーだと思うための「メロディー」というボキャブラリーすらまだ持っていない。海外への憧れも偏見もなく、愛や恋なんてことすら自分とは全然遠いところにあってまるで無関係だと思っていた年頃の、遠く薄いぼんやりとした記憶。

今、調べてみたら、“How Deep Is Your Love”がヒットしたのは1977年なんだそうだ。
10歳。小学校4年生の頃だったのか。
異性を異性として意識しだしたり、自尊心が芽生えだしたり自分の他者からの評価が気になりだしたり、そういう年頃だね。
自分が世界の中心だとしか認識していない年頃から、どうやら自分の周りには広い世界があって自分は世界の中心ではないと知るような年頃に、そういう認識を促すツールのひとつとして海外のヒット曲というものが作用したのかも知れない。

改めて聴いても、美しいメロディーですね。甘やかで、さらさらと喉越しがよく、芳しさや気品を感じる演奏だ。
5月の爽やかな空気によく合う。
歌詞には“夏のそよ風とともに君がやって来る”なんていうフレーズもある。

若い頃に戻って人生をやり直したいとか思ったことはないけれど、もし戻るならば、こういう気持ちを認識するよりも前がいいな。







エルヴィスが憧れた ロックのゆりかご(21)

「ロックゆりかご」シリーズ、ここまでは、1920年代のブラインド・レモン・ジェファーソンから始まって、デキシーランド・ジャズ、ジャグバンド、クラシック・ブルース、デルタ・ブルース〜シティ・ブルース、フォーク、ヒルビリーミュージック〜カントリー、ジャンプ・ブルース、ビ・バップ、ゴスペル、ドゥワップといろんな角度での重要アーティストをフォーカスしてきました。

1920年代からのジャズとブルースをまとめあげたのが30年代後半のカウント・ベイシー楽団。
30年代後半以降のエレキギターの導入、ジャンプ・ブルース〜リズム&ブルースの流れ、カントリーの隆盛の流れをまとめたのがエルヴィス・プレスリー。

エルヴィスの回で書いたように、エルヴィスの音楽は突然変異的に発生したのではなく、そこに至る脈々とした背景がある。
実際、エルヴィスがデビュー当初にリリースした曲はほとんどがカバー曲なわけで、これらの曲からエルヴィスがどういう音楽に刺激され影響を受けたかを伺い知ることもできる。

今回は、1954年エルヴィスがサン・スタジオで録音した歴史的レコードから、エルヴィスが憧れた楽曲を紹介してみよう。

■エルヴィスが最初にリリースしたシングル“That's Alright”。
これはミシシッピ出身のアーサー・クルーダップの1946年のヒット。





■カップリング曲は、ビル・モンローの“Blue Moon Of Kentucky”。
ビル・モンローは、いわゆるブルーグラスの第一人者。音楽的にはカントリーと同じルーツを持つのだろうけど、バンジョーやマンドリンが多用されるのが特徴。

エルヴィスのカバーは、ブルーグラスの原曲をブルース風に演奏するという、当時としては突飛なものだった。





■2枚目のレコードは、ジャンプ・ブルースのロイ・ブラウンの“Good Rockin' Tonight”。

ロイ・ブラウンは、ルイ・ジョーダン直系ともいえるジャンプ・ブルースを得意としており、エルヴィスのシャウトにはロイ・ブラウンの影響が伺える。





■このカップリングは、パティ・ペイジの1950年のヒット“I Don't Care if the Sun Don't Shine”だった。
原曲のパティ・ペイジのバージョンは、当時白人層に好まれたであろうポップス風で、エルヴィスのカバーには「もしみなさんが大好きなポップスを黒人が歌ったら」的なチャレンジだったのだと思う。






最初の4曲が、ブルース、ブルーグラス、ジャンプブルース、ジャズ・ヴォーカル。
こういう広いジャンルの曲をエルヴィスが拾いあげたということは、それだけエルヴィスが広く音楽に関心があったということだろう。
そしてそれをそのまま演るのではなく、自分流に演奏してみせた。

それではエルヴィスが自分流の参考にしたものは何だったか。
ヒット曲連発の最初の黄金期である1957年に、エルヴィスはあるインタビューでこのような発言をしている。

「有色人種の皆さんは僕が生まれる前からまさに僕のように歌い演奏していたし、彼らからそのようなやり方を学んでいたんです。
今僕がやっているギターを叩くような弾き方はミシシッピのトゥペロでよく観たアーサー・クルーダップさんの演奏方法です。
そして僕はアーサーさんが感じたことを僕自身がすべて感じ取ることができたら、誰も見たことがないすごい音楽家になれると思っていたし、そう話していました。」

本人はやっぱり、黒人たちの音楽に憧れて影響を受けたということにかなり自覚的だったのですね。









The Ravens ロックのゆりかご(20)

The Ravensは、1946年にジミー・リックス(James Thomas Ricks, 1924年8月6日 – July 2, 1974年7月2日)とウォーレン・サトルズ(Warren "Birdland" Suttles、1925年2月20日 –2009年7月24日)らにによって結成されたヴォーカル・グループ。
その時代で最も成功し、最も影響力のあるボーカル・カルテットの1つであり、1940年代後半から1950年代初頭にかけてR&Bチャートでヒットを連発した。



ドゥーワップのはじまりは、ゴスペルコーラスの伝統を元にジャズ・コーラス・グループとして1930年代に活動したミルズ・ブラザーズやインク・スポッツあたりの黒人ジャズ・コーラスグループにさかのぼる。
レイヴンズを結成したジミー・リックスも元々はインク・スポッツの後期メンバーだったそうだ。

ミルズ・ブラザーズやインク・スポッツとドゥーワップ・グループの大きな違いは、ベース・ヴォーカル。
「ボン、ボボン、ボン、ボボン」とか「ドゥドゥドゥドゥドゥー」などと低音部分を担って全体のグルーヴをリードしていく。



1946年のヒット曲、“My Sugar is so Refined”。
レイヴンズのヒット曲は、すぐに多数のフォロワーを生み、ジ・オリオールズ、フラミンゴズ、ペンギンズ、ロビンスなど後続が次々にデビュー。
それぞれに鳥の名前を冠していたので「バード・グループ」と呼ばれたそうだ。



この“Rock Me All Night Long”は1952年のヒット。だいぶビート感が出てきています。

さらに、こうした初期のグループを聴いてたくさんの黒人の若者たちがコーラス・グループを結成していく。
それが、ハートビーツやキャデラックズ、ムーングロウズやコースターズら、50年代中盤以降にぞろぞろとデビューするドゥーワップグループ。
楽器が弾けなくても街角で集まって唄えばスターになれる可能性を開いたドゥーワップは、産業化と業界の硬直化がすすみつつあった音楽業界を、貧しい庶民の手に取り戻す役割をも果たすことになる。
要は「センスと情熱さえあれば、金がなくても誰でも音楽で自己表現できる」ということをリアルに示したのがドゥーワップ。
そういう意味ではドゥーワップは、パンクと同じ作用を持っていた。
エスタブリッシュメントの価値観を一度崩壊させたその割れ目のところから、ロックンロールがビジネスとして成立する芽が育まれたのだ。




Sister Rosetta Tharpe ロックのゆりかご(19)

シスター・ロゼッタ・サープ(Sister Rosetta Tharpe、1915年3月20日-1973年10月5日)はアーカンソー州コットンプラント出身のソングライター、ギタリスト。
1930〜40年代にかけてゴスペルと、ジャズやブルースなど大衆音楽をかけ合わせた演奏で人気を博した。
スピリチュアルな歌詞をリズミカルな伴奏にのせた演奏が特徴的で、宗教と世俗的な境界をまたいで演奏活動を続け、スピリチュアル音楽をメインストリームへと押し上げた。



シスター・ロゼッタ・サープさんは、ゴスペルのアーティストなんだけど、例えばこの1947年にヒットした “Strange Things Happen Everyday”という曲なんて、一般的に想像するゴスペルとはかけ離れていて、ブルース〜ブギウギの影響を強く受けている。
これはもうほとんどロックンロールと言っても言い過ぎでないくらいだ。



実際のところ、ゴスペルとブルース/ブギウギ/リズム&ブルースの音楽的な垣根はほとんどなかった。
そもそも最初にゴスペルを録音した
トーマス・A・ドーシーさんは元々はジョージア・トムという名前でブルースマンとして活動していた人だそうだから、ブルースとゴスペルは音楽的には異母兄弟どころか全くの兄弟なのだ。
違うのは、歌の内容。
ゴスペルは神への帰依を歌い、ブルースは俗世間のよしなしごとを歌う。
この“Strange Things Happen Everyday”はこんな歌だ。

教会で人々の声を聴こう
彼らは聖なる道を歩んでいる
不思議なことは毎日起こっている
最後の審判の日まで
不思議な奇跡は起こり続ける
山に登って雄大な景色を観たいのなら
寝そべっていてはいけない
嘘を正しく見極められれば
正しい道をを歩むことができる
ジーザスは聖なる光
暗闇に光を与える
不思議なことは毎日起こっている

“おかしなことが毎日起こっている”なんてタイトルはプロテスト・ソングかと思ったら、イエス・キリストの奇跡を信じなさい、というメッセージ・ソングだったんですね。



シスター・ロゼッタは敬虔なキリスト教徒の家庭に育ち、6歳の頃には母親とともに宣教のための旅に加わり演奏するようになったのだそうだ。
エンターテイメント色が強い彼女の演奏は、その宣教ツアーで聴衆の心をがっちりつかむために磨かれていったものなのだろう。
実際、ゴスペル以外でもラッキー・ミリンダ楽団との共演でブルージーな歌とギターを聴かせるなど広い活動を行っていたようだ。



このエンターテイメント色が強すぎる彼女のゴスペルは、多くの聴衆を巻き込んで熱狂を生み出したと同時に、より保守的なキリスト教徒たちからは、下品で卑しいとも非難を浴びたようで、やがてより清廉で奥深いイメージのあるマヘリア・ジャクソンらに座を奪われていったのだそうだ。




ぐるりのこと

主義も思想も価値観も違う相手に、文字通りの水際でどう対処するか。
当事者には当事者のいかんともしがたい歴史と事情がある。それはそれでそれぞれの物語だ。利害がぶつかる。まったく理不尽に思える攻撃が加えられる。
それでも、結局はこちらに相手の、または相手にこちらの、物語の、胸を開いて分かろうとする姿勢のあるなしが交渉の鍵を握る。本当のかけひきはそこから始まる。
相手にも歩み寄ってもらわなければならない。そういうふうに流れを持っていく。自分の土俵に引きずり込む、とは似て非なるやり方で。
まったく共感が持てないように思えた相手側の思考回路にも変容していってもらわなければならない。それは相手側の物語の中で自然に発生していく変化でなければならない。
強者が力づくで、という形はなんとしてでも避けたい。そうでなくては「恨み」が残る。



引用したのは、梨木香歩さんの随筆集「ぐるりのこと」の第一章“向こう側とこちら側、そしてどちらでもない場所”からの一節。


ぐるりのこと / 梨木香歩

この文章が書かれたのは2004年で、尖閣沖に中国の不審船が跋扈しだしたことがテーマのひとつとして挙げられる中での文章だ。
対立する相手といかに交渉を成立させるのか、についての示唆にとんだ文章。
これを読むと、ロシアとウクライナの関係はこの本来双方が粘り強く向き合うべきことがないがしろにされた結果なのだと思う。
もちろんどう考えても国際法を無視して殺戮を遂行するロシアに100%の非があるけれど、そこへ至るプロセスの中でウクライナや国際社会が交渉ごとに於いて大切ななにかを見落としてしまった部分があったのだろう、とも思えてくる。善悪や事の是非のことは別にして、あくまでも向き合い方として。

ケンカになっても構わない、こちらには強い後ろ盾がある、と相手のプライドまで無視した立場をとったとき、窮鼠猫を噛む的な反逆を受けることはある。
僕も何度か経験したことがある。
部下の失敗を追い込んで、それはそれで言い逃れのしようのない失敗だったにせよ、結果として反省を引き出し行動を改めさせるどころかより意固地にさせてしまったこと。
弟の愚痴を聞き流してやらず正論で追い込んで手を出させてしまったこともあった。暴力を振るった弟のことは今も許す気にはなれないが、弟を追い込んだのは自分の方だということは気がついてはいるのだ。
気心が知れていると思いこんでいる相手ほど、距離があると感じている相手になら踏み込まないラインのところまでついつい踏み込んでしまうものなのかも知れない。
ご近所、兄弟、親戚、親子、夫婦。こういう元来親しい間柄のほうがこじれたときにやっかいになってしまうのはそういうことだろう。
そのことを、ロシアーウクライナや、中華ー台湾、朝鮮半島ー日本の関係に例えるのはあまり良い例ではないだろうけれど、ついそんなふうに思ってしまったのです。
そして、身近な人たちはもちろん、生活上で関わらざるを得ないそもそもの思想や利害が異なる相手との関係性に於いてなら尚更、節度と敬意が必要だと。



「ぐるりのこと」は、この2000年代初頭にあった諸々の話題やからプライベートで見聞き感じたことをあちこちと行き来しながら、自分と周囲との距離や立ち位置、どんなふうに世界と向き合うべきなのかということに思いを巡らせたエッセイ集。

自分の立場の一方的主張ではなく、向こう側の目線で、どちらでもない立場の目線で、ぐるりをぐるぐる周りながら本質に近づこうとする思索の実況中継のような文章は、少し理解しづらい部分もあるにせよ、そのわかりにくい部分も含めて誠実な文章だ。
たまに開くと、ハッとするような文章がそこに偶然あったりする。








丘を越えて

四月も半ばを過ぎれば連日ウララカな陽気。
仕事だらけのコテコテの日々にも、空を見上げればなんとなく素っ頓狂に陽気な気分になったりもします。

車に乗る機会がめっきり減って、たまーに乗るときもなんとなく運転が疲れるようになってきて、ついに車を手放してしまいました。
代わりに散歩したり自転車をこいだりする機会が増えたのだけど、スピード感が変わると体のリズムも少し変わる。
こういう春らしい日に体が求めるスピード感やリズム感で鼻歌を歌うと、例えばこんな歌が口をついたりする。



丘を越えて行こうよ
真澄の空は朗らかに
晴れて愉しい心
鳴るは胸の血潮よ
讃えよ我が春を
いざ行け
はるか希望の丘を越えて

 (丘を越えて / 矢野顕子)

いわゆる古賀メロディーですね。
小学生の頃はまだ藤山一郎さんもご存命で、両親が懐メロ番組なんかで観てるのを端で見ていた記憶があるのだけれど、僕がこの歌をちゃんと知ったのは矢野顕子さんのカヴァーだった。

東洋的な雰囲気をあちこちに散りばめつつも、歌の印象としてはとても矢野顕子さんらしいお茶目で奔放な女の子のあっけらかんとした明るさが残る。

こういうものを聴くと、音楽は作品そのものよりも、どう表現するかが大事なのだと思う。
作者の当初の意図を離れた解釈で歌い演奏されることで、作品は元のテイストとは違う色合いを見せる。
人生も同じ。他人から見たらごく普通のありふれた経歴や暮らしぶりだったとしても、自分の心地よいリズムで自分の心地よい歌い方をすることで、自分にしか出せない色を帯びるはずだと思う。

気分が良いときは良いなりに、そうでないときはそうでないなりに、自分のリズムとアクセントで。









朧月夜



 菜の花畠に
 入日薄れ
 見渡す山の端
 霞深し
 春風そよ吹く
 空を見れば
 夕月かかりて
 にほひ淡し

 里わの火影も
 森の色も
 田中の小路を
 たどる人も
 蛙のなく音も
 鐘の音も
 さながら霞める朧月夜

作詞高野辰之、作曲岡野貞一。
1914年(大正3年)「尋常小学唱歌 第六学年用」に初出の文部省唱歌。

ぼおっとした気分で過ごしたい春の宵。
こういう歌が心地よいですね。

冒頭、夕暮れ時の菜の花畑の風景が描かれる。
黄色の花がそよ風に揺れ、背景の山へと夕日が沈んでいく、そういう広い風景の中に聴き手は立たされる。
甘やかな春の匂いが漂っている。

2番になると、風景は里や森、田んぼへとそれぞれ視点を移し、カットアップされるように田んぼの畦道を歩く人が移し出される。
挿入される蛙や鐘の音。
この風景の描き方はまるで映画のようだ。
そして歌のラストになって、それらの光景を大きく包み込みような霞がかかった月が映し出されるのです。
描かれてはいないけど、このお月様は間違いなく満月だろう。

そして、この1番の夕暮れから2番の朧月に至るまでに、実は時間が経過しているのですよね。
そのことが、春の心地よさにただ忘我し風景に見とれていたという登場人物の心象をも表しているのです。
描かれてはいないけれど、この登場人物は、おそらく充実した時を過ごしているのだと思う。

一言も言っていないのに、風景と時間の経過を描くことで、そういう心象まで表現している。
とても素晴らしい歌だと思います。



この歌は、小学生の頃に音楽朝礼なんかでも歌ったし、なんとなく小さい頃から馴染んできた歌だ。
唱歌というと、どこか妙にかしこまった歌われ方をされ、歌のありがたみを押し付けられているような感じがすることが多くて、ロックやブルースを聴いてきた耳にはどうにもこそばゆい感じしかしないのだけど、この夏川りみさんの歌唱は少し違う気がする。
澄んでいて混ざり気や邪念がなく、張りがあって遠くまでよく伸びる声が、モノクームの古い歌をカラフルに彩っている。歌の情景をふくよかに再現して陰影を与え、生命力をふきこんでいる。
こういうふうに唱歌を歌える歌手は、ちょっとほかに見当たらない。



Appendix

Profile

golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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